
史載(Historical Record)
諸葛亮(しょかつりょう)、字は孔明、琅邪(ろうや)陽都の人で、漢の司隷(しれい)校尉であった諸葛豊の後裔である。その父の諸葛圭はかつて泰山郡丞を務めたが、早くに世を去った。亮は幼くして父を失い、叔父の諸葛玄に従って豫章郡(よしょうぐん)に至り、後に玄は荊州(けいしゅう)牧の劉表(りゅう ひょう)に身を寄せた。玄が没すると、諸葛亮は隆中(りゅうちゅう)に躬耕し、常に自らを管仲・楽毅になぞらえたが、当時の人の多くはこれを認めず、ただ博陵の崔州平、潁川(えいせん)の徐庶(じょしょ)ら親しき友のみがこれを信じた c:12009。
建安十二年(207年)、先主の劉備(りゅうび)は新野(しんや)に屯兵しており、徐庶は彼に諸葛亮を推挙し、「臥龍」と称した。劉備は三顧の礼(さんこのれい)を尽くして、ようやく亮と会うことができた。亮は劉備のために天下の形勢を分析し、「荊・益に跨り、その険阻を保ち、西は諸戎と和し、南は夷越を撫し、外は孫権(そん けん)と好を結び、内は政理を修む」という「隆中対」の戦略構想を提示し、覇業を図った c:12011。劉備はこれを聞いて大いに喜び、亮との情好は日に日に密となり、「孤に孔明あるは、なお魚に水あるがごとし」と述べてその器重ぶりを説明した c:12011。
曹操(そうそう)が劉表を南征すると、劉表は病で没し、その子の劉琮(りゅうそう)が後を継いだ後に曹に降った。劉備は衆を率いて南へ退き、曹操が急追して、当陽長坂(とうようちょうはん)で劉備軍を大破した。劉備は諸葛亮・張飛(ちょうひ)・趙雲(ちょううん)ら数十騎とともに脱出することができた c:12003。この危急の時、劉備は諸葛亮を東呉に使いさせ、孫権と同盟を結ばせた。諸葛亮は孫権を説得することに成功し、孫劉連合軍を成立させて、ともに曹操に対抗した c:12013。赤壁の戦い(せきへきのたたかい)において、孫劉連合軍は曹軍を大破し、曹操は軍を率いて北に帰った。劉備はその勢いに乗じて江南の諸郡を収め、諸葛亮を軍師中郎将とし、零陵(れいりょう)・桂陽郡(けいようぐん)・長沙(ちょうさ)三郡の賦税を督させて、軍の実を充たした c:12013。
建安十六年(211年)、劉備が蜀に入ると、諸葛亮は関羽(かんう)とともに荊州を鎮守した。後に亮は張飛・趙雲らを率いて江を遡り、郡県を分け定めて、劉備と会師して成都(せいと)を包囲した。益州(えきしゅう)が平定されると、亮は軍師将軍に任命され、左将軍府の事を署し、常に成都を鎮守して、食を足らし兵を足らした c:12014。章武元年(221年)、劉備が帝位に即いて蜀漢(しょくかん)を建て、諸葛亮を丞相とし、尚書事を録し、節を假した c:12004。章武三年(223年)、劉備は永安(えいあん)で病が篤くなり、諸葛亮を召して後事を託し、彼に「君の才は曹丕(そうひ)の十倍、必ずよく国を安んじ、ついに大事を定めん。もし嗣子が輔くべきならば、これを輔けよ。もしその才なくば、君みずから取るべし」と告げた。亮は涕泣して、股肱の力を尽くし、忠貞の節を効すと表した c:12018。
劉備が世を去った後、諸葛亮は後主の劉禅(りゅう ぜん)を輔佐した。建興三年(225年)、亮は軍を率いて南征し、四郡を平定して、軍資は充裕となり、国力は富饒となった c:12019。この後、諸葛亮は戎を治め武を講じて、北伐を図った。建興六年(228年)、亮は軍を率いて北のかた漢中(かんちゅう)に駐し、祁山(きざん)に出ると、南安・天水・安定の三郡が魏に叛いて呼応し、関中は震動した。しかし、馬謖(ばしょく)が節度に背いたため、街亭(がいてい)が失われ、亮は退兵を余儀なくされ、自らを三等貶めて、右将軍として丞相の事を行った c:12020。この後、亮はまた幾度も北伐し、かつて陳倉(ちんそう)を囲み、王双(おうそう)を破り、武都(ぶと)・陰平郡(いんぺいぐん)の二郡を平定した c:12021。建興九年(231年)、亮は再び祁山に出て、木牛をもって糧を運び、魏将の張郃(ちょうこう)と交戦して、張郃を射殺した c:12022。建興十二年(234年)、亮は大軍を率いて斜谷に出て、流馬をもって糧を運び、武功の五丈原(ごじょうげん)に拠って、司馬懿(しばい)と百余日対峙した。同年八月、諸葛亮は軍中に病没し、時に五十四であった c:12024。亮は生前清廉で、家に余財はなく、まさにその言うところの「成都に桑八百株、薄田十五頃あり、子弟の衣食は自ずから余饒あり。臣が外任に在るに至りては、別の調度なく、随身の衣食はことごとく官に仰ぎ、別に生を治めて尺寸を長ぜず。もし臣の死する日に、内に余帛あり、外に贏財ありて、もって陛下に負くことなからしめん」のごとくであった c:12881。景耀六年(263年)、後主は詔して亮のために沔陽(めんよう)に廟を立てた c:12026。
