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司馬懿(しばい)

曹魏(そうぎ) · 太傅

司馬懿(しばい)

字 仲達

登場回
48
台詞の記録
177
人間関係
84
内面の独白
3

史実(Historical Record)

司馬懿(しばい)は、字を仲達といい、河内温の人で、曹魏(そうぎ)政権の中後期において極めて影響力のある権臣であり軍事統帥であった。正史の記載において、彼は早年に才略で名を馳せ、曹操(そうそう)、曹丕(そうひ)、曹叡(そうえい)の三朝を経て、その政治的生涯は隠忍、機変、深謀遠慮を核心的特徴とした。軍事においては、遼東の公孫淵(こうそんえん)の反乱を平定しただけでなく、西北の防衛線において長期にわたり蜀漢(しょくかん)の攻撃を防ぎ、魏国の西陲の定海神針となった。

諸葛亮(しょかつりょう)の最後の北伐の期間、司馬懿(しばい)は命を受けて渭南に駐屯し、諸葛亮(しょかつりょう)と武功の五丈原(ごじょうげん)で対峙した。諸葛亮(しょかつりょう)の挑発に直面して、司馬懿(しばい)は蜀軍の糧草の輸送が困難であることを深く知り、堅守して出ない策を取り、蜀軍が送ってきた婦人の衣服を忍んでその出戦を激発しようとされても、終始動じなかった。『漢晋春秋』の記載によれば、諸葛亮(しょかつりょう)はかつて使者を遣わして司馬懿(しばい)の飲食起居を探らせたが、使者は諸葛亮(しょかつりょう)が「夙に興き夜に寐ね、罰二十以上は、皆親しく揽る」と報告し、司馬懿(しばい)はこれにより諸葛亮(しょかつりょう)の命が長くないと断言した c:225。最終的に、諸葛亮(しょかつりょう)は軍中で病没し、魏軍は撤退した。司馬懿(しばい)はその後蜀漢(しょくかん)の営地に入って勘察し、その治軍の厳整さに感嘆し、彼を「天下の奇才なり」と称した c:225。この評価は客観的に見えるものの、司馬懿(しばい)のこの生涯の宿敵に対する複雑な心境をも反映している。諸葛亮(しょかつりょう)の死後、司馬懿(しばい)はかつて蜀軍を追撃したが、姜維(きょうい)が楊儀(ようぎ)に旗を反して鼓を鳴らさせ、虚勢を張ったため、司馬懿(しばい)は伏兵があるのではと疑って退兵し、民間ではそこで「死せる諸葛、生ける仲達を走らす」という諺ができた c:225。

演義(In the Novel)

『三国演義』の文学的叙事において、司馬懿(しばい)の人物像はさらに劇化され、その謀略と野心は曹丕(そうひ)の継位の初期にすでに露わになっている。小説は特に司馬懿(しばい)の政治的決定における主導性と影響力を強化し、彼を曹魏(そうぎ)政権において不可欠な知囊の役割として造形している。

劉備(りゅうび)が白帝城(はくていじょう)で病没した後、魏主曹丕(そうひ)は蜀国に主のない機に乗じて五路の蜀征討(ごろのしょくせいとう)を発動しようとした。このとき、司馬懿(しばい)は班部の中から奮然と出て、自ら計を献じ、単に中原の兵力に頼るのではなく、「五路の大兵、四面より夾攻す」という策を取り、諸葛亮(しょかつりょう)に首尾相顧みさせないことを進言した c:226。この筋立ては歴史上明確な記載がなく、羅貫中の芸術的加工に属する。司馬懿(しばい)は五路の進攻案を詳細に列挙した。一つは遼東の鮮卑王軻比能(かびのう)と連合して羌兵十万を起こし西平関を取ること、二つは南蛮王孟獲(もうかく)が兵十万を起こして益州(えきしゅう)以南を攻めること、三つは東呉と修好し、地を割いて孫権(そん けん)に両川の夾口を攻めさせること、四つは降将の孟達(もうたつ)を利用して上庸(じょうよう)の兵十万を起こし漢中(かんちゅう)を攻めること、五つは曹真(そうしん)を大都督に命じて兵十万を提げ陽平関(ようへいかん)を出ることである c:229。歴史上、曹丕(そうひ)は確かにかつて多路で蜀を伐つことを計画していたが、「五路伐蜀」の具体的な策定者および細部は、正史においてこのように詳細に司馬懿(しばい)一人に帰せられてはおらず、演義はこの筋立てを通して司馬懿(しばい)の曹魏(そうぎ)朝廷における戦略的地位を大いに高め、その「算に遺策なし」の謀士像を際立たせ、同時にその後の権勢膨張の政治的資本をも暗示している。

