言語
呂布(りょふ)

呂布集団(りょふしゅうだん) · 君主

呂布(りょふ)

字 奉先

登場回
28
台詞の記録
131
人間関係
77
内面の独白
3

史載(Historical Record)

呂布(りょふ)、字は奉先、五原郡九原の人で、骁勇善戦をもって并州に名を馳せた。彼は当初、并州刺史の丁原(ていげん)の手下で主簿を務め、丁原(ていげん)に深く信任され親しまれた。しかし、霊帝が崩御し、董卓(とう たく)が入京した際、董卓(とう たく)は丁原(ていげん)の兵馬を併呑しようと意図し、呂布(りょふ)を誘って丁原(ていげん)を刺殺させた。呂布(りょふ)は丁原(ていげん)の首を斬って董卓(とう たく)に投じ、董卓(とう たく)はこれによって彼を騎都尉に任じ、義子と見なして、彼を寵愛して止まなかった。

董卓(とう たく)が専権した後、司徒の王允(おういん)と尚書僕射の士孫瑞が密かに董卓(とう たく)誅殺を謀った。王允(おういん)は呂布(りょふ)と董卓(とう たく)の関係が複雑であると深く知り、呂布(りょふ)の董卓(とう たく)への怨恨を利用して、呂布(りょふ)を内応とするよう説いた。呂布(りょふ)は当初「父子」の情誼のためにいくらか躊躇したが、王允(おういん)の説得のもと、最終的に董卓(とう たく)刺殺に同意した。西暦192年、呂布(りょふ)は自ら董卓(とう たく)を刺殺し、その三族を夷した。事が成った後、王允(おういん)は呂布(りょふ)を奮武将軍に任じ、節を仮し、儀は三司に比し、温侯に進封して、彼とともに朝政を執り掌った。

董卓(とう たく)が死んでまもなく、その旧部である李傕(りかく)・郭汜(かくし)らは呂布(りょふ)を怨んで連合して長安(ちょうあん)を攻めた。呂布(りょふ)は敵わず、長安(ちょうあん)は陥落し、彼は数百騎を率いて武関から逃れ出て、袁術(えんじゅつ)に身を寄せようとした。しかし、袁術(えんじゅつ)は呂布(りょふ)の反復無常を理由に受け入れを拒んだ。呂布(りょふ)は転じて袁紹(えんしょう)に身を寄せ、袁紹(えんしょう)が張燕(ちょうえん)を撃破するのを助けた。しかし、その驕横跋扈のため、袁紹(えんしょう)は彼を忌み憚り、害そうとした。呂布(りょふ)はこれを察知して、河内へ逃れ、張楊(ちょうよう)と兵を合わせた。

西暦194年、曹操(そうそう)が徐州(じょしゅう)を東征し、兗州(えんしゅう)が手薄になった。陳宮(ちんきゅう)は張邈(ちょうばく)を説得して曹操(そうそう)に背かせ、呂布(りょふ)を迎えて兗州(えんしゅう)に主として入らせた。呂布(りょふ)はこれによって濮陽(ぼくよう)を占拠し、曹操(そうそう)と激戦を繰り広げた。双方は百余日にわたって相持し、旱害と蝗害のため、百姓は相食み、呂布(りょふ)はやむなく東の山陽に屯した。二年後、曹操(そうそう)は兗州(えんしゅう)を奪回し、巨野で呂布(りょふ)を撃破し、呂布(りょふ)はそこで劉備(りゅうび)に身を寄せた。

