背景
建安元年、曹操(そうそう)は献帝を迎えて許都(きょと)に都を定め、「天子を挟みて諸侯に令す」という政治的梃子をちょうど握ったところであった。この時、東方の構図には 隠れた憂いがあった。劉備(りゅうび)は徐州(じょしゅう)に拠って自ら州事を領し、呂布(りょふ)は敗れて身を寄せ、小沛(しょうはい)に置かれていた。曹操は二人がひとたび心を一つにして 兵を引いて攻め寄せれば、腹心の患いとなることを案じ、謀士を集めてこの潜在的同盟をいかに先んじて瓦解させるかを協議した [c:16089]。許褚(きょちょ)は 直ちに五万の兵を発して二人の首級を取ることを主張したが、荀彧(じゅん いく)は力攻めを否決した——許都は新たに定まったばかりで軽率に兵を用いるべきでなく、より穏当なのは計を用いて 他人の刀を借りることだ、と [c:16089]。この謀議は、曹操集団が軍事問題を政治的離間へ転化する典型的な見本である。
主要人物
計を施す側は荀彧を頭脳とし、曹操を決断者とする。荀彧が謀を出し、曹操が採用して天子の名において具体的に執行した [c:16089]。 計を受ける側は劉備と呂布であり、二人こそ計のなかで争わせるべき「二虎」である。決定的な反制は劉備から来た——張飛(ちょうひ)の 「呂布は義なし、これを殺して何の妨げあらん」というそそのかしに対し、彼は「人が窮して身を寄せてきたのを殺すは不義なり」と拒み [c:16090]、さらに進んで曹操の 密書をそのまま呂布に見せ、面と向かって離間を暴いた [c:16091]。袁術(えんじゅつ)は続く「駆虎呑狼」のなかで劉備を攻める 「狼」として仕組まれ、動かされる外部の変数であった [c:16093]。
核心の論点
二虎競食の計(にこきょうしょくのけい)の精巧さは「双方得をする離間」にある。上奏して劉備を実際に徐州牧に任じ、さらに密かに呂布を殺すよう命じる——成れば劉備は 猛将の助けを失って徐々に図ることができ、成らなければ呂布が劉備を逆に殺すので、いずれの結果も曹操に有利である [c:16089]。その 毒辣なところは「恩」(官位の授与)と「令」(人を殺すこと)を抱き合わせて届け、受け手が受けても受けなくても窮地に陥らせる点にある。だがこの 算段には計算に入れられていない変数が一つあった。劉備の政治的判断と道徳的姿勢である。劉備はこれが「二人を互いに食い合わせ、 自分はそこから利を得る」ものだと見抜き、表情を変えぬ率直さで化解した [c:16092]——彼は曹操が設定した脚本どおりに「虎」を演じなかったのである。
政治的帰結
最初の計が空振りに終わると、荀彧はただちに「駆虎呑狼の計」へ転じた。袁術に通報して劉備を攻めさせるよう誘い、また詔と偽って劉備に袁術討伐を命じ、なお 両者を食い合わせて呂布に異心を生じさせようとした [c:16093]。この連環の計は、曹操集団の離間が体系的で反復可能であり、 一計が成らずとも次の手があることを示している。短期的には、劉備の化解は呂布との表面上の和睦を保った。だが徐州は結局のところ曹操・ 呂布・劉備の三者がせめぎ合う火薬庫であり、離間の種がひとたび蒔かれると、後に呂布が徐州を奪取し劉備が領土を失うという、 曹操が望む内部消耗の結末へと向かっていった。
反事実の推論
まずこれが演義の創作した権謀の一段であり、史実には荀彧がこの二計を献じたという明確な記載はなく、その意図は荀彧の智と 劉備の仁を造形することにある点を説明しておかねばならない。たとえ小説の論理の中で推論しても、もし劉備が徐州牧の「実授」を貪って本当に呂布を殺しにかかれば、 成否を問わず、彼はただちに助けを失うか殺されるかの絶境に陥り、まさに曹操の思う壺であった。彼は義を貫き、誠をもって計を破ることを選び、 道徳的形象を保つと同時に、刀を借りられることも避けた。この段落の深い含意は——どれほど周到な離間も、 標的の一方が脚本どおりに動くことを拒む冷静さには敵わない、という点にある。権謀の勝敗は、しばしば相手があの「食を競う虎」になることを望むか否かにかかっているのだ。
