言語
王双(おうそう)

曹魏(そうぎ) · 将军

王双(おうそう)

登場回
5
台詞の記録
1
人間関係
7
内面の独白
1

史実(Historical Record)

王双(おうそう)は、三国(さんごく)時代の曹魏(そうぎ)の将である。『三国志(さんごくし)』の記載によれば、彼はかつて蜀漢(しょくかん)に対する軍事行動に参加した。西暦228年、諸葛亮(しょかつりょう)は冬に二度目の出兵を行い、陳倉(ちんそう)を囲んだが、糧草が続かぬために撤退を余儀なくされた。このとき、魏将の王双(おうそう)が軍を率いて諸葛亮(しょかつりょう)を追撃した。続く交戦において、諸葛亮(しょかつりょう)は王双(おうそう)の部隊を破り、王双(おうそう)を斬殺し、その後漢中(かんちゅう)へ戻った c:2740。

『三国志(さんごくし)・巻35』の記載はこの出来事をさらに裏づけている。同巻は諸葛亮(しょかつりょう)が散関を出て陳倉(ちんそう)を囲み、糧尽きて退兵したことを描く際、再び魏将の王双(おうそう)が騎兵を率いて追撃し、最終的に諸葛亮(しょかつりょう)に破られ斬殺されたことに触れている c:5884。この後、諸葛亮(しょかつりょう)が丞相の職の復帰を請う上奏の詔書において、魏の明帝曹叡(そうえい)もまた「前年に師を耀かし、王双(おうそう)を馘斬す」の功績に触れており、これは王双(おうそう)の斬殺が当時、蜀漢(しょくかん)の重要な軍事的勝利とみなされたことを示している c:5884。史料における王双(おうそう)の描写は比較的簡略で、主に軍事行動における彼の役割とその最終的な結末に集中しており、その生涯・性格あるいは具体的な軍事的才能は詳しく記載されていない。

演義(In the Novel)

『三国(さんごく)演義』において、王双(おうそう)の姿は大いに豊かにされ誇張され、勇猛無比の魏国の大将となっている。彼の初登場は諸葛亮(しょかつりょう)の二度目の北伐の期間である。当時、大将軍曹真(そうしん)が魏の明帝曹叡(そうえい)に王双(おうそう)を推薦し、彼が「六十斤の大刀を使い、千里の征宛馬に騎り、両石の鉄胎弓を開き、ひそかに三個の流星鎚を蔵し、百発百中、万夫不当の勇あり」と称し、彼を隴西狄道の人と紹介した c:2741。曹叡(そうえい)は王双(おうそう)を召見した後、その「身の長九尺、面黒晴黄、熊腰虎背」を見て、大いに喜んで錦袍金甲を賜い、虎威将軍前部大先鋒に封じた c:2741。

王双(おうそう)は小説においてその並外れた武芸を示した。彼はかつて曹真(そうしん)の命を奉じて撤退する蜀軍を追撃し、魏延(ぎえん)と交戦した。一度の追撃で、王双(おうそう)は二十余里追い、今にも魏延(ぎえん)に追いつくところであった。しかし、小説における王双(おうそう)の結末は史実とは異なる。『演義』第98回において、魏延(ぎえん)は計を設けて王双(おうそう)に追撃を誘い、王双(おうそう)が計に陥ったと気づき、急いで馬を勒して引き返したとき、魏延(ぎえん)が突如として林中から躍り出て、その不意に乗じ、一刀で彼を馬下に斬った c:12642。この筋立ては史実における諸葛亮(しょかつりょう)が「これを破り、双を斬る」という曖昧な記載と比べ、より劇的で細部に富むが、具体的な斬殺者が諸葛亮(しょかつりょう)本人ではなく魏延(ぎえん)であり、かつ斬殺の方法も正面の交鋒ではなくより不意打ちの性質を帯びており、これは明らかに演義の文学的創作である(演義独自)。