劉備(りゅうび)は呂布(りょふ)を受け入れ、彼を小沛(しょうはい)に安置した。しかし、劉備(りゅうび)が東のかた袁術(えんじゅつ)を撃つ際、呂布(りょふ)はその機に乗じて下邳(かひ)を襲い取り、劉備(りゅうび)の妻子を捕虜にした。劉備(りゅうび)はやむなく帰還し、呂布(りょふ)と和解し、呂布(りょふ)は劉備(りゅうび)を小沛(しょうはい)に安置して、自らは徐州(じょしゅう)刺史を称した。この後、呂布(りょふ)と袁術(えんじゅつ)の関係は複雑で、一時は縁組をしようとしたが、陳珪(ちんけい)の説得によって取りやめになった。彼はまた「轅門射戟(えんもんしゃき)」によって袁術(えんじゅつ)と劉備(りゅうび)の衝突を化解したことがある。

西暦198年、呂布(りょふ)は再び劉備(りゅうび)に背き、高順(こうじゅん)を派遣して沛城を攻め、劉備(りゅうび)を撃破した。曹操(そうそう)は呂布(りょふ)を親征し、彼を下邳(かひ)に囲んだ。呂布(りょふ)はかつて投降しようとしたが、陳宮(ちんきゅう)らに阻止された。囲みの間、呂布(りょふ)の部下である侯成(こうせい)・宋憲(そうけん)・魏續らが叛変し、陳宮(ちんきゅう)を捕らえ、城を献じて投降した。呂布(りょふ)は最終的に生け捕りにされ、曹操(そうそう)は劉備(りゅうび)の説得を受けて、彼を縊り殺した。呂布(りょふ)・陳宮(ちんきゅう)らの首級は梟首されて許都(きょと)へ送られ、その後にようやく葬られることができた。

演中(In the Novel)

『三国(さんごく)演義』の呂布(りょふ)は、その形象が史実を基礎にさらに芸術化され、武力が群を抜き、反復無常な典型的な人物となっている。彼は初登場でただちに「器宇軒昂、威風凛凛、手に方天画戟を執る」形象を示した。演義は李肅が赤兎馬と金珠宝物でいかに呂布(りょふ)を誘惑し、丁原(ていげん)に背かせたかを詳しく描き、最終的に「一刀のもとに丁原(ていげん)の首を斬り落とし」、董卓(とう たく)に投じて、董卓(とう たく)を義父として拝した。この情節は呂布(りょふ)の「三姓の家奴」という負の形象を強化した。

董卓(とう たく)が専権した時期、演義は呂布(りょふ)の勇猛さと董卓(とう たく)の彼への信任を重点的に描いた。十八路の諸侯が董卓(とう たく)を討つ際、呂布(りょふ)はかつて「虎狼の師を提げ、ことごとくその首を斬り、都門に懸けん」と豪語したが、その部将の華雄(かゆう)は関羽(かんう)に斬殺され、呂布(りょふ)の勇武の形象は十分には発揮されなかった。演義はまた呂布(りょふ)が董卓(とう たく)の府邸で曹操(そうそう)を刺殺しようとして果たせず、曹操(そうそう)が刀を献じる名目で脱身した一節を虚構し、劇的さを加えた。

貂蟬(ちょうせん)の「連環の計」は演義における呂布(りょふ)形象の造形の最重要点である。演義は貂蟬(ちょうせん)がいかに董卓(とう たく)と呂布(りょふ)の間を周旋し、二人を離間させたかを詳しく描いた。呂布(りょふ)は貂蟬(ちょうせん)のために董卓(とう たく)に殺意を抱き、最終的に王允(おういん)の策動のもとで、自ら董卓(とう たく)を刺殺した。演義では、呂布(りょふ)は董卓(とう たく)を刺殺した後、さらに李肅を斬殺したが、これは史料には明確な記載がない。

