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関羽(かんう)

曹魏(そうぎ) · 汉寿亭侯

関羽(かんう)

字 雲長

登場回
82
台詞の記録
296
人間関係
141
内面の独白
3

史載(Historical Record)

関羽(かんう)は、字を雲長といい、本字は長生、河東解の人である。禍いを避けて涿郡(たくぐん)へ亡命し、後に劉備(りゅうび)に従った。劉備が郷里で徒衆を集めた際、関羽は張飛(ちょうひ)とともにその守りとなった。劉備が平原(へいげん)の相となった時、関羽と張飛は別部司馬に任命され、それぞれ部曲を統率した。劉備は二人と兄弟のごとき情で結ばれ、寝るときは床を同じくし、また衆人の広座の場においても、関羽と張飛は終日侍立し、劉備に従って周旋し、艱険を避けなかった。

建安五年(200年)、曹操(そうそう)が東征して劉備を伐ち、劉備は袁紹(えんしょう)のもとへ奔った。曹操は関羽を擒えた後、彼を偏将軍に拝し、これを甚だ手厚く遇した。同年、袁紹は大将の顔良(がんりょう)を遣わして東郡太守の劉延を白馬(はくば)に攻めさせた。曹操は張遼(ちょうりょう)と関羽を先鋒として敵を撃たせた。関羽は顔良の麾蓋を望み見ると、万衆の中に馬を策って顔良を刺殺し、その首級を斬って帰り、袁紹の諸将は誰一人これを防ぐことができず、白馬の囲みはこうして解かれた。曹操は表を上って関羽を漢壽(かんじゅ)亭侯に封じた。曹操は関羽に長く留まる意のないことを素より知っており、かつて張遼を遣わして探りを入れさせた。関羽は、劉備の厚恩を受け、共に死すことを誓っており、背くことを望まず、必ず功を立てて曹操に報いた後に去ると率直に言った。曹操はこれを聞き、彼が必ず去ることを知って、重ねて賞賜を加えた。関羽は賜ったものをことごとく封じ、書を残して別れを告げ、袁紹のもとへ奔って劉備と合流した。曹操の左右は追おうとしたが、曹操は「彼は各々その主のためにするのだ、追うな」と言い、その義を全うさせた。

建安二十四年(219年)、劉備は自ら漢中(かんちゅう)王を称し、関羽を前将軍に拝し、節鉞を仮した。同年、関羽は衆を率いて曹仁(そうじん)を樊城(はんじょう)に攻め、曹操は于禁(うきん)を遣わして戦いを助けさせた。時あたかも秋の大霖雨に遭い、漢水(かんすい)が氾濫し、于禁の督する七軍はみな水没した。于禁は関羽に降り、関羽はまた将軍の龐徳(ほうとく)を斬殺した。関羽の威名は華夏を震わせ、梁・郟・陸浑などの地の群盗は、あるいは遥かにその印号を受け、その党羽となった。曹操は一時、その鋒を避けるために遷都を考えたが、司馬懿(しばい)と蔣済(しょうせい)は、孫権(そん けん)が必ずや関羽の志を得るのを喜ばないと考え、曹操に孫権を説いて背後から関羽を襲わせ、江南を割いて孫権に封ずると約束すれば、樊城の囲みは自ずと解けると進言した。曹操はこの計を採り入れた。

これに先立ち、孫権はかつて使者を遣わしてその子のために関羽に婚を求めたが、関羽は使者を罵り、婚を許さず、孫権はこれによって大いに怒った。南郡(なんぐん)太守の糜芳(びほう)と将軍の士仁は公安を守っていたが、素より関羽が彼らを軽んじることを不満に思っていた。関羽が出兵した際、糜芳・士仁は軍資の供給に力を尽くさず、関羽は「帰ったら必ずこれを治める」と言い放ち、二人は恐れて不安を抱いた。そこで孫権はひそかに糜芳・士仁を誘って降らせ、二人はついに孫権を迎え入れた。曹操は徐晃(じょこう)を遣わして曹仁を救援させ、関羽は勝つことができず、軍を引いて退いた。この時、孫権はすでに江陵(こうりょう)を占拠し、関羽の士卒の家属をことごとく俘虜とし、関羽の軍はこうして潰散した。孫権は将領を遣わして臨沮で関羽を迎え撃ち、関羽およびその子関平(かんぺい)を斬殺した。建安二十五年(220年)正月、孫権は関羽の首級を洛陽(らくよう)へ送った。劉禅(りゅう ぜん)は関羽を壮繆侯と追諡した。