演中(In the Novel)
『三国(さんごく)演義』においては、諸葛亮の人物像はより多くの伝奇的な色彩と神機妙算を付与されている。小説は徐庶が劉備に諸葛亮を推薦したことを詳細に描き、また水鏡先生の司馬徽(しばき)がかつて「伏龍・鳳雛、二人のうち一を得れば、天下を安んずべし」と言い、諸葛亮を「伏龍」になぞらえたことに言及している c:12057。劉備の三顧の礼の細部は存分に潤色され、孔明が初めて姿を現すと「身の長八尺、面は冠玉のごとく、頭に綸巾を戴き、身に鶴氅を披て、飄々然として神仙の概あり」とある c:12280。その茅廬の中で提示した「隆中対」の戦略は、まさに茅廬を出ずして天下三分を知る絶世の智慧として描かれている c:12060。
小説において、諸葛亮は戦略家であるのみならず、軍事家でもある。彼は茅廬を出てすぐに博望坡(はくぼうは)で夏侯惇(かこう とん)を火攻めにし、その卓越した軍事の才を示した。この戦役において、関羽と張飛は孔明の若さと才能を疑い、張飛などは「我々はみな出て殺し合いをするのに、お前は家の中に座っているとは、なんと気楽なことか!」と嘲笑した c:12311 が、孔明は「帷幄の中に運籌し、千里の外に勝を決す」智慧をもって、曹軍を破ることに成功した c:12313。この後、彼はまた新野で曹軍を火攻めにし、劉備集団(りゅうびしゅうだん)における地位をさらに固めた c:12069。
赤壁の戦いにおいて、諸葛亮はさらに大いに輝きを放ち、草船借箭(そうせんしゃくせん)、東風を借りるなどの筋立て(演義独自) c:12072 が、彼の神機妙算の人物像を大いに強化している。小説では、彼は曹操が劉備を追撃することを予見し、あらかじめ劉琦(りゅうき)を漢津で待ち受けさせて、戦局への精確な予測を示している c:12072。劉表の病が重い時、劉備は荊州を奪うに忍びず、孔明は勧説したものの、劉備はなお仁義を堅持しており、小説はこの筋立てを通じて劉備の仁徳を際立たせ、また側面から孔明の深謀遠慮を引き立てている c:12067。
小説はまた、諸葛亮が劉琦に計を求められた際の「上は天に至らず、下は地に至らず」という巧妙な応対を描き、最終的に劉琦に禍を避ける策を示しており c:12062、これらの細部はいずれも諸葛亮の足智多謀の人物像を大いに豊かにしている。史載と比べて、演義における諸葛亮はより伝奇的な色彩を帯び、その智謀は誇張され、いくぶん神話的な色彩さえ帯びて、智慧の化身となっている。
主要な関係
* 劉備集団(serves):諸葛亮は劉備集団の中核となる謀士であり、実際の指導者である。彼は劉備のために「隆中対」の戦略方針を定め、劉備を寄寓の身から蜀漢の建国へと輔佐し、最終的に蜀漢の丞相となって、内外の事務を総攬した c:12014。劉備は彼を極めて信任し、「孤に孔明あるは、なお魚に水あるがごとし」と称した c:12011。
* 劉備(witnesses):諸葛亮は劉備が顛沛流離から帝業を建てるまでの全過程を見届けた。劉備の臨終に際し、彼は後主の劉禅を託され、幼主を輔佐する重任を担った c:12018。
* 孫権(advises_in):赤壁の戦いの前、諸葛亮は劉備の使者として、孫権を説得してともに曹に抗することに成功し、孫劉同盟を成立させて、天下の大勢を転じさせた c:12013。
* 蜀漢(serves):諸葛亮は蜀漢の開国の元勲であり、実際の執政者である。彼は国家戦略を定めるのみならず、内政を治め、経済を発展させ、また幾度も軍を率いて北伐し、蜀漢の存続と発展のために鞠躬尽瘁した c:12019。
* 関羽・張飛:初期、関羽・張飛は諸葛亮の若さと功績のなさに服さなかったが、劉備は「魚水の情」をもって彼らの不満を解消した c:12011。博望坡の戦いにおいて、諸葛亮は巧妙な軍事配置を通じて、関・張の二人を心服させた c:12063。
