言語
夏

曹魏(そうぎ) · 大都督

夏侯楙(かこう ぼう)

登場回
3
台詞の記録
11
人間関係
5
内面の独白
1

史実(Historical Record)

夏侯楙(かこう ぼう)に関する史料の記載は極めて少なく、正史『三国志(さんごくし)』には独立した伝記がなく、他の人物の伝記においてもほとんど言及がない。したがって、夏侯楙の史実における生涯、官職、功績、さらには具体的な性格の特徴は、いずれも考証のしようがない。これにより、彼の歴史上の人物像は曖昧模糊としており、『三国(さんごく)演義』で与えられた鮮明な役割と強烈な対比をなしている。史書には彼がいかなる重要な軍事行動に参加したことも記載されておらず、いかなる重要な軍政の職務を担ったことにも触れられておらず、ましてや諸葛亮(しょかつりょう)との交戦の記録もない。したがって、史料の観点から見れば、夏侯楙は三国の舞台で活躍した顕赫な人物ではない。

演義(In the Novel)

夏侯楙は『三国演義』において、性急で吝嗇かつ剛愎自用な人物像として造形されている。彼は夏侯淵(かこう えん)の子で、夏侯惇(かこう とん)の養子となり、曹操(そうそう)の娘・清河公主を娶って駙馬となったため、朝廷において相当に敬重されていた。しかし、彼は兵権を握っていたものの、一度も戦陣に臨んだことがなかった。諸葛亮の初めての北伐の際、曹叡(そうえい)が大いに驚くと、夏侯楙は自ら進んで、父の仇を報いると称し、幼少から韜略を学び兵法に深く通じていると自負して、衆議を押し切り、ついには司徒の王朗(おうろう)を叱責し、王朗は「諸葛亮と結託して内応せんとしている」とまで考えた。曹叡はそこで彼を大都督に任じ、関西の諸路の軍馬二十余万を調えて諸葛亮を迎え撃たせた。

夏侯楙の軍事的才能は、小説において極めて平凡に描かれている。彼は趙雲(ちょううん)に対し、まず韓徳(かんとく)父子を出戦させたが、結果として韓徳の四子および韓徳自身も皆趙雲に斬り殺された。夏侯楙は自ら陣前に臨み、趙雲の神勇を見て怯む心が生じ、参軍の程武(ていぶ)の計を採用し、伏兵を設けて敵を誘ったが、趙雲に見破られ、再び敗退した。その後、諸葛亮は夏侯楙の無能と軽信を利用し、反間の計を設けた。彼はまず偽って夏侯楙を釈放し、彼に姜維(きょうい)を招降させた。夏侯楙はこれを真に受け、逃亡の途中で百姓に出会い、姜維がすでに蜀に降ったと知り、天水城へと駆けつけた。諸葛亮はさらに人を遣わして姜維に扮させ城下で名乗らせ、夏侯楙に姜維が本当に蜀漢(しょくかん)に投降したと誤認させ、もって彼の姜維への疑いを深めさせた。最終的に、諸葛亮は姜維の計を用い、城中に射込んだ密書によって、馬遵(ばじゅん)に梁緒、尹賞(いんしょう)が姜維と通じていると疑わせ、二人を殺そうとさせた。梁緒、尹賞は自保のため、そこで城門を開いて投降し、夏侯楙と馬遵は驚き慌てて、城を棄てて羌中へと逃げた。諸葛亮は夏侯楙を「一羽の鴨を放つようなものだ」と評し、姜維を「一羽の鳳だ」と評しており、夏侯楙が諸葛亮の心の中で占める地位の低さがうかがえる。

主要な関係

* 曹魏(serves):夏侯楙は曹魏(そうぎ)の駙馬で、曹叡に重用され、大都督に任じられ、関西の諸路の軍馬を統べて蜀漢を迎え撃った。しかし、彼の無能が最終的に曹魏の北伐初期の失利を招いた。(演義独自)
* 馬遵(friend_of):夏侯楙が諸葛亮に釈放された後、彼は天水城へ逃げ、太守の馬遵に受け入れられた。二人はともに諸葛亮の計略に立ち向かい、最終的にともに城を棄てて羌中へ逃げた。(演義独自)
* 諸葛亮(opponent):夏侯楙は諸葛亮の北伐(諸葛亮)(ほくはつ(しょかつりょう))初期の主要な敵手として、その無能と軽信が諸葛亮が計略を施す絶好の対象となった。諸葛亮は彼を利用して姜維を見事に帰服させ、天水、南安、安定の三郡を攻め取った。(演義独自)
* 趙雲(opponent):夏侯楙は戦場で趙雲と交戦し、趙雲の勇猛さを目の当たりにし、これによって恐怖を感じ、「かくのごとくでは敵う者がいない」と考えた。(演義独自)
* 姜維(opponent/instrument):夏侯楙は諸葛亮が姜維を帰服させる鍵となる人物である。諸葛亮は夏侯楙の軽信と馬遵の姜維への疑いを利用し、姜維と魏軍の関係を見事に離間させ、最終的に姜維を蜀漢に投降させた。(演義独自)

