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黄忠(こうちゅう)

蜀漢(しょくかん) · 征西大将军

黄忠(こうちゅう)

字 漢升

登場回
20
台詞の記録
34
人間関係
31
内面の独白
3

史載(Historical Record)

黄忠(こうちゅう)は字を漢升といい、南陽(なんよう)の人である。最初は荊州(けいしゅう)牧の劉表(りゅう ひょう)の配下にあって中郎将を務め、劉表の従子の劉磐とともに長沙(ちょうさ)の攸県を鎮守した。曹操(そうそう)が荊州を攻め落とした後、黄忠は行裨将軍に任じられ、引き続き長沙郡で職務に当たり、太守の韓玄(かんげん)に属した。

劉備(りゅうび)が南へ諸郡を平定したとき、黄忠は劉備に帰順し、その入蜀に従った。葭萌関(かぼうかん)から命を受けて劉璋(りゅう しょう)を攻め、黄忠は並々ならぬ勇猛さを示し、しばしば先頭に立って敵陣に突撃し、その勇毅は三軍随一であった。益州(えきしゅう)が平定された後、黄忠は討虜将軍に任じられた。

建安二十四年(219年)、漢中(かんちゅう)の定軍山の戦い(ていぐんざんのたたかい)において、黄忠は赫々たる戦功を立てた。当時、劉備は軍を率いて南へ沔水を渡り、定軍山(ていぐんざん)に営を設けた。曹魏(そうぎ)の大将・夏侯淵(かこう えん)が兵を率いてこの地を争いに来た。劉備は法正(ほうせい)の進言を採用し、黄忠に高地を占拠させ、太鼓を打ち鳴らして士気を鼓舞し、攻撃を発するよう命じた。黄忠は鋒を推し進めて必ず前進し、士卒を激励し、戦鼓の音は天を震わせ、歓呼の声は谷に響き渡り、一戦にして夏侯淵およびその任ずるところの益州刺史・趙顒らを斬った。この戦いは曹軍を大いに破り、黄忠はこれによって征西将軍に遷った。

同年、劉備が自ら漢中王に即位し(劉備の漢中王即位(りゅうびのかんちゅうおうそくい))、黄忠を後将軍に封じようとした。諸葛亮(しょかつりょう)はかつて劉備に進言し、黄忠の名望は素より関羽(かんう)・馬超(ばちょう)に及ばず、関羽がこれによって不快に思うことを懸念した。しかし、劉備は自説を曲げず、「吾が自らこれを解こう」と考え、最終的に黄忠を関羽らと同列にし、関内侯の爵を賜った。翌年、黄忠は没し、剛侯と追諡された。その子の黄叙は早世し、後嗣はなかった。

演中(In the Novel)

『三国演義』において、黄忠の形象にはより多くの伝奇的色彩と劇的性が与えられている。彼が初めて登場するのは劉備が荊南四郡を南征する折で、当時は長沙太守・韓玄の配下にあった。関羽が命を受けて長沙を攻めたとき、諸葛亮は特に関羽に、黄忠は六十近いとはいえ「万夫不当の勇」があり、侮ってはならないと注意を促した。

黄忠と関羽は長沙の城下で一連の見事な一騎打ちを繰り広げた。最初の交戦では、二人は百余合戦って勝負がつかなかった。翌日再び戦い、黄忠の戦馬がつまずき、関羽はその老いを敬って忍びず殺さず、かえって馬を換えて再び戦わせ、関羽の義気を示した。三日目、黄忠は関羽が殺さなかった恩に報いるため、交戦の中で二度空射ちをし、最終的に一矢で関羽の兜の房飾りを射当てたが、その命は取らず、黄忠の忠義と卓越した弓術を顕示した。

韓玄は黄忠が「力を尽くして戦わない」ことと「弓弦を空引きした」ことを理由に斬ろうとしたが、幸い魏延(ぎえん)に救われ、最終的に劉備に帰順した。劉備は黄忠を甚だ厚遇し、彼に韓玄を葬るよう請うた。後続の戦役において、黄忠はしばしば先鋒あるいは重要な将として出場した。たとえば、劉備が益州を攻め取ったとき、黄忠は魏延とともに前部を務め、しばしば戦功を立てた。雒城(らくじょう)を攻めたとき、黄忠は魏延とともに張任(ちょうじん)に囲まれたが、後に劉備の救援を得た。

