言語
劉

劉表集団(りゅうひょうしゅうだん) · 江夏太守

劉琦(りゅうき)

登場回
8
台詞の記録
20
人間関係
4
内面の独白
3

史載(Historical Record)

劉琦(りゅうき)、劉表(りゅう ひょう)の長子で、劉表集団(りゅうひょうしゅうだん)においてかつて重用された。彼は人となりが諸葛亮(しょかつりょう)に深く器重されたが、しかし、劉表の後妻の讒言によって、劉表は幼子の劉琮(りゅうそう)を偏愛し、劉琦を次第に疎んじた。劉琦はこのために常に不安を感じ、諸葛亮に自保の策を謀ってもらおうと求めた。諸葛亮は当初、劉表の家事に介入することを拒み、劉琦のために謀ろうとはしなかった。あるとき、劉琦が諸葛亮を誘って後園をともに遊び、高楼に登って宴を催した際、人に楼梯を撤去させ、諸葛亮に向かって言った。「今日、上は天に至らず、下は地に至らず、言は子の口より出でて、吾が耳に入る。言うべきか」と。諸葛亮はそこで初めて劉琦を導き、申生と重耳の典故を例に、「申生は内にありて危うく、重耳は外にありて安し」という道理を暗示した。劉琦は聞いて心に会得し、ひそかに筹画した。ちょうど江夏(こうか)太守の黄祖(こうそ)が戦死し、劉琦はこうして江夏太守に出任することができ、襄陽(じょうよう)の政治の渦から逃れた。

劉表の死後、曹操(そうそう)の大軍が南下し、劉琮は降伏を選んだ。劉備(りゅうび)は樊城(はんじょう)でこのことを知り、部を率いて南へ退いた。曹操は劉備を追撃して当陽長坂(とうようちょうはん)に至り、劉備は危急の際、諸葛亮・張飛(ちょうひ)・趙雲(ちょううん)ら数十騎とともに逃れ、曹操は大量の人衆と輜重を捕獲した。劉備はその後、斜めに漢津へと進み、関羽(かんう)の船隊と合流して沔水を渡った。この時、劉琦は江夏郡の一万余人を率いて来て劉備と合流し、ともに夏口(かこう)へ向かった。その後、劉備は諸葛亮を東呉へ遣わし、孫権(そん けん)と同盟した。孫権は周瑜(しゅうゆ)・程普(ていふ)らに数万の水軍を率いさせ、劉備と手を結び、赤壁(せきへき)で曹操を大いに破り、その船を焼いた。赤壁の戦い(せきへきのたたかい)の後、劉備と呉軍は水陸ともに進み、曹操を南郡(なんぐん)まで追撃した。疫病が流行したため、曹操の軍隊は死傷が惨憺たるものとなり、やむなく北へ帰った。周瑜は南郡太守に任ぜられ、南岸の一部の土地を劉備に割いた。劉備は油江口(ゆこうこう)に別に営寨を立て、公安と改名した。劉表の旧部の多くが曹操に叛いて劉備に身を寄せた。周瑜の与えた土地では民衆を安置するに足りなかったため、劉備は後にまた孫権から荊州(けいしゅう)数郡を借りた。

演中(In the Novel)

『三国(さんごく)演義』の劉琦は、その形象がより際立ち、その性格的特徴はより鮮明に描かれている。とりわけその「涕泣して怯弱」であり、「叔父を頼りとする」方面においてそうである。彼が初めて登場する際、劉琮とともに劉備を迎え、謙恭な態度を示す。劉備が新野(しんや)に仮寓していた間、劉琦はかつて訪ねて来て、劉備に継母蔡氏が自らを謀害しようとしていることを哭訴し、劉備に迷いを解いてもらおうと望んだ。劉備は彼に慎重に孝を尽くすよう勧めたが、劉琦はなお憂心忡忡として、涕泣して去った。

