言語
蔡

曹魏(そうぎ) · 将軍

蔡陽(さいよう)

登場回
4
台詞の記録
2
人間関係
5
内面の独白
1

史載(Historical Record)

蔡陽(さいよう)は、曹操(そうそう)配下の将であり、その生涯は史料に記載が多くなく、主な事跡は劉備(りゅうび)を征討する戦役に集中している。『三国志(さんごくし)』の記載によれば、建安五年(西暦200年)、曹操と袁紹(えんしょう)が官渡(かんと)で相対峙する折、汝南地域の黄巾軍(こうきんぐん)の劉闢らが曹操に反旗を翻し、袁紹に呼応した。袁紹はそこで劉備に兵を率いさせ、劉闢らとともに許都(きょと)付近の地域を攻略させた。この間、関羽(かんう)が曹操のもとを離れ、劉備に帰附した。曹操は続いて曹仁(そうじん)に兵を率いさせて劉備を攻め、劉備は敗れて袁紹軍に戻った。しかし劉備は異志を抱き、密かに袁紹から離れようとし、そこで袁紹を説いて南方の荊州牧・劉表(りゅうひょう)と連携させた。袁紹は再び劉備にその旧部を率いて汝南へ赴かせ、当地の賊寇である龔都らと合兵させ、数千人を集めた。この情勢に直面して、曹操は蔡陽に軍を率いて劉備を討伐に赴かせた。しかし蔡陽はこの戦役で劉備に殺された c:3248。史料における蔡陽の記載はここで止まり、その生涯のほかの細部には触れておらず、また彼と関羽との間にいかなる直接の交わりや恩讐があったかにも触れていない。

演中(In the Novel)

『三国志演義』においては、蔡陽の形象はより鮮明な個性と劇化された筋立てを与えられ、史実の記載から逸脱している。小説では、蔡陽が初めて登場するのは関羽が「印を掛け金を封じる(いんをかけきんをふうじる)」て曹操のもとを離れた後である。曹操が関羽が暇乞いもせず去ったことを知ると、衆将は皆驚いた。このとき蔡陽は進み出て、自ら進んで願い出て、三千の鉄騎を率いて関羽を生け捕りにし、丞相に献上したいと称した c:6214。曹操はこれを許さず、かえって関羽を「故主を忘れず、来去明白なり、真の丈夫なり」と称賛し、蔡陽を叱り退けて、関羽を追うことを許さなかった c:3249。

小説における蔡陽と関羽の恩讐は、主にその甥の秦琪の死に由来する。秦琪は黄河の渡し場を鎮守する将であり、関羽が「五関を過ぎて六将を斬る」途上、関羽を阻んだために斬殺された。蔡陽はこれを恨みに思い、これによって関羽と深い仇を結んだ。張遼(ちょうりょう)が曹操の命を奉じて諭旨を伝達し、関羽が各処の関隘を通行することを許した際、夏侯惇(かこうとん)はかつて秦琪が蔡陽の甥であると言及し、蔡陽がこれによって事を穏便に済ませようとしないだろうと述べた c:3250。

蔡陽の最終的な結末も、小説では史実と異なっている。彼は曹操の命を奉じて劉備を討伐したのではなく、関羽がその甥の秦琪を殺害したことを知って、怒り心頭に発し、甥の仇を討とうとした。曹操は彼が行くのを許さず、転じて彼を汝南へ遣わして劉闢を攻めさせた。しかし蔡陽は私かに進路を変え、汝南で関羽と遭遇した。張飛(ちょうひ)の鼓声の中、関羽は蔡陽と交鋒し、わずか一合で、蔡陽は関羽に馬下に斬られ、首が地に落ちた c:3251。小説は小卒の口述を通じて、蔡陽が私怨によってであって命を奉じてではなく関羽と交戦したことをさらに確認しており、これは史実における蔡陽が曹操の命を奉じて劉備を討伐したという記載と鮮明な対照をなしている。

主要な関係

* 曹魏(そうぎ)(serves):蔡陽は史実でも演義でも曹操に仕えた [c:3248, c:6214]。
* 劉備(dies_in):史実では、蔡陽は曹操の命を奉じて劉備を討伐した際、劉備に殺された c:3248。
* 関羽(rival_of):演義では、蔡陽は甥の秦琪が関羽に殺されたことで、関羽と深い仇を結び、最終的に関羽に斬殺された c:3251(演義独自)。
* 秦琪(kin_of):演義では、秦琪は蔡陽の甥であり、その関羽による斬殺が蔡陽と関羽が怨みを結んだ直接の原因である c:3250(演義独自)。
* 張遼(intervenes):演義では、張遼はかつて出て夏侯惇を諫め止め、蔡陽に曹操の命令を伝達して、蔡陽が関羽の関通過の際に直接衝突するのを避けさせた c:3250(演義独自)。

象徴的な場面

* 願い出て関羽を追撃する:関羽が「印を掛け金を封じ」て曹営を離れた後、蔡陽は進み出て曹操に命を請い、三千の鉄騎を率いて関羽を生け捕りにしようとしたが、曹操に叱り退けられた [c:6214, c:3249](演義独自)。
* 汝南で戦死する:史実では、蔡陽は曹操の命を奉じ、軍を率いて汝南へ赴いて劉備を討伐し、結果として劉備に殺された c:3248。
* 関羽に斬殺される:演義では、蔡陽は甥の秦琪が殺されたことを恨みに思い、私かに関羽を追って汝南に至った。張飛の太鼓の助勢の下、関羽は一刀で蔡陽を馬下に斬り、その甥の仇を討とうとする企ては空に帰した c:3251(演義独自)。
* 秦琪の死が引き起こした恩讐:蔡陽の甥の秦琪は関羽が「五関を過ぎて六将を斬る」途上で殺され、これが蔡陽と関羽の間の調和しがたい矛盾となり、最終的に蔡陽の死を招いた [c:3250, c:3251](演義独自)。

人間関係

5 件の関係

台詞

  • 演 ch.26 §28→ 曹操(そうそう)📍 許昌(きょしょう)

    「某願將鐵騎三千,去生擒關某,獻與丞相!」

  • 演 ch.28 §18→ 関羽(かんう)

    「你殺吾外甥秦琪,卻原來逃在此!吾奉丞相命,特來拿你!」

登場回4 回 ▸
  • 史ch.32
  • 演ch.26ch.27ch.28
関係の年表4 条 ▸

史 ch.32

演 ch.27

演 ch.28

内面の独白 · AI 生成1 段 ▸
  • 私は蔡陽(さいよう)、字は詳らかでない。かつて丞相の幕下にいた頃、関羽(かんう)が去ったと聞き、心中に不服を覚えた。あの者は丞相の厚遇を受けながら、金銀を封じて賜った人役を残し、旧臣と荷物だけを携えて北門からまっすぐ出ていった。皆が驚きあき