
史載(Historical Record)
孫権(そん けん)、字は仲謀は、その兄の孫策(そん さく)が江東の諸郡を平定した際、わずか十五歳で陽羨長に任じられた。彼はその父孫堅(そん けん)が下邳(かひ)で丞を務めていた時に生まれ、方頤大口、目に精光あり、孫堅に貴き相ありとみなされた。孫策の死後、孫権はその位を継ぎ、曹操(そうそう)は彼を表して討虜将軍とし、会稽(かいけい)太守を領し、呉に屯した。そして張昭(ちょうしょう)を師傅とし、周瑜(しゅうゆ)、程普(ていふ)、呂範(りょはん)らを将率とし、俊秀を招き寄せ、名士を聘求し、魯粛(ろしゅく)、諸葛瑾(しょかつきん)らはみな賓客となった。
建安十三年(208年)、孫権は再び黄祖(こうそ)を征討し、呂蒙(りょもう)がその前鋒を破り、凌統(りょうとう)、董襲(とうしゅう)らが城を攻め、ついにその城を屠った。黄祖は逃亡したが、騎士の馮則に追われ首を梟された。同年、劉表(りゅう ひょう)が死去し、魯粛は命を奉じて弔問し、また情勢を観察した。曹操が南下し、劉琮(りゅうそう)が降伏すると、劉備(りゅうび)は江を南渡しようとした。魯粛は劉備と会見し、孫権の意を伝え、成敗を陳べた。劉備は夏口(かこう)に進駐し、諸葛亮(しょかつりょう)を遣わして孫権に会見させた。この時、曹操は新たに劉表の衆を得て声勢盛んであり、議する者の多くは孫権に降を迎えるよう勧めた。しかし周瑜、魯粛は曹に抗することを力説し、孫権はその議を採り、周瑜、程普らを遣わして三万の水軍を率いさせ劉備と合流し、赤壁(せきへき)で曹操の軍を大破した。曹操は船を焼いて退き、士卒は飢えと疫により死者は大半に及んだ。劉備、周瑜らは南郡(なんぐん)まで追撃し、曹操はついに北へ還った。
建安十九年(214年)、孫権は皖城を征して克ち、廬江(ろこう)太守の朱光および参軍の董和(とう か)、男女数万口を獲た。同年、劉備が益州(えきしゅう)を平定すると、孫権は諸葛瑾を遣わして荊州(けいしゅう)の諸郡を求めたが、劉備は許さなかった。孫権は大いに怒り、呂蒙に兵を督させて長沙(ちょうさ)、零陵(れいりょう)、桂陽郡(けいようぐん)の三郡を取らせ、また魯粛に巴丘(はきゅう)に屯させて関羽(かんう)を防がせた。後に曹操が漢中(かんちゅう)に入り、劉備は益州を失うことを恐れ、使者を遣わして和を求めた。孫権はそこで劉備と荊州を分け、長沙、江夏(こうか)、桂陽以東を孫権に属させ、南郡、零陵、武陵(ぶりょう)以西を劉備に属させた。
建安二十四年(219年)、関羽が曹仁(そうじん)を襄陽(じょうよう)に囲むと、曹操は于禁(うきん)を遣わして救援させた。漢水(かんすい)が暴れ漲り、于禁ら七軍はみな水没し、于禁は降伏した。孫権は呂蒙を遣わして公安を襲取させ、南郡太守の糜芳(びほう)は降伏した。陸遜(りくそん)は別に宜都を取った。関羽は麦城(ばくじょう)に退き守ったが、後に朱然(しゅぜん)、潘璋(はんしょう)に退路を断たれ、潘璋の司馬である馬忠(ばちゅう)が関羽およびその子関平(かんぺい)、都督の趙累(ちょうるい)を擒え、荊州はついに定まった。
黄初二年(221年)、魏文帝曹丕(そうひ)が即位した後、孫権は藩を称し、于禁らを帰還させた。曹丕は孫権を呉王に封じ、九錫を加えた。同年、劉備が呉を伐ち、巫山、秭帰に至り、使者を遣わして武陵の蛮夷を誘導し、印伝を仮し与え、封賞を許した。孫権は陸遜を督とし、朱然、潘璋らを督させてこれを拒んだ。
演中(In the Novel)
