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孫権(そん けん)

孫権集団(そんけんしゅうだん) · 讨虏将军/车骑将军

孫権(そん けん)

字 仲謀

登場回
78
台詞の記録
248
人間関係
149
内面の独白
3

史載(Historical Record)

孫権(そん けん)、字は仲謀は、その兄の孫策(そん さく)が江東の諸郡を平定した際、わずか十五歳で陽羨長に任じられた。彼はその父孫堅(そん けん)が下邳(かひ)で丞を務めていた時に生まれ、方頤大口、目に精光あり、孫堅に貴き相ありとみなされた。孫策の死後、孫権はその位を継ぎ、曹操(そうそう)は彼を表して討虜将軍とし、会稽(かいけい)太守を領し、呉に屯した。そして張昭(ちょうしょう)を師傅とし、周瑜(しゅうゆ)、程普(ていふ)、呂範(りょはん)らを将率とし、俊秀を招き寄せ、名士を聘求し、魯粛(ろしゅく)、諸葛瑾(しょかつきん)らはみな賓客となった。

建安十三年(208年)、孫権は再び黄祖(こうそ)を征討し、呂蒙(りょもう)がその前鋒を破り、凌統(りょうとう)、董襲(とうしゅう)らが城を攻め、ついにその城を屠った。黄祖は逃亡したが、騎士の馮則に追われ首を梟された。同年、劉表(りゅう ひょう)が死去し、魯粛は命を奉じて弔問し、また情勢を観察した。曹操が南下し、劉琮(りゅうそう)が降伏すると、劉備(りゅうび)は江を南渡しようとした。魯粛は劉備と会見し、孫権の意を伝え、成敗を陳べた。劉備は夏口(かこう)に進駐し、諸葛亮(しょかつりょう)を遣わして孫権に会見させた。この時、曹操は新たに劉表の衆を得て声勢盛んであり、議する者の多くは孫権に降を迎えるよう勧めた。しかし周瑜、魯粛は曹に抗することを力説し、孫権はその議を採り、周瑜、程普らを遣わして三万の水軍を率いさせ劉備と合流し、赤壁(せきへき)で曹操の軍を大破した。曹操は船を焼いて退き、士卒は飢えと疫により死者は大半に及んだ。劉備、周瑜らは南郡(なんぐん)まで追撃し、曹操はついに北へ還った。

建安十九年(214年)、孫権は皖城を征して克ち、廬江(ろこう)太守の朱光および参軍の董和(とう か)、男女数万口を獲た。同年、劉備が益州(えきしゅう)を平定すると、孫権は諸葛瑾を遣わして荊州(けいしゅう)の諸郡を求めたが、劉備は許さなかった。孫権は大いに怒り、呂蒙に兵を督させて長沙(ちょうさ)、零陵(れいりょう)、桂陽郡(けいようぐん)の三郡を取らせ、また魯粛に巴丘(はきゅう)に屯させて関羽(かんう)を防がせた。後に曹操が漢中(かんちゅう)に入り、劉備は益州を失うことを恐れ、使者を遣わして和を求めた。孫権はそこで劉備と荊州を分け、長沙、江夏(こうか)、桂陽以東を孫権に属させ、南郡、零陵、武陵(ぶりょう)以西を劉備に属させた。

建安二十四年(219年)、関羽が曹仁(そうじん)を襄陽(じょうよう)に囲むと、曹操は于禁(うきん)を遣わして救援させた。漢水(かんすい)が暴れ漲り、于禁ら七軍はみな水没し、于禁は降伏した。孫権は呂蒙を遣わして公安を襲取させ、南郡太守の糜芳(びほう)は降伏した。陸遜(りくそん)は別に宜都を取った。関羽は麦城(ばくじょう)に退き守ったが、後に朱然(しゅぜん)、潘璋(はんしょう)に退路を断たれ、潘璋の司馬である馬忠(ばちゅう)が関羽およびその子関平(かんぺい)、都督の趙累(ちょうるい)を擒え、荊州はついに定まった。