演中(In the Novel)

『三国(さんごく)演義』では、関羽の形象はより多くの伝奇的色彩と忠義の精神を与えられている。彼は初登場の際、「身の丈九尺、髯の長さ二尺。面は熟棗のごとく、唇は脂を塗ったるがごとし。丹鳳の眼、臥蚕の眉。相貌は堂々として、威風は凛々たり」という形象で姿を現す。彼は、郷里の河東解良(かとうかいりょう)で勢いを恃んで人を凌ぐ豪強を殺し、江湖に亡命したと自ら述べ、後に義兵を募って賊を破ると聞いて、わざわざ応募に来たという。

劉備、張飛と桃園で義を結び、「同年同月同日に生まれることを求めず、ただ同年同月同日に死せんことを願う」と誓い、その忠義の礎を定めた。黄巾軍(こうきんぐん)を討伐した際、関羽は張飛とともに劉備を助け、非凡な武芸を示した。「温酒斬華雄」の一節では、関羽はさらに驚くべき速さと武力をもって、酒のなお温かいうちに華雄(かゆう)を斬殺し、十八路の諸侯を瞠目させた。これは演義独自の筋立てで、史に明確な記載はない。

演義では、関羽の劉備への忠誠が繰り返し強調される。曹操が降将の張遼を殺そうとした時、関羽は劉備とともに助命を請い、命をもって張遼の忠義を保証した。劉備が曹操に挟制された際、関羽はかつて曹操を斬ろうとしたが、劉備に止められ、兄への絶対の服従を体現した。「千里走単騎」の筋立てでは、関羽は劉備を尋ねるために、決然と曹操に別れを告げ、五関を過ぎて六将を斬り、その堅固な信念と超凡の武力を示した(演義独自)。

演義はまた、関羽の驕りと自負をも描いている。劉備が漢中王に封ぜられた後、費詩(ひし)を遣わして関羽を前将軍に拝した。関羽は黄忠(こうちゅう)もまた後将軍に封ぜられたことを知ると、怒って「大丈夫はついに老兵と列を同じくせず」と言い、拝命を肯んじなかった。費詩の説得を経て、関羽はようやく大いに悟り、任命を受け入れた。これは史実における関羽の孫権への軽慢な態度と呼応し、また彼の後の敗亡の伏線を張っている。

重要な関係

* 劉備(serves):関羽は劉備と兄弟のごとき情で結ばれ、寝るときは床を同じくし、恩は兄弟のごとくであった。彼は死を誓って劉備に従い、離れず捨てず、曹操の厚遇のもとにあっても、なお心は劉備に繋がり、ついには曹に別れを告げて劉に帰した。劉備もまた関羽を極めて信頼し、かつて「孤に孔明あるは、なお魚に水あるがごとし」と言った時、関羽・張飛の不快をも鎮めた。
* 張飛(brother):劉備、関羽と桃園で義を結び、手足のごとき情で結ばれた。三人は生死を共にし、艱険を避けなかった。張飛はかつて酒に酔って城を失い、自刎して罪を謝そうとしたが、劉備と関羽に諫め止められた。
* 曹操(serves, enemy_of):劉備が袁紹のもとへ奔った後、関羽はかつて曹操に降り、曹操はこれを甚だ手厚く遇し、偏将軍に拝し、漢壽亭侯に封じた。関羽もまた曹操のために顔良を斬殺し、白馬の囲みを解いた。しかし、関羽の心は劉備に繋がり、ついには曹に別れを告げて劉に帰した。後に、関羽は樊城の戦いで華夏に威を震わせ、曹操は一時その鋒を避けるために遷都を考えた。
* 顔良(enemy_of):白馬の戦い(はくばのたたかい)において、関羽は万衆の中に馬を策って顔良を刺殺し、その首級を斬って帰った。
* 孫権(enemy_of):関羽はかつて孫権がその子のために婚を求めたことに対し、使者を罵り、婚を許さず、孫権はこれによって大いに怒った。ついに、孫権は関羽が樊城を攻める隙に乗じて荊州(けいしゅう)を襲い取り、将領を遣わして臨沮で関羽およびその子関平を斬殺した。
* 呂布(enemy_of):演義では、関羽は呂布(りょふ)と幾度も交戦した。虎牢関の戦いでは、関羽はかつて張飛・劉備とともに三人で呂布と合戦した(演義独自)。徐州(じょしゅう)の争奪では、関羽はかつて劉備に従って呂布と周旋したが、呂布の無義に多く不満を抱いた。
* 龐徳(enemy_of):樊城の戦いにおいて、龐徳は関羽と交戦し、かつて関羽の前額を射当てた。後に水淹七軍(すいえんしちぐん)によって龐徳は擒えられ、死すとも降らず、関羽に殺された。