呂布(りょふ)が兗州(えんしゅう)で曹操(そうそう)と幾度も交鋒した場面も、演義は多く渲染している。彼はかつて許褚(きょちょ)・典韋(てんい)ら曹営の猛将と幾度も交手し、その「単騎で天下を縦横する」勇武を示した。例えば、濮陽(ぼくよう)の戦いにおいて、呂布(りょふ)は一人で曹操(そうそう)麾下の六員の大将(許褚(きょちょ)・典韋(てんい)・夏侯惇(かこう とん)・夏侯淵(かこう えん)・李典(りてん)・楽進(がくしん))と独力で戦い、最終的に敗退したものの、その武力の強悍さを窺うことができる。演義はまた呂布(りょふ)が濮陽(ぼくよう)城中で曹操(そうそう)に火攻めにされ、危うく命を落としかけた情節や、その妻の田氏が呂布(りょふ)に不満を抱いて城門を開くことを拒んだ情節を描き、これらはさらに呂布(りょふ)の形象を豊かにした。

下邳(かひ)が囲まれた間、演義では呂布(りょふ)の優柔不断、忠言を聞かない性格の特徴が拡大された。陳宮(ちんきゅう)はたびたび計を献じたが、呂布(りょふ)は妻妾の言のため、あるいは自身の猜疑のために採納できなかった。最終的に、部下の侯成(こうせい)・宋憲(そうけん)・魏續らの背叛が、呂布(りょふ)の擒に至らしめた。擒えられた後、呂布(りょふ)は曹操(そうそう)に許しを乞い、曹操(そうそう)と劉備(りゅうび)の関係を挑発しようとしたが、最終的に劉備(りゅうび)に一言でその反復無常の本性を喝破され、惨めに縊り殺された。演義では、呂布(りょふ)は臨終の前に劉備(りゅうび)を「この小僧こそ最も信ずべからざる者」と指弾し、彼の劉備(りゅうび)への怨恨と不信を反映している。

重要な関係

* 丁原(ていげん)(enemy_of):史載では呂布(りょふ)は董卓(とう たく)の誘惑を受け、丁原(ていげん)を斬殺し、その部衆を併呑した。演義では、李肅が赤兎馬と金銭で呂布(りょふ)を買収し、丁原(ていげん)に背いて殺害させ、董卓(とう たく)を義父として拝させ、さらに呂布(りょふ)の「三姓の家奴」の形象を強化した,。
* 董卓(とう たく)(betrayed_by):呂布(りょふ)は当初、董卓(とう たく)に投じ、その義子とされ、深く寵信された。しかし、董卓(とう たく)の残暴と王允(おういん)の離間の計(演義独自)のため、呂布(りょふ)は最終的に自ら董卓(とう たく)を刺殺した,。
* 董卓集団(とうたくしゅうだん)(serves):呂布(りょふ)は董卓(とう たく)の帳下にあったとき、かつてその為に効力したが、董卓(とう たく)が死んだ後、その旧部の李傕(りかく)・郭汜(かくし)らは呂布(りょふ)を怨んで長安(ちょうあん)を攻め、呂布(りょふ)は敵わずやむなく逃れた。
* 袁術(えんじゅつ)(friend_of):呂布(りょふ)は李傕(りかく)・郭汜(かくし)に撃破された後、かつて袁術(えんじゅつ)に身を寄せようとしたが、袁術(えんじゅつ)はその反復無常を理由に受け入れを拒んだ。後に、呂布(りょふ)と袁術(えんじゅつ)はかつて短い協力と衝突があり、一時は縁組をしようとしたが、最終的に陳珪(ちんけい)の説得によって取りやめになった。演義では、袁術(えんじゅつ)はかつて紀霊(きれい)を派遣して劉備(りゅうび)を攻めさせ、呂布(りょふ)は「轅門射戟(えんもんしゃき)」によってこの衝突を化解した。
* 袁紹(えんしょう):呂布(りょふ)は袁術(えんじゅつ)に拒まれた後、かつて袁紹(えんしょう)に身を寄せ、その張燕(ちょうえん)撃破を助けた。しかし、呂布(りょふ)の驕横のため、袁紹(えんしょう)は彼を忌み憚って害そうとし、呂布(りょふ)はそこで逃れた。
* 劉備(りゅうび):呂布(りょふ)は兗州(えんしゅう)で曹操(そうそう)に撃破された後、かつて劉備(りゅうび)に身を寄せた。しかし、呂布(りょふ)は劉備(りゅうび)が東のかた袁術(えんじゅつ)を撃つ際に乗じて、下邳(かひ)を襲い取り、劉備(りゅうび)の妻子を捕虜にした。この後、二人の関係は良かったり悪かったりし、最終的に下邳の戦い(かひのたたかい)において、劉備(りゅうび)は曹操(そうそう)を説いて呂布(りょふ)を処刑させた。
* 曹操(そうそう):呂布(りょふ)と曹操(そうそう)は長期の対手である。二人は兗州(えんしゅう)と徐州(じょしゅう)でたびたび交戦し、勝敗を互いにした,。最終的に、曹操(そうそう)は下邳の戦い(かひのたたかい)において呂布(りょふ)を撃破して擒殺した。
* 陳宮(ちんきゅう):陳宮(ちんきゅう)は呂布(りょふ)の重要な謀士で、たびたび呂布(りょふ)のために謀を出し策を画した,。しかし、呂布(りょふ)はしばしばその勧告を聞かず、敗北を招いた。最終的に、陳宮(ちんきゅう)は呂布(りょふ)とともに擒殺された。
* 高順(こうじゅん):高順(こうじゅん)は呂布(りょふ)麾下の忠誠な将領で、その率いる「陥陣営」は作戦が勇猛であった。彼はたびたび呂布(りょふ)を諫めたが、呂布(りょふ)は聞かなかった。最終的に、高順(こうじゅん)は呂布(りょふ)とともに擒殺された。
* 貂蟬(ちょうせん)(演義独自):演義では、貂蟬(ちょうせん)は王允(おういん)の義女で、王允(おういん)が董卓(とう たく)と呂布(りょふ)を離間させる「連環の計」に用いられた。貂蟬(ちょうせん)の美貌と計謀は、呂布(りょふ)が最終的に董卓(とう たく)を刺殺した重要な原因の一つである。

