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馬岱(ばたい)

蜀漢(しょくかん) · 将軍

馬岱(ばたい)

登場回
17
台詞の記録
16
人間関係
16
内面の独白
3

史書の記載(Historical Record)

馬岱(ばたい)は三国(さんごく)時代の蜀漢(しょくかん)の将で、その生涯や事跡は正史にあまり記載がなく、主に諸葛亮(しょかつりょう)の死後、楊儀(ようぎ)の命を受けて魏延(ぎえん)を追い斬ったことに集中している。『三国志(さんごくし)』によれば、諸葛亮は病が重くなった際、密かに退軍の手はずを整え、魏延に殿軍を、姜維(きょうい)をその次に当たらせ、もし魏延が命に従わなければ軍は自ら撤退してよいと特に指示した。諸葛亮の死後、喪を秘して発せず、楊儀は費禕(ひい)を遣わして魏延の態度をうかがわせた。魏延は丞相が逝ったとはいえ、自分はなお健在であり、一人の死のために天下の大事を廃すべきではないと考え、楊儀の節制を受けることを拒み、自ら軍を率いて北伐しようとした。費禕は偽って魏延に応じ、その不意をついて速やかに立ち去った。魏延はこれに気づいて追ったが及ばず、人を遣わして楊儀らの動向を探らせた。楊儀らが諸葛亮の遺規に従って撤軍していると知ると、魏延は大いに怒り、楊儀の発令を待たずに部を率いて先に南へ帰り、道すがら桟道を焼き払った。

魏延と楊儀は互いに上表して相手を叛逆と非難し、一日のうちに羽檄が次々と届いた。後主劉禅(りゅう ぜん)が侍中の董允(とう いん)と留府長史の蔣琬(しょうえん)に問うと、二人はいずれも楊儀を信じ魏延を疑った。楊儀らは山を開いて道を切り拓き、昼夜兼行して魏延の後を追った。魏延が先に南谷口に着き、兵を遣わして楊儀を阻んだ。楊儀は王平(おうへい)に前に出て防がせ、王平は魏延を叱責し、丞相の遺骸がまだ冷めぬうちに、魏延がこのような振る舞いに及ぶとは、と指摘した。魏延の部衆は魏延に理がないと知ると、次々と離散した。魏延はやむなく少数の親信とともに漢中(かんちゅう)へ逃れた。最終的に、楊儀は馬岱を遣わして追わせ、魏延を斬り、その首級を楊儀のもとへ送らせた。楊儀は自ら魏延の首級を踏みつけ、その三族を皆殺しにした。史料から見れば、馬岱はこの出来事において鍵を握る実行者の役割を演じ、その行動は直接魏延の死を招いた。

演義の記述(In the Novel)

『三国演義』において、馬岱の人物像はより肉付けされており、諸葛亮の死後に魏延を斬る実行者であるだけでなく、馬超(ばちょう)・馬騰(ばとう)父子に従って転戦し、たびたび戦場で功を立てた将でもある。彼は初登場から一族への忠誠と時局への洞察を示す。馬騰が曹操(そうそう)の召し出しを受けて入京しようとした際、馬岱は叔父の馬騰に、曹操は腹に一物を抱いており、この行きには不測の事態が起こりかねないと諫めたが、馬騰は従わなかった。馬騰父子が曹操に殺害された後、馬岱は変装して逃れ、その凶報を西涼に持ち帰り、馬超の挙兵復讐を促した。

馬岱は演義においてたびたび従軍出征し、勇武と智謀を示す。葭萌関(かぼうかん)攻めでは、彼は魏延と交戦し、偽って敗走するふりをして魏延を射て傷つけ、後に張飛(ちょうひ)と対陣し、張飛には及ばなかったものの、強敵を恐れぬ勇気を示した。諸葛亮が孟獲(もうかく)を南征した際、馬岱はしばしば奇功を立てた。彼は諸葛亮の命を受けて軍を率い瀘水を渡り、蛮洞深くに入って孟獲の糧道を断ち、董荼那(とうとな)・阿會喃らの内応と連携した。孟獲との戦いでは、馬岱は忙牙長を斬り、また偽りの敗走の計をもって祝融夫人(しゅくゆうふじん)を誘い捕らえた。彼はさらに蛮兵に変装して瀘水のほとりに伏兵を設け、見事に孟獲を生け捕りにした。諸葛亮の七縦七擒(しちしょうしちきん)の最後では、馬岱は計策に従って盤蛇谷に伏兵を設け、最終的に孟獲を生け捕りにした。

