
史載(Historical Record)
関羽(かんう)は、字を雲長といい、本字は長生、河東解の人である。禍いを避けて涿郡(たくぐん)へ亡命し、後に劉備(りゅうび)に従った。劉備が郷里で徒衆を集めた際、関羽は張飛(ちょうひ)とともにその守りとなった。劉備が平原(へいげん)の相となった時、関羽と張飛は別部司馬に任命され、それぞれ部曲を統率した。劉備は二人と兄弟のごとき情で結ばれ、寝るときは床を同じくし、また衆人の広座の場においても、関羽と張飛は終日侍立し、劉備に従って周旋し、艱険を避けなかった。
建安五年(200年)、曹操(そうそう)が東征して劉備を伐ち、劉備は袁紹(えんしょう)のもとへ奔った。曹操は関羽を擒えた後、彼を偏将軍に拝し、これを甚だ手厚く遇した。同年、袁紹は大将の顔良(がんりょう)を遣わして東郡太守の劉延を白馬(はくば)に攻めさせた。曹操は張遼(ちょうりょう)と関羽を先鋒として敵を撃たせた。関羽は顔良の麾蓋を望み見ると、万衆の中に馬を策って顔良を刺殺し、その首級を斬って帰り、袁紹の諸将は誰一人これを防ぐことができず、白馬の囲みはこうして解かれた。曹操は表を上って関羽を漢壽(かんじゅ)亭侯に封じた。曹操は関羽に長く留まる意のないことを素より知っており、かつて張遼を遣わして探りを入れさせた。関羽は、劉備の厚恩を受け、共に死すことを誓っており、背くことを望まず、必ず功を立てて曹操に報いた後に去ると率直に言った。曹操はこれを聞き、彼が必ず去ることを知って、重ねて賞賜を加えた。関羽は賜ったものをことごとく封じ、書を残して別れを告げ、袁紹のもとへ奔って劉備と合流した。曹操の左右は追おうとしたが、曹操は「彼は各々その主のためにするのだ、追うな」と言い、その義を全うさせた。
建安二十四年(219年)、劉備は自ら漢中(かんちゅう)王を称し、関羽を前将軍に拝し、節鉞を仮した。同年、関羽は衆を率いて曹仁(そうじん)を樊城(はんじょう)に攻め、曹操は于禁(うきん)を遣わして戦いを助けさせた。時あたかも秋の大霖雨に遭い、漢水(かんすい)が氾濫し、于禁の督する七軍はみな水没した。于禁は関羽に降り、関羽はまた将軍の龐徳(ほうとく)を斬殺した。関羽の威名は華夏を震わせ、梁・郟・陸浑などの地の群盗は、あるいは遥かにその印号を受け、その党羽となった。曹操は一時、その鋒を避けるために遷都を考えたが、司馬懿(しばい)と蔣済(しょうせい)は、孫権(そん けん)が必ずや関羽の志を得るのを喜ばないと考え、曹操に孫権を説いて背後から関羽を襲わせ、江南を割いて孫権に封ずると約束すれば、樊城の囲みは自ずと解けると進言した。曹操はこの計を採り入れた。
これに先立ち、孫権はかつて使者を遣わしてその子のために関羽に婚を求めたが、関羽は使者を罵り、婚を許さず、孫権はこれによって大いに怒った。南郡(なんぐん)太守の糜芳(びほう)と将軍の士仁は公安を守っていたが、素より関羽が彼らを軽んじることを不満に思っていた。関羽が出兵した際、糜芳・士仁は軍資の供給に力を尽くさず、関羽は「帰ったら必ずこれを治める」と言い放ち、二人は恐れて不安を抱いた。そこで孫権はひそかに糜芳・士仁を誘って降らせ、二人はついに孫権を迎え入れた。曹操は徐晃(じょこう)を遣わして曹仁を救援させ、関羽は勝つことができず、軍を引いて退いた。この時、孫権はすでに江陵(こうりょう)を占拠し、関羽の士卒の家属をことごとく俘虜とし、関羽の軍はこうして潰散した。孫権は将領を遣わして臨沮で関羽を迎え撃ち、関羽およびその子関平(かんぺい)を斬殺した。建安二十五年(220年)正月、孫権は関羽の首級を洛陽(らくよう)へ送った。劉禅(りゅう ぜん)は関羽を壮繆侯と追諡した。