象徴的な場面

* 桃園の誓い(とうえんのちかい):劉備、関羽、張飛の三人は桃園で香を焚いて再拝し、異姓の兄弟と結び、心を同じくして力を協わせ、困を救い危を扶け、同年同月同日に生まれることを求めず、ただ同年同月同日に死せんことを願うと誓った(演義独自)。
* 温酒斬華雄:関羽は十八路の諸侯が会盟して董卓(とう たく)を討つ時、帳前に戦いを請い、「酒を且く斟いでおけ、某は行ってすぐに帰る」と言い、帳を出て速やかに華雄を斬殺し、その首級を提げて帰ったが、この時、酒はなお温かかった(演義独自)。
* 白馬の囲み、顔良を斬る:関羽は曹操の先鋒として、万軍の中に袁紹の大将顔良を斬殺し、白馬の囲みを解いた。
* 千里走単騎:関羽は劉備を尋ねるために、曹操に別れを告げ、五関を過ぎて六将を斬り、ついに劉備と合流した(演義独自)。
* 水淹七軍、于禁を擒え龐徳を斬る:関羽は軍を率いて樊城を攻め、大雨に遭って漢水が氾濫し、曹軍の七軍を水に淹し、于禁を擒え、龐徳を斬り、華夏に威を震わせた。
* 大意失荊州:関羽が樊城を攻めた際、孫権が虚に乗じて入り込み、荊州を襲い取った。関羽は退いて麦城(ばくじょう)を守り、ついに臨沮で孫権の部将に迎え撃たれて殺された。
* 刮骨療毒(かっこつりょうどく):関羽の腕に矢が当たり、華佗(かだ)がそのために刮骨療毒を施したが、関羽は顔色も変えず、馬良(ばりょう)と碁を打っていた(演義独自)。
* 単刀赴会(たんとうふかい):関羽は魯粛(ろしゅく)の宴に招かれ、ただ一刀を携えて会に赴き、毫も懼れる色がなかった(演義独自)。

肖像アーカイブ

人物像

容貌
関羽(かんう)は身の丈九尺、髯の長さ二尺、顔は熟した棗のごとく、唇は脂を塗ったよう、丹鳳の眼、臥蚕の眉、容貌は堂々として威風凛々たり。彼は常に左手で髯をしごき、灯下で几に凭れて書を読み、赤ら顔に長い髯をたくわえ、髯袋を解いて長い髯を出して裴元紹(はいげんしょう)に見せ、神威凛々たるさまであった。
性格
関羽は兵卒には手厚く接するが士大夫には驕り、面目を重んじて義に篤く、剛毅にして自らを恃み、勇にして沈着、戦に臨んでも泰然としていた。彼は義気が深く重く、人を見分ける眼を持ち、烈しく真っ直ぐで忠義であり、君を欺き上を罔うことを見ては忍ぶことができず、落ち着いて度量があった。関羽は旧主を忘れず、忠義に決然とし、思慮は周到で謀は深く、自負して傲然と烈しく驕り、旧きを労わり、死を恐れぬこと帰するがごとくであった。
話し方
関羽の言葉は簡潔にして剛毅、自負して義を重んじ、恩を念じて本に報い、簡潔で厳しく鋭く、軍令状を立てては丈夫に引けを取らなかった。彼は正論をもって人を感動させ、直截な言葉で問い質し、事実に即して直言し、飾りは少なく、人に対しては己を軽んじ義を重んじた。関羽はしばしばみずからを「関某」「吾」と称し、短い言葉で直諫し、慎重に疑問を呈し、藺相如(りんしょうじょ)の澠池の会になぞらえ、豪気は人に迫り、自尊にして高慢、常に「大丈夫」と称した。
生涯
関羽は河東解県の人で、もとの字は長生、人を殺して難を逃れて涿郡(たくぐん)に至り、劉備(りゅうび)・張飛(ちょうひ)と義兄弟の契りを結んだ。彼はかつて下邳(かひ)を守り、曹操(そうそう)に捕らえられて曹操に帰属し、後にまた逃れて劉備のもとへ帰った。関羽はかつて江陵(こうりょう)に駐屯し、曹仁(そうじん)を攻め、于禁(うきん)を樊で生け捕りにして威は華夏を震わせたが、後に孫権(そん けん)に襲われて殺された。
武器
関羽の武器は長刀で、青龍偃月刀とも名づけられ、重さ八十二斤、また「冷艶鋸」あるいは「宝刀」とも称された。
逸話
関羽はかつて劉備(りゅうび)に官を捨てて別の道を図るよう勧め、たびたび劉備と張飛(ちょうひ)の間を取りなした。彼はかつて許田の狩場で曹操(そうそう)を刺そうとし、夜襲して車冑(しゃちゅう)を斬り、後に華容道(かようどう)で義によって曹操を見逃した。関羽はかつて黄忠(こうちゅう)が後将軍となったことを怒って拝命を受けようとせず、麦城(ばくじょう)で囲まれ、最期は屈せずに殺され、死後もその英魂は消え散らなかった。