劉琦の困境は『演義』において繰り返し強調される。彼が再び劉備に助けを求めた際、劉備は彼を諸葛亮に引き合わせた。諸葛亮は当初、劉家の事に介入しようとはしなかったが、劉琦の執着と絶望が最終的に諸葛亮にその計を献じさせた。有名な「高楼去梯」の場面において、劉琦は諸葛亮を高楼に導き、楼梯を撤去し、自刎をもって迫り、諸葛亮に自らのために謀らせた。諸葛亮は最終的に申生・重耳の典故をもって、劉琦に自ら江夏を鎮守することを請うて蔡氏の迫害から逃れるよう建議した。この計策は史書にも記載があるが、『演義』においてはより強い劇性を与えられている。

劉琦は諸葛亮の計に従い、劉表に江夏の鎮守を請い、劉表は劉備の建議によってこの請いを承諾し、劉琦はかくして三千の兵馬を率いて江夏へ向かった。長坂の戦い(ちょうはんのたたかい)の後、劉備は敗退し、劉琦は時宜よく江夏の兵馬を率いて接応に来て、劉備が危機を脱することができた。この筋立ては史書にも記載があるが、『演義』では劉琦の時宜よき出現が劉備に対して与えた助けをより強調している。赤壁の戦いの前、劉琦は劉備・諸葛亮とともに破曹の策を議した。諸葛亮は劉備に夏口に駐守するよう建議し、劉琦は江夏に戻って兵馬を整え、犄角の勢を形成した。魯粛(ろしゅく)が劉表を弔いに来た際、諸葛亮は巧みに劉琦の存在を利用し、魯粛に荊州にはなお劉氏の後人が占拠していることを示し、後日劉備が荊州を借用(けいしゅうのしゃくよう)する伏線を埋めた。魯粛が再び荊州を索めに来た際、諸葛亮はさらに病重の劉琦を出させ、「公子が一日あれば一日守る。もしいなければ、別に商議あり」という言辞をもって、しばらく魯粛を抑えた。これらの筋立てはいずれも劉琦が『演義』において劉備集団(りゅうびしゅうだん)の重要な盟友としての役割を際立たせている。

主要な関係

* 劉表集団(serves):劉琦は劉表の長子として、最初は劉表の麾下で力を尽くしたが、継母蔡氏の讒言によって次第に劉表に疎んぜられ、最終的に江夏太守に出任した。
* 劉備集団(defected_to):劉表の死、劉琮の曹操への降伏の後、劉琦は江夏の兵馬を率いて劉備と合流し、劉備集団の重要な盟友となり、ともに曹に抗した。
* 劉琮(sibling_of):劉琦の異母兄弟で、劉表が劉琮を偏愛したため、劉琦の劉表集団における地位は脅かされた。
* 諸葛亮(advises_in):諸葛亮はかつて劉琦のために謀り、彼に江夏に出鎮して禍を避けるよう建議した。『演義』では、諸葛亮はさらに何度も劉琦の身分を利用し、劉備集団のために利益を勝ち取った。
* 蔡氏(継母、演義独有):『演義』において、蔡氏は劉琦の継母で、劉琮を偏愛したために劉琦に謀害の心を抱き、劉琦が自保を求める主な原因となった。
* 魯粛(交渉の相手、演義独有):『演義』において、魯粛はかつて何度も劉琦および諸葛亮と荊州の帰属の問題を交渉した。

象徴的な場面

* 高楼で梯を去り計を求む:劉琦は諸葛亮に迷いを解いてもらおうと求め、高楼の上で楼梯を撤去し、諸葛亮に自保の策を謀らせた。諸葛亮は「申生は内にありて危うく、重耳は外にありて安し」の典故をもって、劉琦に江夏に出鎮するよう建議した。この場面は『演義』においてとりわけ生き生きと描かれ、劉琦の絶望と諸葛亮の智慧を際立たせている。
* 江夏で劉備を接応す:長坂の戦いの後、劉備は敗退し、劉琦は時宜よく江夏の兵馬を率いて接応に来て、劉備が危機を脱し、ともに夏口へ向かうことができた。『演義』では、劉琦の出現は「白袍銀鎧、船頭に立ちて大いに呼ぶ」と描かれ、劇的効果を大いに高めている。
* 赤壁の戦いの前、劉備・諸葛亮とともに議す:赤壁の戦いの前、劉琦は劉備・諸葛亮とともに破曹の策を議し、諸葛亮の建議に従って江夏に戻って兵馬を整え、犄角の勢を形成した。
* 病重を人に示し、魯粛を抑う(演義独有):『演義』において、諸葛亮は劉琦の病重の身体を利用し、魯粛の前で荊州にはなお劉氏の後人が占拠していることを示し、こうしてしばらく魯粛の荊州に対する索めを抑えた。この場面は諸葛亮の権謀を示すとともに、劉琦が劉備集団の政治的な切り札としての作用をも際立たせている。