『三国(さんごく)演義』においては、孫権は孫策の死後、床前に哭き倒れ、張昭は彼に「これ将軍の哭する時にあらず」と諫めた。周瑜もまた彼に父兄の業を継ぐよう勧め、孫権に策を献じて、「古より『人を得る者は昌え、人を失う者は亡ぶ』。今の計を為すには、すべからく高明遠見の人を求めて輔とし、然る後に江東は定むべし」と指摘した。小説では孫権の人物像を「方頤大口、碧眼紫髯」と描き、また劉琬の評価を引いて、彼が「形貌奇偉、骨格非常、すなわち大貴の表、また高寿を享く」とみなした。
赤壁の戦い(せきへきのたたかい)の前夜、曹操の大軍が圧迫し、江東の衆謀士の多くは降を主張した。魯粛はかえって孫権に曹に降ってはならぬと力説し、「衆はみな曹操に降るべし、ただ将軍のみ曹操に降るべからず」と指摘した。孫権はこれを聞いて「嘆じて曰く、『諸人の議論、大いに孤の望みを失す。子敬の大計を開説せるは、まさに吾が見と相同じ。これ天の子敬を以て我に賜うなり』」と言った。諸葛亮が群儒と舌戦(ぜっせんぐんじゅ)した後も、孫権はなお躊躇していた。呉国太(ごこくたい)は孫権に「先姉の遺言に云う、『伯符臨終に言あり、内事決せざれば張昭に問い、外事決せざれば周瑜に問え』と。今なんぞ公瑾を請うてこれを問わざるや」と促し、孫権はそこで周瑜を請うて議事し、ついに曹に抗する決心を固めた。
小説では、孫権が黄祖を攻めた際、甘寧(かんねい)が計を献じ、孫権は大いに喜んで「吾、興霸を得たれば、黄祖を破るは必せり」と称した。黄祖が擒えられた後、甘寧が蘇飛のために命乞いをし、孫権は蘇飛を赦した。凌統は甘寧がその父凌操(りょうそう)を射殺したため仇を報いようとしたが、孫権はこれを諫め止め、凌統を承烈都尉に加封すると同時に、甘寧に夏口を鎮守させて凌統を避けさせた。これらの筋書きはいずれも、孫権の人を用い軍を治める上での権衡と決断を際立たせている。
重要な関係
* 劉備(friend_of/fights_in):孫権と劉備は赤壁の戦いにおいて同盟し、共に曹操に対抗した。しかし、関羽が油断して荊州を失うにつれ、孫劉同盟は破裂し、孫権と劉備の間に夷陵の戦い(いりょうのたたかい)が勃発した。演義では、諸葛亮が群儒と舌戦し、孫権を激して曹に抗させ、孫劉同盟の成立を促した。
* 曹魏(そうぎ)(serves/fights_in):孫権は異なる時期において曹魏と複雑な関係を保っていた。赤壁の戦いの際、孫権は劉備と手を組んで曹操を大敗させた。後に、孫権はかつて曹魏に藩を称し、呉王に封じられた。しかし彼はまた、合肥の戦い(ごうひのたたかい)など、たびたび曹魏と交戦した。演義では、曹操はかつて孫策の喪に乗じて呉を伐とうとしたが、後に張紘の諫めを聞き入れ、孫権を将軍に封じた。
* 文聘(ぶんぺい)(fights_in):孫権はかつて江夏郡を攻め、太守の文聘は堅守した。曹叡(そうえい)は孫権が水戦に習熟しており、この挙はその不意に乗じようとするものだと考えたが、攻守の勢には別あり、孫権はついに久しく留まる勇気を持てなかった。後に荀禹が兵を率いて火を挙げ、孫権は退き走った。
* 孫権集団(そんけんしゅうだん)(lord_of):孫権は江東の基業の継承者にして指導者である。彼は張昭、周瑜、魯粛らの文臣武将を重用し、共に江東を治め、外敵を防いだ。演義では、孫権は広く賢士を納め、闞沢(かんたく)、厳畯(げんしゅん)、薛綜(せつそう)、顧雍(こよう)、呂蒙、陸遜らがおり、江東に人材を満ち溢れさせた。
象徴的な場面
* 赤壁の戦い:孫権は劉備と手を組み、赤壁で曹操を大敗させ、三国鼎立の基礎を築いた。演義では、諸葛亮が孫権を激して曹に抗させ、周瑜が戦を力説し、最終的にこの決定的な勝利を促した。
