言語
魯粛(ろしゅく)

孫権集団(そんけんしゅうだん) · 都督

魯粛(ろしゅく)

字 子敬

登場回
24
台詞の記録
126
人間関係
31
内面の独白
3

史書の記録(Historical Record)

魯粛(ろしゅく)、字は子敬、臨淮東城の人。彼は幼くして父を亡くし、祖母と互いに頼り合って暮らした。魯粛は家が裕福であったが、性格は豪放で、善を楽しみ施しを好んだ。天下が大いに乱れたとき、彼は家財を散じ、田地を売り払い、広く貧困者に施し、豪傑と交わって、郷里の人心を深く得た c:4357。周瑜(しゅうゆ)が居巣長を務めていたとき、かつて魯粛に糧草を求めたところ、魯粛は慷慨して自家の二囷の米のうち一囷(各三千斛)を周瑜に贈り、周瑜はこのため彼をいっそう重んじ、二人は莫逆の交わりを結んだ c:4357。袁術(えんじゅつ)はかつてその名を聞き、彼を東城長に任じたが、魯粛は袁術の綱紀が廃弛しており、ともに大事を謀るに足りないことを察し、家族を連れ、軽侠の少年百余人を率いて南下し、周瑜に身を投じた c:4357。

孫策(そん さく)が没した後、孫権(そん けん)が継いだ。魯粛は孫権の配下に招かれ、賓客となった c:6843。孫権と魯粛は初めて会うや、相談じて大いに喜び合った。ある私的な談話の中で、魯粛は孫権に有名な「榻上策(とうじょうさく)」を提起し、孫権に漢の高祖に倣い、江東に鼎足し、天下の変を観望し、さらに黄祖(こうそ)を剿滅し、劉表(りゅう ひょう)を攻伐して、長江全域を占拠し、最終的に帝を称して天下を図ることを進言した c:6845。孫権はこれに深く賛同し、魯粛の謀略が自分と図らずも一致すると考えた。張昭(ちょうしょう)らは魯粛が年若く粗忽であり、重用すべきでないと考えたが、孫権は意に介さず、かえって魯粛をいっそう重んじ、その母を厚遇した c:6845。

建安十三年(208年)、曹操(そうそう)の大軍が南下し、劉琮(りゅうそう)が投降した。劉備(りゅうび)が慌てて南へ逃れると、魯粛は孫権の命を受けて夏口(かこう)へ赴き、当陽(とうよう)の長阪で劉備と出会い、孫権が連合して曹操に抗する意図を説き明かし、劉備に孫権と力を併せるよう説いた c:4358。この間、魯粛は諸葛亮(しょかつりょう)と知り合い、友となった c:4358。赤壁の戦い(せきへきのたたかい)の前、諸将が皆曹操への投降を主張したとき、ただ魯粛だけが衆議を排して断固として主戦した。彼は孫権を追いかけ、利害を諭し、もし孫権が投降すれば、帰り着く所がなくなるが、自分たち下属はなお郷党や官職を保つことができると指摘した。孫権はこれを聞いて深く納得し、魯粛の言が自分の思うところと同じであると感嘆した c:6846。魯粛はまた孫権に周瑜を召し戻すよう力説し、賛軍校尉に任じられて、周瑜の方略の謀画を補佐した c:6846。赤壁の戦いの後、魯粛は功によって孫権から大いに褒められ、漢昌太守・偏将軍に任じられた c:6846。

周瑜が病重のとき、かつて孫権に上疏し、魯粛に自分の後を継がせるよう推薦し、その「智略は任に足る」と称した c:6847。孫権は周瑜の進言を採用し、魯粛を奮武校尉に任じ、周瑜に代わって軍を統べさせ、周瑜の四千の士卒と四県の封邑を継がせた c:6847。魯粛は陸口に駐屯し、威恩を遠く及ぼし、部衆は一万余人に増えた c:6847。劉備はかつて孫権に荊州(けいしゅう)を借りることを求め、魯粛は孫権にこれを貸し出すよう力説し、この挙が孫権のために曹操に対抗する盟友を樹立できると考えた c:6847。後に、劉備が益州(えきしゅう)を占拠した後、孫権は呂蒙(りょもう)を派遣して長沙(ちょうさ)・零陵(れいりょう)・桂陽郡(けいようぐん)の三郡を攻め取らせた。魯粛は関羽(かんう)と益陽(えきよう)で対峙し、かつて関羽を単刀赴会(たんとうふかい)に招き、面と向かって関羽が信義に背き、荊州を返還しないことを叱責した c:4359。魯粛は建安二十二年(217年)に没し、享年四十六であった。孫権は彼のために哀を挙げ、その葬礼に参列した c:4359。

