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袁紹(えんしょう)

袁紹集団(えんしょうしゅうだん) · 车骑将军/大将军/冀州牧

袁紹(えんしょう)

字 本初

登場回
35
台詞の記録
82
人間関係
74
内面の独白
3

史載(Historical Record)

袁紹(えんしょう)、字は本初、汝南汝陽の人で、「四世三公」の顕赫な名門の出身である。漢の霊帝の末年、彼は大将軍何進(かしん)の謀士として歴史の舞台に登場した。何進が宦官を誅そうとした際、袁紹は積極的に謀略に参与し、何進に四方の豪傑を都に召集して太后を脅すよう進言した c:6238。しかし何進は最終的に宦官に殺され、袁紹はただちに兵を率いて宮中に入り、宦官二千余人を捕殺して、宮中を大いに混乱させた c:6240。

董卓(とう たく)が都に入った後、少帝を廃して陳留(ちんりゅう)王を立てようとしたが、袁紹はこれに反対し、刀を抜いて立ち向かいさえし、その後洛陽(らくよう)を逃れて冀州(きしゅう)へ奔った c:3324。董卓は周毖(しゅうひ)・伍瓊の建議を採り入れ、袁紹を赦して勃海太守に任じた c:6241。袁紹は勃海で兵を起こし、みずから車騎将軍と号し、董卓を討伐する盟主となった c:6236。

初平元年(190年)、袁紹は冀州牧の韓馥(かんふく)、豫州(よしゅう)刺史の孔伷(こうちゅう)ら十数路の諸侯とともに同時に兵を起こし、ともに袁紹を盟主に推して董卓を討伐した c:6235。董卓討伐の間、袁紹はかつて韓馥とひそかに幽州(ゆうしゅう)牧の劉虞(りゅう ぐ)を帝に擁立しようと謀ったが、曹操(そうそう)の拒絶を受けた c:3310。

袁紹は謀士の逢紀(ほうき)の計策を通じて、公孫瓚(こうそんさん)の脅威を利用し、韓馥に冀州を譲らせ、この富裕な地を占拠した c:6236。彼は続いて公孫瓚と長期の争闘を展開し、最終的に界橋の戦い(かいきょうのたたかい)で公孫瓚を破り、ついにこれを滅ぼして、幽・并・青・冀の四州の地を併呑し、兵力は雄厚で数十万の衆に達した c:3311。

官渡の戦い(かんとのたたかい)の前、袁紹の謀士である沮授(そじゅ)はかつて彼に漢の献帝を鄴(ぎょう)に迎えて「天子を挟みて諸侯に令す」よう建議したが、袁紹は採り入れることができなかった c:13609。曹操が献帝を迎えて許に都した後、袁紹は後悔し、曹操に献帝を鄄城(けんじょう)へ遷させようと試みたが、拒絶された。漢の献帝はかつて袁紹を太尉に任じ、後に大将軍に転じて鄴侯に封じたが、袁紹は辞退して受けなかった c:13609。

官渡の戦いにおいて、袁紹は十数万の大軍を擁し、曹操の兵力は相対的に少なかった。袁紹の謀士である田豊(でんほう)はかつて彼に持久戦の策略をとり、曹操の後方を襲撃するよう勧めたが、袁紹は聴かず、かえって彼を下獄させた c:13608。許攸(きょゆう)もかつて袁紹に計を献じたが、貪財のために採り入れられず、最終的に曹操に身を寄せた c:3312。曹操は許攸の建議を採り入れて烏巣を奇襲し、袁紹の糧草輜重を焼き払い、袁軍を大いに潰走させた。袁紹は長子の袁譚(えんたん)とともに軍を捨てて逃げ、河を渡って逃げた c:3312。

袁紹は官渡の戦いの後まもなく病死し、その子の袁譚と袁尚(えんしょう)が継承権を争って内訌し、最終的に袁氏集団の完全な覆滅を招いた c:3315。

演中(In the Novel)

『三国(さんごく)演義』では、袁紹の形象はさらに造形され、とりわけその性格的特徴や、曹操・劉備(りゅうび)らとの相互作用において描かれている。演義は冒頭から、何進が宦官を誅す事件における袁紹の果断さと急進さを示している c:3321。彼は何進に「草を除くなら根を絶やせ」と宦官を尽く誅するよう建議し、何進の躊躇逡巡と対比をなしている c:3322。何進が殺された後、袁紹はただちに兵を率いて宮中に入り、宦官とその家属を大いに捕殺し、ひげのない者まで誤って殺されるに至った c:6240。