* 荊州の襲取:孫権は関羽が北のかた曹魏を伐つ機に乗じ、呂蒙を遣わして荊州を奇襲させ、関羽を擒え殺し、荊州を奪い返すことに成功した。この事件は孫劉同盟の破裂を直接招いた。
* 合肥の戦い(ごうひのたたかい):孫権はたびたび合肥(がっぴ/ごうひ)を攻めたが、いずれも成功できなかった。そのうち一度は、孫権が十万の衆を率いて城を百余日囲んだが、天が連日雨を降らせ城が崩れそうになり、後に張喜の援兵が将に至らんとしたため退き走った。演義では、孫権は津北で張遼(ちょうりょう)に襲撃されたが、幸いにも凌統、甘寧らの死戦を得て、駿馬に乗って津橋を越え、難を逃れることができた(演義独自)。
* 象の重さを量る:孫権はかつて曹操に巨象を進献し、曹操はその重量を知りたがった。その子曹沖(そうちゅう)は「象を大船の上に置き、その水痕の至る所を刻し、物を称ってこれに載すれば、すなわち校べて知るべし」という方法を提示した(演義独自)。
* 鄧芝と天下を論ず:鄧芝(とうし)が呉に使者として赴いた際、孫権はかつて彼に「もし天下太平にして、二主分治せば、また楽しからずや」と問うた。鄧芝は「天に二日なく、土に二王なし」と応じ、孫権は大いに笑って鄧芝の忠誠を称賛した。
* 宗預と別れを話す:宗預(そうよ)が呉に使者として赴いた際、孫権はその手を握り、涙を流して別れ、「今、君は年長け、孤もまた衰老す。恐らくは復た相見えざらん」と嘆じ、大珠一斛を贈った。
* 碧眼紫髯:孫権の外貌の特徴は、「方頤大口、碧眼紫髯」と描写され、この人物像は演義において強調され、その独特な標識となった。劉琬はかつて彼に「大貴の表あり、年もまた最も寿し」と予言した。
* 魯粛に計を問う:孫権はかつて魯粛と夜に語らい、いかにして業を守るかを問うた。魯粛は「江東に鼎足して、もって天下の衅を観る」という戦略を提示した(演義独自)。
肖像アーカイブ
人物像
- 容貌
- 四角い顎に大きな口、碧い眼に紫の鬚、骨格は尋常ならず、目には精光があり、容貌は奇偉で、骨柄は並々ならぬものであった。
- 性格
- 性質は寛大明朗で、仁にして決断が多く、侠を好み士を養った。身を屈して恥を忍び、才を任じ計を尊び、勾践のごとき非凡さがあった。性質は猜疑が多く、殺戮に果断であった。度量は宏大だが煽られやすく、外面は従いつつ内心では疑い、将を激励された後には怒りを解いて喜びに転じ、たちまち蒙を啓かれた。
- 話し方
- 辞令に長け、譬喩をもって衆を諭すのに巧みであった。みずからを「孤」と称し、簡潔に問い率直に答え、長々とした弁論はしなかった。
- 生涯
- 字は仲謀、孫堅(そん けん)の子、孫策(そん さく)の弟である。建安五年に策が薨じると事を受け継ぎ、曹公が上表して討虜将軍・会稽(かいけい)太守として呉に屯させた。黄龍元年に南郊で皇帝の位に即き、国号を呉とし、父の堅を武烈皇帝、兄の策を長沙(ちょうさ)桓王と追尊した。
- 逸話
- 孫権(そん けん)は身を屈して恥を忍び、才を任じ計を尊び、勾践のごとき非凡さがあり、英傑の中の傑物であった。晩年には讒言がはびこって善行が絶え、世継ぎが廃されて斃れ、これが国運の衰退の因となった。江東に鎮座してこれを領し、東呉の意思決定者であった。
人間関係
149 件の関係
親族27
君臣11
友人10
敵対15
師弟3
その他71
名言
全 248 件の台詞 · 厳選 3 件
「諸官將有再言降操者,與此案同!」
この言葉は、孫権(そん けん)の果断な決断力を示し、赤壁の戦い(せきへきのたたかい)の基調を定めた。