* 徐庶:徐庶は諸葛亮の親友であり、劉備に諸葛亮を推薦した肝要な人物でもある。彼はかつて劉備に「諸葛孔明なる者、臥龍なり、将軍あに之を見んと願わざるか」と言った c:12011。
* 法正:諸葛亮と法正は好尚を異にしたものの、公義をもって相取り、亮は常に正の智術を奇とした。法正が世を去った後、亮はかつて「法孝直もし在らば、よく主上を制し、東行せしめざらん。たとい復た東行するも、必ず傾危せざらん」と嘆息した c:12030。
* 司馬懿:諸葛亮は北伐の間、司馬懿と幾度も対陣した。五丈原の対峙の間、司馬懿はかつて諸葛亮を「天下の奇才なり!」と評した c:12024。
* 劉琦:諸葛亮はかつて巧妙に劉琦のために謀を出し、彼が禍を避けて江夏(こうか)に赴くことができるようにした c:12062(演義独自)。
象徴的な場面
* 三顧の礼:劉備は三たび隆中に諸葛亮を訪ね、ついにその出山と輔佐を請うた。この出来事は、劉備の賢を求めて渇するがごとき胸襟と、諸葛亮の超凡脱俗の智慧を存分に示している c:12011。
* 隆中対:諸葛亮は茅廬の中で劉備のために天下の大勢を分析し、「荊・益に跨り、その険阻を保つ」戦略構想を提示して、蜀漢政権の礎を据えた c:12011。
* 舌戦群儒(ぜっせんぐんじゅ):諸葛亮は東呉で群臣の疑念に対し、その雄弁の才をもって衆を駁し、孫劉同盟の成立に成功した c:12013(演義独自)。
* 草船借箭:赤壁の戦いの前、諸葛亮は大霧の天候を利用して、巧みに曹操の矢を借り、東呉のために矢の不足の問題を解決した c:12072(演義独自)。
* 東風を借りる:諸葛亮は赤壁の戦いにおいて、壇を設けて法を行い、東南の風を借りて、周瑜(しゅうゆ)の曹軍への火攻めを助け、赤壁の戦いの勝利の礎を据えた c:12072(演義独自)。
* 博望坡の火攻め:諸葛亮は茅廬を出てすぐに、劉備軍を指揮して曹操の部将である夏侯惇を火攻めにし、大勝を得て、その卓越した軍事の才を示した c:12064(演義独自)。
* 新野の戦い(しんやのたたかい):諸葛亮は新野で再び火攻めの計を設けて、曹軍を大敗させ、曹操を退兵させた c:12069(演義独自)。
* 周瑜を智激する:諸葛亮は言葉によって周瑜を激し、周瑜に曹に抗する決意を固めさせて、最終的に赤壁の戦いの成立を促した c:12013(演義独自)。
* 七縦七擒(しちしょうしちきん):諸葛亮は南征の際、七たび孟獲(もうかく)を擒えて釈ち、最終的に彼を心服させて、南方の辺境を安定させた c:12019(演義独自)。
* 泣いて馬謖を斬る(ないてばしょくをきる):北伐の間、馬謖が諸葛亮の節度に背いたために街亭が失われ、諸葛亮はその才を惜しんだものの、なお法に依って彼を斬首し、軍紀を正した c:12020。
* 出師表:諸葛亮は北伐の前夜、後主の劉禅に『出師表』を上奏し、その忠心耿耿、鞠躬尽瘁の決意を表した c:12019。
* 五丈原に病没す:諸葛亮は北伐の途中、積労が病となり、五丈原の軍中に病没して、漢室を匡扶する宏願を遂げることができなかった c:12024。
* 死せる諸葛、生ける仲達を走らす:諸葛亮が世を去った後、司馬懿が蜀軍を追撃したが、疑惧して退兵したため、民間にはやがて「死せる諸葛、生ける仲達を走らす」という諺が生まれた c:12024(演義独自)。
肖像アーカイブ
人物像
- 容貌
- 諸葛亮(しょかつりょう)は身の丈八尺、顔は冠玉のごとく、頭に綸巾を戴き、身に鶴氅をまとい、飄然として神仙の趣があり、白い履に黒い縧を締め、唇は朱を塗ったよう、眉は清らかで目は明るい。
- 性格
- 彼はみずからを管仲・楽毅になぞらえ、志は屈することなく、従容として機に応じて変化し、将を激励して奮い立たせるのに巧みで、弁才は無敵、大局を見通し、屈することも伸びることもできた。彼は神機妙算にして、事を予測すること神のごとく、先機を洞察し、天文を巧みに借り、表裏ともに謀を備え、しかも仁心は寛厚で、心を攻めることを上策とした。
- 話し方
- 諸葛亮の言葉は的確明晰で、文才は縦横に溢れ、譬喩を巧みに用い、常に「吾」と自称し、笑いながら玄機を看破し、しばしば「妙算」「攻心」の語をもってみずから説き明かし、また常に「かくかくしかじか」と諸将に密かに授けた。
