言語
諸葛亮(しょかつりょう)

蜀漢(しょくかん) · 丞相

諸葛亮(しょかつりょう)

字 孔明

登場回
89
台詞の記録
704
人間関係
227
内面の独白
3

史載(Historical Record)

諸葛亮(しょかつりょう)、字は孔明、琅邪(ろうや)陽都の人で、漢の司隷(しれい)校尉であった諸葛豊の後裔である。その父の諸葛圭はかつて泰山郡丞を務めたが、早くに世を去った。亮は幼くして父を失い、叔父の諸葛玄に従って豫章郡(よしょうぐん)に至り、後に玄は荊州(けいしゅう)牧の劉表(りゅう ひょう)に身を寄せた。玄が没すると、諸葛亮は隆中(りゅうちゅう)に躬耕し、常に自らを管仲・楽毅になぞらえたが、当時の人の多くはこれを認めず、ただ博陵の崔州平、潁川(えいせん)の徐庶(じょしょ)ら親しき友のみがこれを信じた c:12009。

建安十二年(207年)、先主の劉備(りゅうび)は新野(しんや)に屯兵しており、徐庶は彼に諸葛亮を推挙し、「臥龍」と称した。劉備は三顧の礼(さんこのれい)を尽くして、ようやく亮と会うことができた。亮は劉備のために天下の形勢を分析し、「荊・益に跨り、その険阻を保ち、西は諸戎と和し、南は夷越を撫し、外は孫権(そん けん)と好を結び、内は政理を修む」という「隆中対」の戦略構想を提示し、覇業を図った c:12011。劉備はこれを聞いて大いに喜び、亮との情好は日に日に密となり、「孤に孔明あるは、なお魚に水あるがごとし」と述べてその器重ぶりを説明した c:12011。

曹操(そうそう)が劉表を南征すると、劉表は病で没し、その子の劉琮(りゅうそう)が後を継いだ後に曹に降った。劉備は衆を率いて南へ退き、曹操が急追して、当陽長坂(とうようちょうはん)で劉備軍を大破した。劉備は諸葛亮・張飛(ちょうひ)・趙雲(ちょううん)ら数十騎とともに脱出することができた c:12003。この危急の時、劉備は諸葛亮を東呉に使いさせ、孫権と同盟を結ばせた。諸葛亮は孫権を説得することに成功し、孫劉連合軍を成立させて、ともに曹操に対抗した c:12013。赤壁の戦い(せきへきのたたかい)において、孫劉連合軍は曹軍を大破し、曹操は軍を率いて北に帰った。劉備はその勢いに乗じて江南の諸郡を収め、諸葛亮を軍師中郎将とし、零陵(れいりょう)・桂陽郡(けいようぐん)・長沙(ちょうさ)三郡の賦税を督させて、軍の実を充たした c:12013。

建安十六年(211年)、劉備が蜀に入ると、諸葛亮は関羽(かんう)とともに荊州を鎮守した。後に亮は張飛・趙雲らを率いて江を遡り、郡県を分け定めて、劉備と会師して成都(せいと)を包囲した。益州(えきしゅう)が平定されると、亮は軍師将軍に任命され、左将軍府の事を署し、常に成都を鎮守して、食を足らし兵を足らした c:12014。章武元年(221年)、劉備が帝位に即いて蜀漢(しょくかん)を建て、諸葛亮を丞相とし、尚書事を録し、節を假した c:12004。章武三年(223年)、劉備は永安(えいあん)で病が篤くなり、諸葛亮を召して後事を託し、彼に「君の才は曹丕(そうひ)の十倍、必ずよく国を安んじ、ついに大事を定めん。もし嗣子が輔くべきならば、これを輔けよ。もしその才なくば、君みずから取るべし」と告げた。亮は涕泣して、股肱の力を尽くし、忠貞の節を効すと表した c:12018。