主要な関係

* 諸葛亮(しょかつりょう):史実において、王双(おうそう)は諸葛亮(しょかつりょう)の北伐期間の対手であり、最終的に諸葛亮(しょかつりょう)に破られ斬殺された c:2740。『演義』では、王双(おうそう)は曹魏(そうぎ)の大将として、その軍事行動もまた諸葛亮(しょかつりょう)の北伐に向けられたが、最終的に諸葛亮(しょかつりょう)配下の魏延(ぎえん)に殺された(演義独自)。
* 曹魏(そうぎ):王双(おうそう)は曹魏(そうぎ)陣営の将で、曹魏(そうぎ)のために働いた。彼は魏の明帝曹叡(そうえい)から虎威将軍前部大先鋒に封じられ、大将軍曹真(そうしん)の節制を受けた c:2741。
* 曹真(そうしん):『演義』において、曹真(そうしん)は王双(おうそう)の直接の上官かつ推薦者である。曹真(そうしん)は曹叡(そうえい)に王双(おうそう)を推薦し、彼を先鋒に任じて、共に諸葛亮(しょかつりょう)の北伐に対抗させた c:2741。

象徴的な場面

* 諸葛亮(しょかつりょう)を追撃して斬られる:これは王双(おうそう)の史料における最も核心的な出来事である。西暦228年、諸葛亮(しょかつりょう)が糧尽きて陳倉(ちんそう)から撤退したとき、王双(おうそう)が軍を率いて追撃し、結果かえって諸葛亮(しょかつりょう)に破られ斬殺された c:2740。この出来事は魏の明帝曹叡(そうえい)が詔書の中で触れ、諸葛亮(しょかつりょう)の重要な功績とされた c:5884。
* 曹真(そうしん)に推挙され、先鋒に封じられる:『三国(さんごく)演義』において、曹真(そうしん)は魏の明帝曹叡(そうえい)に王双(おうそう)を極力推挙し、彼の武芸が高強で、万夫不当の勇があると称した。曹叡(そうえい)は王双(おうそう)の威猛な姿を見た後、龍顔大いに悦び、即座に彼を虎威将軍前部大先鋒に封じ、曹魏(そうぎ)が蜀漢(しょくかん)に対抗する重要な将とした c:2741(演義独自)。
* 計に陥り魏延(ぎえん)に斬られる:『演義』において、王双(おうそう)は蜀軍を追撃する際、魏延(ぎえん)の敵を誘う計に陥った。彼が寨中に火の起こったのを見出し、急いで引き返したとき、待ち伏せた魏延(ぎえん)が突如として躍り出て、一刀で馬下に斬った c:12642。この場面は王双(おうそう)の勇猛を示すとともに、その勇あって謀なき一面を際立たせ、最終的に魏延(ぎえん)の刀下の亡魂となった(演義独自)。

肖像アーカイブ

人物像

容貌
身の丈九尺、顔は黒く瞳は黄色く、熊のような腰に虎のような背をしていた。
性格
万夫も当たるべからざる勇を持ち、百発百中であった。
武器
六十斤の大刀を使い、二石の鉄胎弓を引き、ひそかに三つの流星鎚を隠し持っていた。
逸話
魏の前部大先鋒であり、千里を征く𩣵馬に乗った。かつて常雕に従って濡須(じゅしゅ)を攻め、後に陳倉(ちんそう)道の入口を守ったが、蜀兵を急追して伏兵にかかり、魏延(ぎえん)に一刀のもとに馬上から斬り落とされた。

人間関係

7 件の関係

台詞

  • 演 ch.98 §10

    「魏延休走!」

登場回5 回 ▸
  • 史ch.33ch.35ch.56
  • 演ch.97ch.98
関係の年表2 条 ▸

史 ch.33

演 ch.97

内面の独白 · AI 生成1 段 ▸
  • 関中の情勢は緊迫し、陳倉(ちんそう)は堅く守られていた。蜀軍は長く城を包囲したが、ついには兵糧が尽きて退却した。私は命を受けて騎兵を率い、追撃した。目にしたのは敵軍の撤退であり、思いを巡らせたのは目の前の一歩だけではなかった。退却の勢いに乗
生涯の大事3 ▸