肖像アーカイブ

人物像

容貌
白い袍に銀の鎧。
性格
性格は臆病で、叔父を頼りとした。人となりは賢明ではあったが柔弱であった。
話し方
哀しげに訴えて教えを乞い、かつて「継母の蔡氏(さいし)は常に害しようとする心を抱いており、姪(わたし)には禍を免れる術がありませぬ。どうか叔父上のご教示を」と言った。
生涯
劉表(りゅうひょう)の妻は末子の琮(そう)を愛したため、琦(き)を出して江夏(こうか)太守とし、琦と琮はついに反目し合うようになった。長坂(ちょうはん)の後、一万余の兵を率いて漢津(かんしん)で先主と会し夏口(かこう)に至った。後に先主から荊州(けいしゅう)刺史に表され、まもなく病死した。
逸話
劉表(りゅうひょう)の長子で、劉表の前妻陳氏(ちんし)の生んだ子である。かつて江夏(こうか)から兵を起こして玄徳(げんとく)を援護し、玄徳にしばらく江夏へ来て態勢を整えるよう請うた。孔明(こうめい)の依頼を受け、部隊を率いて武昌(ぶしょう)の岸口を守り、逃れて来る者を捕らえた。

人間関係

4 件の関係

名言

全 20 件の台詞 · 厳選 3 件

「琦欲求教良策,先生恐有泄漏,不肯出言;今日上不至天,下不至地,出君之口,入琦之耳,可以賜教矣。」

演 第39回📍 荊州(けいしゅう)

この一言は「隆中(りゅうちゅう)対」以前、諸葛亮(しょかつりょう)と劉琦(りゅうき)が密談した名場面であり、諸葛亮(しょかつりょう)の知恵を示している。

「今日上不至天,下不至地,言出子口,入於吾耳,可以言不?」

史 第35回→ 諸葛亮(しょかつりょう)

この一言は正史の記載であり、演義における諸葛亮(しょかつりょう)と劉琦(りゅうき)の密談の場面と呼応し、歴史的な意義を持つ。

「繼母蔡氏,常懷謀害之心;姪無計免禍,幸叔父指教。」

演 第35回→ 劉備(りゅうび)

この一言は、劉琦(りゅうき)の荊州(けいしゅう)における苦境を明らかにしており、その人物像の中核をなす特徴である。

登場回8 回 ▸
  • 史ch.32ch.35
  • 演ch.34ch.35ch.39ch.42ch.45ch.52
関係の年表6 条 ▸

史 ch.35

演 ch.34

演 ch.35

演 ch.39

演 ch.42

内面の独白 · AI 生成3 段 ▸
  • 私は劉琦(りゅうき)、字は不詳である。父の劉景升(りゅうけいしょう)が健在だった頃、継母の言葉は日増しに父の耳に届くようになり、父は末子の劉琮(りゅうそう)をかわいがり、私には冷淡だった。私はいつも身の安危を憂え、諸葛亮(しょかつりょう)に
  • 私は劉琦(りゅうき)、字は不詳である。昔を思えば、継母には受け入れられず、父も家にいた。子として、たとえ不満があっても、家の内のことを軽々しく外の者に訴えるわけにはいかなかった。孔明(こうめい)が初めて訪れたとき、私は仲裁してくれるよう頼ん
  • 父が病床にあり、歩くこともできなかったため、私に命じて玄徳(げんとく)叔父を迎えさせ、各地の守牧の官吏を慰労させた。その日、蔡瑁(さいぼう)が城郭の外まで出迎えに来たが、態度は謙虚で慎み深かった。弟の琮(そう)と私は、文武の官僚たちとともに
生涯の大事5 ▸