劉備が世を去った後、諸葛亮は後主の劉禅(りゅう ぜん)を輔佐した。建興三年(225年)、亮は軍を率いて南征し、四郡を平定して、軍資は充裕となり、国力は富饒となった c:12019。この後、諸葛亮は戎を治め武を講じて、北伐を図った。建興六年(228年)、亮は軍を率いて北のかた漢中(かんちゅう)に駐し、祁山(きざん)に出ると、南安・天水・安定の三郡が魏に叛いて呼応し、関中は震動した。しかし、馬謖(ばしょく)が節度に背いたため、街亭(がいてい)が失われ、亮は退兵を余儀なくされ、自らを三等貶めて、右将軍として丞相の事を行った c:12020。この後、亮はまた幾度も北伐し、かつて陳倉(ちんそう)を囲み、王双(おうそう)を破り、武都(ぶと)・陰平郡(いんぺいぐん)の二郡を平定した c:12021。建興九年(231年)、亮は再び祁山に出て、木牛をもって糧を運び、魏将の張郃(ちょうこう)と交戦して、張郃を射殺した c:12022。建興十二年(234年)、亮は大軍を率いて斜谷に出て、流馬をもって糧を運び、武功の五丈原(ごじょうげん)に拠って、司馬懿(しばい)と百余日対峙した。同年八月、諸葛亮は軍中に病没し、時に五十四であった c:12024。亮は生前清廉で、家に余財はなく、まさにその言うところの「成都に桑八百株、薄田十五頃あり、子弟の衣食は自ずから余饒あり。臣が外任に在るに至りては、別の調度なく、随身の衣食はことごとく官に仰ぎ、別に生を治めて尺寸を長ぜず。もし臣の死する日に、内に余帛あり、外に贏財ありて、もって陛下に負くことなからしめん」のごとくであった c:12881。景耀六年(263年)、後主は詔して亮のために沔陽(めんよう)に廟を立てた c:12026。

演中(In the Novel)

『三国(さんごく)演義』においては、諸葛亮の人物像はより多くの伝奇的な色彩と神機妙算を付与されている。小説は徐庶が劉備に諸葛亮を推薦したことを詳細に描き、また水鏡先生の司馬徽(しばき)がかつて「伏龍・鳳雛、二人のうち一を得れば、天下を安んずべし」と言い、諸葛亮を「伏龍」になぞらえたことに言及している c:12057。劉備の三顧の礼の細部は存分に潤色され、孔明が初めて姿を現すと「身の長八尺、面は冠玉のごとく、頭に綸巾を戴き、身に鶴氅を披て、飄々然として神仙の概あり」とある c:12280。その茅廬の中で提示した「隆中対」の戦略は、まさに茅廬を出ずして天下三分を知る絶世の智慧として描かれている c:12060。

小説において、諸葛亮は戦略家であるのみならず、軍事家でもある。彼は茅廬を出てすぐに博望坡(はくぼうは)で夏侯惇(かこう とん)を火攻めにし、その卓越した軍事の才を示した。この戦役において、関羽と張飛は孔明の若さと才能を疑い、張飛などは「我々はみな出て殺し合いをするのに、お前は家の中に座っているとは、なんと気楽なことか!」と嘲笑した c:12311 が、孔明は「帷幄の中に運籌し、千里の外に勝を決す」智慧をもって、曹軍を破ることに成功した c:12313。この後、彼はまた新野で曹軍を火攻めにし、劉備集団(りゅうびしゅうだん)における地位をさらに固めた c:12069。

赤壁の戦いにおいて、諸葛亮はさらに大いに輝きを放ち、草船借箭(そうせんしゃくせん)、東風を借りるなどの筋立て(演義独自) c:12072 が、彼の神機妙算の人物像を大いに強化している。小説では、彼は曹操が劉備を追撃することを予見し、あらかじめ劉琦(りゅうき)を漢津で待ち受けさせて、戦局への精確な予測を示している c:12072。劉表の病が重い時、劉備は荊州を奪うに忍びず、孔明は勧説したものの、劉備はなお仁義を堅持しており、小説はこの筋立てを通じて劉備の仁徳を際立たせ、また側面から孔明の深謀遠慮を引き立てている c:12067。