- 生涯
- 諸葛亮は若き日には自ら田畑を耕したが、後に劉備(りゅうび)に従って世に出て軍師将軍となり、劉備を輔佐して蜀漢(しょくかん)を建て、官は丞相に至った。彼は先主の遺孤を託され、南征して四郡を平定し、たびたび北伐を行い、最期は五丈原(ごじょうげん)の陣中に病没した。享年五十四歳。
- 武器
- 諸葛亮は兵陣を指揮するとき、常に羽扇を手にし、四輪車に乗って戦を督した。
- 逸話
- 諸葛亮は書物二十四篇を著し、その中には八務・七戒・六恐・五懼の法があり、また連弩の法を創案し、一つの弩で十本の矢を放つことができた。彼は忠武侯と諡され、定軍山(ていぐんざん)に葬られ、墻垣や磚石、祭物を用いず、沔陽(めんよう)に廟を建てて四季に祭祀を享けた。
人間関係
227 件の関係
親族8
君臣15
友人21
敵対30
師弟13
その他129
名言
全 704 件の台詞 · 厳選 3 件
「臣亮五出祁山,未得寸土,負罪非輕!今臣復統全師,再出祁山,誓竭力盡心,剿滅漢賊,恢復中原,鞠躬盡瘁,死而後已!」
この一句『鞠躬尽瘁、死して後已む』は諸葛亮(しょかつりょう)の忠誠の象徴であり、広く世に伝わっている。
「自董卓造逆以來,天下豪傑並起。曹操勢不及袁紹,而竟能克紹者,非惟天時,抑亦人謀也。今操已擁百萬之眾,挾天子以令諸侯,此誠不可與爭鋒。孫權據有江東,已歷三世,國險而民附,此可用為援,而不可圖也。荊州北據漢、沔,利盡南海,東連吳會,西通巴、蜀,此用武之地,非其主不能守。是殆天所以資將軍,將軍豈可棄乎?益州險塞,沃野千里,天府之國,高祖因之以成帝業。今劉璋闇弱,民殷國富,而不知存恤,智能之士,思得明君。將軍既帝室之冑,信義著於四海,總攬英雄,思賢如渴,若跨有荊、益,保其巖阻,西和諸戎,南撫彝、越,外結孫權,內修政理;待天下有變,則命一上將,將荊州之兵,以向宛、洛;將軍身率益州之眾,以出秦川,百姓有不簞食壼漿以迎將軍者乎?誠如是,則大業可成,漢室可興矣。此亮所以為將軍謀者也。惟將軍圖之。」
『隆中対』は蜀漢(しょくかん)の基業を築き、諸葛亮(しょかつりょう)の卓越した戦略眼を示した。
「吾以為漢朝大老元臣,必有高論,豈期出此鄙言!吾有一言,諸軍靜聽:昔桓、靈之世,漢統陵替,宦官釀禍;國亂歲凶,四方擾攘。黃巾之後,董卓、傕、汜等接踵而起,遷劫漢帝,殘暴生靈。因廟堂之上,朽木為官;殿陛之間,禽獸食祿。狼心狗行之輩,滾滾當朝;奴顏婢膝之徒,紛紛秉政。以致社稷丘墟,蒼生塗炭。吾素知汝所行!世居東海之濱,初舉孝廉入仕。理合匡君輔國,安漢興劉;何期反助逆賊,同謀篡位!罪惡深重,天地不容!天下之人,願食汝肉!今幸天意不絕炎漢,昭烈皇帝繼統西川。吾今奉嗣君之旨,興師討賊。汝既為諂諛之臣,只可潛身縮首,苟圖衣食;安敢在行伍之前,妄稱天數耶!皓首匹夫!蒼髯老賊!汝即日將歸於九泉之下,何面目見二十四帝乎!老賊速退!可叫反臣與吾共決勝負!」
『舌戦群儒(ぜっせんぐんじゅ)』において王朗(おうろう)を論破し、諸葛亮(しょかつりょう)の非凡な弁舌と気迫を示した。
登場回89 回 ▸
- 史ch.3ch.9ch.17ch.26ch.27ch.32ch.33ch.34ch.35ch.36ch.37ch.38ch.39ch.40ch.41ch.42ch.43ch.44ch.45ch.47ch.51ch.53ch.54ch.58
- 演ch.36ch.37ch.38ch.39ch.40ch.41ch.42ch.43ch.44ch.45ch.46ch.48ch.49ch.50ch.51ch.52ch.53ch.54ch.55ch.56ch.57ch.58ch.60ch.61ch.63ch.64ch.65ch.66ch.67ch.70ch.71ch.72ch.73ch.77ch.78ch.79ch.80ch.81ch.84ch.85ch.86ch.87ch.88ch.89ch.90ch.91ch.92ch.93ch.94ch.95ch.96ch.97ch.98ch.99ch.100ch.101ch.102ch.103ch.104ch.105ch.110ch.111ch.113ch.116ch.117
関係の年表158 条 ▸
史 ch.32
史 ch.35
- 徐庶(じょしょ)§3
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友善(俱在荆州,谓为信然)
