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劉禅(りゅう ぜん)

蜀漢(しょくかん) · 皇帝

劉禅(りゅう ぜん)

字 公嗣

登場回
34
台詞の記録
36
人間関係
47
内面の独白
3

史載(Historical Record)

劉禅(りゅう ぜん)、字は公嗣、昭烈帝劉備(りゅうび)の子である。建興元年(西暦223年)、劉備が崩御し、劉禅が即位して建興と改元した c:210。即位の初め、蜀漢(しょくかん)政権は内憂外患に直面しており、南中(なんちゅう)の諸郡で叛乱が起こり、魏国の司徒華歆(かきん)らもまた藩を称するよう勧進したが、劉禅は直接決断を下さず、政事のすべてを丞相諸葛亮(しょかつりょう)に委ねた c:208。諸葛亮は武郷侯に封ぜられ、府を開いて事を治め、また益州(えきしゅう)牧を領し、以後「政事は巨細となく、咸な亮に決す」となった c:208。劉禅の在位中、自ら親征することはなかったものの、幾度も詔書を通じて諸葛亮の北伐の功績を肯定した。例えば諸葛亮の第四次北伐(だいよんじほくはつ)で魏将王双(おうそう)を破り、武都(ぶと)・陰平郡(いんぺいぐん)を平定した後、劉禅は詔を下してその丞相の位を回復させ、その威が凶暴を鎮め、功勲が顕著であることを表彰した c:222。史書における劉禅本人の直接の言論の記載は極めて少なく、わずか七句の台詞が残るのみであるが、君主としてのその政治的姿勢は、相父への高度の信任と権限の委譲として表れており、このような君臣関係が蜀漢後期の政治の核心的特徴を構成している。

演中(In the Novel)

『三国演義』の文学的造形において、劉禅の人物像はより多くの情感の色彩と交流の細部を与えられ、相父に依存し、やや稚拙な君主の姿として描かれている。小説は、劉備の死後、劉禅が城を出て霊柩を出迎え、諸葛亮の進言のもとで即位した情景を詳細に描いている c:209。史書における冷厳な政治的継承とは異なり、演義は劉禅の諸葛亮への畏敬と依存を重点的に彫琢している。例えば、五路の大軍が国境に迫った際、劉禅は自ら相府に至って対策を問うたが、諸葛亮が悠々と魚を観ているのを見て、初めは驚き恐れたものの、後に諸葛亮がすでにひそかに四路の兵を退けていたと聞き、思わず「相父は果たして鬼神も測りがたき機を有しておられる」と賛嘆した c:215。この筋立ては諸葛亮の神機妙算を大いに強めると同時に、軍事における劉禅の無知と丞相への絶対的な信頼をも反照している。さらに演義は、諸葛亮が自ら劉禅のために張飛(ちょうひ)の娘を皇后として選び納める筋立てをも虚構し、諸葛亮が後主の生活と朝政を全面的に掌握していることをいっそう際立たせている c:214。このような文学的処理は劉禅の人物像をより立体的にしているが、同時にその「庸主」あるいは「傀儡」という固定観念をも深めている。

重要な関係

* 諸葛亮:これは劉禅の生涯における最も核心的な関係である。史実において、劉禅は諸葛亮を武郷侯に封じ、府を開いて事を治めさせ、政事は巨細となくみな亮に決した c:208。演義では、この関係は「相父」と「子」のごとき親密さと依存として描かれている。劉禅は諸葛亮を精神的支柱とみなし、危急の時には夢から覚めたかのようにその導きに依存した c:220。諸葛亮は劉備の託孤の約束に極めて忠実であり、朝政を掌握すると同時に、劉禅の私生活(皇后の選定など)にも心を配り、独特の君臣共生の構造を形作った。
* 劉備:父であり先帝として、劉備の託孤は劉禅の権力の正統性の源である。演義では特に劉禅が城を出て霊柩を出迎える細部が描かれており、孝道と継位の荘重さを体現している c:209。劉備の遺詔は、劉禅の即位および諸葛亮の輔政の法理的基礎となった。
* 吳氏(皇太后):劉禅はその母である吳氏を皇太后として尊び、演義では彼女が諸葛亮に会おうとする場面が配され、宮廷内部の倫理秩序を示している c:220。

象徴的な場面

* 五路退兵後の君臣の対話(演義独自):劉禅は自ら相府に至り、諸葛亮が魚を観ているのを見て、五路の兵情について問うた。諸葛亮は従容として応じ、羌王・蛮王・孟達(もうたつ)および曹真(そうしん)の兵をいかに退けるかを一つひとつ剖析し、最後に東吳へ使者を遣わす必要があると指摘した c:215。劉禅はこれを聞いてその鬼神も測りがたき機に驚嘆した。この場面は諸葛亮の神機妙算と劉禅の依存心理を生き生きと示しており、演義において極めて代表的な筋立てである c:220。
* 府を開いて事を治め、政が丞相に帰す(史実):建興元年、諸葛亮は武郷侯に封ぜられ、府を開いて事を治め、益州牧を領し、蜀漢の政事は大小を問わずみな諸葛亮が決断した c:208。この歴史的事実は蜀漢後期の政治構図の基礎を築き、また劉禅が史書において存在感が比較的低い理由をも説明している。実権は完全に諸葛亮の手中に握られていたからである。