小説はまた、諸葛亮が劉琦に計を求められた際の「上は天に至らず、下は地に至らず」という巧妙な応対を描き、最終的に劉琦に禍を避ける策を示しており c:12062、これらの細部はいずれも諸葛亮の足智多謀の人物像を大いに豊かにしている。史載と比べて、演義における諸葛亮はより伝奇的な色彩を帯び、その智謀は誇張され、いくぶん神話的な色彩さえ帯びて、智慧の化身となっている。

主要な関係

* 劉備集団(serves):諸葛亮は劉備集団の中核となる謀士であり、実際の指導者である。彼は劉備のために「隆中対」の戦略方針を定め、劉備を寄寓の身から蜀漢の建国へと輔佐し、最終的に蜀漢の丞相となって、内外の事務を総攬した c:12014。劉備は彼を極めて信任し、「孤に孔明あるは、なお魚に水あるがごとし」と称した c:12011。
* 劉備(witnesses):諸葛亮は劉備が顛沛流離から帝業を建てるまでの全過程を見届けた。劉備の臨終に際し、彼は後主の劉禅を託され、幼主を輔佐する重任を担った c:12018。
* 孫権(advises_in):赤壁の戦いの前、諸葛亮は劉備の使者として、孫権を説得してともに曹に抗することに成功し、孫劉同盟を成立させて、天下の大勢を転じさせた c:12013。
* 蜀漢(serves):諸葛亮は蜀漢の開国の元勲であり、実際の執政者である。彼は国家戦略を定めるのみならず、内政を治め、経済を発展させ、また幾度も軍を率いて北伐し、蜀漢の存続と発展のために鞠躬尽瘁した c:12019。
* 関羽・張飛:初期、関羽・張飛は諸葛亮の若さと功績のなさに服さなかったが、劉備は「魚水の情」をもって彼らの不満を解消した c:12011。博望坡の戦いにおいて、諸葛亮は巧妙な軍事配置を通じて、関・張の二人を心服させた c:12063。
* 徐庶:徐庶は諸葛亮の親友であり、劉備に諸葛亮を推薦した肝要な人物でもある。彼はかつて劉備に「諸葛孔明なる者、臥龍なり、将軍あに之を見んと願わざるか」と言った c:12011。
* 法正:諸葛亮と法正は好尚を異にしたものの、公義をもって相取り、亮は常に正の智術を奇とした。法正が世を去った後、亮はかつて「法孝直もし在らば、よく主上を制し、東行せしめざらん。たとい復た東行するも、必ず傾危せざらん」と嘆息した c:12030。
* 司馬懿:諸葛亮は北伐の間、司馬懿と幾度も対陣した。五丈原の対峙の間、司馬懿はかつて諸葛亮を「天下の奇才なり!」と評した c:12024。
* 劉琦:諸葛亮はかつて巧妙に劉琦のために謀を出し、彼が禍を避けて江夏(こうか)に赴くことができるようにした c:12062(演義独自)。