演中(In the Novel)
『三国(さんごく)演義』では、関羽の形象はより多くの伝奇的色彩と忠義の精神を与えられている。彼は初登場の際、「身の丈九尺、髯の長さ二尺。面は熟棗のごとく、唇は脂を塗ったるがごとし。丹鳳の眼、臥蚕の眉。相貌は堂々として、威風は凛々たり」という形象で姿を現す。彼は、郷里の河東解良(かとうかいりょう)で勢いを恃んで人を凌ぐ豪強を殺し、江湖に亡命したと自ら述べ、後に義兵を募って賊を破ると聞いて、わざわざ応募に来たという。
劉備、張飛と桃園で義を結び、「同年同月同日に生まれることを求めず、ただ同年同月同日に死せんことを願う」と誓い、その忠義の礎を定めた。黄巾軍(こうきんぐん)を討伐した際、関羽は張飛とともに劉備を助け、非凡な武芸を示した。「温酒斬華雄」の一節では、関羽はさらに驚くべき速さと武力をもって、酒のなお温かいうちに華雄(かゆう)を斬殺し、十八路の諸侯を瞠目させた。これは演義独自の筋立てで、史に明確な記載はない。
演義では、関羽の劉備への忠誠が繰り返し強調される。曹操が降将の張遼を殺そうとした時、関羽は劉備とともに助命を請い、命をもって張遼の忠義を保証した。劉備が曹操に挟制された際、関羽はかつて曹操を斬ろうとしたが、劉備に止められ、兄への絶対の服従を体現した。「千里走単騎」の筋立てでは、関羽は劉備を尋ねるために、決然と曹操に別れを告げ、五関を過ぎて六将を斬り、その堅固な信念と超凡の武力を示した(演義独自)。
演義はまた、関羽の驕りと自負をも描いている。劉備が漢中王に封ぜられた後、費詩(ひし)を遣わして関羽を前将軍に拝した。関羽は黄忠(こうちゅう)もまた後将軍に封ぜられたことを知ると、怒って「大丈夫はついに老兵と列を同じくせず」と言い、拝命を肯んじなかった。費詩の説得を経て、関羽はようやく大いに悟り、任命を受け入れた。これは史実における関羽の孫権への軽慢な態度と呼応し、また彼の後の敗亡の伏線を張っている。
重要な関係
* 劉備(serves):関羽は劉備と兄弟のごとき情で結ばれ、寝るときは床を同じくし、恩は兄弟のごとくであった。彼は死を誓って劉備に従い、離れず捨てず、曹操の厚遇のもとにあっても、なお心は劉備に繋がり、ついには曹に別れを告げて劉に帰した。劉備もまた関羽を極めて信頼し、かつて「孤に孔明あるは、なお魚に水あるがごとし」と言った時、関羽・張飛の不快をも鎮めた。
* 張飛(brother):劉備、関羽と桃園で義を結び、手足のごとき情で結ばれた。三人は生死を共にし、艱険を避けなかった。張飛はかつて酒に酔って城を失い、自刎して罪を謝そうとしたが、劉備と関羽に諫め止められた。
* 曹操(serves, enemy_of):劉備が袁紹のもとへ奔った後、関羽はかつて曹操に降り、曹操はこれを甚だ手厚く遇し、偏将軍に拝し、漢壽亭侯に封じた。関羽もまた曹操のために顔良を斬殺し、白馬の囲みを解いた。しかし、関羽の心は劉備に繋がり、ついには曹に別れを告げて劉に帰した。後に、関羽は樊城の戦いで華夏に威を震わせ、曹操は一時その鋒を避けるために遷都を考えた。
* 顔良(enemy_of):白馬の戦い(はくばのたたかい)において、関羽は万衆の中に馬を策って顔良を刺殺し、その首級を斬って帰った。