演義の中(In the Novel)

『三国演義』における魯粛は、その人物像が大きく史実における忠厚な長者、深謀遠慮の特質を受け継いでいるが、一部の筋立ての増減を通じて、その「お人好し」の人物像をいっそう際立たせ、しばしば諸葛亮の智慧の引き立て役となっている。演義では、魯粛は初めて登場するや周瑜によって孫権に引き合わされ、史実と類似した「榻上策」を提起して、その戦略的眼識を示した c:4360。

赤壁の戦いの前、魯粛は孫権に派遣されて江夏(こうか)へ赴き劉表を弔ったが、実は虚実を探り、劉備に孫権と連合して曹操に抗するよう説くためであった c:4361。彼は諸葛亮と出会い、諸葛亮の才智に感服した c:15693。孫権を説いて曹操に抗させる過程において、魯粛は重要な仲介者の役割を演じた。彼は孫権に諸葛亮を引き合わせ、たびたび孫権の前で曹操に抗することを主張し、張昭らの投降論を論駁した c:15704。周瑜が初めて諸葛亮に会ったとき、魯粛はかつて諸葛亮に曹操の兵が多いことに触れぬよう言い含めたが、諸葛亮はかえって逆に行い、孫権を激怒させた。魯粛はこのために諸葛亮を責めたが、諸葛亮は笑って、自分には曹操を破る計があり、ただ孫権が問わなかっただけだと言った c:4365。

演義では、魯粛はたびたび周瑜と諸葛亮の智謀の交鋒の証人であり参加者となる。たとえば、周瑜が諸葛亮を殺そうと謀ったとき、魯粛はしばしば取りなす役割を演じ、あるいは諸葛亮が陥れられるのを見るに忍びず、ひそかに注意を促した c:4371。「草船借箭(そうせんしゃくせん)」や「苦肉計(くにくけい)」などの筋立てにおいて、魯粛はいずれも周瑜に利用されて、諸葛亮を試したが、最終的にはいずれも諸葛亮の智謀がいっそう勝ることで終わった c:6852。これらの筋立ては見事ではあるが、史実には明確な記載がなく、人物像を造形し筋立てを推進するために演義が行った芸術的創作である。

「単刀赴会」の筋立てにおいても、演義は改編を行っている。史実では魯粛は関羽と益陽で会見し、魯粛は面と向かって関羽を叱責した。一方、演義では、魯粛はより慎重に描かれ、関羽の武力を恐れて、周瑜に軽々しく劉備に手を出さぬよう説いている c:15727。これらの細部の改変によって、演義における魯粛の人物像はいっそう肉付けされ、史実における忠厚で正直な面に加え、いくらかのお人好しで善良な、さらにはいくぶん「不器用」な愛らしさが添えられている。

重要な関係

* 孫呉(serves):魯粛は孫呉政権の重要な謀士であり将であり、孫権の基業の安定と発展に多大な貢献をした。彼が提起した「榻上策」は孫権のために雄大な戦略の青写真を描いた c:6845。
* 周瑜(friend_of):魯粛と周瑜は莫逆の交わりであり、二人の友情は深かった。周瑜はかつて孫権に魯粛が自分の職位を継ぐよう力説して推薦した c:6847。演義では、魯粛はたびたび周瑜と諸葛亮の間を周旋し、矛盾を調和させようとしたが、しばしば周瑜に「利用」されて諸葛亮を試した c:4371。
* 孫権集団(serves):魯粛は孫権集団の核心的な一員であり、孫権に深く重んじられた。彼は赤壁の戦いの前に曹操に抗することを力説し、戦後は周瑜に代わって大軍を統べ、一方を鎮守した c:6846。
* 諸葛亮(friend_of):魯粛と諸葛亮は連合して曹操に抗することによって知り合い、友となった c:4358。演義では、魯粛は諸葛亮の才智の証人であり引き立て役であり、たびたび諸葛亮に「からかわれ」あるいは「利用」されたが、最終的にはいずれも諸葛亮に大いに感服した c:6852。
* 龐統(friend_of):魯粛はかつて劉備に龐統(ほうとう)を推薦し、龐統が「百里の才」ではなく、より重要な職に任じるべきだと考えた c:4356。
* 劉備(ally):魯粛は孫劉同盟の積極的な推進者であり維持者であった。彼は孫権に荊州を劉備に貸し出し、共同で曹操に対抗するよう力説した c:6847。演義では、彼はたびたび孫劉両家の使者として往来し、同盟関係の維持に尽力した。