象徴的な場面

* 三顧の礼:劉備は三たび隆中に諸葛亮を訪ね、ついにその出山と輔佐を請うた。この出来事は、劉備の賢を求めて渇するがごとき胸襟と、諸葛亮の超凡脱俗の智慧を存分に示している c:12011。
* 隆中対:諸葛亮は茅廬の中で劉備のために天下の大勢を分析し、「荊・益に跨り、その険阻を保つ」戦略構想を提示して、蜀漢政権の礎を据えた c:12011。
* 舌戦群儒(ぜっせんぐんじゅ):諸葛亮は東呉で群臣の疑念に対し、その雄弁の才をもって衆を駁し、孫劉同盟の成立に成功した c:12013(演義独自)。
* 草船借箭:赤壁の戦いの前、諸葛亮は大霧の天候を利用して、巧みに曹操の矢を借り、東呉のために矢の不足の問題を解決した c:12072(演義独自)。
* 東風を借りる:諸葛亮は赤壁の戦いにおいて、壇を設けて法を行い、東南の風を借りて、周瑜(しゅうゆ)の曹軍への火攻めを助け、赤壁の戦いの勝利の礎を据えた c:12072(演義独自)。
* 博望坡の火攻め:諸葛亮は茅廬を出てすぐに、劉備軍を指揮して曹操の部将である夏侯惇を火攻めにし、大勝を得て、その卓越した軍事の才を示した c:12064(演義独自)。
* 新野の戦い(しんやのたたかい):諸葛亮は新野で再び火攻めの計を設けて、曹軍を大敗させ、曹操を退兵させた c:12069(演義独自)。
* 周瑜を智激する:諸葛亮は言葉によって周瑜を激し、周瑜に曹に抗する決意を固めさせて、最終的に赤壁の戦いの成立を促した c:12013(演義独自)。
* 七縦七擒(しちしょうしちきん):諸葛亮は南征の際、七たび孟獲(もうかく)を擒えて釈ち、最終的に彼を心服させて、南方の辺境を安定させた c:12019(演義独自)。
* 泣いて馬謖を斬る(ないてばしょくをきる):北伐の間、馬謖が諸葛亮の節度に背いたために街亭が失われ、諸葛亮はその才を惜しんだものの、なお法に依って彼を斬首し、軍紀を正した c:12020。
* 出師表:諸葛亮は北伐の前夜、後主の劉禅に『出師表』を上奏し、その忠心耿耿、鞠躬尽瘁の決意を表した c:12019。
* 五丈原に病没す:諸葛亮は北伐の途中、積労が病となり、五丈原の軍中に病没して、漢室を匡扶する宏願を遂げることができなかった c:12024。
* 死せる諸葛、生ける仲達を走らす:諸葛亮が世を去った後、司馬懿が蜀軍を追撃したが、疑惧して退兵したため、民間にはやがて「死せる諸葛、生ける仲達を走らす」という諺が生まれた c:12024(演義独自)。

肖像アーカイブ

人物像

容貌
諸葛亮(しょかつりょう)は身の丈八尺、顔は冠玉のごとく、頭に綸巾を戴き、身に鶴氅をまとい、飄然として神仙の趣があり、白い履に黒い縧を締め、唇は朱を塗ったよう、眉は清らかで目は明るい。
性格
彼はみずからを管仲・楽毅になぞらえ、志は屈することなく、従容として機に応じて変化し、将を激励して奮い立たせるのに巧みで、弁才は無敵、大局を見通し、屈することも伸びることもできた。彼は神機妙算にして、事を予測すること神のごとく、先機を洞察し、天文を巧みに借り、表裏ともに謀を備え、しかも仁心は寛厚で、心を攻めることを上策とした。
話し方
諸葛亮の言葉は的確明晰で、文才は縦横に溢れ、譬喩を巧みに用い、常に「吾」と自称し、笑いながら玄機を看破し、しばしば「妙算」「攻心」の語をもってみずから説き明かし、また常に「かくかくしかじか」と諸将に密かに授けた。
生涯
諸葛亮は若き日には自ら田畑を耕したが、後に劉備(りゅうび)に従って世に出て軍師将軍となり、劉備を輔佐して蜀漢(しょくかん)を建て、官は丞相に至った。彼は先主の遺孤を託され、南征して四郡を平定し、たびたび北伐を行い、最期は五丈原(ごじょうげん)の陣中に病没した。享年五十四歳。
武器
諸葛亮は兵陣を指揮するとき、常に羽扇を手にし、四輪車に乗って戦を督した。
逸話
諸葛亮は書物二十四篇を著し、その中には八務・七戒・六恐・五懼の法があり、また連弩の法を創案し、一つの弩で十本の矢を放つことができた。彼は忠武侯と諡され、定軍山(ていぐんざん)に葬られ、墻垣や磚石、祭物を用いず、沔陽(めんよう)に廟を建てて四季に祭祀を享けた。