北伐の間、馬岱もたびたび従軍出戦した。彼は関興(かんこう)・張苞(ちょうほう)とともに出征して羌兵の侵入を防ぎ、諸葛亮が羌兵の鉄車陣を巧みに破った戦いに参加し、雅丹丞相を生け捕りにした。街亭の戦い(がいていのたたかい)の後、馬岱は姜維とともに曹真(そうしん)を追撃し、先鋒の陳造を斬った。諸葛亮が上方谷に火攻めの計を仕掛けた際、馬岱は葫蘆谷の後路に伏すよう命じられ、司馬懿(しばい)を火攻めにする準備をしたが、天が大雨を降らせたために功を失した。

演義における馬岱の最も重要な造形は、紛れもなく諸葛亮の死後、その遺計を奉じて魏延を斬る筋立てである。演義では、諸葛亮は臨終の際すでに魏延に叛意があると見抜いており、特に錦囊の妙計を楊儀に授け、密かに馬岱に、魏延が「誰か敢えて我を殺さんや」と叫んだとき、その不意をついて斬るよう言い含めた。この筋立ては馬岱を、忍耐強く機略に富み、諸葛亮の遺命に忠実な人物として造形しており、史料の「儀は馬岱を遣わしてこれを追い斬る」という簡素な記載に比べ、いっそう劇的で人物の深みがある。

主要な関係

* 馬騰:馬岱の叔父。馬騰が入京して曹操の召し出しを受けた際、馬岱は諫め、後に馬騰が殺害されると、馬岱はその凶報を西涼に持ち帰った。
* 馬超:馬岱の従兄。馬騰が殺害された後、馬岱はその知らせを馬超に伝え、馬超の挙兵復讐を促した。馬岱は馬超の親族かつ部下として、馬超の入蜀後も劉備(りゅうび)に仕えた。
* 諸葛亮:馬岱の直接の上官にして指揮官。演義において、馬岱はたびたび諸葛亮の命を受けて重要な任務を遂行した。例えば孟獲南征の際の糧道断ちや孟獲の生け捕り、北伐の際の伏兵による司馬懿の火攻め などである。とりわけ諸葛亮の死後、馬岱は諸葛亮の遺計を忠実に実行し、魏延を斬った。
* 楊儀:史実において、馬岱は楊儀の命を受けて魏延を追い斬った。演義において、楊儀は諸葛亮の遺計を知る者であり実行者の一人であり、馬岱とともに魏延を斬る任務を成し遂げた。
* 魏延:史実においても演義においても、魏延は馬岱の最終的な標的である。史書には馬岱が楊儀の命を受けて魏延を追い斬ったとある。演義において、馬岱はさらに諸葛亮の遺計における魏延斬殺の鍵を握る人物であり、魏延が「誰か敢えて我を殺さんや」と叫んだとき、その不意をついて斬った。二人は演義において交戦したこともあり、馬岱は魏延を射て傷つけた(演義独自)。

象徴的な場面

* 馬騰の入京を諫める(演義独自):馬岱は初登場から、その慎重さと時局への洞察力を示し、叔父の馬騰に軽々しく入京しないよう諫め、馬騰の悲劇的な運命を予示した。
* 馬騰殺害の知らせを馬超に伝える(演義独自):馬岱は変装して逃れ、馬騰・馬休・馬鉄(ばてつ)が殺害された凶報を西涼に持ち帰り、直接馬超の挙兵復讐を促した、馬超の物語の重要な発端である。
* 孟獲南征、巧計で生け捕り(演義独自):諸葛亮の南征の間、馬岱はたびたび智勇を発揮した。彼は軍を率いて瀘水を渡り、敵後深くに入って糧道を断ち、瀘水のほとりで蛮兵に変装して伏兵を設け孟獲を生け捕りにし、さらに盤蛇谷に伏兵を設け、最終的に孟獲を生け捕りにして、諸葛亮の七縦七擒に終止符を打った。これらの筋立ては馬岱の機略と実行力を十分に示している。
* 北伐期間、上方谷の火攻め(演義独自):諸葛亮の北伐の際、馬岱は葫蘆谷(上方谷)に火攻めの計を仕掛け、司馬懿を焼き殺そうとするよう命じられた。天が大雨を降らせたために成功しなかったものの、この計の布置と馬岱の参加は、軍事行動における彼の重要な地位を体現している。
* 諸葛亮の遺計を奉じて魏延を斬る:これは馬岱が史実においても演義においても最もよく知られた象徴的な出来事である。諸葛亮の死後、馬岱は楊儀の命(史実)あるいは諸葛亮の遺計(演義)を受けて魏延を追い斬った。とりわけ演義では、馬岱は魏延が傲然と「誰か敢えて我を殺さんや」と叫んだとき、その不意をついて斬り、この一幕は馬岱の「忍耐強く機略に富む」性格を遺憾なく示すとともに、彼を諸葛亮の智謀の最終的な実行者たらしめている。