* 孫権(enemy_of):関羽はかつて孫権がその子のために婚を求めたことに対し、使者を罵り、婚を許さず、孫権はこれによって大いに怒った。ついに、孫権は関羽が樊城を攻める隙に乗じて荊州(けいしゅう)を襲い取り、将領を遣わして臨沮で関羽およびその子関平を斬殺した。
* 呂布(enemy_of):演義では、関羽は呂布(りょふ)と幾度も交戦した。虎牢関の戦いでは、関羽はかつて張飛・劉備とともに三人で呂布と合戦した(演義独自)。徐州(じょしゅう)の争奪では、関羽はかつて劉備に従って呂布と周旋したが、呂布の無義に多く不満を抱いた。
* 龐徳(enemy_of):樊城の戦いにおいて、龐徳は関羽と交戦し、かつて関羽の前額を射当てた。後に水淹七軍(すいえんしちぐん)によって龐徳は擒えられ、死すとも降らず、関羽に殺された。
象徴的な場面
* 桃園の誓い(とうえんのちかい):劉備、関羽、張飛の三人は桃園で香を焚いて再拝し、異姓の兄弟と結び、心を同じくして力を協わせ、困を救い危を扶け、同年同月同日に生まれることを求めず、ただ同年同月同日に死せんことを願うと誓った(演義独自)。
* 温酒斬華雄:関羽は十八路の諸侯が会盟して董卓(とう たく)を討つ時、帳前に戦いを請い、「酒を且く斟いでおけ、某は行ってすぐに帰る」と言い、帳を出て速やかに華雄を斬殺し、その首級を提げて帰ったが、この時、酒はなお温かかった(演義独自)。
* 白馬の囲み、顔良を斬る:関羽は曹操の先鋒として、万軍の中に袁紹の大将顔良を斬殺し、白馬の囲みを解いた。
* 千里走単騎:関羽は劉備を尋ねるために、曹操に別れを告げ、五関を過ぎて六将を斬り、ついに劉備と合流した(演義独自)。
* 水淹七軍、于禁を擒え龐徳を斬る:関羽は軍を率いて樊城を攻め、大雨に遭って漢水が氾濫し、曹軍の七軍を水に淹し、于禁を擒え、龐徳を斬り、華夏に威を震わせた。
* 大意失荊州:関羽が樊城を攻めた際、孫権が虚に乗じて入り込み、荊州を襲い取った。関羽は退いて麦城(ばくじょう)を守り、ついに臨沮で孫権の部将に迎え撃たれて殺された。
* 刮骨療毒(かっこつりょうどく):関羽の腕に矢が当たり、華佗(かだ)がそのために刮骨療毒を施したが、関羽は顔色も変えず、馬良(ばりょう)と碁を打っていた(演義独自)。
* 単刀赴会(たんとうふかい):関羽は魯粛(ろしゅく)の宴に招かれ、ただ一刀を携えて会に赴き、毫も懼れる色がなかった(演義独自)。
肖像アーカイブ
人物像
- 容貌
- 関羽(かんう)は身の丈九尺、髯の長さ二尺、顔は熟した棗のごとく、唇は脂を塗ったよう、丹鳳の眼、臥蚕の眉、容貌は堂々として威風凛々たり。彼は常に左手で髯をしごき、灯下で几に凭れて書を読み、赤ら顔に長い髯をたくわえ、髯袋を解いて長い髯を出して裴元紹(はいげんしょう)に見せ、神威凛々たるさまであった。
- 性格
- 関羽は兵卒には手厚く接するが士大夫には驕り、面目を重んじて義に篤く、剛毅にして自らを恃み、勇にして沈着、戦に臨んでも泰然としていた。彼は義気が深く重く、人を見分ける眼を持ち、烈しく真っ直ぐで忠義であり、君を欺き上を罔うことを見ては忍ぶことができず、落ち着いて度量があった。関羽は旧主を忘れず、忠義に決然とし、思慮は周到で謀は深く、自負して傲然と烈しく驕り、旧きを労わり、死を恐れぬこと帰するがごとくであった。
- 話し方