重要な関係

諸葛亮(しょかつりょう):司馬懿(しばい)と諸葛亮(しょかつりょう)は三国(さんごく)時代の最も古典的なライバル関係である。史実において、両者は五丈原(ごじょうげん)で長期に対峙し、司馬懿(しばい)は諸葛亮(しょかつりょう)への評価が極めて高く、彼を「天下の奇才」と称した c:225。この評価はライバルの軍事的才能への認可を含むと同時に、政治的な尊重をも含んでいる。一方、『三国演義』においては、この関係により多くの心理的駆け引きの色彩が与えられており、「死せる諸葛、生ける仲達を走らす」の故事 c:225 は、司馬懿(しばい)の慎重で疑り深いさまを表すだけでなく、側面から諸葛亮(しょかつりょう)が死後もなお威懾力を持つ伝奇的色彩を引き立てている。

曹丕(そうひ):司馬懿(しばい)と曹丕(そうひ)の関係は典型的な君臣であり政治的盟友である。演義において、曹丕(そうひ)は司馬懿(しばい)を極めて信任し、とりわけ劉備(りゅうび)の死後、曹丕(そうひ)は司馬懿(しばい)が提示した五路伐蜀の策を採用した c:226。この筋立ては史書には明載がないものの、司馬懿(しばい)が曹丕(そうひ)集団における中核的顧問の地位にあったことを反映している。曹丕(そうひ)の信頼は司馬懿(しばい)が後に曹魏(そうぎ)政権で権勢を積み重ねる基礎を築き、また後の司馬氏(しばし)が魏に代わる歴史的趨勢をも予示した。

象徴的な場面

五丈原の対峙と「天下の奇才」の嘆

これは司馬懿(しばい)の軍事的生涯において最も重要な場面の一つである。234年、諸葛亮(しょかつりょう)は大軍を率いて斜谷を出て、武功の五丈原(ごじょうげん)に拠り、司馬懿(しばい)と渭南で対峙した c:225。双方は百余日相持し、諸葛亮(しょかつりょう)は糧草が続かないため兵を分けて屯田し、長期に駐屯しようとした。司馬懿(しばい)は固守の策を取り、蜀軍の挑戦と羞辱に直面しても、戦わないことを堅持した。諸葛亮(しょかつりょう)が病没した後、司馬懿(しばい)は軍を率いて追撃し、蜀軍の営地を勘察した後に「天下の奇才なり」という感嘆を発した c:225。この場面は北伐戦争の終結を示すだけでなく、司馬懿(しばい)の魏国の最高位の軍事統帥としての地位を確立した。注目すべきは、諸葛亮(しょかつりょう)の死について、正史はその軍中での病没を記載しているが、『魏書』など偽托や野史はその「呕血」あるいは「谷道に入りて発病」と記載しており、司馬懿(しばい)の感嘆はより多くライバルの治軍の厳謹さへの敬服から出たものであって、単純な勝利者の姿勢ではない。

五路伐蜀の計を献じる(演義独自)

この場面は『三国演義』第八十五回にのみ見られる。劉備(りゅうび)が亡くなったばかりで、蜀国が群龍無首の際、曹丕(そうひ)が兵を発して蜀を伐とうとしたとき、司馬懿(しばい)は自ら計を献じ、鮮卑、南蛮、東呉と連合し、孟達(もうたつ)を利用する五路の進攻案を提示した c:229。この筋立ては史実ではないものの、文学的に極めて張力に富み、司馬懿(しばい)の政治的危機における鋭い洞察力と戦略的統籌の能力を示している。この場面を通して、作者はまんまと司馬懿(しばい)を一介の単なる将領から、国家の運命を左右しうる戦略家へと高め、その後の政治的台頭の伏線を張った。この筋立ては明確に演義独自の筋立てと標記されており、司馬懿(しばい)の智謀像を際立たせ、史実における比較的保守的な軍事的スタイルとの対比をなすことを目的としている。