董卓が皇帝を廃立した際、演義における袁紹と董卓が宴席で剣を抜いて対峙する筋立ては、袁紹の「色厲」の一面を大いに際立たせている c:3324。彼は董卓を「反逆でなくて何だ」と直言し、漢室の忠臣としての姿勢を示したが、史実では袁紹はただ「応ぜず、刀を横たえ長く揖して去った」だけであった c:3314。

董卓を討伐する十八路の諸侯が会盟した際、袁紹は盟主に推され、当時の諸侯における彼の地位と声望を示した c:3327。しかし演義はまた、いくつかの細部を通じて袁紹の「志大にして智小」「忌克」の性格を暗示している。たとえば、彼はかつて孫堅(そん けん)が玉璽を私蔵したという噂によって孫堅と仲違いし c:3328、また虎牢関の前で関羽(かんう)を軽んじた c:13601。

官渡の戦いの前、演義は袁紹が幼子の患病のために許都(きょと)を攻める好機を逸したこと、および田豊の良言を採り入れられず、かえって彼を下獄させた筋立てを重点的に描いている c:13539。これは袁紹の「志大にして智小」「忌克にして威少なし」の形象をさらに強化している。白馬の戦い(はくばのたたかい)において、顔良(がんりょう)・文醜(ぶんしゅう)が関羽に斬られた後、袁紹は一時、劉備に怒りをぶつけ、彼を斬首しようとさえした。これは彼の「兵多くして分画明らかならず、将驕りて政令一ならず」の弱点を体現している c:13552。

関鍵関係

* 袁紹集団(lord_of):袁紹は冀州牧であり、幽・并・青・冀の四州の地を併呑し、数十万の大軍を擁し、麾下に沮授・田豊・許攸・審配(しんぱい)・逢紀のような謀士、顔良・文醜のような武将を擁して、巨大な軍事政治集団を構成した c:13607。
* 劉虞(rival_of):袁紹はかつて韓馥とひそかに幽州牧の劉虞を帝に擁立しようと謀ったが、劉虞はあえて受けようとしなかった c:6236。
* 公孫瓚(enemy_of):袁紹は公孫瓚と長期にわたって争闘し、最終的に袁紹は公孫瓚を破って滅ぼし、その勢力を併呑した c:13607。
* 袁譚(parent_of):袁譚は袁紹の長子であり、袁紹によって青州へ派遣された。袁紹の死後、袁譚は弟の袁尚と継承権を争って内訌し、最終的に袁氏集団の覆滅を招いた c:3315。
* 曹操(rival_of):袁紹と曹操は董卓討伐の初期にはかつて盟友であったが、後に献帝を迎える問題などによって不和を生じ、最終的に官渡の戦いで決戦を展開し、袁紹は大敗した c:3312。
* 何進(subordinate_of):袁紹はかつて何進の司隷(しれい)校尉であり、何進の宦官誅殺の謀略に参与した c:3321。
* 董卓(enemy_of):袁紹は董卓の皇帝廃立に反対し、兵を起こして董卓を討伐した c:3324。
* 韓馥(ally_of/subordinate_of):韓馥はかつて董卓討伐の盟友であったが、後に袁紹に計略によって冀州を奪われた c:6236。
* 劉備(ally_of/rival_of):劉備はかつて袁紹に身を寄せたが、袁紹は彼にいくらかの猜疑を抱いていた c:3320。
* 田豊(subordinate_of):田豊は袁紹の重要な謀士であり、しばしば袁紹に良策を提出したが、袁紹は多くを採り入れず、最終的に彼を下獄させて殺した c:13608。
* 沮授(subordinate_of):沮授もまた袁紹の重要な謀士であり、かつて袁紹に「天子を挟みて諸侯に令す」よう建議したが、採り入れられなかった c:13609。
* 許攸(subordinate_of/enemy_of):許攸はかつて袁紹の謀士であったが、後に袁紹がその計策を採り入れず貪財であったため、曹操に身を寄せ、官渡の戦いで烏巣奇襲の計を献じた c:3312。

