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廖化(りょうか)

蜀漢(しょくかん) · 右车骑将军、并州刺史

廖化(りょうか)

字 元儉

登場回
19
台詞の記録
14
人間関係
17
内面の独白
3

史書の記載(Historical Record)

廖化(りょうか)は、字を元倹といい、生没年は不詳で、三国(さんごく)時代の蜀漢(しょくかん)の重要な将領である。彼の早年の事跡は詳らかでないが、蜀漢の建立後、長く軍中で力を尽くし、要職を歴任した。史料によれば、廖化は蜀漢の後期、官は右車騎将軍に至り、并州刺史を兼ね、中郷侯に封じられた c:1596。これは彼が蜀漢政権において高い地位と軍事的権力を有していたことを示している。彼は張翼(ちょうよく)、姜維(きょうい)らとともに、蜀漢後期の軍事力の重要な構成要素であった。廖化は蜀漢の滅亡(しょくかんのめつぼう)後、宗預(そうよ)ら蜀漢の旧臣とともに洛陽(らくよう)へ移された。咸熙元年(公元264年)の春、廖化は移送の途中で病のために没した c:1599。

演義の記載(In the Novel)

『三国演義』においては、廖化の人物像はより多くの伝奇的彩りと劇的性を帯びている。彼の初登場は、関羽(かんう)が千里を単騎で行く時である。当時、廖化は黄巾の残党として、杜遠とともに山中で略奪を行っていた。杜遠が劉備(りゅうび)の二人の夫人を拉致したが、廖化はこれを知ると大義をわきまえ、杜遠を殺し、二人の夫人を関羽のもとへ送り返そうとした。関羽はその黄巾の出自ゆえに彼が部下として付き従うことを謝絶したが、廖化の関羽への敬意と劉備の夫人を保護した行いは、その正直な一面を示している c:1600。

その後、廖化は『演義』に幾度も現れ、次第に蜀漢陣営の重要な武将となっていく。彼はかつて劉備の入蜀(りゅうびのにゅうしょく)の前に、部下を率いて投降してきた。劉備はそこで彼に関羽を補佐して荊州(けいしゅう)を鎮守させた c:1602。関羽の北伐(かんうのほくばつ)で襄樊を攻めたとき、廖化は先鋒に任じられ、関羽とともに出征した c:1603。この戦役において、彼はかつて龐徳(ほうとく)と矛を交え、その勇武の一面を示した c:1604。

しかし、荊州が陥落した後、廖化は麦城(ばくじょう)で囲まれたとき、自ら進んで囲みを突破して上庸(じょうよう)へ援軍を求めることを願い出た c:1605。彼は呉軍の重囲を突破することに成功し、上庸の劉封(りゅうほう)・孟達(もうたつ)に救援を求めたが、拒絶された c:10391。廖化はこのため大いに慟哭し、成都(せいと)へと駆けつけて劉備に急を告げ、劉封・孟達が見殺しにした経緯を詳しく語った c:1606。これは直接、劉備による劉封・孟達の処分を促した。諸葛亮の北伐(諸葛亮)(ほくはつ(しょかつりょう))の期間、廖化は幾度も従軍して出征し、しばしば戦功を立てた。彼はかつて姜維とともに、孔明の計策のもとで曹真(そうしん)を待ち伏せし、魏の将・秦良を斬った c:1609。彼はまた司馬懿(しばい)を追撃し、魏の将・鄭倫を斬った c:5261, c:1113。姜維の北伐(きょういのほくばつ)のときも、廖化はしばしば先鋒や重要な将領を務めた c:5262。蜀漢後期、廖化は姜維の連年の征伐に留保的な態度を取り、「連年征伐すれば、軍民は安らがない」と考え、姜維に「無理に成し難い事を行おうとするのは、化が独断を避ける理由である」と諫めた c:1613。これは彼が老将としての慎重さと、蜀漢の国力への憂慮を示している。最終的に、蜀漢が滅亡する際、廖化は張翼とともに姜維に従って剣閣(けんかく)を堅守し、最後には姜維に従って鍾会(しょうかい)に偽りの降伏をし、漢室の復興を試みた c:1614, c:1616。