象徴的な場面

* 丁原の刺殺:呂布(りょふ)は董卓(とう たく)の誘惑を受け、丁原(ていげん)に背いて殺害し、董卓(とう たく)に投じてその義子となった。この事件は呂布(りょふ)の反復無常な性格の地色を定めた。
* 董卓の刺殺:王允(おういん)の策動のもと、呂布(りょふ)は自ら董卓(とう たく)を刺殺し、董卓(とう たく)の暴政を終わらせた。この事件は呂布(りょふ)に一時期「忠臣」の声望をもたらした。
* 轅門射戟(えんもんしゃき):呂布(りょふ)は袁術(えんじゅつ)と劉備(りゅうび)の衝突を化解するため、営門の前に戟を立て、戟上の小枝を射当てることを賭けとし、最終的に一矢で命中させ、双方に兵を罷めさせた。この場面は呂布(りょふ)の高超な武芸と一定の政治的手腕を示している。
* 濮陽の戦い:呂布(りょふ)は曹操(そうそう)と兗州(えんしゅう)濮陽(ぼくよう)で激戦を繰り広げ、呂布(りょふ)は一時優勢を占め、たびたび曹操(そうそう)麾下の猛将と交鋒した。演義では、呂布(りょふ)はさらに一人で曹操(そうそう)の六将と独力で戦い、敗れても栄誉を保った。
* 下邳の包囲:呂布(りょふ)は曹操(そうそう)に下邳(かひ)で囲まれ、その多疑、忠言を聞かないこと、加えて部下の叛変によって、最終的に擒えられた。この場面は呂布(りょふ)の悲劇的結末の発端である。
* 白門楼の死:呂布(りょふ)は白門楼の上で擒えられ、曹操(そうそう)に許しを乞い、離間を試みたが、劉備(りゅうび)に一言でその反復無常の本性を喝破され、最終的に曹操(そうそう)に縊り殺された。
* 貂蟬の連環の計(演義独自):王允(おういん)は貂蟬(ちょうせん)を利用して董卓(とう たく)と呂布(りょふ)を離間させ、呂布(りょふ)が愛によって恨みを生じ、最終的に董卓(とう たく)を刺殺するに至らしめた。この情節は呂布(りょふ)の形象を大いに豊かにし、彼を単なる武夫ではなく、情欲に左右される悲劇の英雄とした。