象徴的な場面

* 宦官の誅殺:何進が宦官に殺された後、袁紹は兵を率いて宮中に入り、宦官を大いに捕殺し、宮中を血の海とし、死者は二千余人に及んだ c:6240。この事件は董卓が都に入る機会を提供し、また袁紹の残酷な一面を示した。
* 董卓との対峙:董卓が少帝を廃そうとした際、袁紹は宴席で剣を抜いて董卓と対峙し、その行為を「反逆」だと直言し、その後官を捨てて奔った c:3324。この場面は演義でとりわけ激烈に描かれ、袁紹の強硬な態度を際立たせている。
* 十八路諸侯の会盟:袁紹は董卓を討伐する盟主に推され、盟会で血をすすって盟い、天下の諸侯に共に董卓を討つよう呼びかけた c:3327。これは袁紹が群雄割拠の初期に有していた巨大な号召力と影響力を示している。
* 冀州の奪取:袁紹は公孫瓚の脅威を利用し、計略によって韓馥の手から冀州を奪い、その勢力を大いに増した c:6236。この事件は袁紹の権謀と野心を示している。
* 官渡の戦い:袁紹と曹操は官渡で決戦を展開し、袁紹は謀士の良言を採り入れられず、かつ糧草を焼かれて、最終的に大敗し、元気を大いに損なった c:3312。これは袁紹の一生の転換点であり、その衰落の始まりでもある。
* 田豊の言を納れず:官渡の戦いの前、田豊はしばしば袁紹に正しい戦略上の建議を提出したが、袁紹は聴かないばかりか、かえって彼を下獄させ、最終的に敗戦後に彼を殺した c:13608。これは袁紹の「志大にして智小」の典型的な例証となった。
* 顔良・文醜が斬られ劉備に怒りをぶつける(演義独自):白馬の戦いと延津の戦いにおいて、袁紹の愛将である顔良・文醜が相次いで関羽に斬られた。袁紹はこのため彼に身を寄せていた劉備に怒りをぶつけ、一時は彼を斬首しようとさえした c:13552。この筋立ては演義において袁紹の「忌克にして威少なし」の性格的特徴を強化している。

肖像アーカイブ

人物像

容貌
金の兜に金の鎧、錦の袍に玉の帯を身につけ、馬を止めて陣前に立つ。 [c:30]
性格
袁紹(えんしょう)は志は大きいが智は小さく、外面は厳しいが胆は薄く、猜疑深くして威厳に乏しく、兵は多いが采配は明確でなく、将は驕って政令は一貫しない。 [c:11] 彼は外面は寛雅で度量があり、憂いも喜びも顔に出さないが、内心は妬みと害意が多い。 [c:12] 彼は謙譲に節度があるが、事を議するときには躊躇を見せ、兵を動かさず、権を貪って疑い深く、しかも疑い深いくせに軽々しく信じる。 [c:13, c:14, c:18]
話し方
慷慨にして荘重であり、しばしば典章や大義を引いた。 [c:88]
生涯
袁紹は汝南汝陽の人、字を本初といい、高祖父の安は漢の司徒であり、安より以下四世にわたって三公の位に就いた。 [c:21] 彼はかつて兵を率いて宦官どもを尽く殺し、後に董卓(とう たく)が廃帝を議した際には刀を横たえて長揖し立ち去って冀州(きしゅう)へ奔り、渤海より兵を起こして董卓を討ち、みずから車騎将軍と号して盟主となった。 [c:21] 彼は韓馥(かんふく)を脅して冀州を譲らせ、そのまま冀州牧を領し、後に公孫瓚(こうそんさん)を易京(えきけい)に破ってその軍勢を併合したが、官渡の戦い(かんとのたたかい)で太祖に大敗し、建安七年に病を発して憂いのうちに死んだ。 [c:21]
逸話
袁紹は司徒袁逢(えんほう)の庶子、袁術(えんじゅつ)の異母兄であり、後に他家へ養子に出た。 [c:1] 彼はかつて関東連合軍の盟主であり、後に河北四州を占拠したが、官渡(かんと)に敗れて死んだ。 [c:31, c:58]

人間関係

74 件の関係

名言

全 82 件の台詞 · 厳選 3 件

「可召四方英雄人士,勒兵來京,盡誅閹豎。此時事急,不容太后不從。」

演 第2回→ 何進(かしん)

この計略は董卓(とう たく)を都に招き入れ、間接的に天下の大乱を招いたもので、袁紹(えんしょう)の政治生涯の転換点である。

「可惜吾上將顏良、文醜未至!得一人在此,何懼華雄?」

演 第5回

この一句は袁紹(えんしょう)の自負と、顔良(がんりょう)・文醜(ぶんしゅう)への信任を示すとともに、関羽(かんう)が酒の温もりも冷めぬうちに華雄(かゆう)を斬る場面への伏線ともなっている。