主要な関係

* 関羽(Serves):『演義』において、廖化と関羽の交わりはたいへん深い。彼はかつて関羽の二人の義姉を救い c:1600、後に劉備によって関羽を補佐して荊州を鎮守するよう派遣され c:1602、関羽の北伐の際には先鋒を務めた c:1603。関羽が麦城で囲まれたとき、廖化は死を冒して囲みを突破し援軍を求め、関羽への忠誠と情誼を示した c:1605。
* 劉備(Defected_to):廖化は『演義』において黄巾の残党から劉備に身を転じ、長く蜀漢政権に力を尽くした。彼はかつて劉備に、劉封・孟達が関羽を救わなかった事を告発し c:1606、劉備も彼をたいへん信任した。
* 蜀漢(Serves):廖化は蜀漢後期の重要な軍事的支柱であり、官は右車騎将軍に至った c:1596。彼は『演義』において幾度もの北伐戦争に参与し、蜀漢に忠心耿耿たる老将である。
* 張翼(Friend_of):廖化と張翼は史料と演義のいずれにおいてもしばしばともに現れ、とりわけ蜀漢後期には、二人はしばしばともに重要な職を担い、ともに姜維に従って北伐した c:5262, c:1614。『演義』においては、彼らはさらに幾度も肩を並べて戦い、ともに進退した。
* 姜維(Serves):廖化は蜀漢後期、主に姜維を補佐し、幾度もの北伐に参与した。彼は姜維の連年の征伐に留保を抱いていたが c:1613、なお忠心耿耿として軍令を執行し、蜀漢の滅亡時には姜維とともに偽りの降伏をした c:1616。

象徴的な場面

* 千里を単騎で行き二人の義姉を救う(演義独自):関羽が二人の義姉を護送して千里、兄を尋ねる途中、廖化は二人の義姉を犯そうとした杜遠を殺し、二人の義姉を関羽のもとへ送り返した。この一幕は廖化の早年の侠義の行いを示し、後の劉備への帰参への伏線ともなっている c:1600。
* 麦城で囲みを突破し援軍を求める(演義独自):関羽が麦城で囲まれたとき、廖化は身を挺し、死を冒して囲みを突破して上庸へ援軍を求めた。援軍は得られなかったが、この行いは関羽への忠誠と果烈な性格を十分に示している c:1605。
* 北伐で将を斬り功を立てる(演義独自):諸葛亮と姜維の幾度もの北伐において、廖化はしばしば先鋒を務め、かつて魏の将・秦良 c:1609 と鄭倫 c:1113 を斬り、その勇猛な武芸と戦場における重要な役割を示した。たとえば、ある北伐において、彼は姜維、張翼とともに、孔明の計策のもとで曹真の軍を待ち伏せし、秦良を斬って戦功を立てた c:1609。
* 姜維を諫める(演義独自):姜維が連年北伐したとき、廖化はかつて率直に諫め、「連年征伐すれば、軍民は安らがない」と指摘し、国力の消耗への憂慮を表した c:1613。これは彼の老将としての先見を示すだけでなく、蜀漢後期の内外ともに困窮した局面をも反映している。
* 姜維に従って鍾会に偽りの降伏をする(演義独自):蜀漢が滅亡する際、廖化は張翼、董厥(とう けつ)らの将領とともに姜維に従って鍾会に偽りの降伏をし、その機に乗じて漢室を復興しようとした c:1616。この場面は、廖化の死に至るまで変わらぬ漢への忠心と、蜀漢復興への渇望を示している。