象徴的な場面

* 榻上策:魯粛は孫権に「榻上策」を提起し、孫権のために江東に鼎足し、さらに天下を図る戦略の青写真を描き、その卓越した戦略的眼識を示した c:6845。
* 曹操への抗戦を力説:赤壁の戦いの前、曹操の大軍が境に迫り、諸将が皆投降を主張するなか、魯粛は衆議を排して、断固として孫権に曹操への抗戦を説き、首尾よく孫権を説得して、赤壁の戦いの勝利の基礎を築いた c:6846。
* 諸葛亮を推薦:魯粛は赤壁の戦いの前、諸葛亮を孫権に引き合わせ、孫劉同盟の成立を促し、共同で曹操に対抗させた c:4358(演義独自。史実では諸葛亮は劉備が派遣した使者である)。
* 単刀赴会:魯粛は関羽と益陽で会見し、面と向かって関羽が荊州を返還しないことを叱責し、その剛直で道理に基づいて争う性格を示した c:4359。
* 周瑜の臨終の託孤:周瑜が病重のとき、孫権に魯粛が自分の職位を継ぐよう推薦し、周瑜が魯粛に寄せた信任と重視がうかがえる c:6847。
* 「荊州の借用」の周旋:劉備が荊州を借りる問題において、魯粛は孫権にこれを貸し出すよう力説し、たびたび孫劉両家の間で斡旋し、同盟関係の維持に尽力した c:6847。
* 「草船借箭」における「お人好し」:演義では、魯粛は周瑜に利用されて諸葛亮を試したが、諸葛亮はとうに見抜いており、逆に魯粛を利用して「草船借箭」の壮挙を成し遂げ、魯粛はこの筋立てにおいていくぶん「不器用」で「お人好し」に描かれている c:6852(演義独自)。

肖像アーカイブ

人物像

性格
魯粛(ろしゅく)は性質として施しを好み、方正で厳格、飾り立てることは少なく、内も外も倹約し、慷慨にして度量が大きく、胸に韜略を秘めていた。彼は実務的で忠誠であり、大局を見抜き、是非を明らかに弁え、また帝王の資質を論じ、劉備(りゅうび)と連合して曹操(そうそう)に抗することを主張した。
話し方
魯粛は大計を率直に述べ、談論に巧みで、文辞を綴ることができ、思慮は広く遠かった。彼は利害を率直に述べ、篤厚でありながら遠謀を持ち、また常に平明に事を叙し、他人の言葉をそのまま伝えた。
生涯
魯粛は臨淮東城の人で、生まれてすぐに父を失い、祖母とともに暮らし、家は財に富んでいた。彼はかつて三千斛の米を蓄えた囷の一つをまるごと周瑜(しゅうゆ)に贈り、撃剣や騎射を好んだ。建安二十二年に卒し、享年四十六。
逸話
魯粛は東呉の謀士であり、かつて賛軍校尉・奮武校尉・漢昌太守・偏将軍・横江将軍などの職を務めた。彼はかつて命を奉じて劉表(りゅう ひょう)の二子を弔うことを進言し、また赤壁の戦い(せきへきのたたかい)において曹操に抗することを主張した。

人間関係

31 件の関係

名言

全 126 件の台詞 · 厳選 3 件

「昔漢高祖欲尊事義帝而不獲者,以項羽為害也。今之曹操可比項羽,將軍何由得為桓、文乎?肅竊料漢室不可復興,曹操不可卒除。為將軍計,惟有鼎足江東以觀天下之釁。今乘北方多務,剿除黃祖,進伐劉表,竟長江所極而據守之。然後建號帝王,以圖天下,此高祖之業也。」

演 第29回

これは魯粛(ろしゅく)の有名な『榻上策(とうじょうさく)』であり、孫劉同盟と天下三分の構図を築いた。

恰纔眾人所言,深誤將軍。眾人皆可降曹操,惟將軍不可降曹操。

演 第43回→ 孫権(そん けん)