肖像アーカイブ

人物像

容貌
太祖(たいそ)はかつて彼を「鷹視狼顧」の相であると評した。
性格
司馬懿(しばい)は節度を保ちて謀があり、功は天下を覆い、深い謀略を備えつつ忠と畏れが並び存した。彼は機に応じて深く沈み、敵を先んじて読み、慎重で疑い深く、先機を算定するのに巧みで、人をもって人に対する用兵をした。
話し方
司馬懿の言葉の特徴は短く鋭く沈んで決断的であり、しばしば反問によってみずから決し、兵法の格言を巧みに用いて経路や相手の心理を分析する点にある。彼はしばしば「吾が料るに……」で切り出し、また疑いに満ちて嘆じ、しばしば「怪なるかな!怪なるかな!」と神兵に驚き叫んだ。
生涯
司馬懿は潁川(えいせん)太守司馬儁の孫、京兆尹司馬防の子、主簿司馬朗(しばろう)の弟である。かつて尚書僕射・撫軍大将軍を務め、後に太尉・太傅に遷り、また曹丕(そうひ)の遺孤を託された。景初三年に太尉から太傅に遷り、嘉平元年に高平陵の変(こうへいりょうのへん)を起こして曹爽(そうそう)の一党を誅し、嘉平三年に王淩(おうりょう)を東征した後に病没した。
逸話
司馬懿は魏方の軍事の主軸であり、かつて諸葛瑾(しょかつきん)・張霸を襄陽(じょうよう)で破り、孟達(もうたつ)を討ち、諸葛亮(しょかつりょう)を祁山(きざん)・五丈原(ごじょうげん)で防ぎ、公孫淵(こうそんえん)を討った。彼はかつて曹操(そうそう)に孫権(そん けん)へ官爵を封じて劉備(りゅうび)を防ぐよう進言し、また東呉の禍を転嫁する計を見破った。

人間関係

84 件の関係

名言

全 177 件の台詞 · 厳選 3 件

「孔明食少事煩,其能久乎!」

演 第103回

この一句は、諸葛亮(しょかつりょう)の鞠躬尽瘁の姿を的確に言い表し、広く伝わって古典となっている。

「吾能料其生,不能料其死也!」

演 第104回

この一句は、司馬懿(しばい)が諸葛亮(しょかつりょう)の軍事的才能に敬服していることを示し、またその知恵の表れでもある。

「吾病的耳聾了。此去保重。」

演 第106回→ 李勝(りしょう)

この一句は、司馬懿(しばい)が病を装って曹爽(そうそう)を欺いた要点であり、その忍耐と権謀を示している。

登場回48 回 ▸
  • 史ch.2ch.3ch.4ch.8ch.9ch.12ch.14ch.15ch.17ch.22ch.23ch.24ch.25ch.26ch.27ch.28ch.30ch.33ch.35ch.41ch.43ch.64
  • 演ch.39ch.67ch.69ch.73ch.75ch.77ch.78ch.80ch.85ch.86ch.91ch.94ch.95ch.96ch.97ch.98ch.99ch.100ch.101ch.102ch.103ch.104ch.105ch.106ch.107ch.108
関係の年表42 条 ▸

史 ch.3

史 ch.4

史 ch.8

史 ch.12

史 ch.17

史 ch.22

史 ch.25

史 ch.28

史 ch.30

史 ch.41

史 ch.64

演 ch.39

演 ch.75

演 ch.77

演 ch.80

演 ch.85

演 ch.86

演 ch.95

演 ch.96

演 ch.99

演 ch.100

演 ch.101

演 ch.103

演 ch.106

  • enemy_of

    围擒于襄平东南,父子下马纳降,懿传令斩之;又尽屠其宗族同谋官僚七十余口;封贾范、伦直之墓而荣其子孙

  • serves

    受持节诏归朝至许昌见之;明帝执手托孤幼子曹芳

  • serves

    受先帝托孤,明帝以"仲達與朕一體,爾宜敬禮之"嘱其敬之;曹芳"抱懿頸不放"