「昔周郎雄略過人,破曹操於赤壁,不幸早殀,魯子敬代之。子敬初見孤時,便及帝王大略,此一快也;曹操東下,諸人皆勸孤降,子敬獨勸孤召公瑾逆而擊之,此二快也。惟勸吾借荊州與劉備,是其一短。今子明設計定謀,立取荊州,勝子敬、周郎多矣。」
この一句は、孫権(そん けん)による周瑜(しゅうゆ)、魯粛(ろしゅく)、呂蒙(りょもう)への評価をまとめ、その人を用いる知恵を示している。
「閫以內,孤主之;閫以外,將軍制之。」
この言葉は、孫権(そん けん)の陸遜(りくそん)への全幅の信頼と委任を示し、君臣関係の模範である。
登場回78 回 ▸
- 史ch.1ch.2ch.3ch.13ch.14ch.15ch.17ch.18ch.20ch.26ch.28ch.32ch.33ch.35ch.37ch.38ch.39ch.41ch.45ch.46ch.47ch.50ch.51ch.52ch.53ch.55ch.56ch.57ch.58ch.59ch.60ch.61ch.62ch.63ch.64
- 演ch.7ch.15ch.29ch.38ch.39ch.40ch.42ch.43ch.44ch.45ch.49ch.50ch.52ch.53ch.54ch.55ch.56ch.57ch.58ch.61ch.62ch.65ch.66ch.67ch.68ch.73ch.75ch.76ch.77ch.78ch.80ch.81ch.82ch.83ch.84ch.86ch.96ch.98ch.102ch.105ch.106ch.108ch.113
関係の年表74 条 ▸
史 ch.1
- 劉備(りゅうび)§73
friend_of
孙权为备攻合肥
史 ch.3
- 文聘(ぶんぺい)§2
fights_in
孙权攻江夏,太守文聘坚守
- 公孫淵(こうそんえん)§20
betrayed_by
公孙渊斩送孙权所遣使张彌、许晏首
史 ch.17
- 関羽(かんう)§17
enemy_of
禽羽获其众;后遣禁还
史 ch.20
- 曹操(そうそう)§15
witnesses
致巨象于太祖
史 ch.32
- 関羽(かんう)§31
fights_in
袭杀关羽,取荆州
史 ch.35
- 諸葛恪(しょかつかく)§54
advises_in
病笃问诸葛恪以樊建之才"何如宗预"
史 ch.37
- 劉備(りゅうび)§11
spouse_of
以妹妻先主;妹才捷剛猛,侍婢百餘人皆親執刀侍立
史 ch.47
sibling_of
兄弟;策定诸郡时权年十五;策薨以事授权
- 曹操(そうそう)§4
rival_of
曹公表权为讨虏将军;后赤壁、合肥、濡须屡战
sibling_of
兄弟;翊为左右所害以从兄瑜代翊
- 劉備(りゅうび)§10
rival_of
联吴拒曹于赤壁;后索荆州、争三郡;二十四年袭关羽夺荆州;黄武元年以陆逊大破之;二年通使
- 関羽(かんう)§19
enemy_of
内惮羽外欲以为己功;后袭杀之于章乡
- 曹丕(そうひ)§21
serves
称藩、受封吴王、加九锡;后绝
- 孫登(そん とう)§23
parent_of
父子;立登为王太子,黄龙元年为皇太子
- 孫慮(そん りょ)§36
parent_of
父子;黄武七年封建昌侯
- 諸葛亮(しょかつりょう)§38
friend_of
联合盟誓三分天下;以诸葛亮"德威遠著"称之
- 公孫淵(こうそんえん)§45
betrayed_by
渊称藩加爵;后渊斩张弥等送其首于魏;权大怒欲自征
- 孫和(そん か)§60
parent_of
父子;赤乌五年立为太子
- 孫覇(そん は)§60
parent_of
父子;赤乌五年立为鲁王