肖像アーカイブ

人物像

性格
馬岱(ばたい)は性格が忍耐強く臨機応変で、蜀漢(しょくかん)の将領であり、かつて馬超(ばちょう)の部将であったが、のちに平北将軍・陳倉侯(ちんそう)となった。
話し方
言葉は短く決断的で、たとえば「吾あえて汝を殺さん!」というように。
武器
馬岱(ばたい)は宝刀または刀を常用する。
逸話
馬岱(ばたい)は馬超(ばちょう)の従弟であり、魏延(ぎえん)討伐の功によってその爵位を承襲した。彼はかつて孔明の密計を奉じて魏延(ぎえん)を斬った。

人間関係

16 件の関係

名言

全 16 件の台詞 · 厳選 3 件

「吾敢殺汝!」

演 第105回→ 魏延(ぎえん)

この一句は馬岱(ばたい)が魏延(ぎえん)を斬り殺す象徴的な台詞であり、劇的な衝突と人物の反転に富んでいる。

「將軍之言,不智甚也。大丈夫何不自圖霸業,乃輕屈膝於人耶?吾觀將軍智勇足備,兩川之士,誰敢抵敵?吾誓同將軍先取漢中,隨後進攻兩川。」

演 第105回→ 魏延(ぎえん)

この一句は馬岱(ばたい)が魏延(ぎえん)を欺いて謀反させる鍵となる台詞であり、その智謀と潜伏者としての立場を示している。

「叔父與侍郎黃奎同謀殺操,不幸事泄,皆被斬於市。二弟亦遇害。惟岱扮作客商,星夜走脫。」

演 第58回→ 馬超(ばちょう)📍 涼州(りょうしゅう)

この一句は馬騰(ばとう)父子が殺害された悲惨な結末を語り、馬岱(ばたい)の生い立ちの重要な背景となっている。

登場回17 回 ▸
  • 史ch.36ch.40
  • 演ch.57ch.58ch.59ch.65ch.88ch.89ch.90ch.92ch.94ch.95ch.98ch.100ch.103ch.104ch.105
関係の年表18 条 ▸

史 ch.40

演 ch.57

演 ch.58

演 ch.59

演 ch.65

演 ch.88

演 ch.89

演 ch.90

演 ch.92

演 ch.94

  • enemy_of

    阵中活捉雅丹丞相

演 ch.95

  • 陳造§18

    fights_in

    斩魏先锋陈造

演 ch.98

演 ch.103

内面の独白 · AI 生成3 段 ▸
  • 丞相が亡くなった後も、軍中の命令系統は保たれていた。一人の死を理由に、三軍に守るべきものを失わせてよいはずがあろうか。私は魏延(ぎえん)を追うよう命じられた。目にしたのは、彼が部隊を率いて南へ戻り、桟道を焼き落としたこと、そして楊儀(ようぎ
  • 私は丞相の軍令を受け、兵を率いて南中(なんちゅう)を進んだ。目にしたものは、旗や太鼓がぶつかり合い、刀や槍が交わる戦ばかりではなかった。戦陣での勝敗は、時に一念にかかり、時に足元の地勢にかかり、また人心にもかかっている。かつて董荼那(とうと
  • 私は姓を馬(ば)、名を岱(たい)といい、字は、私が拠り所とする記録には見えない。西涼の馬氏一族の者として、幼い頃から見聞きしたことの多くは、軍旅や家門にまつわることだった。若い頃の志を問われれば、昔を思い返してこう言うほかない。親族の安危と
生涯の大事8 ▸