肖像アーカイブ

人物像

容貌
呂布(りょふ)は器量堂々として威風凛々、頭に髪を束ねる金冠を戴き、百花の戦袍を羽織り、唐猊の鎧甲を身にまとい、獅蛮の宝帯を締めていた。彼は頭に三叉の髪を束ねる紫金の冠を戴き、体に西川産の紅錦の百花の袍をかけ、身に獣面呑頭の連環鎧をまとい、腰に鎧を締める玲瓏たる獅蛮の帯を結び、その姿は長大であった。
性格
呂布は驍猛だが謀がなく、猜疑が多く、軽率狡猾で反覆し、ただ利のみを目に置いた。彼は勇にして謀なく、利を見ては義を忘れ、驍勇絶倫、自負して無敵と思った。彼は色を好み、煽られやすく、義父を妬み、反覆して定まらず、良き謀を容れず、喜怒が動きやすく、ただ妻子のみを恋い慕い、部下を草芥のごとく見なした。
話し方
呂布の言葉は率直で性急であり、しばしば「父子」「兄弟」の名によって契りを結んではまた裏切った。彼は自負して大言し、「吾に画戟と赤兎馬あり、誰が敢えて我に近づかん?」などと言ったが、死に臨んでは憐れみを乞うこともあった。
生涯
呂布は五原郡九原の人で、驍武をもって并州に仕え、かつて丁原(ていげん)の主簿を務めた。彼は丁原を殺して董卓(とう たく)に帰属し、後に王允(おういん)と共謀して董卓を殺し、敗走した後は袁術(えんじゅつ)・袁紹(えんしょう)・張楊(ちょうよう)に身を寄せ、後に兗州(えんしゅう)・徐州(じょしゅう)を占拠した。建安三年、彼は曹操(そうそう)に捕らえられ、縊り殺された。
武器
呂布は矛・戟・弓を持ち、とりわけ方天画戟を主要な武器とし、乗馬は赤兎馬であった。
逸話
呂布はかつて赤兎馬・金珠・玉帯および李肅の弁舌を受け、そのまま丁原(ていげん)を殺して董卓(とう たく)を義父と拝した。彼はみずから「王司徒(王允)と謀って董卓を殺した」と言い、後に定陶(ていとう)へ敗走し、劉備(りゅうび)を頼って徐州に迎え入れられた。彼はかつてみずから中軍を統べて三方の救援に当たったが、最期には階下の囚人の姿となって階上の玄徳(げんとく)と対比された。

人間関係

77 件の関係

名言

全 131 件の台詞 · 厳選 3 件

「轅門離中軍一百五十步,吾若一箭射中戟上小枝,你兩家罷兵;如射不中時,各自回營,安排廝殺。有不從吾言者,併力拒之。」

演 第16回→ 紀霊(きれい)

轅門射戟(えんもんしゃき)の故事は、呂布(りょふ)の武勇と豪気を示し、広く伝わっている。

「大丈夫生居天地間,豈能鬱鬱久居人下!」

演 第9回→ 王允(おういん)🗓 倉慈の敦煌統治(そうじのとんこうとうち)

呂布(りょふ)が董卓(とう たく)に背く際の内心の独白で、人の下に甘んじない性格を示している。

「明公所患不過於布,今已服矣,天下不足憂。明公將步,令布將騎,則天下不足定也。」

史 第7回→ 曹操(そうそう)