人間関係

227 件の関係

名言

全 704 件の台詞 · 厳選 3 件

「臣亮五出祁山,未得寸土,負罪非輕!今臣復統全師,再出祁山,誓竭力盡心,剿滅漢賊,恢復中原,鞠躬盡瘁,死而後已!」

演 第102回

この一句『鞠躬尽瘁、死して後已む』は諸葛亮(しょかつりょう)の忠誠の象徴であり、広く世に伝わっている。

「自董卓造逆以來,天下豪傑並起。曹操勢不及袁紹,而竟能克紹者,非惟天時,抑亦人謀也。今操已擁百萬之眾,挾天子以令諸侯,此誠不可與爭鋒。孫權據有江東,已歷三世,國險而民附,此可用為援,而不可圖也。荊州北據漢、沔,利盡南海,東連吳會,西通巴、蜀,此用武之地,非其主不能守。是殆天所以資將軍,將軍豈可棄乎?益州險塞,沃野千里,天府之國,高祖因之以成帝業。今劉璋闇弱,民殷國富,而不知存恤,智能之士,思得明君。將軍既帝室之冑,信義著於四海,總攬英雄,思賢如渴,若跨有荊、益,保其巖阻,西和諸戎,南撫彝、越,外結孫權,內修政理;待天下有變,則命一上將,將荊州之兵,以向宛、洛;將軍身率益州之眾,以出秦川,百姓有不簞食壼漿以迎將軍者乎?誠如是,則大業可成,漢室可興矣。此亮所以為將軍謀者也。惟將軍圖之。」

演 第38回→ 劉備(りゅうび)

『隆中対』は蜀漢(しょくかん)の基業を築き、諸葛亮(しょかつりょう)の卓越した戦略眼を示した。

「吾以為漢朝大老元臣,必有高論,豈期出此鄙言!吾有一言,諸軍靜聽:昔桓、靈之世,漢統陵替,宦官釀禍;國亂歲凶,四方擾攘。黃巾之後,董卓、傕、汜等接踵而起,遷劫漢帝,殘暴生靈。因廟堂之上,朽木為官;殿陛之間,禽獸食祿。狼心狗行之輩,滾滾當朝;奴顏婢膝之徒,紛紛秉政。以致社稷丘墟,蒼生塗炭。吾素知汝所行!世居東海之濱,初舉孝廉入仕。理合匡君輔國,安漢興劉;何期反助逆賊,同謀篡位!罪惡深重,天地不容!天下之人,願食汝肉!今幸天意不絕炎漢,昭烈皇帝繼統西川。吾今奉嗣君之旨,興師討賊。汝既為諂諛之臣,只可潛身縮首,苟圖衣食;安敢在行伍之前,妄稱天數耶!皓首匹夫!蒼髯老賊!汝即日將歸於九泉之下,何面目見二十四帝乎!老賊速退!可叫反臣與吾共決勝負!」

演 第93回

『舌戦群儒(ぜっせんぐんじゅ)』において王朗(おうろう)を論破し、諸葛亮(しょかつりょう)の非凡な弁舌と気迫を示した。

登場回89 回 ▸
  • 史ch.3ch.9ch.17ch.26ch.27ch.32ch.33ch.34ch.35ch.36ch.37ch.38ch.39ch.40ch.41ch.42ch.43ch.44ch.45ch.47ch.51ch.53ch.54ch.58
  • 演ch.36ch.37ch.38ch.39ch.40ch.41ch.42ch.43ch.44ch.45ch.46ch.48ch.49ch.50ch.51ch.52ch.53ch.54ch.55ch.56ch.57ch.58ch.60ch.61ch.63ch.64ch.65ch.66ch.67ch.70ch.71ch.72ch.73ch.77ch.78ch.79ch.80ch.81ch.84ch.85ch.86ch.87ch.88ch.89ch.90ch.91ch.92ch.93ch.94ch.95ch.96ch.97ch.98ch.99ch.100ch.101ch.102ch.103ch.104ch.105ch.110ch.111ch.113ch.116ch.117
関係の年表158 条 ▸