- 劉備(りゅうび)§4
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三往乃见;与亮情好日密;先主拜亮为军师中郎将、军师将军;章武三年永安托孤"君才十倍曹丕…君可自取"
- 劉備(りゅうび)§4
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屏人献策,论曹操孙权及荆益形势(隆中对);劝先主称尊号
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奉命求救于柴桑,说权抗曹
- 張飛(ちょうひ)§7
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与张飞、赵云等率众沂江分定郡县共围成都
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与张飞等率众沂江分定郡县共围成都
- 関羽(かんう)§7
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建安十六年与关羽镇荆州
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受顾命辅幼主;建兴元年封武乡侯开府治事,又领益州牧;上出师表;后主诏赠丞相印绶谥忠武侯
- 孟獲(もうかく)§10
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南征至滇池,七擒七纵,孟获遂止不去(按裴注《漢晉春秋》详;主传仅"率眾南征…其秋悉平")
- 馬謖(ばしょく)§17
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使督诸军在前与张郃战于街亭;谡违节度举动失宜大破;亮戮谡以谢众
- 王双(おうそう)§20
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散关战之破王双,斩双
- 張郃(ちょうこう)§21
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九年出祁山射杀张郃
- 魏延(ぎえん)§21
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出祁山时使魏延、高翔、吴班赴拒,大破之
- 司馬懿(しばい)§22
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五丈原对峙百馀日;亮疾病卒于军,宣王案行其营垒处所叹"天下奇才也"
- 司馬懿(しばい)§22
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五丈原相持,亮卒于军
- 諸葛均(しょかつきん)§27
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兄弟(均为亮弟,官至长水校尉)
- 諸葛瑾(しょかつきん)§46
sibling_of
兄弟(瑾为亮兄,仕吴)
- 諸葛瞻(しょかつせん)§50
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父子(瞻为亮子,建兴十二年时八岁;后嗣武乡侯爵)
史 ch.37
史 ch.38
- 許靖(きょせい)§12
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丞相诸葛亮皆为之拜
史 ch.39
史 ch.40
史 ch.41
史 ch.42
- 杜微(とび)§4
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亮以书招纳并劝其辅佐后主
- 来敏(らいびん)§39
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亮请为军祭酒;坐事去职
- 譙周(しょうしゅう)§56
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亮命为劝学从事;亮卒于敌庭,周即奔赴
