言語
糜夫人(びふじん)

糜夫人(びふじん)

登場回
6
台詞の記録
5
人間関係
4
内面の独白
1

史載(Historical Record)

糜夫人(びふじん)は、劉備(りゅうび)の夫人の一人として、『三国志(さんごくし)』などの正史には明確な記載が残されていない。その生涯、出自、および劉備(りゅうび)との結びつきの経緯について、史料はいずれも詳しく触れていない。このため、彼女は歴史上の真実の姿においては曖昧模糊としており、甘夫人(かんふじん)や孫夫人(そんふじん)などの比較的多くの筆が割かれた記載には遠く及ばない。正史では劉備(りゅうび)の家眷、とりわけ初期の流離流転の時期の記載は、往々にしてその政治・軍事活動に重点が置かれ、内眷についての筆はきわめて少なく、糜夫人(びふじん)はこの類に属する。したがって、糜夫人(びふじん)に関する史伝の材料は、ほぼ存在しないと言ってよく、その人物像はむしろ文学作品の造形を通じて人々の心に深く根付いている。

演中(In the Novel)

『三国演義』において、糜夫人(びふじん)はより鮮明で悲壮な人物像を与えられており、とりわけ劉備(りゅうび)の初期の流離流転の歳月の中で、たびたび甘夫人(かんふじん)とともに登場する。彼女が演義に初めて登場するのは、甘夫人(かんふじん)とともに関羽(かんう)に護送され、曹操(そうそう)のもとに一時身を寄せていたときである。関羽(かんう)が千里を単騎で行き、張飛(ちょうひ)と出会ったとき、糜夫人(びふじん)と甘夫人(かんふじん)は張飛(ちょうひ)の関羽(かんう)に対する誤解を解こうとし、糜夫人(びふじん)はかつて「二叔(関羽)が許都(きょと)にいたのは、もともと止むを得ぬことであった」と言った。これは彼女が関羽(かんう)の境遇を理解し体察していることを示している。しかし、糜夫人(びふじん)が最もよく知られているのは、まぎれもなく長坂(ちょうはん)の戦いにおける壮烈な犠牲である。曹軍の追撃の下、趙雲(ちょううん)は乱軍の中で劉備(りゅうび)の家眷を捜し、最終的に糜夫人(びふじん)が阿斗を抱き、火で焼け崩れた土壁の下の枯れ井戸の傍に座って泣いているのを見つけた。趙雲(ちょううん)の救援に対し、重傷を負った糜夫人(びふじん)は自分がすでに足手まといであると知り、趙雲(ちょううん)が劉備(りゅうび)の唯一の血肉である阿斗を守るのを妨げないため、毅然として阿斗を趙雲(ちょううん)に託し、井戸に身を投げて自尽した。彼女のこの行いは、阿斗の命を全うしただけでなく、趙雲(ちょううん)の忠勇に主を護る美談を成し、彼女の人物像を演義の中でこのうえなく崇高で悲壮なものにした。趙雲(ちょううん)は阿斗を連れ帰った後、劉備(りゅうび)に「糜夫人(びふじん)は重傷を負い、馬に乗ろうとせず、井戸に身を投げて死にました。雲はやむなく土壁を崩して覆い、公子を懐に抱き、重囲を突き、主公の洪福のおかげで、幸いにも脱することができました」と報告した。この筋立ては糜夫人(びふじん)の性格を大いに豊かにし、彼女を運命を悟って決然とし、劉氏の嗣を存えるために犠牲となった典型とした。

主要な関係

* 劉備(りゅうび)(spouse_of):糜夫人(びふじん)は劉備(りゅうび)の夫人の一人であり、演義では、彼女と劉備(りゅうび)の結びつきは詳しく描かれていないものの、劉備(りゅうび)の家眷として、常に劉備(りゅうび)の運命と緊密に結びついており、とりわけ危難の時、彼女の犠牲は直接劉備(りゅうび)の血脈の存続に関わった。(演義独自)
* 劉禅(りゅう ぜん)(parent_of):糜夫人(びふじん)は劉禅(りゅう ぜん)の生母である。長坂(ちょうはん)の戦いにおいて、彼女は幼い劉禅(りゅう ぜん)を守るため、自らの命を犠牲にすることをいとわず、劉備(りゅうび)の唯一の子嗣が生き延びることを確かにした。この母の愛の輝きは演義で濃厚に描かれている。(演義独自)