史 ch.32

史 ch.35

史 ch.37

  • friend_of

    諸葛亮亦言之於先主;与统併为军师中郎将

  • friend_of

    雖好尚不同,以公義相取;亮每奇正智术;先主东征败后,亮叹"法孝直若在,則能制主上"

史 ch.38

史 ch.39

史 ch.40

史 ch.41

史 ch.42

史 ch.44

史 ch.51

演 ch.36

演 ch.37

  • mentor_of

    三顾草庐——一访遇农夫与崔州平、二访遇风雪与石广元孟公威诸葛均、留书辞归后又约新春再往;殷勤致意求"安邦定国之策"

  • friend_of

    四密友之一(颍川)

  • friend_of

    四密友之一

演 ch.38

演 ch.39

演 ch.40

演 ch.41

演 ch.42

演 ch.43

演 ch.44

演 ch.45

演 ch.46

  • friend_of

    同舟逼近曹寨擂鼓受箭,事毕谓子敬曰"先生真神人也",肃拜服

演 ch.49

演 ch.51

  • commands_in

    欲斬雲長以行軍法,玄德以結義之誓求情,孔明方饒

  • advises_in

    教玄德如此如此答應周瑜;後以南郡讓東吳去取後乘虛奪城之計

演 ch.52

演 ch.53

演 ch.54

演 ch.55

  • commands_in

    授三錦囊妙計;本回趙雲依「住到年終,開第二個」「臨到危急無路之時,開第三個」依次拆計

  • advises_in

    於江岸艙中扮客等候;「主公且喜!諸葛亮在此等候多時」;教棹船投北岸

  • rival_of

    笑指岸上人傳示「教休再使美人局手段」

演 ch.56

  • advises_in

    識破孫權表薦、周瑜南郡之計;授計「若肅提起荊州之事,主公便放聲大哭」;揭破「假途滅虢」之計,伏關張黃魏四路;自誇「周瑜死日近矣」

  • rival_of

    笑曰「周瑜死日近矣!這等計策小兒也瞞不過」;以「香餌釣鰲魚」之喻;伏四路截擊

  • commands_in

    便喚趙雲聽計「如此如此,其餘我自有擺布」

演 ch.57

演 ch.58

演 ch.60

演 ch.61

演 ch.63

演 ch.64

演 ch.65

  • advises_in

    段5孔明佯作不闻、以言相激,遂使张飞甘当军令

  • advises_in

    段24作书抚之,将其与黥布彭越作比较以贬,又以美髯公绝伦超群为褒

演 ch.66

演 ch.70

  • advises_in

    解张飞"嗜酒"为诱敌之计,反送美酒接应;末议必由翼德或老将破张郃

演 ch.72

演 ch.77

演 ch.78

演 ch.79

演 ch.80

演 ch.81

演 ch.84

演 ch.85

演 ch.86

演 ch.88

演 ch.89

演 ch.90

演 ch.91

演 ch.92

演 ch.93

演 ch.94

  • witnesses

    叱武士去其缚,赐酒压惊,用好言抚慰,尽给还羌兵车马器械放回

演 ch.96

演 ch.98

演 ch.99

  • rival_of

    见张郃万军中救戴陵,叹其勇,谓"若留下此人,必为蜀中之害;吾当除之"