黄初二年(221年)、魏文帝曹丕(そうひ)が即位した後、孫権は藩を称し、于禁らを帰還させた。曹丕は孫権を呉王に封じ、九錫を加えた。同年、劉備が呉を伐ち、巫山、秭帰に至り、使者を遣わして武陵の蛮夷を誘導し、印伝を仮し与え、封賞を許した。孫権は陸遜を督とし、朱然、潘璋らを督させてこれを拒んだ。

演中(In the Novel)

『三国(さんごく)演義』においては、孫権は孫策の死後、床前に哭き倒れ、張昭は彼に「これ将軍の哭する時にあらず」と諫めた。周瑜もまた彼に父兄の業を継ぐよう勧め、孫権に策を献じて、「古より『人を得る者は昌え、人を失う者は亡ぶ』。今の計を為すには、すべからく高明遠見の人を求めて輔とし、然る後に江東は定むべし」と指摘した。小説では孫権の人物像を「方頤大口、碧眼紫髯」と描き、また劉琬の評価を引いて、彼が「形貌奇偉、骨格非常、すなわち大貴の表、また高寿を享く」とみなした。

赤壁の戦い(せきへきのたたかい)の前夜、曹操の大軍が圧迫し、江東の衆謀士の多くは降を主張した。魯粛はかえって孫権に曹に降ってはならぬと力説し、「衆はみな曹操に降るべし、ただ将軍のみ曹操に降るべからず」と指摘した。孫権はこれを聞いて「嘆じて曰く、『諸人の議論、大いに孤の望みを失す。子敬の大計を開説せるは、まさに吾が見と相同じ。これ天の子敬を以て我に賜うなり』」と言った。諸葛亮が群儒と舌戦(ぜっせんぐんじゅ)した後も、孫権はなお躊躇していた。呉国太(ごこくたい)は孫権に「先姉の遺言に云う、『伯符臨終に言あり、内事決せざれば張昭に問い、外事決せざれば周瑜に問え』と。今なんぞ公瑾を請うてこれを問わざるや」と促し、孫権はそこで周瑜を請うて議事し、ついに曹に抗する決心を固めた。

小説では、孫権が黄祖を攻めた際、甘寧(かんねい)が計を献じ、孫権は大いに喜んで「吾、興霸を得たれば、黄祖を破るは必せり」と称した。黄祖が擒えられた後、甘寧が蘇飛のために命乞いをし、孫権は蘇飛を赦した。凌統は甘寧がその父凌操(りょうそう)を射殺したため仇を報いようとしたが、孫権はこれを諫め止め、凌統を承烈都尉に加封すると同時に、甘寧に夏口を鎮守させて凌統を避けさせた。これらの筋書きはいずれも、孫権の人を用い軍を治める上での権衡と決断を際立たせている。

重要な関係

* 劉備(friend_of/fights_in):孫権と劉備は赤壁の戦いにおいて同盟し、共に曹操に対抗した。しかし、関羽が油断して荊州を失うにつれ、孫劉同盟は破裂し、孫権と劉備の間に夷陵の戦い(いりょうのたたかい)が勃発した。演義では、諸葛亮が群儒と舌戦し、孫権を激して曹に抗させ、孫劉同盟の成立を促した。
* 曹魏(そうぎ)(serves/fights_in):孫権は異なる時期において曹魏と複雑な関係を保っていた。赤壁の戦いの際、孫権は劉備と手を組んで曹操を大敗させた。後に、孫権はかつて曹魏に藩を称し、呉王に封じられた。しかし彼はまた、合肥の戦い(ごうひのたたかい)など、たびたび曹魏と交戦した。演義では、曹操はかつて孫策の喪に乗じて呉を伐とうとしたが、後に張紘の諫めを聞き入れ、孫権を将軍に封じた。
* 文聘(ぶんぺい)(fights_in):孫権はかつて江夏郡を攻め、太守の文聘は堅守した。曹叡(そうえい)は孫権が水戦に習熟しており、この挙はその不意に乗じようとするものだと考えたが、攻守の勢には別あり、孫権はついに久しく留まる勇気を持てなかった。後に荀禹が兵を率いて火を挙げ、孫権は退き走った。
* 孫権集団(そんけんしゅうだん)(lord_of):孫権は江東の基業の継承者にして指導者である。彼は張昭、周瑜、魯粛らの文臣武将を重用し、共に江東を治め、外敵を防いだ。演義では、孫権は広く賢士を納め、闞沢(かんたく)、厳畯(げんしゅん)、薛綜(せつそう)、顧雍(こよう)、呂蒙、陸遜らがおり、江東に人材を満ち溢れさせた。