定軍山の戦いにおいて、黄忠が夏侯淵を斬る筋立ては『演義』ではいっそう手に汗握るものに描かれている。孔明は「激将法」を用いて黄忠を刺激し、その老いを称した。黄忠は自らの宝刀がなお老いていないことを証明するため、大刀を飛ぶように振り回し、二張の硬弓を続けて引き折り、最終的に首尾よく出陣を願い出た。法正の計のもと、黄忠は夏侯淵の軽率さを利用し、その軍士が疲れたのを待って、突然攻撃を仕掛け、一刀で夏侯淵を頭から肩まで真っ二つに斬り落とした。この戦いの後、黄忠は征西大将軍に加封された。

重要な関係

* 劉表集団(serves):黄忠は早期に劉表の配下で中郎将を務め、劉磐とともに長沙の攸県を鎮守した。
* 韓玄(serves):曹操が荊州を占拠した後、黄忠は引き続き長沙郡で職務に当たり、太守の韓玄に属した。
* 劉備集団(serves):劉備が荊南を南へ平定したとき、黄忠は帰順し、その入蜀に従い、劉備の重要な将となり、しばしば戦功を立て、最終的に官位は後将軍に至り、剛侯と追諡された。
* 関羽(fights_with/respects):『演義』において、黄忠と関羽は長沙の城下で見事な対決を繰り広げ、二人は互いに敬慕し合い、殺さなかった恩に報い合った。
* 夏侯淵(fights_in):定軍山の戦いにおいて、黄忠は夏侯淵を斬り、劉備の漢中奪取に決定的な功を立てた。
* 魏延(cooperates_with):『演義』において、黄忠は魏延と何度も組んで出征し、益州攻略、漢中の戦い(かんちゅうのたたかい)など、ともに任務を遂行した。
* 諸葛亮(respects/is_respected_by):『演義』において、諸葛亮は黄忠の勇武と忠誠を深く認識していたが、かつて激将法を用いて黄忠を激励したこともある。

象徴的な場面

* 長沙城下での関羽との交戦:『三国演義』において、黄忠は関羽と長沙の城下で三日間大いに戦い、まず百余合で勝負がつかず、後に黄忠の馬が前のめりにつまずき、関羽は殺さず、翌日黄忠は恩に報いるため、一矢で関羽の兜の房飾りを射当て、その卓越した弓術と武徳を示した(演義独自)。
* 定軍山で夏侯淵を斬る:これは黄忠の生涯における最も輝かしい戦績である。劉備の命のもと、黄忠は有利な地形を占拠し、曹軍が疲れたのに乗じて、軍を率いて猛攻し、夏侯淵を斬り、劉備の漢中奪取の礎を築いた。『演義』では、この戦いはさらに黄忠が老いてますます壮んに、曹魏の名将を力をもって斬る名場面として描かれ、その「老将」の勇敢な形象を固めた。
* 入蜀しての先登陥陣:黄忠は劉備に従って入蜀し戦った折、しばしば先頭に立って敵陣に突撃し、その勇猛さは三軍随一で、劉備の益州平定に大いに功を立てた。
* 後将軍に封じられる:劉備が漢中王を称した後、衆議を排し、黄忠を関羽・馬超らと並列し、後将軍に封じ、関内侯の爵を賜り、黄忠の卓越した貢献を認めた。