演 ch.100

演 ch.101

演 ch.102

演 ch.103

演 ch.104

演 ch.117

内面の独白 · AI 生成3 段 ▸
  • 帳中で灯火が揺れている。私はもう長く語ることはできない。かつて先帝から社稷を託されたことを思えば、亮は決して忘れたことがない。だが漢室の再興はいまだ果たされず、丞相の任もまた、一身の栄誉や名声のためではない。今、国事は成らず、たとえ詔命によ
  • 私は軍幕の中に立ち、幕の外で金鼓の音が次第に静まるのを聞き、今回の南征は、もはやただ兵力の鋭さだけで勝敗を決するものではないと悟った。先帝は臨終に際して後事を託し、私の才は曹丕(そうひ)の十倍だと言って、力を尽くして後継者を補佐するよう命じ
  • かつて自ら田畑を耕していた頃、私は常々、管仲(Kanchū)や楽毅(Gakki)になぞらえていたが、郷里の人々が皆それを信じていたわけではない。世の中は乱れ、漢室は危機に瀕していた。私は一介の庶民であったが、田園で身を安んじることだけを一生
生涯の大事76 ▸
  1. 三顧の礼(さんこのれい)· 軍師
  2. 博望坡の戦い(はくぼうはのたたかい)· 総大将
  3. 走馬薦諸葛(そうばせんしょかつ)· 目撃者
  4. 七星壇の祭風(しちせいだんのさいふう)· 首謀者
  5. 劉備の荊南四郡占領(りゅうびのけいなんしぐんせんりょう)· 総大将
  6. 劉備の民を率いての江渡り(りゅうびのたみをひきいてのえわたり)· 軍師
  7. 華容道(かようどう)· 首謀者
  8. 0208-01-01 · 新野(しんや)
    新野の戦い(しんやのたたかい)· 総大将
  9. 舌戦群儒(ぜっせんぐんじゅ)· 軍師
  10. 0208-01-01 · 長江赤壁段
    草船借箭(そうせんしゃくせん)· 首謀者
  11. 諸葛亮の東呉への出使(しょかつりょうのとうごへのしゅっし)· 軍師
  12. 赤壁の戦い(せきへきのたたかい)· 軍師
  13. 魯肅當陽會劉備· 軍師
  14. 関羽と黄忠の戦い・長沙の攻略(かんうとこうちゅうのたたかい・ちょうさのこうりゃく)· 軍師
  15. 劉備の呉入り(りゅうびのごいり)· 軍師
  16. 0209-01-01 · 劉郎浦
    劉備の呉脱出(りゅうびのごだっしゅつ)· 軍師
  17. 孔明の三錦嚢の計(こうめいのさんきんのうのけい)· 首謀者
  18. 張飛、武陵を取る(ちょうひ、ぶりょうをとる)· 軍師
  19. 趙雲(ちょううん)が南郡を奪取· 首謀者
  20. 趙雲(ちょううん)の桂陽攻略· 目撃者
  21. 魏延殺韓玄歸降· 軍師
  22. 周瑜の假途滅虢(しゅうゆのかとめっかく)· 軍師
  23. 周瑜、巴丘に病没(しゅうゆ、ばきゅうにびょうぼつ)· 目撃者
  24. 龐統の蜀帰参と将軍任命(ほうとうのしょくきさんとしょうぐんにんめい)· 軍師
  25. 魯肅討荊州· 軍師
  26. 江を截ちて阿斗を奪う(こうをたちてあとをうばう)· 目撃者
  27. 張飛、江州で厳顔を生け捕る(ちょうひ、こうしゅうでがんがんをいけどる)· 総大将
  28. 劉備の入蜀(りゅうびのにゅうしょく)· 総大将
  29. 0214-01-01 · 成都(せいと)
    劉璋の降伏(りゅうしょうのこうふく)· 軍師
  30. 0214-01-01 · 成都(せいと)
    蜀科の制定(しょくかのせいてい)· 首謀者
  31. 金雁橋(きんがんきょう)での張任捕縛· 軍師
  32. 0218-01-01 · 成都(せいと)
    彭羕の事件(ほうようのじけん)· 軍師
  33. 劉備の漢中王即位(りゅうびのかんちゅうおうそくい)· 首謀者
  34. 劉備の漢中王進位(りゅうびのかんちゅうおうしんい)· 首謀者
  35. 孟達の魏への降伏と劉封の賜死(もうたつのぎへのこうふくとりゅうほうのしさ)· 軍師
  36. 0221-01-01 · 成都(せいと)
    劉備の即位(りゅうびのそくい)· 軍師
  37. 0221-01-01 · 武擔山
