言語
徐

徐夫人

登場回
2
台詞の記録
0
人間関係
3
内面の独白
1

史載(Historical Record)

徐夫人は、その名が史書に載らず、ただ「徐夫人」と称される。彼女は呉郡富春の人、徐琨の娘である。徐琨は三国(さんごく)の時代に呉国の将領であり、その一族は江東において大きな影響力を持っていた。徐夫人ははじめ同郡の陸尚に嫁いだ。陸尚の死後、徐夫人は寡婦となった。後に、孫権(そん けん)が討虜将軍として呉地に駐屯していたとき、徐夫人を妃として迎え入れた。

孫権(そん けん)は徐夫人と結ばれた後、彼女に自らの子を直接育てさせるのではなく、孫権の庶長子である孫登(そん とう)を養育させた。孫登(そん とう)は孫権と身分不詳の侍妾との間に生まれた子であり、徐夫人が代わって養育した。これは当時の社会的背景において、徐夫人の孫権の後宮における地位と、孫権の彼女への信任を示すものである。しかし、時が経つにつれ、孫権は政治的に発展を続け、その私生活にも変化が生じた。孫権が都を遷したとき、徐夫人はその「嫉妬」深い性格ゆえに廃され、呉地に置かれた。

徐夫人は廃された後、呉地に十余年居住した。この間、孫権は曹魏(そうぎ)から呉王に封ぜられ、ついには帝を称し、東呉政権を樹立した。孫登(そん とう)は孫権の長子として太子に立てられた。群臣はたびたび孫権に徐夫人を皇后に立てるよう請うたが、孫権の心は歩夫人(歩練師)にあり、ついに徐夫人を后に立てることに同意しなかった。最終的に、徐夫人は病により世を去った。

徐夫人の一族の背景は名門であった。彼女の兄である徐矯は、父の徐琨の侯爵の爵位を継ぎ、かつて山越を平定し、官は偏将軍に至った。しかし、徐矯は徐夫人が世を去る前にすでに亡くなり、後嗣を残さなかった。徐矯の弟である徐祚は爵位を継ぎ、戦功著しく、官は蕪湖督、平魏将軍に至った。徐氏一族は東呉政権において重要な軍事的役割を果たし続けた。

演中(In the Novel)

『三国演義』においては、徐夫人に独立した文学的造形はなされていない。羅貫中の筆の下では、徐夫人はほとんど登場せず、その生涯や事跡も詳しく言及されていない。これは史書における彼女の比較的簡略な記載と鮮やかな対照をなす。『三国演義』は男性の英雄を主要な叙事対象とする歴史小説として、政治の舞台でそれほど活躍しない、あるいは重大な軍事・政治の出来事に直接関与しない女性の役柄をしばしば軽んじる。したがって、徐夫人は演義において「史に明記なし」の状態に置かれ、彼女の個人的な経歴、性格的特徴、ならびに孫権・孫登との複雑な関係は、いずれも小説に描かれていない。演義の重心は、孫権と他の重要人物との相互作用や、東呉政権の樹立と発展のほうに置かれており、孫権の早期の妃である徐夫人の物語の筋は、演義の叙事の枠組みに組み込まれていない。

関鍵関係

* 陸尚(spouse_of):徐夫人の最初の夫であり、同郡の人。陸尚の死後、徐夫人は孫権の後宮に入ることができた。
* 孫権(そん けん)(spouse_of):徐夫人は孫権の早期の妃であり、かつて孫権に妃として迎えられた。しかし、その「嫉妬」深い性格ゆえに、最終的に廃され、皇后に立てられることもなかった。
* 孫登(そん とう)(parent_of):徐夫人はかつて孫権の長子である孫登を養育した。孫登は後に太子に立てられ、これは徐夫人と孫登との間に重要な養育の関係が存在したことを示している。
* 徐琨(father_of):徐夫人の父であり、呉国の将領。
* 徐矯(brother_of):徐夫人の兄であり、父の爵位を継ぎ、官は偏将軍に至った。
* 徐祚(brother_of):徐夫人の弟であり、徐矯の爵位を継ぎ、官は蕪湖督、平魏将軍に至った。

標志性場景

* 孫権に妃として迎えられる:徐夫人ははじめ陸尚に嫁いだが、陸尚の死後、孫権が彼女を妃として迎えた。これは彼女が孫権の政治と生活の圏内に入ったことを示している。この出来事はまた、彼女が後に孫登を養育し、孫権との関係が変遷していく伏線ともなった。
* 孫登を養育する:孫権は自らの長子である孫登を、生母にではなく徐夫人に養育させた。これはある程度、徐夫人の孫権の後宮における地位と、孫権の彼女への信任を示している。この場面はまた、孫登の養母としての徐夫人の形象を造形している。
* 嫉妬ゆえに廃される:孫権は遷都の後、徐夫人の「嫉妬」を理由に彼女を廃し、呉地に置いた。これは徐夫人の人生における重要な転換点であり、彼女と孫権との関係の決裂を示すとともに、史書に言及された彼女の性格における「嫉妬」の一面をも明らかにしている。
* 群臣が后に立てようと請うも叶わず:孫権が王を称し帝を称した後、群臣はたびたび徐夫人を皇后に立てるよう請うたが、孫権の心は歩夫人にあり、最終的に許されなかった。この場面は、徐夫人がかつて孫権の重要な妃であったにもかかわらず、最終的に皇后の位に登ることができなかったことを際立たせるとともに、後宮の事柄における孫権の個人的な好みと権力の意志をも反映している。

人間関係

3 件の関係

登場回2 回 ▸
  • 史ch.50ch.59
関係の年表2 条 ▸

史 ch.50

内面の独白 · AI 生成1 段 ▸
  • 私はもとは琨(コン)の娘で、同郡の陸尚(リク ショウ)に嫁いだ。夫婦で過ごした歳月について、史書に残されているのはわずか数文字だけだ。当時どのように家を切り盛りし、彼に接していたのか、後世の人には知るすべもない。過去のことに勝手な話を付け加