言語
司

司馬徽(しばき)

字 德操

登場回
6
台詞の記録
29
人間関係
9
内面の独白
3

史実(Historical Record)

司馬徽(しばき)は、字を德操といい、潁川(えいせん)の人で、その清雅な品格と卓越した人物鑑識の能力で知られた。史料における彼の記載は多くないものの、当時の士人の輪における名声の一端をうかがうことができる。彼はかつて龐徳公(ほうとくこう)、諸葛亮(しょかつりょう)らと交わり、龐徳公(ほうとくこう)から「水鏡」と讃えられた。司馬徽(しばき)の若い才俊への引き立てと品評は、後世に深遠な影響を及ぼした。

『三国志(さんごくし)』の記載において、司馬徽(しばき)はかつて幼い劉廙(りゅうよく)に対して非凡な洞察力を示した。劉廙(りゅうよく)が十歳のとき講堂で遊んでいると、司馬徽(しばき)はその頭を軽く撫でて讃えて言った。「孺子よ、孺子よ、『黄中通理』、なんぞ自ら知らざらんや?」 この言葉は劉廙(りゅうよく)の内に蘊蓄された才華と智慧を暗示し、その将来の非凡を予示した。劉廙(りゅうよく)は後に果たして曹魏(そうぎ)の重要な官員となり、丞相掾属、五官将文学を歴任し、文帝曹丕(そうひ)に深く器重された。司馬徽(しばき)のこの行いは、彼の人物鑑識の精確さを示すだけでなく、後輩への思いやりと期待を体現している。

さらに、司馬徽(しばき)と龐統(ほうとう)の交わりも史料に記されている。龐統(ほうとう)は少年の頃、朴実で鈍く、常人には見出されなかったが、ただ司馬徽(しばき)のみが慧眼でその珠を識った。龐統(ほうとう)は弱冠の年に司馬徽(しばき)を訪ね、二人は昼から夜まで語り合い、司馬徽(しばき)は龐統(ほうとう)の才華に大いに驚き、彼を「南州の士の冠冕」と讃えた。まさに司馬徽(しばき)のこの品評によって、龐統(ほうとう)の名声は次第に顕れ、彼の後の出仕の基礎を築いた。これは司馬徽(しばき)が当時の士林において「人物鑑識」の権威的地位にあったことをさらに裏付けている。彼の品鑑の能力は、まだ頭角を現していない英才にとって、間違いなく重要な認可であった。

演義(In the Novel)

『三国演義』において、司馬徽(しばき)の人物像はより多くの伝奇的色彩と神秘感を与えられており、彼は「水鏡先生」であるだけでなく、劉備(りゅうび)が賢を求めて渇望する道における重要な指し示し手である。演義における司馬徽(しばき)は、初めて登場する際に「松形鶴骨、器宇不凡」の隠士の姿で示される。彼は山林に身を置き、琴棋書画のいずれにも精通し、世俗を超脱した清雅の気を示している。

演義は司馬徽(しばき)と劉備(りゅうび)の出会いを重点的に描いている。劉備(りゅうび)は長坂(ちょうはん)で大敗した後、水鏡荘へ逃れたが、司馬徽(しばき)は一目で劉備(りゅうび)の苦境を見抜き、率直にその「左右にその人を得ず」を指摘した。彼は劉備(りゅうび)の麾下の関羽(かんう)、張飛(ちょうひ)、趙雲(ちょううん)が勇猛ではあるものの、これをうまく用いる人を欠いていると批評し、孫乾、糜竺(びじく)ら文官については「乃ち白面の書生のみ、経綸済世の才に非ざるなり」とした。これは史実における司馬徽(しばき)の人物鑑識と符合するが、より劇的である。

司馬徽(しばき)は演義において劉備(りゅうび)が賢を求める道の「導き手」の役割を演じた。彼は劉備(りゅうび)に「伏龍、鳳雛、二人の一を得れば、天下を安んずべし」 という重要な情報を予言し、諸葛亮(しょかつりょう)と龐統(ほうとう)の存在を暗示した。劉備(りゅうび)が伏龍、鳳雛が具体的に誰なのかを追問したとき、司馬徽(しばき)はわざと玄虚を装い、ただ笑って答えず、懸念を残した。この神秘的な姿勢は、諸葛亮(しょかつりょう)と龐統(ほうとう)の登場時の期待感を大いに高めた。