- 関羽の言葉は簡潔にして剛毅、自負して義を重んじ、恩を念じて本に報い、簡潔で厳しく鋭く、軍令状を立てては丈夫に引けを取らなかった。彼は正論をもって人を感動させ、直截な言葉で問い質し、事実に即して直言し、飾りは少なく、人に対しては己を軽んじ義を重んじた。関羽はしばしばみずからを「関某」「吾」と称し、短い言葉で直諫し、慎重に疑問を呈し、藺相如(りんしょうじょ)の澠池の会になぞらえ、豪気は人に迫り、自尊にして高慢、常に「大丈夫」と称した。
- 生涯
- 関羽は河東解県の人で、もとの字は長生、人を殺して難を逃れて涿郡(たくぐん)に至り、劉備(りゅうび)・張飛(ちょうひ)と義兄弟の契りを結んだ。彼はかつて下邳(かひ)を守り、曹操(そうそう)に捕らえられて曹操に帰属し、後にまた逃れて劉備のもとへ帰った。関羽はかつて江陵(こうりょう)に駐屯し、曹仁(そうじん)を攻め、于禁(うきん)を樊で生け捕りにして威は華夏を震わせたが、後に孫権(そん けん)に襲われて殺された。
- 武器
- 関羽の武器は長刀で、青龍偃月刀とも名づけられ、重さ八十二斤、また「冷艶鋸」あるいは「宝刀」とも称された。
- 逸話
- 関羽はかつて劉備(りゅうび)に官を捨てて別の道を図るよう勧め、たびたび劉備と張飛(ちょうひ)の間を取りなした。彼はかつて許田の狩場で曹操(そうそう)を刺そうとし、夜襲して車冑(しゃちゅう)を斬り、後に華容道(かようどう)で義によって曹操を見逃した。関羽はかつて黄忠(こうちゅう)が後将軍となったことを怒って拝命を受けようとせず、麦城(ばくじょう)で囲まれ、最期は屈せずに殺され、死後もその英魂は消え散らなかった。
人間関係
141 件の関係
親族13
君臣8
友人15
敵対40
師弟1
その他51
名言
全 296 件の台詞 · 厳選 3 件
「酒且斟下,某去便來。」
酒が冷めぬうちに華雄(かゆう)を斬る場面は、関羽(かんう)の武勇を映す名場面であり、広く伝わっている。
「一者,吾與皇叔設誓,共扶漢室,吾今只降漢帝,不降曹操;二者,二嫂處請給皇叔俸祿贍,一應上下人等,皆不許到門;三者,但知劉皇叔去向,不管千里萬里,便當辭去。三者缺一,斷不肯降。望文遠急急回報。」
関羽の曹操への降伏(かんうのそうそうへのこうふく)における『約法三章』は、その忠義と信念を示している。
「吾虎女安肯嫁犬子乎!不看汝弟之面,立斬汝首!再休多言!」
『虎の娘がどうして犬の子に嫁げようか』という一句は、関羽(かんう)の高慢さと家柄意識を示している。
登場回82 回 ▸
- 史ch.1ch.9ch.11ch.14ch.17ch.18ch.22ch.23ch.26ch.32ch.35ch.36ch.38ch.40ch.41ch.45ch.47ch.51ch.52ch.54ch.55ch.56ch.57ch.58ch.62
- 演ch.1ch.2ch.5ch.6ch.7ch.11ch.12ch.13ch.14ch.15ch.16ch.17ch.18ch.19ch.20ch.21ch.22ch.24ch.25ch.26ch.27ch.28ch.31ch.34ch.35ch.36ch.37ch.38ch.39ch.40ch.41ch.42ch.45ch.49ch.50ch.51ch.52ch.53ch.55ch.56ch.60ch.63ch.65ch.66ch.70ch.73ch.74ch.75ch.76ch.77ch.78ch.79ch.81ch.83ch.85ch.87ch.94
関係の年表105 条 ▸
史 ch.1
史 ch.17
- 于禁(うきん)§17
enemy_of
樊城七军皆没;乘大船就攻;禁遂降
史 ch.22
- 曹仁(そうじん)§4
enemy_of