象徴的な場面

* 赤壁の戦い:孫権は劉備と手を組み、赤壁で曹操を大敗させ、三国鼎立の基礎を築いた。演義では、諸葛亮が孫権を激して曹に抗させ、周瑜が戦を力説し、最終的にこの決定的な勝利を促した。
* 荊州の襲取:孫権は関羽が北のかた曹魏を伐つ機に乗じ、呂蒙を遣わして荊州を奇襲させ、関羽を擒え殺し、荊州を奪い返すことに成功した。この事件は孫劉同盟の破裂を直接招いた。
* 合肥の戦い(ごうひのたたかい):孫権はたびたび合肥(がっぴ/ごうひ)を攻めたが、いずれも成功できなかった。そのうち一度は、孫権が十万の衆を率いて城を百余日囲んだが、天が連日雨を降らせ城が崩れそうになり、後に張喜の援兵が将に至らんとしたため退き走った。演義では、孫権は津北で張遼(ちょうりょう)に襲撃されたが、幸いにも凌統、甘寧らの死戦を得て、駿馬に乗って津橋を越え、難を逃れることができた(演義独自)。
* 象の重さを量る:孫権はかつて曹操に巨象を進献し、曹操はその重量を知りたがった。その子曹沖(そうちゅう)は「象を大船の上に置き、その水痕の至る所を刻し、物を称ってこれに載すれば、すなわち校べて知るべし」という方法を提示した(演義独自)。
* 鄧芝と天下を論ず:鄧芝(とうし)が呉に使者として赴いた際、孫権はかつて彼に「もし天下太平にして、二主分治せば、また楽しからずや」と問うた。鄧芝は「天に二日なく、土に二王なし」と応じ、孫権は大いに笑って鄧芝の忠誠を称賛した。
* 宗預と別れを話す:宗預(そうよ)が呉に使者として赴いた際、孫権はその手を握り、涙を流して別れ、「今、君は年長け、孤もまた衰老す。恐らくは復た相見えざらん」と嘆じ、大珠一斛を贈った。
* 碧眼紫髯:孫権の外貌の特徴は、「方頤大口、碧眼紫髯」と描写され、この人物像は演義において強調され、その独特な標識となった。劉琬はかつて彼に「大貴の表あり、年もまた最も寿し」と予言した。
* 魯粛に計を問う:孫権はかつて魯粛と夜に語らい、いかにして業を守るかを問うた。魯粛は「江東に鼎足して、もって天下の衅を観る」という戦略を提示した(演義独自)。

肖像アーカイブ

人物像

容貌
四角い顎に大きな口、碧い眼に紫の鬚、骨格は尋常ならず、目には精光があり、容貌は奇偉で、骨柄は並々ならぬものであった。
性格
性質は寛大明朗で、仁にして決断が多く、侠を好み士を養った。身を屈して恥を忍び、才を任じ計を尊び、勾践のごとき非凡さがあった。性質は猜疑が多く、殺戮に果断であった。度量は宏大だが煽られやすく、外面は従いつつ内心では疑い、将を激励された後には怒りを解いて喜びに転じ、たちまち蒙を啓かれた。
話し方
辞令に長け、譬喩をもって衆を諭すのに巧みであった。みずからを「孤」と称し、簡潔に問い率直に答え、長々とした弁論はしなかった。
生涯
字は仲謀、孫堅(そん けん)の子、孫策(そん さく)の弟である。建安五年に策が薨じると事を受け継ぎ、曹公が上表して討虜将軍・会稽(かいけい)太守として呉に屯させた。黄龍元年に南郊で皇帝の位に即き、国号を呉とし、父の堅を武烈皇帝、兄の策を長沙(ちょうさ)桓王と追尊した。
逸話
孫権(そん けん)は身を屈して恥を忍び、才を任じ計を尊び、勾践のごとき非凡さがあり、英傑の中の傑物であった。晩年には讒言がはびこって善行が絶え、世継ぎが廃されて斃れ、これが国運の衰退の因となった。江東に鎮座してこれを領し、東呉の意思決定者であった。