肖像アーカイブ

人物像

性格
劉禅(りゅう ぜん)は生まれつき仁厚で聡敏、仁孝であった。若いころは丞相諸葛亮(しょかつりょう)の決断に頼り、北伐の議を受け入れた。後期には酒色に溺れ、宦官の黄皓(こうこう)を信任し、優柔不断となり、ついには苟且に生を偸み、凡庸で故国を忘れる性格を露わにした。
生涯
劉禅(りゅう ぜん)は字を公嗣といい、劉備(りゅうび)の子で、章武元年に皇太子に立てられた。章武三年五月、成都(せいと)で位を継ぎ、時に十七歳、皇后を尊んで皇太后とし、大赦して改元した。炎興元年に譙周(しょうしゅう)の策を用いて鄧艾(とうがい)に降り、のちに一族を挙げて東の洛陽(らくよう)に移り、安楽県公に策命され、泰始七年に洛陽(らくよう)で薨じた。
逸話
劉禅(りゅう ぜん)は蜀漢(しょくかん)第二代の皇帝であり、また蜀漢(しょくかん)最後の皇帝でもある。かつて趙雲(ちょううん)に救い出されたことがあり、幼名を阿斗といった。

人間関係

47 件の関係

名言

全 36 件の台詞 · 厳選 3 件

「此間樂,不思蜀也。」

演 第119回→ 司馬昭(しばしょう)

この「楽不思蜀(楽しみて蜀を思わず)」という言葉はすでに故事成語となり、劉禅(りゅう ぜん)の暗愚な形象を深く印象づけた。

「朕年幼無知,惟相父斟酌行之。」

演 第87回→ 諸葛亮(しょかつりょう)📍 成都(せいと)

劉禅(りゅう ぜん)の諸葛亮(しょかつりょう)への極度の依存を体現するもので、その「扶(たす)けても立たぬ阿斗」という形象の写しである。

「今大臣皆議當降,汝獨仗血氣之勇,欲令滿城流血耶?」

演 第118回→ 劉諶(りゅう しん)📍 成都(せいと)

国家存亡の危機に際し、劉禅(りゅう ぜん)が抵抗ではなく降伏を選ぶ懦弱な心情を反映している。

登場回34 回 ▸
  • 史ch.4ch.28ch.32ch.33ch.34ch.35ch.36ch.39ch.42ch.44
  • 演ch.34ch.41ch.61ch.73ch.80ch.83ch.85ch.87ch.91ch.96ch.99ch.100ch.104ch.105ch.107ch.110ch.112ch.113ch.114ch.115ch.116ch.117ch.118ch.119
関係の年表18 条 ▸

史 ch.4

史 ch.28

史 ch.33

史 ch.35

演 ch.80

演 ch.85

演 ch.110

演 ch.116

演 ch.117

内面の独白 · AI 生成3 段 ▸
  • 今、私は洛陽(らくよう)に身を置き、安楽公に封じられ、住まいも衣食も魏の朝廷から賜ったものに頼っている。かつては朝廷に臨んで称制した私が、今では亡国の君主として司馬昭(しばしょう)に拝謝している。そう思うと、胸中の思いは言葉にしがたい。司馬
  • 朕は先帝の事業を受け継いだ。朕が治めるのは一つの宮殿や一つの城だけではなく、宗廟、社稷、そして百姓もまたその範囲にある。延熙元年、朕は張氏を皇后に立て、また睿(Ei)を太子に、瑶(Yō)を安定王に立てた。翌年には諶(Shin)を北地王に封じ
  • 私は荊州(けいしゅう)に生まれ、まだ幼い頃、父は乱世のなかを奔走していた。のちに父は漢中王となり、私を太子に立てた。冊命の辞には、漢室は困難に陥り、社稷には主がなく、父が天命を受けて私に宗廟を継がせるので、師傅の教えを謹んで聞くようにと記さ
生涯の大事21 ▸
  1. 単騎救主(たんききゅうしゅ)· 被害者
  2. 江を截ちて阿斗を奪う(こうをたちてあとをうばう)· 被害者
  3. 劉備の漢中王進位(りゅうびのかんちゅうおうしんい)· 目撃者
  4. 0221-01-01 · 武擔山
    劉備の称帝(りゅうびのしょうてい)· 目撃者
  5. 0223-01-01 · 成都(せいと)
    劉禅の即位(りゅうぜんのそくい)· 総大将
  6. 0223-01-01 · 成都(せいと)
    安居にて五路を平定(あんきょにてごろをへいてい)· 目撃者
  7. 白帝城の托孤(はくていじょうのたくこ)
  8. 0223-01-01 · 臨邛
    黄元の乱(こうげんのらん)· 目撃者
  9. 0227-01-01 · 成都(せいと)
    前出師表(ぜんすいしのひょう)· 目撃者
  10. 0228-01-01 · 成都(せいと)
    後出師表(こうすいしのひょう)· 目撃者
  11. 泣いて馬謖を斬る(ないてばしょくをきる)· 目撃者
  12. 孫権と蜀漢の同盟再締結(そんけんとしょくかんのどうめいさいていけつ)· 目撃者
  13. 0229-01-01 · 成都(せいと)
    趙雲(ちょううん)の死· 目撃者
  14. 0231-01-01 · 成都(せいと)
    李厳の廃黜(りげんのはいちく)
  15. 李厳の督運失期による廃黜(りげんのとくうんしつごによるはいちく)
  16. 0234-01-01 · 祁山(きざん)
    北伐(諸葛亮)(ほくはつ(しょかつりょう))· 目撃者
  17. 姜維の沓中屯田(きょういのとうちゅうとんでん)· 目撃者
  18. 0263-01-01 · 成都(せいと)
    蜀漢の滅亡(しょくかんのめつぼう)· 被害者
  19. 鄧艾(とうがい)の陰平奇襲· 被害者
  20. 0263-01-01 · 成都(せいと)
    黃皓擅權· 目撃者
  21. 0264-01-01 · 成都(せいと)
    鍾会(しょうかい)の乱· 目撃者