围曹仁
史 ch.32
史 ch.35
rival_of
不悦(与张飞同),先主以鱼水之喻解之
史 ch.36
- 劉備(りゅうび)§3
serves
先主合徒众,羽与张飞为之御侮;寝则同床,恩若兄弟;侍立终日,随先主周旋,不避艰险
- 張飛(ちょうひ)§3
oath_brother
俱事先主,为之御侮;羽年长数岁,飞兄事之
fights_in
望见良麾盖,策马刺良于万众之中,斩其首
friend_of
张辽与关羽为先锋击颜良;曹公命辽以情问之,辽以问羽
- 曹操(そうそう)§4
friend_of
曹公拜羽偏将军,礼之甚厚;羽叹其厚恩,立效报之而去;曹公知其必去,重加赏赐;尽封所赐拜书告辞
- 曹仁(そうじん)§7
fights_in
率众攻曹仁于樊
- 于禁(うきん)§7
fights_in
大霖雨,汉水汎溢,禁所督七军皆没,禁降羽
- 龐徳(ほうとく)§7
fights_in
羽斩将军庞德
- 関平(かんぺい)§7
parent_of
父子(关羽与子平同被斩于临沮)
- 関興(かんこう)§8
parent_of
子兴嗣
史 ch.40
betrayed_by
关羽连呼封达发兵自助,封达辞以山郡初附不承羽命
史 ch.41
- 黄忠(こうちゅう)§42
rival_of
闻黄忠为后将军怒不肯与老兵同列
演 ch.1
- 張飛(ちょうひ)§12
oath_brother
桃园结义为兄弟
演 ch.5
演 ch.6
- 劉備(りゅうび)§13
commands_in
随刘备从公孙瓒拔寨北归,赴平原
演 ch.7
- 劉備(りゅうび)§6
commands_in
同来救公孙瓒
演 ch.11
- 管亥(かんがい)§6
enemy_of
关羽数十合阵斩管亥
演 ch.12
- 劉備(りゅうび)§12
advises_in
与张飞再三相劝玄德受徐州
演 ch.13
- 張飛(ちょうひ)§5
kin_of
劝飞出、劝止张飞冲撞吕布
演 ch.14
演 ch.15
- 劉備(りゅうび)§1
oath_brother
桃园之义;同感泣
演 ch.16
- 劉備(りゅうび)§7
oath_brother
哥哥;按剑随侍呂布寨;后断后掩护出围
演 ch.17
- 劉備(りゅうび)§8
oath_brother
义弟;截杀袁术败军
演 ch.18
- 劉備(りゅうび)§20
serves
守西门,奉玄德之命
- 張遼(ちょうりょう)§21
friend_of
以正言感张辽,知其有忠义之气,故不出战
- 張飛(ちょうひ)§22
sibling_of
召飞入城止其追张辽
演 ch.19
演 ch.20
friend_of
跪于面前以性命保之
- 曹操(そうそう)§10
enemy_of
许田田猎中怒欲斩操,被玄德摇手送目止之
演 ch.21
演 ch.22
演 ch.24
- 劉備(りゅうび)§27
serves
云长保护玄德妻小,死守下邳
演 ch.25
- 劉備(りゅうび)§8
oath_brother
土山三约:但知玄德下落便辞去;护二嫂、降汉不降曹皆为不背桃园之盟
- 甘夫人(かんふじん)§13
kin_of
关公护卫嫂嫂入许都;居外宅,三日一次门外问安
- 糜夫人(びふじん)§13
kin_of
关公护卫嫂嫂入许都;居外宅,三日一次门外问安
- 顔良(がんりょう)§30
enemy_of
关公冲入河北阵,赤兔马快,斩颜良于马下,割首级以献曹操
演 ch.26
enemy_of
关公马快赶上文丑,腦后一刀,将文丑斩下马来