人間関係

141 件の関係

名言

全 296 件の台詞 · 厳選 3 件

「酒且斟下,某去便來。」

演 第5回→ 曹操(そうそう)

酒が冷めぬうちに華雄(かゆう)を斬る場面は、関羽(かんう)の武勇を映す名場面であり、広く伝わっている。

「一者,吾與皇叔設誓,共扶漢室,吾今只降漢帝,不降曹操;二者,二嫂處請給皇叔俸祿贍,一應上下人等,皆不許到門;三者,但知劉皇叔去向,不管千里萬里,便當辭去。三者缺一,斷不肯降。望文遠急急回報。」

演 第25回→ 張遼(ちょうりょう)

関羽の曹操への降伏(かんうのそうそうへのこうふく)における『約法三章』は、その忠義と信念を示している。

「吾虎女安肯嫁犬子乎!不看汝弟之面,立斬汝首!再休多言!」

演 第73回📍 荊州(けいしゅう)

『虎の娘がどうして犬の子に嫁げようか』という一句は、関羽(かんう)の高慢さと家柄意識を示している。

登場回82 回 ▸
  • 史ch.1ch.9ch.11ch.14ch.17ch.18ch.22ch.23ch.26ch.32ch.35ch.36ch.38ch.40ch.41ch.45ch.47ch.51ch.52ch.54ch.55ch.56ch.57ch.58ch.62
  • 演ch.1ch.2ch.5ch.6ch.7ch.11ch.12ch.13ch.14ch.15ch.16ch.17ch.18ch.19ch.20ch.21ch.22ch.24ch.25ch.26ch.27ch.28ch.31ch.34ch.35ch.36ch.37ch.38ch.39ch.40ch.41ch.42ch.45ch.49ch.50ch.51ch.52ch.53ch.55ch.56ch.60ch.63ch.65ch.66ch.70ch.73ch.74ch.75ch.76ch.77ch.78ch.79ch.81ch.83ch.85ch.87ch.94
関係の年表105 条 ▸