史 ch.44
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为蒋琬向先主辩护,称其"社稷之器,非百里之才"
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密表后主,言"臣若不幸,后事宜以付琬"
- 姜維(きょうい)§24
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亮与张裔、蒋琬书称姜维"忠勤时事,思虑精密",凉州上士
史 ch.51
- 諸葛瑾(しょかつきん)§33
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蜀丞相诸葛亮与兄瑾书
演 ch.36
- 諸葛均(しょかつきん)§22
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兄;与弟同躬耕南阳
演 ch.37
演 ch.38
- 劉備(りゅうび)§10
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隆中对策;许以"愿效犬马之劳"出山相助
演 ch.39
演 ch.40
- 劉備(りゅうび)§28
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赞同伊籍之议,又劝弃新野往樊城避之并设火攻水淹之计
演 ch.41
- 劉備(りゅうび)§5
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为玄德军师,献弃樊取襄、再取江陵之策
演 ch.42
- 関羽(かんう)§21
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先令雲長于漢津陆地接应玄德
- 諸葛瑾(しょかつきん)§31
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鲁肃言"先生之兄现为江东参谋,日望与先生相见"
- 魯粛(ろしゅく)§32
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应鲁肃之坚请,登舟同往柴桑
演 ch.43
演 ch.44
演 ch.45
演 ch.46
- 魯粛(ろしゅく)§42
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同舟逼近曹寨擂鼓受箭,事毕谓子敬曰"先生真神人也",肃拜服
演 ch.49
演 ch.51
演 ch.52
- 魯粛(ろしゅく)§4
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以「物必歸主」之论辞之,并请出刘琦使肃语塞
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阵前用扇招之招安;设伏擒之;放回令为内应反计
演 ch.53
演 ch.54
演 ch.55
演 ch.56
演 ch.57
- 周瑜(しゅうゆ)§14
witnesses
亲祭周瑜灵前,伏地大哭,读祭文吊孝
演 ch.58
- 劉備(りゅうび)§2
advises_in
献"结马超牵制曹操"之策;作书使遣使西凉
演 ch.60
演 ch.61
- 劉備(りゅうび)§23
serves
引大队船只接来;阿斗已奪回大喜;申文书往葭萌关报玄德
演 ch.63
演 ch.64
- 張任(ちょうじん)§14
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设金雁桥之计擒之;任不降,命斬之以全其名
演 ch.65
演 ch.66
- 劉備(りゅうび)§2
advises_in
段1—2与玄德演双簧:哭拜求割三郡以全兄之家
演 ch.70
- 張飛(ちょうひ)§4
advises_in
解张飞"嗜酒"为诱敌之计,反送美酒接应;末议必由翼德或老将破张郃
演 ch.72
advises_in
孔明授赵云以五百兵伏土山鼓角扰敌之计
- 劉備(りゅうび)§3
advises_in
孔明请玄德背水结营布疑兵反击曹操