人間関係

149 件の関係

名言

全 248 件の台詞 · 厳選 3 件

「諸官將有再言降操者,與此案同!」

演 第44回

この言葉は、孫権(そん けん)の果断な決断力を示し、赤壁の戦い(せきへきのたたかい)の基調を定めた。

「昔周郎雄略過人,破曹操於赤壁,不幸早殀,魯子敬代之。子敬初見孤時,便及帝王大略,此一快也;曹操東下,諸人皆勸孤降,子敬獨勸孤召公瑾逆而擊之,此二快也。惟勸吾借荊州與劉備,是其一短。今子明設計定謀,立取荊州,勝子敬、周郎多矣。」

演 第77回

この一句は、孫権(そん けん)による周瑜(しゅうゆ)、魯粛(ろしゅく)、呂蒙(りょもう)への評価をまとめ、その人を用いる知恵を示している。

「閫以內,孤主之;閫以外,將軍制之。」

演 第83回→ 陸遜(りくそん)📍 建業(けんぎょう)

この言葉は、孫権(そん けん)の陸遜(りくそん)への全幅の信頼と委任を示し、君臣関係の模範である。

登場回78 回 ▸
  • 史ch.1ch.2ch.3ch.13ch.14ch.15ch.17ch.18ch.20ch.26ch.28ch.32ch.33ch.35ch.37ch.38ch.39ch.41ch.45ch.46ch.47ch.50ch.51ch.52ch.53ch.55ch.56ch.57ch.58ch.59ch.60ch.61ch.62ch.63ch.64
  • 演ch.7ch.15ch.29ch.38ch.39ch.40ch.42ch.43ch.44ch.45ch.49ch.50ch.52ch.53ch.54ch.55ch.56ch.57ch.58ch.61ch.62ch.65ch.66ch.67ch.68ch.73ch.75ch.76ch.77ch.78ch.80ch.81ch.82ch.83ch.84ch.86ch.96ch.98ch.102ch.105ch.106ch.108ch.113
関係の年表74 条 ▸