演義はまた徐庶(じょしょ)が司馬徽(しばき)を訪ねる筋立てを創作した。徐庶(じょしょ)は劉備(りゅうび)に身を投じる前、かつて司馬徽(しばき)に劉表(りゅう ひょう)の「善を善とすれど用うる能わず、悪を悪とすれど去る能わず」という欠点を吐露した。司馬徽(しばき)は、真の英雄豪傑が目の前にいるのに、ただ徐庶(じょしょ)が識らないだけだと指摘した。徐庶(じょしょ)が曹操(そうそう)にその母を囚われたことで劉備(りゅうび)のもとを去らざるを得なくなったとき、司馬徽(しばき)は再び現れ、徐庶(じょしょ)の去ることを惜しみ、これは曹操(そうそう)の奸計にかかったものだと考え、「元直去らずんば、その母なお存せん。今もし去らば、母は必ず死せん」と予言した。これは司馬徽(しばき)の遠見を示すだけでなく、徐庶(じょしょ)の「身は曹営に在りて心は漢に在り」という悲劇的運命の伏線を張った。これらの筋立ては史書にはいずれも明確な記載がなく、演義が人物像を造形し物語を推し進めるために行った芸術的創作である。

重要な関係

* 龐徳公(ほうとくこう)(friend_of):司馬徽(しばき)と龐徳公(ほうとくこう)の関係は密接で、龐徳公(ほうとくこう)は司馬徽(しばき)を「水鏡」と呼んでおり、二人の交情の深さと、龐徳公(ほうとくこう)が司馬徽(しばき)の才華と品德を極めて推賞していたことがわかる。演義でも二人が親友であり、龐徳公(ほうとくこう)が司馬徽(しばき)より十歳年長であることに触れている。
* 龐統(ほうとう)(friend_of):司馬徽(しばき)は龐統(ほうとう)の伯楽である。龐統(ほうとう)は少年の頃「朴鈍にして、識る者なし」であったが、ただ司馬徽(しばき)のみが慧眼でその珠を識り、彼を「南州の士の冠冕」と称した。演義では、司馬徽(しばき)は龐統(ほうとう)を「弟」と呼び、二人は「共に相議論し、終日倦まず」 とされ、両者の深い情誼と惺惺相惜をさらに強調している。
* 劉備(りゅうび)(advises_in):演義において、司馬徽(しばき)は劉備(りゅうび)が賢を求める道における重要な指し示し手である。彼は劉備(りゅうび)に「伏龍、鳳雛」の存在を指し示し、諸葛亮(しょかつりょう)と龐統(ほうとう)の才能を暗示し、劉備(りゅうび)の将来の発展に重要な役割を果たした(演義独自)。
* 徐庶(じょしょ)(friend_of):演義において、徐庶(じょしょ)は司馬徽(しばき)の友人であり、かつて司馬徽(しばき)に劉表(りゅう ひょう)への失望を吐露し、司馬徽(しばき)の指点を得た。司馬徽(しばき)はまた徐庶(じょしょ)が母を囚われて劉備(りゅうび)のもとを去ることを惜しみ、その母の運命を予言した,(演義独自)。
* 諸葛亮(しょかつりょう)(friend_of):史料の記載によれば、龐徳公(ほうとくこう)はかつて諸葛亮(しょかつりょう)を司馬徽(しばき)と並べて、諸葛亮(しょかつりょう)を「臥龍」、司馬徽(しばき)を「水鏡」と称した。演義では、司馬徽(しばき)は直接劉備(りゅうび)に諸葛亮(しょかつりょう)を推薦し、その才能に極めて高い評価を与え、さらに彼を姜子牙、張子房に比すべきと考えた(演義独自)。