- 甘夫人(かんふじん)§15
kin_of
关公护持二嫂;隐河北实信不告,受责后顿首陈"恐有洩漏"之故
- 糜夫人(びふじん)§15
kin_of
关公护持二嫂
- 劉備(りゅうび)§18
oath_brother
见玄德密书大哭;自陈"安肯图富贵而背旧盟";作书答以"羽但怀异心,神人共戮",约辞操奉嫂北归
- 曹操(そうそう)§24
friend_of
关公至相府辞行,操懸"迴避牌"避之;公作书辞谢,挂印封金而去
演 ch.27
演 ch.28
enemy_of
关公归途遇夏侯惇追擒,互相挺鎗持刀交战不十合
friend_of
张辽劝弭夏侯惇之逼,与关公拱手而别
- 郭常§5
friend_of
借宿郭常庄;郭常宰羊置酒款待,宿其草堂
- 裴元紹(はいげんしょう)§10
mentor_of
裴元绍腦揪郭常之子拜献,伏拜归正受教
- 張飛(ちょうひ)§15
oath_brother
张飞误以关公降曹相欺,挺矛便搠;关公止之以斩蔡阳为证
- 蔡陽(さいよう)§18
enemy_of
蔡阳挺刀大喝来拿,关公举刀便砍,三通鼓未尽斩之
- 関平(かんぺい)§27
parent_of
关定以次子拜关公为父,自此随关公;玄德主之
- 劉備(りゅうび)§27
oath_brother
关公至关定庄迎门接拜,执手啼哭不止
演 ch.34
- 劉備(りゅうび)§4
serves
玄德所部三将之一;玄德议「雲長拒固子城以鎮張魯」;又劝兄赴襄阳之会勿信外人之言
演 ch.35
- 劉備(りゅうび)§12
fights_in
与张飞同迎玄德回新野;伏左路助破吕翔
演 ch.36
演 ch.39
- 諸葛亮(しょかつりょう)§18
commands_in
受令引一千军伏豫山,焚粮草
演 ch.40
- 諸葛亮(しょかつりょう)§29
serves
受命引一千军于白河上流头以布袋遏水
演 ch.41
- 劉備(りゅうび)§5
serves
受命整顿江岸船只接渡百姓
演 ch.42
- 劉備(りゅうび)§17
oath_brother
自江夏借军万人,从山坡截出截击曹军,护送玄德至漢津
演 ch.45
- 劉備(りゅうび)§13
oath_brother
按剑立于背后,护兄赴宴
演 ch.49
- 諸葛亮(しょかつりょう)§26
立军令状保证不放曹操
演 ch.50
- 諸葛亮(しょかつりょう)§22
commands_in
奉軍師將令於華容道等候曹操
- 顔良(がんりょう)§22
enemy_of
昔日所斬(曹操恩报追述)
- 文醜(ぶんしゅう)§22
enemy_of
昔日所誅(曹操恩报追述)
- 曹操(そうそう)§23
friend_of
義釋曹操於華容道;念昔日厚恩並五關放行之情
演 ch.51
- 諸葛亮(しょかつりょう)§29
commands_in
受孔明使兵符詐稱曹仁求救誘出夏侯惇,襲取襄陽
演 ch.52
- 劉備(りゅうび)§7
commands_in
留守荆州本城
演 ch.53
- 劉備(りゅうび)§4
commands_in
上书自请取长沙以幹这件功劳
rival_of
与黄忠百合不分;马失饒命;次日中盔纓箭悟其义气
演 ch.55
- 劉備(りゅうび)§21
serves
山谷內擁刀手伏兵迎截周瑜以救玄德
演 ch.60
演 ch.63
- 劉備(りゅうび)§23
oath_brother
桃园结义之情;受孔明印绶代守荆州,慨然领诺
演 ch.65
- 馬超(ばちょう)§24
rival_of
段24闻马超归来欲入川比试高低;得孔明书后笑解