  • rival_of

    与爽同受托孤;爽议加懿太傅夺其兵权;懿乃推病不出,二子皆退职闲居;末诈病惑李胜以图爽

  • betrayed_by

    诈病——去冠散发、二婢扶策、湯流滿襟、错应"并州""青州"、佯耳聋——以欺李胜回报曹爽

演 ch.107

内面の独白 · AI 生成3 段 ▸
  • ここまで来て生涯を振り返ると、最も難しかったのは行軍や陣立てではなく、権勢がぶつかり合い、君臣の名分を保ちがたいことだった。先帝が幼君を託した命は、曹爽(そうそう)と私にともに下されたのだから、本来なら心を一つにして幼主を補佐すべきだった。
  • 私は司馬懿(しばい)、字は仲達(ちゅうたつ)。今、戦況はまさに最高潮にあり、諸軍は皆、私の命令を待っている。いわゆる優勢とは、ただ旗を押し立てて敵地に迫ることではない。人心が揺らがず、進退に節度があることこそ肝要である。かつて呉軍が樊城(は
  • 私は字を仲達(ちゅうたつ)といい、河内(かだい)温県(おんけん)の人である。幼い頃から家に伝わっていたのは、祖父の司馬雋(しばしゅん)や父の司馬防(しばぼう)のことだった。兄の司馬朗(しばろう)は、私より先に世に出ていた。私が手にできたのは
生涯の大事31 ▸
  1. 曹操、三公を廃して自ら丞相となる(そうそう、さんこうをはいしてみずからじょうしょうとなる)· 軍師
  2. 曹丕による漢の簒奪(そうひによるかんのさんだつ)· 軍師
  3. 曹操の死(そうそうのし)· 目撃者
  4. 0220-01-01 · 鄴(ぎょう)
    曹操の崩御と魏の文帝の即位(そうそうのほうぎょとぎのぶんていのそくい)· 目撃者
  5. 0223-01-01 · 成都(せいと)
    五路の蜀征討(ごろのしょくせいとう)· 軍師
  6. 新城の乱(しんじょうのらん)· 総大将
  7. 0228-01-01 · 西城
    空城計(くうじょうけい)· 総大将
  8. 0228-01-01 · 祁山(きざん)
    第一次北伐(だいいちじほくばつ)· 総大将
  9. 第二次北伐(だいにじほくはつ)· 軍師
  10. 陳倉攻防戦(ちんそうこうぼうせん)· 軍師
  11. 0231-01-01 · 木門道
    木門道での張郃射殺(もくもんどうでのちょうこうしゃさつ)· 目撃者
  12. 0231-01-01 · 祁山(きざん)
    第四次北伐(だいよんじほくはつ)· 総大将
  13. 0231-01-01 · 祁山(きざん)
    第五次北伐(だいごじほくはつ)· 総大将
  14. 0234-01-01 · 上方谷
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  15. 五丈原の戦い(ごじょうげんのたたかい)· 総大将
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  17. 0234-01-01 · 上方谷
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  18. 0234-01-01 · 祁山(きざん)
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  19. 0234-01-01 · 祁山(きざん)
    北伐(諸葛亮)(ほくはつ(しょかつりょう))· 総大将
  20. 司馬懿の遼東平定(しばいのりょうとうへいてい)· 総大将
  21. 遼東公孫氏(こうそんし)の割拠· 総大将
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  23. 魏滅遼東· 総大将
  24. 明帝、孤を托する(めいてい、こをたくする)· 軍師
  25. 興勢の役(こうせいのえき)· 目撃者
  26. 鄧艾(とうがい)の淮南屯田· 総大将
  27. 高平陵の変(こうへいりょうのへん)· 首謀者
  28. 王淩の乱(おうりょうのらん)· 総大将
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