この言葉は孫権(そん けん)に曹操への対抗を勧め、利害を明らかにし、魯粛(ろしゅく)の戦略的先見と忠誠を示している。

「不然。君侯始與皇叔同敗於長阪,計窮力竭,將欲遠竄,吾主矜愍皇叔身無處所,不愛土地。使有所託,足以圖後功;而皇叔愆德隳好,已得西川,又占荊州,貪而背義,恐為天下所恥笑。惟君侯察之。」

演 第66回→ 関羽(かんう)

この一句は、魯粛(ろしゅく)が人を見抜き適材を用い、龐統(ほうとう)を推挙して劉備(りゅうび)の補佐へと導いたことを示している。

登場回24 回 ▸
  • 史ch.35ch.37ch.47ch.53ch.54
  • 演ch.29ch.42ch.43ch.44ch.45ch.46ch.47ch.48ch.49ch.51ch.52ch.53ch.54ch.56ch.57ch.58ch.66ch.67ch.69
関係の年表31 条 ▸

史 ch.37

史 ch.54

演 ch.29

演 ch.42

演 ch.43

演 ch.44

演 ch.46

演 ch.47

演 ch.49

演 ch.51

演 ch.52

  • advises_in

    劝阻起兵:方与曹操相持,自家不可互相吞併;自请亲见玄德将理来说

演 ch.53

演 ch.54

演 ch.56

演 ch.57

演 ch.58

演 ch.66

内面の独白 · AI 生成3 段 ▸
  • 今夜、長江のほとりに立つと、陸口から風が吹き、灯火が揺れている。私は呉臣として、一城一地の得失だけに思いをとどめてはならない。かつて曹操(そうそう)が東へ進もうとしたとき、迎え入れるべきだという意見が多かったが、私はただ一人、主君は迎えるべ
  • 赤壁(せきへき)の激戦の後も、江上には戦火の煙がまだ立ちこめ、軍中のあらゆる事柄は、なお弦にかかった矢のように緊迫していた。あの頃、初めて主君にまみえ、寝台の前で酒を酌み交わした時のことを、私はよく思い返す。申し上げたのは、乱世を乗り切るた
  • 私は魯粛(ろしゅく)、字は子敬(しけい)である。若い頃を思い返せば、漢王朝は名目上なお存続していたものの、天下にはすでに次第に騒乱が増えていた。世の情勢が変わろうとしている以上、ただ門を閉ざして田畑を守り、わずかな財を勘定していれば身を安ん
生涯の大事20 ▸
  1. 0200-01-01 · 呉県(ごけん)
    孫権の継位(そんけんのけいい)· 軍師
  2. 榻上策(とうじょうさく)· 軍師
  3. 七星壇の祭風(しちせいだんのさいふう)· 目撃者
  4. 周瑜都督就任(しゅうゆととくしゅうにん)· 軍師
  5. 孫権の抗曹決断(そんけんのこうそうけつだん)· 軍師
  6. 江東の抗曹決策(こうとうのこうそうけっさく)· 軍師
  7. 舌戦群儒(ぜっせんぐんじゅ)· 目撃者
  8. 0208-01-01 · 長江赤壁段
    草船借箭(そうせんしゃくせん)· 目撃者
  9. 諸葛亮の東呉への出使(しょかつりょうのとうごへのしゅっし)· 軍師
  10. 赤壁の戦い(せきへきのたたかい)· 軍師
  11. 魯肅當陽會劉備· 首謀者
  12. 劉備の呉入り(りゅうびのごいり)· 軍師
  13. 荊州の借用(けいしゅうのしゃくよう)· 軍師
  14. 周瑜の假途滅虢(しゅうゆのかとめっかく)· 軍師
  15. 周瑜、巴丘に病没(しゅうゆ、ばきゅうにびょうぼつ)· 目撃者
  16. 龐統の蜀帰参と将軍任命(ほうとうのしょくきさんとしょうぐんにんめい)· 軍師
  17. 魯肅討荊州· 首謀者
  18. 単刀赴会(たんとうふかい)· 首謀者
  19. 孫呉の荊州三郡奪取(そんごのけいしゅうさんぐんだっしゅ)· 軍師
  20. 益陽の単刀会(えきようのたんとうかい)· 首謀者