演 ch.66
演 ch.73
- 孫権(そん けん)§15
enemy_of
拒孙权求亲,谓"吾虎女安肯嫁犬子"
演 ch.74
- 龐徳(ほうとく)§9
enemy_of
怀「一箭之雠」之恨;水淹七军后生擒不屈乃斩之,怜而葬之
演 ch.75
- 陸遜(りくそん)§12
rival_of
览陆逊书极卑谨,仰面大笑,叱仲谋"用此孺子为将",无复忧江东之意
演 ch.76
- 徐晃(じょこう)§7
fights_in
阵前称交契深厚,旋大战八十余合
演 ch.77
演 ch.81
- 関興(かんこう)§16
parent_of
关羽之子,入营拜伏而哭
演 ch.83
- 関興(かんこう)§17
parent_of
关羽之子;见神像哭拜,借关公显圣斩潘璋祭父
演 ch.85
- 劉備(りゅうび)§9
鬼魂入梦于
内面の独白 · AI 生成3 段 ▸
- 私は関羽(かんう)、字は雲長(Unchō)である。漢中王から前将軍に任じられ、節鉞を仮に授けられ、樊城(はんじょう)へ進軍するよう命じられたことを思えば、この任の重さは今もよく分かっている。漢水(かんすい)が急激に増水し、于禁(うきん)が率
- この関某(Kan Bō)が生涯守ってきたものは、何よりも「義」の一字である。昔、玄徳(Gentoku)兄と離ればなれになり、しばらく曹公(Sōkō)のもとに身を寄せた。厚遇を受け、知遇を得たことも承知していた。だが、桃園の誓いと兄長から受け
- 我は関羽(かんう)、字は雲長(Unchō)、河東解良(かとうかいりょう)の出である。若き日のこと、郷里に権勢を頼みに人々を虐げる豪族がいた。私は一時の憤りから、ついにその者を殺してしまった。事を成した以上、故郷に安住することはできず、やむな
生涯の大事46 ▸
- 0184-01-01 · 涿縣(たくけん)桃園の誓い(とうえんのちかい)· 目撃者
- 0190-01-01 · 虎牢關三英の呂布との戦い(さんえいのりょふとのたたかい)· 武将
- 0190-01-01 · 汜水關汜水関の戦い(しすいかんのたたかい)· 武将
- 0191-01-01 · 界橋(かいきょう)界橋の戦い(かいきょうのたたかい)· 武将
- 0194-01-01 · 徐州(じょしゅう)劉備の徐州領有(りゅうびのじょしゅうりょうゆう)· 武将
- 0194-01-01 · 北海郡(ほっかいぐん)北海の囲み解除(ほっかいのかこみかいじょ)· 武将
- 0194-01-01 · 徐州(じょしゅう)陶謙(とうけん)の三度の徐州譲渡· 目撃者
- 0194-01-01 · 徐州(じょしゅう)陶謙(とうけん)の徐州譲渡· 目撃者
- 0197-01-01 · 小沛(しょうはい)呂布の小沛襲撃(りょふのしょうはいしゅうげき)· 武将
- 0199-01-01 · 徐州(じょしゅう)劉備の袁術撃破・徐州にて(りゅうびのえんじゅつげきは・じょしゅうにて)· 武将
- 0199-01-01 · 下邳(かひ)白門楼の審問(はくもんろうのしんもん)· 目撃者
- 0199-01-01 · 江亭袁術の敗亡(えんじゅつのはいぼう)· 武将
- 0200-01-01 · 白馬(はくば)関羽の顔良斬殺(かんうのがんりょうざんさつ)· 武将
- 0200-01-01 · 許昌(きょしょう)関羽の五関突破・六将斬り(かんうのごかんとっぱ・ろくしょうぎり)· 武将
- 0200-01-01 · 下邳(かひ)関羽の曹操への降伏(かんうのそうそうへのこうふく)· 武将
