史載(Historical Record)
王忠は曹魏(そうぎ)の将領である。三国志(さんごくし)の記載によれば、劉備(りゅうび)が下邳(かひ)を占拠した後、かつて徐州(じょしゅう)刺史の車冑を殺し、関羽(かんう)を留めて下邳を守らせ、自らは小沛(しょうはい)に戻った。このとき、東海(とうかい)の昌霸が叛き、多くの郡県もまた曹操(そうそう)に背いて劉備に帰附し、劉備の勢力を数万人に達せしめた。劉備は孫乾を遣わして袁紹(えんしょう)と盟を結ばせた。これに対し、曹操は劉岱(りゅうたい)・王忠を遣わして軍を率いて劉備を攻めさせた。しかし、この軍事行動は成功せず、劉岱と王忠は劉備を撃ち破ることができなかった。建安五年(西暦200年)、曹操は自ら東征して劉備を討ち、劉備は最終的に敗績した。曹操は劉備の部衆を収編し、劉備の妻子を捕らえ、関羽を擒にして帰った。史料における王忠の記載は比較的簡潔で、主に彼が曹操の命を奉じて劉備への軍事行動に参与し、失敗に終わったことに集中している。
演中(In the Novel)
『三国演義』において、王忠の姿はより多くの文学的色彩と具体的な筋立てを与えられている。彼は劉岱と共に曹操に指名され、五万の大軍を率いて徐州へ赴き劉備を攻めた。曹操のこの挙は、彼らが劉備を撃ち破ることを真に期待してのものではなく、虚勢を張って劉備を牽制し、自らが袁紹に対処することに専念できるようにすることを意図していた。程昱(ていいく)はかつてこれに懸念を示し、劉岱・王忠では任に堪え難いと考え、曹操も彼らが劉備の敵ではなく、この挙は疑兵の計にすぎないと率直に述べた。曹操の進攻を催促する命令を受けた後、劉岱と王忠は軍営で協議し、最終的にくじ引きによって王忠が半分の兵力を率いて先に徐州を攻めることを決めた。
王忠が軍を率いて城を攻めたとき、関羽に遭遇した。折しも初冬で、大雪が降りしきっていた。関羽が陣を出て挑戦すると、王忠は無礼な言葉を吐き、曹丞相が自ら臨んだと称した。関羽は大いに怒り、王忠と矛を交えた。演義の描写では、関羽は初め馬を返して退く振りをして王忠を誘って追わせ、続いて馬を返して一刀のもとに、王忠を生け捕りにした。王忠は徐州へ押送され、劉備がその身分を問うと、王忠はこの行きが曹操の命を奉じたものであり、虚勢を張っただけで、曹操が自ら臨んだのではないと打ち明けた。劉備は、王忠が命を奉じて事を行ったこと、また関羽に和解の意があったことを鑑み、殺すことなく、彼を一時的に監禁し、酒食を与えた。演義における王忠は、いささか敵を軽んじ猪突猛進し、武芸は平凡で、最終的に関羽の囚われの身となり、史料における「克たず」という描写と比べ、より多くの劇的な細部と人物の無能さが加えられている。
重要な関係
* 曹魏(serves):王忠は曹操配下の将領であり、命を奉じて曹魏のために尽力した。史実でも演義でも、彼は直接曹操の命に従い、劉備への軍事行動に参与した。
* 劉岱(同僚):『三国演義』において、王忠は劉岱と共に曹操に遣わされ、共に兵を領して徐州を攻めた。両者は軍事行動における搭檔の関係であり、くじ引きによって誰が先に出戦するかを決めることさえした(演義独自)。
* 劉備(敵対):王忠は曹操の命を奉じて劉備を攻め、劉備の軍事的対手である。演義においては、さらに劉備の部将である関羽に生け捕りにされた(演義独自)。
* 関羽(敵対・俘虜):『三国演義』において、王忠は関羽と直接交鋒し、最終的に関羽に生け捕りにされた。関羽は王忠の直接の対手であり、また彼を俘虜とした者である(演義独自)。
象徴的な場面
* 命を奉じて劉備を攻める:王忠は曹操の命を奉じ、劉岱と共に軍を率いて劉備を攻めた。これは彼が史料と演義で共に現れる鍵となる出来事であり、曹操の将領としての彼の身分と職責を示している。
* くじ引きで出戦する:『三国演義』において、王忠は劉岱と誰が先に徐州を攻めるかを決めるため、くじ引きの方法で決めた。この場面は両者の軍事的決断における躊躇と主見の欠如を示している(演義独自)。
* 関羽に生け捕りにされる:王忠は徐州城外で関羽と交戦し、最終的に関羽に計謀をもって生け捕りにされた。この場面は『三国演義』において王忠が最もよく知られた筋立てであり、関羽の勇武と王忠の無能さを際立たせている(演義独自)。
* 劉備に釈放される:王忠は関羽に生け捕りにされた後、劉備のもとへ押送された。劉備は彼が命を奉じて事を行ったこと、また関羽に和解の意があったことを念い、王忠を殺さず、彼を一時的に監禁し、酒食を与えた(演義独自)。この場面は劉備の仁義を体現するとともに、後続の筋立てへの伏線を埋めた。
人間関係
3 件の関係
名言
全 5 件の台詞 · 厳選 2 件
「丞相到此,緣何不降?」
この一句は王忠が曹操(そうそう)の部将としての忠誠と気概を示している。
「焉敢有詐?奉命教我虛張聲勢,以為疑兵。丞相實不在此。」
この一句は曹操(そうそう)の計略における王忠の役割を明かし、その知謀を体現している。
登場回3 回 ▸
- 史ch.11ch.32
- 演ch.22
内面の独白 · AI 生成1 段 ▸
- 私は王忠(おうちゅう)。この場で名を隠す必要はない。此度、劉岱(りゅうたい)とともに兵を率いて徐州(じょしゅう)へ向かうよう命じられた。名目は劉備(りゅうび)討伐であったが、実のところ、丞相は遠く河北で袁紹(えんしょう)と対峙しており、我ら