肖像アーカイブ

人物像

性格
廖化(りょうか)は果断で剛烈な性格であり、大義を知り、関公を敬った。彼はかつて「将、外に在りては、君命も受けざる所あり」を引用して姜維(きょうい)に退かぬよう勧め、また「白水は地が狭く道が多く、争戦の場ではない」と主張して、剣閣への退守を勧めた。
生涯
廖化はもとの名を淳といい、襄陽(じょうよう)の人である。彼は初め関羽(かんう)の主簿となり、関羽が敗れたのちには東呉に帰属したが、のちに死を装い母を連れて昼夜西へ行き蜀に帰り、先主劉備(りゅうび)に宜都太守に任じられた。先主の没後、彼は丞相参軍・右車騎将軍・仮節を歴任し、并州刺史を領し、中郷侯に封じられ、最終的に宗預(そうよ)とともに内地の洛陽(らくよう)へ移され、道中で病没した。
逸話
廖化はかつて黄巾の余党であったが、のちに仲間の杜遠を殺して二夫人を救った。彼はかつて関羽(かんう)の命を受けて先鋒となり、馬を出して挑戦し、偽って敗れて敵を誘い、また囲みを突いて上庸(じょうよう)に至って救援を求め、さらに成都(せいと)へ馳せて劉封(りゅうほう)・孟達(もうたつ)が救援の兵を出さなかったことを泣いて奏した。彼はかつて子午谷を取り、また孔明の遺言によって「忠義の士にして委用に堪える」者の一人として挙げられた。

人間関係

17 件の関係

名言

全 14 件の台詞 · 厳選 3 件

「『將在外,君命有所不受。』今雖有詔,未可動也。」

演 第114回→ 姜維(きょうい)

この台詞は、廖化の軍事的原則への理解を示すとともに、その慎重な性格をも反映している。

「關公兵敗,見困於麥城,被圍至急。蜀中援兵,不能旦夕即至。特令某突圍而出,來此求救。望二將軍速起上庸之兵,以救此危。倘稍遲延,公必陷矣。」

演 第76回→ 劉封(りゅうほう)

この台詞は、関羽の救援を求める使者としての廖化の重要な台詞であり、その忠義を示している。

「關公父子遇害,實劉封、孟達之罪。乞誅此二賊。」

演 第79回→ 劉備(りゅうび)📍 成都(せいと)

この台詞は、関羽の死に対する廖化の憤りと、劉封・孟達への憎悪を示している。

登場回19 回 ▸
  • 史ch.45
  • 演ch.27ch.60ch.63ch.73ch.74ch.76ch.77ch.79ch.99ch.100ch.103ch.109ch.113ch.114ch.115ch.116ch.117ch.118
関係の年表21 条 ▸

史 ch.45

演 ch.27

  • enemy_of

    杜远不从分嫂为妻,被廖化所杀

  • friend_of

    献杜远首与将军请罪;欲以部下相送

演 ch.60

演 ch.73

演 ch.74

演 ch.76

演 ch.77

演 ch.79

演 ch.99

演 ch.100

演 ch.113

  • 鄭倫§16

    enemy_of

    山后伏兵,一刀斩郑伦于马下

演 ch.114

演 ch.115

演 ch.116

演 ch.117

演 ch.118

内面の独白 · AI 生成3 段 ▸
  • 私は廖化(りょうか)、字は元倹(げんけん)という。洛陽(らくよう)へ向かう道中、病は重く、これまでの一生を振り返ると、耳には今なお軍中の太鼓や角笛の音が聞こえるようだ。史書には、私が宗預(そうよ)とともに内地へ移され、その途中で病没したとだ
  • 私は廖化(りょうか)、字は元倹(げんけん)という。かつて関公(かんこう)が荊州(けいしゅう)を守っていた折、城外に呉の兵が突然押し寄せ、四方を包囲され、援軍を求める道も断たれた。関公が誰か包囲を突破できる者はいないかと問うと、私は自ら行くと
  • 私はもともと襄陽(じょうよう)の人で、字は元倹(げんけん)という。若い頃、なぜ世を流浪することになったのかと問われれば、私の記憶では、世の中が乱れ、故郷で安らかに暮らせなかったとしか言えない。ほかのことは、あえて軽々しく語るまい。あの頃、私
生涯の大事7 ▸