史 ch.1

史 ch.3

史 ch.17

史 ch.20

史 ch.32

史 ch.35

史 ch.37

史 ch.47

史 ch.51

史 ch.57

史 ch.58

史 ch.59

史 ch.64

演 ch.7

演 ch.15

演 ch.38

演 ch.39

演 ch.42

演 ch.43

演 ch.44

演 ch.49

演 ch.50

演 ch.52

演 ch.53

演 ch.54

演 ch.55

演 ch.56

  • rival_of

    從顧雍計表薦劉備為荊州牧、以妹嫁之,以間曹劉;又遣魯肅索荊州

  • commands_in

    命曰「汝昔保荊州與劉備今備遷延不還等待何時」遣魯肅赴荊州索還

演 ch.57

演 ch.66

演 ch.68

演 ch.76

演 ch.77

演 ch.82

演 ch.86

演 ch.102

演 ch.106

演 ch.113

内面の独白 · AI 生成3 段 ▸
  • 私は孫権(そん けん)、字は仲謀(ちゅうぼう)である。ここに至って振り返れば、江東を守り抜けたのは、一日の功績でも、一人の力でもない。かつての諸葛瑾(しょかつきん)、歩騭(ほしつ)、朱然(しゅぜん)、全琮(ぜんそう)、朱拠(しゅきょ)、呂岱
  • 私が江東の地に足場を築いた当初を思い起こすたび、安寧という二字が孫氏の肩にたやすくのしかかったことなど、一度もなかったと分かる。父や兄が基盤を切り開いた後も、戦はやまず、私がこの家業を引き継いで頼みとしたのは、一時の勇を誇ることではなく、人
  • 父兄が事業を切り開いていたころ、私はまだ幼く、江東にはすでに風雲が迫っていた。父の孫堅(そん けん)が兵を挙げて董卓討伐に向かうと、叔父の孫静(そん せい)は、江東はようやく落ち着き始めたばかりであり、一時の恨みから軽々しく大軍を起こすべき
生涯の大事87 ▸
  1. 周泰の宣城での孫権護衛(しゅうたいのせんじょうでのそんけんごえい)· 被害者
  2. 華歆の呉離脱・許入り(かきんのごりだつ・きょいり)· 総大将
  3. 0200-01-01 · 呉県(ごけん)
    孫権の継位(そんけんのけいい)· 総大将
  4. 0200-01-01 · 丹徒(たんと)
    孫策の臨終における孫権への権限委譲(そんさくのりんじゅうにおけるそんけんへのけんげんいじょう)· 目撃者
  5. 0200-01-01 · 鄴(ぎょう)
    曹沖、象の重さを量る(そうちゅう、ぞうのおもさをはかる)· 目撃者
  6. 榻上策(とうじょうさく)· 総大将
  7. 0203-01-01 · 呉県(ごけん)
    孫権、子の入朝を拒否(そんけん、このにゅうちょうをきょひ)· 総大将
  8. 丹陽の変(たんようのへん)· 目撃者
  9. 周瑜都督就任(しゅうゆととくしゅうにん)· 首謀者
  10. 孫権の抗曹決断(そんけんのこうそうけつだん)· 総大将
  11. 孫権の十万による合肥包囲(そんけんのじゅうまんによるごうひほうい)· 総大将
  12. 0208-01-01 · 林歷山
    林歷山之戰· 総大将
  13. 江東の抗曹決策(こうとうのこうそうけっさく)· 総大将
  14. 0208-01-01 · 江夏(こうか)
    江夏の戦い(こうかのたたかい)· 総大将
  15. 0208-01-01 · 武漢(ぶかん)
    甘寧の黄祖攻略献策(かんねいのこうそこうりゃくけんさく)· 総大将
  16. 0208-01-01 · 沔口
    董襲による綆斬と蒙衝突破(とうしゅうによるこうぎりともうしょうとっぱ)· 総大将
  17. 諸葛亮の東呉への出使(しょかつりょうのとうごへのしゅっし)· 総大将
  18. 赤壁の戦い(せきへきのたたかい)· 首謀者
  19. 劉備の呉入り(りゅうびのごいり)· 首謀者
  20. 0209-01-01 · 劉郎浦
    劉備の呉脱出(りゅうびのごだっしゅつ)· 首謀者
  21. 孔明の三錦嚢の計(こうめいのさんきんのうのけい)· 被害者
  22. 蔣済の偽書による合肥救援(しょうさいのぎしょによるがっぴきゅうえん)· 総大将
  23. 荊州の借用(けいしゅうのしゃくよう)· 首謀者
  24. 周瑜の取蜀の謀(しゅうゆのしょくをとるのはかりごと)· 総大将
  25. 周瑜、巴丘に病没(しゅうゆ、ばきゅうにびょうぼつ)· 目撃者
  26. 龐統の蜀帰参と将軍任命(ほうとうのしょくきさんとしょうぐんにんめい)· 目撃者
  27. 魯肅討荊州· 総大将
  28. 濡須口の戦い(じゅしゅこうのたたかい)· 総大将
  29. 甘寧の百騎魏営夜襲(かんねいのひゃっきぎえいやしゅう)· 総大将