演 ch.77
- 劉備(りゅうび)§28
advises_in
夜观天象知关公必然被祸;劝慰寛怀;请提兵救荆州
演 ch.78
- 劉備(りゅうび)§1
advises_in
劝谏刘备保养尊体、按兵不动,分析吴魏移祸之谋
演 ch.79
- 劉備(りゅうび)§20
advises_in
谏缓图刘封孟达;建议陞二人为郡守分调
演 ch.80
- 劉備(りゅうび)§25
advises_in
托病设计劝进,激使漢中王允从即位
演 ch.81
演 ch.84
- 劉備(りゅうび)§9
advises_in
见图叹连营之危,命马良速去改屯;预言若失当投白帝
演 ch.85
演 ch.86
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设宴款待并以"席间问难,皆戏谈耳"善言为温解围
- 孟獲(もうかく)§19
enemy_of
因孟获作乱乃急召赵云回军,亲自南征
演 ch.88
- 孟獲(もうかく)§1
enemy_of
二次释放孟获,欲以攻心服之
演 ch.89
- 孟獲(もうかく)§6
enemy_of
四擒孟获后又释,以待心服
演 ch.90
- 朵思大王§4
enemy_of
蜀兵积土登城,朵思死于乱军
- 孟獲(もうかく)§7
enemy_of
以祝融夫人换张嶷、马忠二将,相互交还
enemy_of
以红油柜车假巨兽、烟火铜铃克其驱兽法术
- 兀突骨(ごつとつこつ)§16
enemy_of
火攻焚兀突骨与三万藤甲军于盘蛇谷
演 ch.91
advises_in
后主出郭三十里迎相父;并车而回
- 司馬懿(しばい)§12
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行反间计欲除之
演 ch.92
- 馬超(ばちょう)§1
witnesses
经马超墓亲自祭之
演 ch.93
演 ch.94
- 雅丹§6
witnesses
叱武士去其缚,赐酒压惊,用好言抚慰,尽给还羌兵车马器械放回
演 ch.96
演 ch.98
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识其诱粮之计,将计就计夹攻烧车,败之
演 ch.99
rival_of
见张郃万军中救戴陵,叹其勇,谓"若留下此人,必为蜀中之害;吾当除之"
演 ch.100
- 劉禅(りゅう ぜん)§19
betrayed_by
闻宦官流言惊讶,下诏宣孔明回朝
演 ch.101
演 ch.102
- 孫権(そん けん)§16
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修书约东吴同盟北征,"共取中原,同分天下"
演 ch.103
演 ch.104
演 ch.117
- 諸葛瞻(しょかつせん)§14
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父子;母为黄承彦之女
内面の独白 · AI 生成3 段 ▸
- 帳中で灯火が揺れている。私はもう長く語ることはできない。かつて先帝から社稷を託されたことを思えば、亮は決して忘れたことがない。だが漢室の再興はいまだ果たされず、丞相の任もまた、一身の栄誉や名声のためではない。今、国事は成らず、たとえ詔命によ
- 私は軍幕の中に立ち、幕の外で金鼓の音が次第に静まるのを聞き、今回の南征は、もはやただ兵力の鋭さだけで勝敗を決するものではないと悟った。先帝は臨終に際して後事を託し、私の才は曹丕(そうひ)の十倍だと言って、力を尽くして後継者を補佐するよう命じ
- かつて自ら田畑を耕していた頃、私は常々、管仲(Kanchū)や楽毅(Gakki)になぞらえていたが、郷里の人々が皆それを信じていたわけではない。世の中は乱れ、漢室は危機に瀕していた。私は一介の庶民であったが、田園で身を安んじることだけを一生
生涯の大事76 ▸
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- 0234-01-01 · 祁山(きざん)北伐(諸葛亮)(ほくはつ(しょかつりょう))· 総大将
- 0253-01-01 · 合肥新城(ごうひしんじょう)諸葛恪の合肥新城包囲(しょかつかくのがっぴしんじょうほうい)· 目撃者