- 孫亮(そん りょう)§68
parent_of
父子;赤乌十三年立为太子
- 孫休(そん きゅう)§70
parent_of
父子;太元二年立为琅邪王
- 孫奮(そん ふん)§70
parent_of
父子;太元二年立为齐王
史 ch.51
- 孫皎(そん こう)§14
mentor_of
以书让皎;煩諸葛子瑜重宣
史 ch.57
- 朱拠(しゅきょ)§71
mentor_of
权咨嗟将率,追思吕蒙、张温,以据才兼文武可继之
史 ch.58
- 陸遜(りくそん)§40
rival_of
累遣中使责让,陆逊愤恚致卒
史 ch.59
parent_of
长子;权立为太子
史 ch.64
witnesses
大会群臣以驴戏瑾父子;屡试恪才;命行酒难张昭
演 ch.7
- 孫堅(そん けん)§12
kin_of
次子(家世介绍)
演 ch.15
- 孫策(そん さく)§30
kin_of
兄弟;策使权与周泰守宣城
演 ch.38
- 孫翊(そん よく)§38
sibling_of
兄弟;孙翊为丹阳太守;事变后权自领军马至丹阳
演 ch.39
演 ch.42
- 魯粛(ろしゅく)§26
commands_in
喜从其言,遣鲁肃齎礼往江夏吊丧
演 ch.43
- 諸葛亮(しょかつりょう)§19
降阶迎接
- 諸葛亮(しょかつりょう)§23
拂衣而起
- 諸葛亮(しょかつりょう)§24
回嗔作喜重请
- 諸葛亮(しょかつりょう)§26
大悦决意抗曹
演 ch.44
演 ch.49
- 陸遜(りくそん)§20
差陆逊为先锋进兵
演 ch.50
- 陸遜(りくそん)§11
commands_in
教陸遜舉火為號
演 ch.52
- 周瑜(しゅうゆ)§5
commands_in
累战合肥不胜,遣使召都督收回大军赴助
演 ch.53
- 張遼(ちょうりょう)§22
enemy_of
张辽下战书欺人;权大怒;阵前对垒
- 太史享(たいしきょう)§35
kin_of
命厚葬太史慈於南徐北固山下,养其子太史享於府中
演 ch.54
演 ch.55
演 ch.56
演 ch.57
- 周瑜(しゅうゆ)§13
witnesses
闻死放声大哭,赞其"王佐之才"
演 ch.66
演 ch.68
演 ch.76
- 曹操(そうそう)§2
friend_of
遣使奉书,约共夹攻云长
演 ch.77
演 ch.82
friend_of
自言与子瑜"有生死不易之盟"、"神交",疑而能信
演 ch.86
- 陸遜(りくそん)§1
commands_in
拜陆逊为辅国将军江陵侯领荆州牧,军权皆归于逊
- 孫韶(そん しょう)§13
kin_of
急上马来救,喝散刀斧手;以兄爱之故求徐盛宽恕
演 ch.102
- 魏延(ぎえん)§17
rival_of
评其"勇有余而心不正",料其无孔明后必为祸
演 ch.106
enemy_of
遣张弥、许晏赍金宝赴辽东封渊为燕王
演 ch.113
parent_of
孙权第六子
内面の独白 · AI 生成3 段 ▸
- 私は孫権(そん けん)、字は仲謀(ちゅうぼう)である。ここに至って振り返れば、江東を守り抜けたのは、一日の功績でも、一人の力でもない。かつての諸葛瑾(しょかつきん)、歩騭(ほしつ)、朱然(しゅぜん)、全琮(ぜんそう)、朱拠(しゅきょ)、呂岱
- 私が江東の地に足場を築いた当初を思い起こすたび、安寧という二字が孫氏の肩にたやすくのしかかったことなど、一度もなかったと分かる。父や兄が基盤を切り開いた後も、戦はやまず、私がこの家業を引き継いで頼みとしたのは、一時の勇を誇ることではなく、人