肖像アーカイブ

人物像

容貌
黄忠(こうちゅう)は白い鬚を逆立て、年は七十五、死に臨んでは頭は雪のようであった。
性格
黄忠の勇毅は三軍に冠たり、常に先登して敵陣を陥れ、性格は烈しく自負し、老いてますます盛んで、老いを認めず、再び功を立てんと誓った。
話し方
黄忠の言葉は慷慨としており、廉頗(れんぱ)の故事を引き、「老いたか老いていないか」の論争によってみずからの年功を証した。
生涯
黄忠は南陽(なんよう)の人で、かつて劉表(りゅう ひょう)・曹操(そうそう)の部下であったが、後に劉備(りゅうび)に身を委ね、これに従って蜀に入り、常に先登して敵陣を陥れた。定軍山(ていぐんざん)で夏侯淵(かこう えん)を討ち斬り、征西将軍に遷り、後に後将軍・関内侯に封ぜられ、関羽(かんう)らと位を等しくした。
武器
黄忠は主に大刀・宝刀・刀、および強弓・鉄胎弓を用いた。
逸話
黄忠はかつて張任(ちょうじん)の寨を襲い、後に金雁橋の葦の中に伏せて長刀で馬の脚を斬った。彼はみずから「肉を十斤食らい、腕は二石の弓を引き、千里の馬に乗ることができる」と言った。臨終の前には「願わくば陛下、龍体を大切になさり、中原を図られますよう」と言い、その夜のうちに御営で息絶えた。

人間関係

31 件の関係

名言

全 34 件の台詞 · 厳選 3 件

「豎子欺我年老!吾手中寶刀卻不老!」

演 第70回→ 張郃(ちょうこう)

この一句は、黄忠(こうちゅう)の老いてなお盛んな姿を示し、広く伝わって、その代表的な台詞となっている。

「昔廉頗年八十,尚食斗米,肉十斤,諸侯畏其勇,不敢侵犯趙界,何況黃忠未及七十乎?軍師言吾老,吾今並不用副將,只將本部兵三千人去,立斬夏侯淵首級,納於麾下。」

演 第70回→ 諸葛亮(しょかつりょう)

廉頗(れんぱ)の故事を引き、老将の勇が往年に劣らぬことを強調し、黄忠(こうちゅう)の老いを認めぬ姿を形づくっている。

「吾自長沙跟天子到今,多負勤勞。今雖七旬有餘,食肉十斤,臂開二石之弓,能乘千里之馬,未足為老。昨日主上言吾等老邁無用,故來此與東吳交鋒,看吾斬將,老也不老!」

演 第83回

この一句は、黄忠(こうちゅう)が老いてもなお万夫不当の勇を持つことを改めて強調し、その人物の核心的特質の表れである。

登場回20 回 ▸
  • 史ch.32ch.36ch.37ch.41
  • 演ch.53ch.55ch.56ch.60ch.62ch.63ch.64ch.65ch.70ch.71ch.72ch.73ch.81ch.82ch.83ch.91
関係の年表23 条 ▸

史 ch.32

史 ch.36

史 ch.37

演 ch.53

演 ch.55

演 ch.60

演 ch.62

演 ch.63

演 ch.65

演 ch.70

演 ch.71

演 ch.72

演 ch.82

演 ch.83

  • fights_in

    斗不三合一刀斩史迹于马下

  • fights_in

    交马数合,潘璋拨马便走;次日复战追击中伏中马忠箭

演 ch.91

内面の独白 · AI 生成3 段 ▸
  • 定軍山(ていぐんざん)では、金鼓の音が今も耳に残っている。漢中(かんちゅう)の一戦を思えば、私は命を受けて高地から鼓を打ち鳴らし、兵を率いて先陣を切り進んだ。山川は険しく、強敵が目前に迫る戦場で、あれこれ考えている余裕などあろうか。心にあっ
  • 定軍山(ていぐんざん)の彼方には沔水が遠くうねり、山風が陣旗をかすめていた。主君の命を受け、私は高みに登って大声で気勢を上げ、夏侯淵(かこう えん)の軍へまっすぐ攻め込んだ。そのとき、私の心にあったのはただ一つ。軍令を受けた以上、力を尽くし
  • 昔、劉表(りゅう ひょう)に仕え始めた頃、命を受けて劉磐とともに長沙(ちょうさ)を守った。その後、韓玄(かんげん)が郡を治めるようになってからも、私は変わらず幕下で命に従った。当時は世が乱れ、州郡の間で戦乱が絶えなかった。私に守れるものとい
生涯の大事14 ▸
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  12. 定軍山の戦い(ていぐんざんのたたかい)· 武将
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