「濫行匹夫!尚有面目於吾前獻計耶!汝與曹操有舊,想今亦受他財賄,為他作奸細,啜賺吾軍耳!本當斬首,今權且寄頭在項!可速退出,今後不許相見!」

演 第30回→ 許攸(きょゆう)

袁紹(えんしょう)の剛愎自用で忠言を聞き入れない典型的な現れであり、官渡の戦い(かんとのたたかい)の敗北を直接招いた。

登場回35 回 ▸
  • 史ch.1ch.6ch.7ch.8ch.11ch.12ch.14ch.17ch.18ch.23ch.24ch.30ch.32
  • 演ch.2ch.3ch.4ch.5ch.6ch.7ch.13ch.14ch.18ch.21ch.22ch.24ch.25ch.26ch.27ch.28ch.30ch.31ch.32ch.33ch.44ch.91
関係の年表29 条 ▸

史 ch.1

史 ch.6

史 ch.11

史 ch.12

史 ch.30

史 ch.32

演 ch.2

演 ch.3

演 ch.4

演 ch.5

演 ch.6

演 ch.21

演 ch.22

演 ch.24

演 ch.28

演 ch.30

演 ch.31

演 ch.91

内面の独白 · AI 生成3 段 ▸
  • 官渡(かんと)で兵に敗れ、倉亭でも挫折を喫した私は、大勢を一朝一夕に覆すことはできないと、すでに悟っていた。かつて私は四州の兵を擁し、兵力の強さを頼みにして、諫言を聞いても受け入れず、ついに今日の事態を招いた。田豊(でんほう)はかつて領地を
  • 私は袁紹(えんしょう)、字は本初(ほんしょ)。今、兵甲を手にし、四州の兵が集まり、精鋭が陣を敷いて、南の許都(きょと)を望んでいる。天下の人々は皆、袁氏(えんし)は家柄が厚く、威名も高いと言う。だが私の心には分かっている。目の前のこの勢いは
  • 私は袁紹(えんしょう)、字は本初である。昔、霊帝が崩御したとき、宮中も朝廷もともに安寧を欠いていた。何進(かしん)は私と宦官を除こうと謀り、私は幾度も、機を逃さず断行すべきだと諫めた。黄門や常侍の権勢は日ごとに増しており、ためらって秘密が漏
生涯の大事19 ▸
  1. 何進の暗殺(かしんのあんさつ)· 軍師
  2. 董卓の乱(とうたくのらん)· 軍師
  3. 反董卓連合軍の討伐(はんとうたくれんごうぐんのとうばつ)· 総大将
  4. 孫堅、伝国璽を得る(そんけん、でんこくじをえる)
  5. 0190-01-01 · 汜水關
    汜水関の戦い(しすいかんのたたかい)· 総大将
  6. 界橋の戦い(かいきょうのたたかい)· 総大将
  7. 袁紹の冀州取得(えんしょうのきしゅうしゅとく)· 首謀者
  8. 袁紹の冀州奪取(えんしょうのきしゅうだっしゅ)· 首謀者
  9. 0195-01-01 · 東武陽
    袁紹による臧洪の包囲・処刑(えんしょうによるぞうこうのほうい・しょけい)· 首謀者
  10. 0196-01-01 · 鄴(ぎょう)
    郭嘉(かくか)が袁紹を去り曹操に帰す
  11. 公孫瓚の幽州割拠(こうそんさんのゆうしゅうかっきょ)· 総大将
  12. 張繡の曹操への降伏(ちょうしゅうのそうそうへのこうふく)· 目撃者
  13. 易京の戦い(えきけいのたたかい)· 総大将
  14. 袁紹による公孫瓚の撃破(えんしょうによるこうそんさんのげきは)· 総大将
  15. 十勝十敗論(じっしょうじっぱいろん)· 総大将
  16. 官渡の戦い(かんとのたたかい)· 総大将
  17. 0200-01-01 · 白馬(はくば)
    白馬の戦い(はくばのたたかい)· 総大将
  18. 0201-01-01 · 倉亭
    倉亭の戦い(そうていのたたかい)· 総大将
  19. 0202-01-01 · 鄴(ぎょう)
    袁紹の死と袁氏の後継争い(えんしょうのしとえんしのこうけいあらそい)· 戦死