- 父兄が事業を切り開いていたころ、私はまだ幼く、江東にはすでに風雲が迫っていた。父の孫堅(そん けん)が兵を挙げて董卓討伐に向かうと、叔父の孫静(そん せい)は、江東はようやく落ち着き始めたばかりであり、一時の恨みから軽々しく大軍を起こすべき
生涯の大事87 ▸
- 0195-01-01 · 宣城(せんじょう)周泰の宣城での孫権護衛(しゅうたいのせんじょうでのそんけんごえい)· 被害者
- 0200-01-01 · 豫章郡(よしょうぐん)華歆の呉離脱・許入り(かきんのごりだつ・きょいり)· 総大将
- 0200-01-01 · 呉県(ごけん)孫権の継位(そんけんのけいい)· 総大将
- 0200-01-01 · 丹徒(たんと)孫策の臨終における孫権への権限委譲(そんさくのりんじゅうにおけるそんけんへのけんげんいじょう)· 目撃者
- 0200-01-01 · 鄴(ぎょう)曹沖、象の重さを量る(そうちゅう、ぞうのおもさをはかる)· 目撃者
- 0200-01-01 · 京口(けいこう)榻上策(とうじょうさく)· 総大将
- 0203-01-01 · 呉県(ごけん)孫権、子の入朝を拒否(そんけん、このにゅうちょうをきょひ)· 総大将
- 0204-01-01 · 宛陵(えんりょう)丹陽の変(たんようのへん)· 目撃者
- 0208-01-01 · 柴桑(さいそう)周瑜都督就任(しゅうゆととくしゅうにん)· 首謀者
- 0208-01-01 · 柴桑(さいそう)孫権の抗曹決断(そんけんのこうそうけつだん)· 総大将
- 0208-01-01 · 合肥(がっぴ/ごうひ)孫権の十万による合肥包囲(そんけんのじゅうまんによるごうひほうい)· 総大将
- 0208-01-01 · 林歷山林歷山之戰· 総大将
- 0208-01-01 · 柴桑(さいそう)江東の抗曹決策(こうとうのこうそうけっさく)· 総大将
- 0208-01-01 · 江夏(こうか)江夏の戦い(こうかのたたかい)· 総大将
- 0208-01-01 · 武漢(ぶかん)甘寧の黄祖攻略献策(かんねいのこうそこうりゃくけんさく)· 総大将
- 0208-01-01 · 沔口董襲による綆斬と蒙衝突破(とうしゅうによるこうぎりともうしょうとっぱ)· 総大将
- 0208-01-01 · 柴桑(さいそう)諸葛亮の東呉への出使(しょかつりょうのとうごへのしゅっし)· 総大将
- 0208-01-01 · 赤壁(せきへき)赤壁の戦い(せきへきのたたかい)· 首謀者
- 0209-01-01 · 南徐(なんじょ)劉備の呉入り(りゅうびのごいり)· 首謀者
- 0209-01-01 · 劉郎浦劉備の呉脱出(りゅうびのごだっしゅつ)· 首謀者
- 0209-01-01 · 京口(けいこう)孔明の三錦嚢の計(こうめいのさんきんのうのけい)· 被害者
- 0209-01-01 · 合肥(がっぴ/ごうひ)蔣済の偽書による合肥救援(しょうさいのぎしょによるがっぴきゅうえん)· 総大将
- 0210-01-01 · 荊州(けいしゅう)荊州の借用(けいしゅうのしゃくよう)· 首謀者
- 0210-01-01 · 巴丘(はきゅう)周瑜の取蜀の謀(しゅうゆのしょくをとるのはかりごと)· 総大将
- 0210-01-01 · 巴丘(はきゅう)周瑜、巴丘に病没(しゅうゆ、ばきゅうにびょうぼつ)· 目撃者
- 0210-01-01 · 荊州(公安)(けいしゅう〔こうあん〕)龐統の蜀帰参と将軍任命(ほうとうのしょくきさんとしょうぐんにんめい)· 目撃者