  30. 0214-01-01 · 皖城
    皖城の戦い(かんじょうのたたかい)· 総大将
  31. 単刀赴会(たんとうふかい)· 総大将
  32. 合肥の戦い(ごうひのたたかい)· 総大将
  33. 逍遥津の戦い(しょうようしんのたたかい)· 総大将
  34. 孫呉の荊州三郡奪取(そんごのけいしゅうさんぐんだっしゅ)· 首謀者
  35. 張遼の逍遙津での威名(ちょうりょうのしょうようしんでのいめい)· 総大将
  36. 甘寧の百騎夜襲(かんねいのひゃっきやしゅう)· 総大将
  37. 合肥の戦い(がっぴのたたかい)· 総大将
  38. 逍遙津北での伏撃(しょうようしんきたでのふくげき)· 被害者
  39. 陸遜(りくそん)の費棧討伐· 目撃者
  40. 濡須口の戦い(じゅすこうのたたかい)· 総大将
  41. 呂蒙の白衣渡江(りょもうのはくいとこう)· 首謀者
  42. 白衣渡江(はくいとこう)· 総大将
  43. 虞翻の交州への左遷(ぐはんのこうしゅうへのさせん)· 首謀者
  44. 0221-01-01 · 鄴(ぎょう)
    于禁の関羽への降伏(うきんのかんうへのこうふく)· 目撃者
  45. 孫権の呉王冊封(そんけんのごおうさくほう)· 総大将
  46. 張飛の暗殺(ちょうひのあんさつ)· 目撃者
  47. 邢貞(けいてい)の呉への使節· 首謀者
  48. 魏封孫權吳王· 首謀者
  49. 夷陵の戦い(いりょうのたたかい)· 総大将
  50. 夷陵の戦い(いりょうのたたかい)· 総大将
  51. 0223-01-01 · 成都(せいと)
    五路の蜀征討(ごろのしょくせいとう)· 総大将
  52. 南中の反乱(なんちゅうのはんらん)· 首謀者
  53. 呉蜀の盟約再締結(ごしょくのめいやくさいていけつ)· 首謀者
  54. 鄧芝(とうし)の呉への使節· 総大将
  55. 0226-01-01 · 龍編
    呂岱の士徽討伐(りょたいのしきとうばつ)· 首謀者
  56. 暨豔案· 首謀者
  57. 周魴の詐降で曹休を誘引(しゅうほうのさこうでそうきゅうをゆういん)· 首謀者
  58. 石亭の戦い(せきていのたたかい)· 首謀者
  59. 呉蜀の天下三分の盟(ごしょくのてんかさんぶんのめい)· 首謀者
  60. 孫権と蜀漢の同盟再締結(そんけんとしょくかんのどうめいさいていけつ)· 総大将
  61. 孫権の称帝(そんけんのしょうてい)· 総大将
  62. 孫権の称帝・呉建国(そんけんのしょうてい・ごけんこく)· 総大将
  63. 孫登の太子冊立(そんとうのたいしさくりつ)· 首謀者
  64. 陳震(ちんしん)の武昌盟誓· 首謀者
  65. 呂壹の専権事件(りょいちのせんけんじけん)· 首謀者
  66. 孫権の夷州遠征(そんけんのいしゅうえんせい)· 総大将
  67. 朱拠の冤罪事件(しゅきょのえんざいじけん)
  68. 0231-01-01 · 五溪
    潘濬の五渓蛮討伐(はんしゅんのごけいばんとうばつ)· 首謀者
  69. 公孫淵による孫権使者の斬殺(こうそんえんによるそんけんししゃのざんさつ)· 総大将
  70. 孫権、公孫淵を燕王に封じる(そんけん、こうそんえんをえんおうにふうじる)· 総大将
  71. 合肥新城の戦い(ごうひしんじょうのたたかい)· 総大将
  72. 満寵の攻城具焼き払い・孫泰射殺(まんちょうのこうじょうぐやきはらい・そんたいしゃさつ)· 総大将
  73. 0234-01-01 · 祁山(きざん)
    諸葛亮の六出祁山(しょかつりょうのろくしゅつきさん)· 目撃者
  74. 諸葛恪の丹陽山越平定(しょかつかくのたんようさんえつへいてい)· 首謀者
  75. 嘉禾五年、呉の襄陽攻撃(かわごねん、ごのじょうようこうげき)· 首謀者
  76. 遼東公孫氏(こうそんし)の割拠
  77. 廖式之亂· 首謀者
  78. 満寵の淮南防衛(まんちょうのわいなんぼうえい)· 総大将
  79. 孫和の太子冊立(そんかのたいしさくりつ)· 首謀者
  80. 顧譚上疏論嫡庶· 目撃者
  81. 陸胤(りくいん)の交州平定· 目撃者
  82. 二宮事件(にきゅうじけん)· 首謀者
  83. 孫覇の賜死とその党派の誅殺(そんはのしさとそのとうはのちゅうさつ)· 首謀者
  84. 太子廃位と魯王覇の賜死(たいしはいいとろおうはのしさ)· 首謀者
  85. 孫権の遺命輔政(そんけんのゆいめいほせい)· 首謀者
  86. 0253-01-01 · 新都(しんと)
    孫和の廃位と賜死(そんかのはいいとしし)· 首謀者
  87. 諸葛恪の合肥新城包囲(しょかつかくのがっぴしんじょうほうい)· 目撃者