象徴的な場面

* 自ら出征を請い、王朗を叱責する:夏侯楙は曹叡の前で自ら進んで、兵を率いて諸葛亮を迎え撃つことを求めた。司徒の王朗の諫言に対し、彼は聞き入れないばかりか、かえって王朗を「諸葛亮と結託して内応せんとしているのではないか」と怒鳴りつけ、諸葛亮を生け捕りにすると豪語した。この場面は彼の性急で剛愎自用な性格を十分に示し、後の失敗への伏線ともなった。(演義独自)
* 鳳鳴山の前で趙雲に敗れる:夏侯楙は自ら大軍を率いて鳳鳴山の前で趙雲を迎え撃った。彼は趙雲が韓徳を斬り殺し、まっすぐ自分に向かってくるのを目にし、慌てて本陣に逃げ込んだ。この戦いは彼の軍事的無能を露呈させただけでなく、趙雲の勇猛さに深い印象を残させた。(演義独自)
* 計にかかって捕らえられ、諸葛亮の「鴨を放つ」:夏侯楙は南安城中で諸葛亮の反間の計にかかり、関興(かんこう)、張苞(ちょうほう)に生け捕りにされた。諸葛亮は彼を殺さず、かえって衣服や鞍馬を与え、彼を放って姜維を招降させ、彼を「一羽の鴨だ」と称し、「一羽の鳳」である姜維と鮮やかな対比をなした。この場面は諸葛亮の智謀の体現であり、夏侯楙の取るに足りなさをさらに際立たせた。(演義独自)
* 城を棄てて羌中へ逃げる:諸葛亮の一連の計略の運用のもと、天水城内の梁緒、尹賞が城を開いて投降した。夏侯楙と馬遵は驚き慌てふためき、数百人を率いて西門から逃げ出し、最終的に羌中へと逃げた。これは彼の軍事上の完全な失敗を象徴し、『三国演義』における彼の主要な出番をも終わらせた。(演義独自)

人間関係

5 件の関係

名言

全 11 件の台詞 · 厳選 3 件

「臣父死於漢中,切齒之恨,未嘗得報。今蜀兵犯境,臣願引本部猛將,更乞陛下賜關西之兵,前往破蜀,上為國家效力,下報父讎,臣萬死不恨!」

演 第91回→ 曹叡(そうえい)📍 洛陽(らくよう)

この言葉は夏侯楙(かこう ぼう)の出陣を願い出る決意を体現し、その人物像を形作っている。

「司徒莫非結連諸葛亮欲為內應耶?吾自幼從父學習韜略,深通兵法,汝何欺我年幼?吾若不生擒諸葛亮,誓不回見天子!」

演 第91回→ 王朗(おうろう)📍 洛陽(らくよう)

この一句は夏侯楙(かこう ぼう)の傲慢で自信過剰な性格を示し、その典型的な姿を映し出している。

「吾久聞趙雲之名,未嘗見面;今日年老,英雄尚在,方信當陽長阪之事。似此無人可敵,如之奈何?」

演 第92回

この言葉は趙雲(ちょううん)の勇猛さを側面から際立たせ、同時に夏侯楙(かこう ぼう)のどうしようもなさをも映し出している。

登場回3 回 ▸
  • 演ch.91ch.92ch.93
関係の年表1 条 ▸

演 ch.93

内面の独白 · AI 生成1 段 ▸
  • 私は命を受けて関西の諸軍を統べ、長安(ちょうあん)から出て敵を迎えた。朝廷で、私は父が漢中(かんちゅう)で死んだと語り、この恨みはまだ晴らしていないと言った。その言葉には、君主への忠誠と国への報恩がある一方、隠しきれない私怨もあった。叡主は
生涯の大事1 ▸