- 0210-01-01 · 荊州(けいしゅう)魯肅討荊州· 総大将
- 0213-01-01 · 濡須口(じゅしゅこう)濡須口の戦い(じゅしゅこうのたたかい)· 総大将
- 0213-01-01 · 濡須口(じゅしゅこう)甘寧の百騎魏営夜襲(かんねいのひゃっきぎえいやしゅう)· 総大将
- 0214-01-01 · 皖城皖城の戦い(かんじょうのたたかい)· 総大将
- 0215-01-01 · 益陽(えきよう)単刀赴会(たんとうふかい)· 総大将
- 0215-01-01 · 合肥(がっぴ/ごうひ)合肥の戦い(ごうひのたたかい)· 総大将
- 0215-01-01 · 逍遙津(しょうようしん)逍遥津の戦い(しょうようしんのたたかい)· 総大将
- 0215-01-01 · 荊州(けいしゅう)孫呉の荊州三郡奪取(そんごのけいしゅうさんぐんだっしゅ)· 首謀者
- 0215-01-01 · 合肥(がっぴ/ごうひ)張遼の逍遙津での威名(ちょうりょうのしょうようしんでのいめい)· 総大将
- 0215-01-01 · 合肥(がっぴ/ごうひ)甘寧の百騎夜襲(かんねいのひゃっきやしゅう)· 総大将
- 0215-01-01 · 逍遙津(しょうようしん)合肥の戦い(がっぴのたたかい)· 総大将
- 0215-01-01 · 逍遙津(しょうようしん)逍遙津北での伏撃(しょうようしんきたでのふくげき)· 被害者
- 0215-01-01 · 丹陽郡(たんようぐん)陸遜(りくそん)の費棧討伐· 目撃者
- 0217-01-01 · 濡須口(じゅしゅこう)濡須口の戦い(じゅすこうのたたかい)· 総大将
- 0219-01-01 · 江陵(こうりょう)呂蒙の白衣渡江(りょもうのはくいとこう)· 首謀者
- 0219-01-01 · 江陵(こうりょう)白衣渡江(はくいとこう)· 総大将
- 0220-01-01 · 交州(こうしゅう)虞翻の交州への左遷(ぐはんのこうしゅうへのさせん)· 首謀者
- 0221-01-01 · 鄴(ぎょう)于禁の関羽への降伏(うきんのかんうへのこうふく)· 目撃者
- 0221-01-01 · 建業(けんぎょう)孫権の呉王冊封(そんけんのごおうさくほう)· 総大将
- 0221-01-01 · 閬中(ろうちゅう)張飛の暗殺(ちょうひのあんさつ)· 目撃者
- 0221-01-01 · 武昌(ぶしょう)邢貞(けいてい)の呉への使節· 首謀者
- 0221-01-01 · 洛陽(らくよう)魏封孫權吳王· 首謀者
- 0222-01-01 · 夷陵(いりょう)夷陵の戦い(いりょうのたたかい)· 総大将
- 0222-01-01 · 猇亭(こうてい)夷陵の戦い(いりょうのたたかい)· 総大将
- 0223-01-01 · 成都(せいと)五路の蜀征討(ごろのしょくせいとう)· 総大将
- 0223-01-01 · 南中(なんちゅう)南中の反乱(なんちゅうのはんらん)· 首謀者
- 0223-01-01 · 武昌(ぶしょう)呉蜀の盟約再締結(ごしょくのめいやくさいていけつ)· 首謀者
- 0223-01-01 · 武昌(ぶしょう)鄧芝(とうし)の呉への使節· 総大将
- 0226-01-01 · 龍編呂岱の士徽討伐(りょたいのしきとうばつ)· 首謀者
- 0226-01-01 · 建業(けんぎょう)暨豔案· 首謀者
- 0228-01-01 · 石亭(せきてい)周魴の詐降で曹休を誘引(しゅうほうのさこうでそうきゅうをゆういん)· 首謀者
- 0228-01-01 · 石亭(せきてい)石亭の戦い(せきていのたたかい)· 首謀者
