史実(Historical Record)
王伉は、蜀漢(しょくかん)時代の永昌郡の府丞である。蜀漢(しょくかん)の丞相諸葛亮(しょかつりょう)が南征して叛乱を討伐するさなか、永昌郡の局勢はとりわけ注目に値した。当時、雍闓(ようがい)・高定らの勢力が永昌郡の東北部で動乱を起こしたが、王伉は郡吏の呂凱(りょがい)らと共に、終始忠義を堅く守り、叛軍と通じることなく、極めて高い気節を示した c:5872。
諸葛亮(しょかつりょう)は南征の途上、永昌郡の忠貞な振る舞いを知り、深く感嘆した。彼は後主劉禅(りゅう ぜん)に上表し、呂凱(りょがい)や王伉らが絶域の地で、十余年一日のごとく忠誠を堅く守ったことを特に挙げ、永昌の風俗が敦厚で正直であると称賛した。諸葛亮(しょかつりょう)は、永昌郡が叛乱の四起する時にあってなお安定を保ちえたのは、王伉らの堅守の功が大きいと考えた。そのため、南中の反乱(なんちゅうのはんらん)を平定した後、王伉はその忠誠と貢献によって亭侯に封じられ、永昌太守に任じられて、引き続き一方を鎮守した c:5872。
『蜀世譜』にはさらに、王伉と呂凱(りょがい)の子孫が、後の歴史の変遷の中でも、この忠義の風を受け継いだと記されている。李雄が寧州を攻め破ったときでさえ、呂氏らは従わず、郡を挙げて固守したという状況にあって、王伉らの子孫もなお正節を堅く守り、家族の世代にわたる忠誠と気概を体現した c:5872。王伉の史料における記載は簡潔ではあるが、動乱の時期に節操を堅く守り、蜀漢(しょくかん)政権の安定に重要な役割を果たし、その忠義の挙は諸葛亮(しょかつりょう)の肯定と褒賞を得た。
演義(In the Novel)
『三国(さんごく)演義』において、王伉の姿はさらに形作られ、諸葛亮南征(しょかつりょうなんせい)の壮大な叙事と緊密に結びつけられている。小説は建興三年(西暦225年)、南蛮王孟獲(もうかく)が大挙して侵攻し、建寧太守の雍闓(ようがい)、牂牁太守の朱褒、越嶲太守の高定が次々と孟獲(もうかく)に呼応したのに対し、ひとり永昌太守の王伉が断固として叛かなかったさまを描いている c:5873。
このとき、雍闓(ようがい)・朱褒・高定の三人が部を率いて孟獲(もうかく)と兵を合わせ、共に永昌郡を囲み攻めた。王伉は功曹の呂凱(りょがい)と共に民を組織し、城を死守したが、形勢は危急であった。孔明は南蛮の叛乱を知り、自ら軍を率いて南征することを決めた。孔明が永昌城に到着した後、王伉は城を出て迎え、孔明に呂凱(りょがい)の功労を紹介した c:12593。王伉は小説において、忠誠の象徴であるばかりでなく、諸葛亮南征(しょかつりょうなんせい)初期の重要な支持者かつ情報提供者でもある。彼は南中(なんちゅう)の地理と風俗に深く通じた呂凱(りょがい)を孔明に引き合わせ、諸葛亮(しょかつりょう)が南蛮を平定するための鍵となる助けを提供した c:12593。
小説において、王伉の出番は多くないものの、永昌郡の堅守者として、諸葛亮南征(しょかつりょうなんせい)に重要な戦略的支点を提供し、蜀漢(しょくかん)の軍が滞りなく南中(なんちゅう)の奥地へ深入りすることを可能にした。史実と比べ、小説は王伉の叛乱初期の堅守、そして諸葛亮南征(しょかつりょうなんせい)への直接の貢献をよりいっそう強調し、その姿をより鮮明で英雄的な色彩を帯びたものにしている。
主要な関係
* 蜀漢(しょくかん):王伉は蜀漢(しょくかん)の忠誠な官員であり、永昌郡に在任していた間、節操を堅く守り、叛乱勢力と同流合汚せず、蜀漢(しょくかん)政権の安定に貢献した c:5872。
* 諸葛亮(しょかつりょう):王伉の忠誠は諸葛亮(しょかつりょう)の肯定と褒賞を得た。諸葛亮南征(しょかつりょうなんせい)の間、王伉は永昌太守として諸葛亮(しょかつりょう)に重要な支持を提供し、呂凱(りょがい)を引き合わせ、共に南中(なんちゅう)の叛乱平定を助けた c:12593。
* 呂凱(りょがい):王伉と呂凱(りょがい)は永昌郡の同僚であり、二人は共に城を堅守し、叛乱を防いだ。呂凱(りょがい)は小説において王伉によって諸葛亮(しょかつりょう)に引き合わされ、諸葛亮南征(しょかつりょうなんせい)の重要な助手となった c:12593。
* 雍闓(ようがい)・高定・朱褒・孟獲(もうかく):これらは王伉が対抗した叛乱勢力である。彼らの囲攻の下、王伉は呂凱(りょがい)と共に永昌を堅守し、その忠貞不屈の品質を示した c:5873(演義独自)。
象徴的な場面
* 永昌郡の堅守:雍闓(ようがい)・高定らの叛乱勢力が興ったとき、王伉は永昌府丞(後に太守)として、呂凱(りょがい)らと共に永昌郡を堅守し、叛軍と通じず、蜀漢(しょくかん)への忠誠と堅固な立場を示した。諸葛亮(しょかつりょう)はそのため上表してその「忠を絶域に執ること、十有余年」を称賛した c:5872。
* 諸葛亮(しょかつりょう)を迎えて入城させる:『三国(さんごく)演義』において、諸葛亮(しょかつりょう)の南征が永昌城に到着したとき、王伉は自ら城を出て迎え、諸葛亮(しょかつりょう)に呂凱(りょがい)の功労を紹介し、諸葛亮(しょかつりょう)が南蛮を平定するための重要な情報と人材の支持を提供した c:12593(演義独自)。
* 亭侯と永昌太守に封じられる:叛乱における忠誠の振る舞いと貢献によって、王伉は諸葛亮(しょかつりょう)から朝廷へ報告され、最終的に亭侯に封じられ、永昌太守に任じられて、引き続き一方を鎮守した c:5872。
人間関係
0 件の関係
无
台詞
- 演 ch.87 §11→ 諸葛亮(しょかつりょう)
「某今日得此郡無危者,皆賴永昌不韋人,姓呂,名凱,字季平。皆此人之力。」
登場回2 回 ▸
- 史ch.43
- 演ch.87
内面の独白 · AI 生成1 段 ▸
- 私は王伉(おうこう)、字は詳らかでない。建興年間、南中(なんちゅう)で急に騒乱が起こり、雍闓(ようがい)や高定らが郡を占拠して呼応し、永昌もまた脅かされた。そのとき私に守ることができたのは、郡に古くからある秩序と、民が安らかに暮らすための城