- 0200-01-01 · 古城古城の再会(こじょうのさいかい)· 武将
- 0200-01-01 · 下邳(かひ)土山の三条件(どざんのさんじょうけん)· 武将
- 0200-01-01 · 許昌(きょしょう)印を掛け金を封じる(いんをかけきんをふうじる)· 首謀者
- 0200-01-01 · 白馬(はくば)白馬の戦い(はくばのたたかい)· 武将
- 0201-01-01 · 荊州(けいしゅう)劉備の荊州依附(りゅうびのけいしゅういふ)· 武将
- 0201-01-01 · 穰山穰山の戦い(じょうざんのたたかい)· 武将
- 0207-01-01 · 隆中(りゅうちゅう)三顧の礼(さんこのれい)· 目撃者
- 0207-01-01 · 新野(しんや)徐庶、劉備に仕える(じょしょ、りゅうびにつかえる)· 武将
- 0208-01-01 · 長沙(ちょうさ)劉備の荊南四郡占領(りゅうびのけいなんしぐんせんりょう)· 武将
- 0208-01-01 · 当陽(とうよう)劉備の民を率いての江渡り(りゅうびのたみをひきいてのえわたり)· 武将
- 0208-01-01 · 華容道(かようどう)華容道(かようどう)· 総大将
- 0208-01-01 · 江陵(こうりょう)江陵の戦い(こうりょうのたたかい)· 武将
- 0209-01-01 · 長沙(ちょうさ)関羽と黄忠の戦い・長沙の攻略(かんうとこうちゅうのたたかい・ちょうさのこうりゃく)· 総大将
- 0209-01-01 · 劉郎浦劉備の呉脱出(りゅうびのごだっしゅつ)· 武将
- 0209-01-01 · 南郡(なんぐん)趙雲(ちょううん)が南郡を奪取· 武将
- 0209-01-01 · 長沙(ちょうさ)魏延殺韓玄歸降· 総大将
- 0210-01-01 · 江陵(こうりょう)周瑜の假途滅虢(しゅうゆのかとめっかく)· 武将
- 0215-01-01 · 益陽(えきよう)単刀赴会(たんとうふかい)· 武将
- 0215-01-01 · 荊州(けいしゅう)孫呉の荊州三郡奪取(そんごのけいしゅうさんぐんだっしゅ)· 総大将
- 0215-01-01 · 益陽(えきよう)益陽の単刀会(えきようのたんとうかい)· 総大将
- 0219-01-01 · 宛城(えんじょう)侯音の叛乱(こういんのはんらん)· 目撃者
- 0219-01-01 · 樊城(はんじょう)関羽の北伐(かんうのほくばつ)· 総大将
- 0219-01-01 · 沔陽(めんよう)劉備の漢中王即位(りゅうびのかんちゅうおうそくい)· 目撃者
- 0219-01-01 · 沔陽(めんよう)劉備の漢中王進位(りゅうびのかんちゅうおうしんい)· 目撃者
- 0219-01-01 · 樊城(はんじょう)刮骨療毒(かっこつりょうどく)· 武将
- 0219-01-01 · 江陵(こうりょう)呂蒙の白衣渡江(りょもうのはくいとこう)· 被害者
- 0219-01-01 · 樊城(はんじょう)龐徳の斬首(ほうとくのざんしゅ)· 総大将
- 0219-01-01 · 樊城(はんじょう)水淹七軍(すいえんしちぐん)· 総大将
- 0219-01-01 · 江陵(こうりょう)白衣渡江(はくいとこう)· 被害者
- 0219-01-01 · 麦城(ばくじょう)麦城への敗走(ばくじょうへのはいそう)· 総大将
- 0221-01-01 · 鄴(ぎょう)于禁の関羽への降伏(うきんのかんうへのこうふく)· 総大将