象徴的な場面

* 長坂(ちょうはん)で井戸に身を投げる:これは糜夫人(びふじん)が最もよく知られている象徴的な場面である。長坂(ちょうはん)の戦いにおいて、趙雲(ちょううん)が劉備(りゅうび)の幼子阿斗を守るのを妨げないため、重傷を負った糜夫人(びふじん)は毅然として阿斗を趙雲(ちょううん)に託した後、枯れ井戸に身を投げて自尽した。この一幕は、彼女が運命を悟って決然とし、劉氏の嗣を存えるために犠牲となった偉大な母性の輝きを十分に示している。趙雲(ちょううん)が劉備(りゅうび)に報告する際にも、糜夫人(びふじん)が井戸に身を投げた経緯を詳しく述べている。この場面は糜夫人(びふじん)個人の人物像のハイライトの瞬間であるだけでなく、『三国演義』の中の古典的な悲壮な筋立ての一つとなり、乱世における女性の強靱さと献身を深く刻んでいる。(演義独自)
* 張飛(ちょうひ)を取りなす:関羽(かんう)が千里を単騎で行き張飛(ちょうひ)と出会ったとき、張飛(ちょうひ)は関羽(かんう)が曹操(そうそう)に降ったと誤解し、彼と斬り合おうとした。糜夫人(びふじん)は甘夫人(かんふじん)とともに乗り出し、張飛(ちょうひ)に関羽(かんう)の止むを得ぬ境遇を説明し、糜夫人(びふじん)は「二叔が許都(きょと)にいたのは、もともと止むを得ぬことであった」と言った。この場面は、彼女が道理をわきまえ大局を顧みる一面を示しており、紙幅は長くないものの、後日の悲壮な犠牲への伏線を張り、劉備(りゅうび)の家眷としての智慧と局勢への判断力を示している。(演義独自)

肖像アーカイブ

人物像

性格
運命を悟って決然とし、劉の後嗣を存えさせるために自ら命を絶ち、阿斗を抱き、左脚に槍を受け、枯れ井戸のほとりに座して啼き、阿斗を趙雲に託した。
逸話
劉備の夫人、糜竺の妹であり、甘夫人とともに関公の護持を受け、乱軍の中で井戸に身を投げて死に、後に皇后と追諡された。

人間関係

4 件の関係

名言

全 5 件の台詞 · 厳選 3 件

「妾得見將軍,阿斗有命矣。望將軍可憐他父親飄蕩半世,只有這點骨血。將軍可護持此子,教他得見父面,妾死無恨!」

演 第41回

糜夫人(びふじん)の遺孤託しは、母の愛と劉備(りゅうび)への忠誠を表しており、長坂(ちょうはん)の名場面である。

「不可。將軍豈可無馬?此子全賴將軍保護。妾已重傷,死何足惜!望將軍速抱此子前去,勿以妾為累也。」

演 第41回

糜夫人が命を捨てて義を取り、生きる望みを阿斗に託した様は、その高潔な品格を表している。

「此子性命全在將軍身上!」

演 第41回

阿斗の命が趙雲(ちょううん)に懸かっていることを強調し、趙雲の忠勇を際立たせ、物語の展開を推し進めている。

登場回6 回 ▸
  • 演ch.25ch.26ch.28ch.41ch.42ch.85
関係の年表2 条 ▸

演 ch.41

演 ch.42

内面の独白 · AI 生成1 段 ▸
  • 私は阿斗(Atō)を抱き、焼け崩れた土塀の下に座っていた。枯れ井戸はすぐそばにあった。火煙はまだ立ちこめ、喊声や殺し合う声が遠くからなお迫ってくるようだった。私は傷を負っていたが、腕の中の子は玄徳(Gentoku)に残された、ただ一人の血筋
生涯の大事4 ▸