- 0229-01-01 · 武昌(ぶしょう)呉蜀の天下三分の盟(ごしょくのてんかさんぶんのめい)· 首謀者
- 0229-01-01 · 武昌(ぶしょう)孫権と蜀漢の同盟再締結(そんけんとしょくかんのどうめいさいていけつ)· 総大将
- 0229-01-01 · 武昌(ぶしょう)孫権の称帝(そんけんのしょうてい)· 総大将
- 0229-01-01 · 武昌(ぶしょう)孫権の称帝・呉建国(そんけんのしょうてい・ごけんこく)· 総大将
- 0229-01-01 · 武昌(ぶしょう)孫登の太子冊立(そんとうのたいしさくりつ)· 首謀者
- 0229-01-01 · 武昌(ぶしょう)陳震(ちんしん)の武昌盟誓· 首謀者
- 0230-01-01 · 建業(けんぎょう)呂壹の専権事件(りょいちのせんけんじけん)· 首謀者
- 0230-01-01 · 夷州(いしゅう)孫権の夷州遠征(そんけんのいしゅうえんせい)· 総大将
- 0230-01-01 · 建業(けんぎょう)朱拠の冤罪事件(しゅきょのえんざいじけん)
- 0231-01-01 · 五溪潘濬の五渓蛮討伐(はんしゅんのごけいばんとうばつ)· 首謀者
- 0233-01-01 · 襄平(じょうへい)公孫淵による孫権使者の斬殺(こうそんえんによるそんけんししゃのざんさつ)· 総大将
- 0233-01-01 · 襄平(じょうへい)孫権、公孫淵を燕王に封じる(そんけん、こうそんえんをえんおうにふうじる)· 総大将
- 0234-01-01 · 合肥(がっぴ/ごうひ)合肥新城の戦い(ごうひしんじょうのたたかい)· 総大将
- 0234-01-01 · 合肥(がっぴ/ごうひ)満寵の攻城具焼き払い・孫泰射殺(まんちょうのこうじょうぐやきはらい・そんたいしゃさつ)· 総大将
- 0234-01-01 · 祁山(きざん)諸葛亮の六出祁山(しょかつりょうのろくしゅつきさん)· 目撃者
- 0234-01-01 · 丹陽郡(たんよう)諸葛恪の丹陽山越平定(しょかつかくのたんようさんえつへいてい)· 首謀者
- 0236-01-01 · 襄陽(じょうよう)嘉禾五年、呉の襄陽攻撃(かわごねん、ごのじょうようこうげき)· 首謀者
- 0238-01-01 · 襄平(じょうへい)遼東公孫氏(こうそんし)の割拠
- 0239-01-01 · 零陵(れいりょう)廖式之亂· 首謀者
- 0241-01-01 · 合肥(がっぴ/ごうひ)満寵の淮南防衛(まんちょうのわいなんぼうえい)· 総大将
- 0242-01-01 · 建業(けんぎょう)孫和の太子冊立(そんかのたいしさくりつ)· 首謀者
- 0245-01-01 · 建業(けんぎょう)顧譚上疏論嫡庶· 目撃者
- 0248-01-01 · 交州(こうしゅう)陸胤(りくいん)の交州平定· 目撃者
- 0250-01-01 · 建業(けんぎょう)二宮事件(にきゅうじけん)· 首謀者
- 0250-01-01 · 建業(けんぎょう)孫覇の賜死とその党派の誅殺(そんはのしさとそのとうはのちゅうさつ)· 首謀者
- 0250-01-01 · 建業(けんぎょう)太子廃位と魯王覇の賜死(たいしはいいとろおうはのしさ)· 首謀者
- 0252-01-01 · 建業(けんぎょう)孫権の遺命輔政(そんけんのゆいめいほせい)· 首謀者
- 0253-01-01 · 新都(しんと)孫和の廃位と賜死(そんかのはいいとしし)· 首謀者
- 0253-01-01 · 合肥新城(ごうひしんじょう)諸葛恪の合肥新城包囲(しょかつかくのがっぴしんじょうほうい)· 目撃者