史 ch.1

史 ch.17

史 ch.22

史 ch.32

史 ch.35

史 ch.36

史 ch.40

史 ch.41

演 ch.1

演 ch.5

演 ch.6

演 ch.7

演 ch.11

演 ch.12

演 ch.13

演 ch.14

演 ch.15

演 ch.16

演 ch.17

演 ch.18

演 ch.19

演 ch.20

演 ch.21

演 ch.22

演 ch.24

演 ch.25

演 ch.26

演 ch.27

  • oath_brother

    故主在河北,不由某不急去;千里寻兄

  • enemy_of

    东岭关下一合斩孔秀

  • enemy_of

    一刀砍为两段

  • enemy_of

    韩福暗箭射中关公左臂;关公手起刀落带头连肩斩之

  • 王植§11

    enemy_of

    拦腰一刀砍为两段

  • 秦琪§12

    enemy_of

    二马一合,刀起头落

演 ch.28

演 ch.34

  • serves

    玄德所部三将之一;玄德议「雲長拒固子城以鎮張魯」;又劝兄赴襄阳之会勿信外人之言

演 ch.35

演 ch.36

演 ch.39

演 ch.40

演 ch.41

演 ch.42

演 ch.45

演 ch.49

演 ch.50

演 ch.51

演 ch.52

演 ch.53

演 ch.55

演 ch.60

演 ch.63

演 ch.65

演 ch.66

演 ch.73

演 ch.74

演 ch.75

  • rival_of

    览陆逊书极卑谨,仰面大笑,叱仲谋"用此孺子为将",无复忧江东之意

演 ch.76

演 ch.77

演 ch.81

演 ch.83

演 ch.85

内面の独白 · AI 生成3 段 ▸
  • 私は関羽(かんう)、字は雲長(Unchō)である。漢中王から前将軍に任じられ、節鉞を仮に授けられ、樊城(はんじょう)へ進軍するよう命じられたことを思えば、この任の重さは今もよく分かっている。漢水(かんすい)が急激に増水し、于禁(うきん)が率
  • この関某(Kan Bō)が生涯守ってきたものは、何よりも「義」の一字である。昔、玄徳(Gentoku)兄と離ればなれになり、しばらく曹公(Sōkō)のもとに身を寄せた。厚遇を受け、知遇を得たことも承知していた。だが、桃園の誓いと兄長から受け
  • 我は関羽(かんう)、字は雲長(Unchō)、河東解良(かとうかいりょう)の出である。若き日のこと、郷里に権勢を頼みに人々を虐げる豪族がいた。私は一時の憤りから、ついにその者を殺してしまった。事を成した以上、故郷に安住することはできず、やむな
生涯の大事46 ▸
  1. 桃園の誓い(とうえんのちかい)· 目撃者
  2. 0190-01-01 · 虎牢關
    三英の呂布との戦い(さんえいのりょふとのたたかい)· 武将
  3. 0190-01-01 · 汜水關
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  8. 陶謙(とうけん)の徐州譲渡· 目撃者
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  11. 0199-01-01 · 下邳(かひ)
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  12. 0199-01-01 · 江亭
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  13. 0200-01-01 · 白馬(はくば)
    関羽の顔良斬殺(かんうのがんりょうざんさつ)· 武将
  14. 関羽の五関突破・六将斬り(かんうのごかんとっぱ・ろくしょうぎり)· 武将
  15. 0200-01-01 · 下邳(かひ)
    関羽の曹操への降伏(かんうのそうそうへのこうふく)· 武将
  16. 0200-01-01 · 古城
    古城の再会(こじょうのさいかい)· 武将
  17. 0200-01-01 · 下邳(かひ)
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  18. 印を掛け金を封じる(いんをかけきんをふうじる)· 首謀者
  19. 0200-01-01 · 白馬(はくば)
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  23. 0207-01-01 · 新野(しんや)
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  32. 周瑜の假途滅虢(しゅうゆのかとめっかく)· 武将
  33. 単刀赴会(たんとうふかい)· 武将
  34. 孫呉の荊州三郡奪取(そんごのけいしゅうさんぐんだっしゅ)· 総大将
  35. 益陽の単刀会(えきようのたんとうかい)· 総大将
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  37. 関羽の北伐(かんうのほくばつ)· 総大将
  38. 劉備の漢中王即位(りゅうびのかんちゅうおうそくい)· 目撃者
  39. 劉備の漢中王進位(りゅうびのかんちゅうおうしんい)· 目撃者
  40. 刮骨療毒(かっこつりょうどく)· 武将
  41. 呂蒙の白衣渡江(りょもうのはくいとこう)· 被害者
  42. 龐徳の斬首(ほうとくのざんしゅ)· 総大将
  43. 水淹七軍(すいえんしちぐん)· 総大将
  44. 白衣渡江(はくいとこう)· 被害者
  45. 麦城への敗走(ばくじょうへのはいそう)· 総大将
  46. 0221-01-01 · 鄴(ぎょう)
    于禁の関羽への降伏(うきんのかんうへのこうふく)· 総大将