象徴的な場面

* 劉廙を品評する(史実):司馬徽(しばき)は幼い劉廙(りゅうよく)の頭を軽く撫で、その「黄中通理」を讃え、その非凡な人物鑑識の能力を示し、劉廙(りゅうよく)の将来の成就を予示した。
* 慧眼で龐統を識る(史実):龐統(ほうとう)は少年の頃、黙々と無名であったが、司馬徽(しばき)はその潜質を洞察し、彼を「南州の士の冠冕」と称し、その名声を博させた。
* 水鏡が賢を薦める(演義独自):劉備(りゅうび)は水鏡荘で司馬徽(しばき)と出会い、司馬徽(しばき)は劉備(りゅうび)の「左右にその人を得ず」を指摘し、初めて「伏龍、鳳雛、二人の一を得れば、天下を安んずべし」という著名な論断を提示し、劉備(りゅうび)に諸葛亮(しょかつりょう)と龐統(ほうとう)を引き合わせ、劉備(りゅうび)が賢を求める道の重要な転換点となった。
* 徐庶の母を予言する(演義独自):司馬徽(しばき)は徐庶(じょしょ)が母を囚われて劉備(りゅうび)のもとを去ることを深く惜しみ、一言で曹操(そうそう)の奸計を見抜き、「元直去らずんば、その母なお存せん。今もし去らば、母は必ず死せん」と予言し、その超凡な洞察力と予見性を示した。
* 諸葛亮を評価する(演義独自):司馬徽(しばき)は劉備(りゅうび)の前で諸葛亮(しょかつりょう)に極めて高い評価を与え、その才華が管仲、樂毅をはるかに超え、「周を八百年興せし姜子牙、漢を四百年旺んにせし張子房」に比すべきと考え、諸葛亮(しょかつりょう)の人物像と地位を大いに高めた。
* 「臥龍はその主を得たれど、その時を得ず、惜しいかな!」(演義独自):司馬徽(しばき)は劉備(りゅうび)のもとを去る際、天を仰いで大笑し、この言を発した。諸葛亮(しょかつりょう)の才能への肯定であると同時に、その将来の運命の坎坷をも暗示し、物語に悲劇的色彩を添えた。

人間関係

9 件の関係

名言

全 29 件の台詞 · 厳選 3 件

「伏龍、鳳雛,兩人得一,可安天下。」

演 第35回→ 劉備(りゅうび)

この一言は諸葛亮(しょかつりょう)と龐統(ほうとう)の価値を指し示し、千古の名言となった。

「孔明與博陵崔州平、潁川石廣元、汝南孟公威與徐元直四人為密友。此四人務於精純,惟孔明獨觀其大略。嘗抱膝長吟,而指四人曰:『公等仕進,可至刺史、郡守。』眾問孔明之志若何,孔明但笑而不答。每常自比管仲、樂毅,其才不可量也。」

演 第37回→ 劉備(りゅうび)

この一言は諸葛亮(しょかつりょう)を引き出し、その臥龍の名を定め、影響は深遠である。

「臥龍雖得其主,不得其時,惜哉!」

演 第37回→ 劉備(りゅうび)

この一言は諸葛亮(しょかつりょう)が劉備(りゅうび)を輔佐する悲劇的な結末を予示しており、宿命感に満ちている。

登場回6 回 ▸
  • 史ch.21ch.37
  • 演ch.35ch.36ch.37ch.38
関係の年表8 条 ▸

史 ch.21

史 ch.37

  • mentor_of

    弱冠往见徽,徽采桑於樹上,共語自晝至夜;徽甚異之,稱統當南州士之冠冕

演 ch.35

演 ch.37

演 ch.38

内面の独白 · AI 生成3 段 ▸
  • 私は司馬徽(しばき)、字は徳操(とくそう)。若い頃から清雅を旨として身を慎み、常に士人たちと天下を論じ、人物を見定めていた。漢王朝が衰え、群雄が次々と台頭し、世の中が乱れていた。この時代に私にできることといえば、人の言葉に耳を傾け、その志を
  • 私は司馬徽(しばき)、字は徳操(とくそう)、南陽(なんよう)の人である。漢末に生き、世の乱れを目の当たりにして、士が世に出るか退くかは、目先の得失だけで論じるべきではないと、常々思っていた。かつて講堂で幼い劉廙(りゅうよく)を見かけ、その頭
  • かつて襄陽(じょうよう)一帯を行き来していた頃、龐徳公(ほうとくこう)や龐統(ほうとう)と親しく交わり、よく語り合って互いを知った。徳公は私より年長で、士元は私より数歳若かった。私は彼の才知を敬い、兄弟のように接しながら、よく座して議論を交
生涯の大事1 ▸