    劉備の称帝(りゅうびのしょうてい)· 首謀者
  38. 0223-01-01 · 成都(せいと)
    劉禅の即位(りゅうぜんのそくい)· 首謀者
  39. 南中の反乱(なんちゅうのはんらん)· 総大将
  40. 呉蜀の盟約再締結(ごしょくのめいやくさいていけつ)· 首謀者
  41. 0223-01-01 · 成都(せいと)
    安居にて五路を平定(あんきょにてごろをへいてい)· 首謀者
  42. 白帝城の托孤(はくていじょうのたくこ)· 目撃者
  43. 鄧芝(とうし)の呉への使節· 首謀者
  44. 0224-01-01 · 成都(せいと)
    秦宓の張温への応対(しんふくのちょうおんへのおうたい)· 首謀者
  45. 0225-01-01 · 滇池(てんち)
    七縦七擒(しちしょうしちきん)· 総大将
  46. 諸葛亮南征(しょかつりょうなんせい)· 総大将
  47. 0227-01-01 · 成都(せいと)
    前出師表(ぜんすいしのひょう)· 首謀者
  48. 0228-01-01 · 成都(せいと)
    後出師表(こうすいしのひょう)· 首謀者
  49. 0228-01-01 · 冀縣
    天水の反乱(てんすいのはんらん)· 総大将
  50. 0228-01-01 · 祁山(きざん)
    孔明、王朗を罵倒して死なせる(こうめい、おうろうをばとうしてしなせる)· 首謀者
  51. 泣いて馬謖を斬る(ないてばしょくをきる)· 首謀者
  52. 0228-01-01 · 西城
    空城計(くうじょうけい)· 首謀者
  53. 0228-01-01 · 祁山(きざん)
    第一次北伐(だいいちじほくばつ)· 総大将
  54. 第二次北伐(だいにじほくはつ)· 総大将
  55. 街亭の戦い(がいていのたたかい)· 総大将
  56. 陳倉の戦い(ちんそうのたたかい)· 総大将
  57. 陳倉攻防戦(ちんそうこうぼうせん)· 総大将
  58. 呉蜀の天下三分の盟(ごしょくのてんかさんぶんのめい)· 首謀者
  59. 孫権と蜀漢の同盟再締結(そんけんとしょくかんのどうめいさいていけつ)· 首謀者
  60. 0229-01-01 · 武都(ぶと)
    第三次北伐(だいさんじほくはつ)· 総大将
  61. 陳震(ちんしん)の武昌盟誓· 首謀者
  62. 子午の役(しごのえき)· 総大将
  63. 0231-01-01 · 木門道
    木門道の戦い(もくもんどうのたたかい)· 総大将
  64. 0231-01-01 · 木門道
    木門道での張郃射殺(もくもんどうでのちょうこうしゃさつ)· 首謀者
  65. 0231-01-01 · 成都(せいと)
    李厳の廃黜(りげんのはいちく)· 首謀者
  66. 李厳の督運失期による廃黜(りげんのとくうんしつごによるはいちく)· 被害者
  67. 0231-01-01 · 祁山(きざん)
    第四次北伐(だいよんじほくはつ)· 総大将
  68. 0231-01-01 · 祁山(きざん)
    第五次北伐(だいごじほくはつ)· 総大将
  69. 0234-01-01 · 上方谷
    上方谷の火攻め(じょうほうこくのひぜめ)· 総大将
  70. 五丈原の戦い(ごじょうげんのたたかい)· 総大将
  71. 孔明、巾帼を贈る(こうめい、きんかくをおくる)· 首謀者
  72. 0234-01-01 · 上方谷
    木牛流馬(ぼくぎゅうりゅうば)· 首謀者
  73. 0234-01-01 · 祁山(きざん)
    木牛流馬による輸送(ぼくぎゅうりゅうばによるゆそう)· 総大将
  74. 0234-01-01 · 祁山(きざん)
    諸葛亮の六出祁山(しょかつりょうのろくしゅつきさん)· 総大将
  75. 0234-01-01 · 祁山(きざん)
    北伐(諸葛亮)(ほくはつ(しょかつりょう))· 総大将
  76. 諸葛恪の合肥新城包囲(しょかつかくのがっぴしんじょうほうい)· 目撃者