呂布(りょふ)が曹操(そうそう)に助命を乞う言葉で、末路のあがきと自らの武力への自信を映している。

登場回28 回 ▸
  • 史ch.1ch.6ch.7ch.8ch.10ch.11ch.14ch.17ch.18ch.22ch.32ch.38
  • 演ch.3ch.4ch.5ch.6ch.8ch.9ch.11ch.12ch.13ch.14ch.15ch.16ch.17ch.18ch.19ch.44
関係の年表37 条 ▸

史 ch.1

史 ch.6

史 ch.7

史 ch.32

史 ch.38

演 ch.4

演 ch.5

演 ch.6

演 ch.8

演 ch.9

演 ch.11

演 ch.12

演 ch.13

演 ch.14

演 ch.15

演 ch.16

演 ch.17

演 ch.18

演 ch.19

内面の独白 · AI 生成3 段 ▸
  • 私は白門楼の上にいる。縄で縛られ、城外の兵のざわめきもすでに静まった。つい先ほどまで、私は「縛るのがきつすぎる、少し緩めよ」と言っていたが、曹操(そうそう)は「虎を縛るには、きつくせざるを得ぬ」と答えた。この言葉も、あながち間違いではない。
  • 私は呂布(りょふ)、字は奉先(ほうせん)という。人々は常々、勇名をもって私を評する。まるで画戟一本、赤兎馬一頭さえあれば、天下を定められるかのように。昔、成廉、魏越とともに敵陣を突き破り、燕を破ったことを思い出す。諸軍は風に草木がなびくよう
  • 昔、私は五原郡九原県に生まれ、武勇をもって并州に仕えた。丁原(ていげん)は并州刺史として河内に兵を駐屯させ、私を主簿に任じ、たいそう厚遇してくれた。主簿は目立つ官職ではなかったが、そのおかげで彼の側近くに仕え、軍府の務めを知ることができた。
生涯の大事21 ▸
  1. 董卓の乱(とうたくのらん)· 武将
  2. 0190-01-01 · 虎牢關
    三英の呂布との戦い(さんえいのりょふとのたたかい)· 武将
  3. 0190-01-01 · 陽人聚
    陽人の戦い(ようじんのたたかい)· 武将
  4. 王允の連環の計(おういんのれんかんのけい)· 武将
  5. 兗州における呂布の乱(えんしゅうにおけるりょふのらん)· 総大将
  6. 曹操の徐州攻め(そうそうのじょしゅうぜめ)· 首謀者
  7. 濮陽の火攻め(ぼくようのひぜめ)· 総大将
  8. 程昱の三城防衛・陳宮を阻む(ていいくのさんじょうぼうえい・ちんきゅうをはばむ)· 総大将
  9. 兗州の戦い(えんしゅうのたたかい)· 総大将
  10. 定陶にて呂布を破る(ていとうにてりょふをやぶる)· 総大将
  11. 二虎競食の計(にこきょうしょくのけい)· 被害者
  12. 呂布の徐州奪取(りょふのじょしゅうだっしゅ)· 総大将
  13. 李傕・郭汜の乱(りかく・かくしのらん)· 総大将
  14. 轅門射戟(えんもんしゃき)· 首謀者
  15. 呂布の小沛襲撃(りょふのしょうはいしゅうげき)· 総大将
  16. 袁術の帝位僭称(えんじゅつのていいせんしょう)· 目撃者
  17. 0198-01-01 · 下邳(かひ)
    下邳の戦い(かひのたたかい)· 戦死
  18. 0198-01-01 · 下邳(かひ)
    沂水・泗水決壊による下邳水攻め(ぎすい・ししすいけっかいによるかひみずぜめ)· 被害者
  19. 陳登(ちんとう)の反間の計と布陣· 総大将
  20. 曹操の袁術討伐(そうそうのえんじゅつとうばつ)· 武将
  21. 0199-01-01 · 下邳(かひ)
    白門楼の審問(はくもんろうのしんもん)· 被害者