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紀霊(きれい)

袁術集団(えんじゅつしゅうだん) · 将軍

紀霊(きれい)

登場回
6
台詞の記録
11
人間関係
4
内面の独白
3

史載(Historical Record)

紀霊(きれい)に関する史料の記載はきわめて乏しく、正史『三国志(さんごくし)』にはほとんど彼の独立した事跡や生涯の細部が直接言及されていない。これは紀霊(きれい)の真実の歴史における地位が、文学作品におけるほど顕赫ではなかった可能性を示している。史書では、彼はもっぱら袁術(えんじゅつ)麾下の一将領として、袁術集団(えんじゅつしゅうだん)の軍事行動の中でたまに言及されるが、具体的な個人の伝記や詳しい戦功の描写を欠いている。したがって、我々は史伝の材料から紀霊(きれい)の完全な人物像を描き出すことはできず、その本貫、出自、初期の経歴、最終的な結末を知ることもできない。 [c:无史传材料] このような史料の乏しさは、紀霊(きれい)という人物を大部分において『三国演義』などの文学作品が芸術的創作と想像を行う空白とした。正史の文脈においては、紀霊(きれい)はただ袁術集団(えんじゅつしゅうだん)の一部の軍事力を代表する曖昧な符号にすぎず、独立した個人の色彩を持たない。

演中(In the Novel)

羅貫中の『三国演義』において、紀霊(きれい)は袁術(えんじゅつ)配下の一上将に造形されており、人物像は鮮明で一定の武力を備えている。彼は初登場から意気盛んで、袁術(えんじゅつ)の命を奉じて十万の大軍を率い、劉備(りゅうび)が占拠する徐州(じょしゅう)を攻めた。 c:3002 紀霊(きれい)は「山東の人、一口の三尖刀を使い、重さ五十斤」と描かれ、その武勇のたくましさを示している。関羽(かんう)との最初の交鋒では、二人は三十回合戦って勝負がつかず、紀霊(きれい)の非凡な武芸を示した。しかし、関羽(かんう)が紀霊(きれい)と雌雄を決しようと申し出ると、紀霊(きれい)は副将の荀正を出して戦わせ、結果、荀正は関羽(かんう)に一合で馬上から斬られ、紀霊(きれい)の人物像をやや見劣りさせた。 c:13089 その後、紀霊(きれい)は劉備(りゅうび)との対峙において、陣営を奇襲する策を採ったが、いずれも徐州(じょしゅう)の兵に撃破された。 c:13089

紀霊(きれい)が小説で最もよく知られている出来事は、まぎれもなく呂布(りょふ)の「轅門射戟(えんもんしゃき)」による解囲である。当時、袁術(えんじゅつ)は紀霊(きれい)を派遣して軍を率い小沛(しょうはい)の劉備(りゅうび)を攻めさせ、呂布(りょふ)は自身の利益を守るため、乗り出して調停した。紀霊(きれい)は呂布(りょふ)の営帳の中で、呂布(りょふ)の調停に対し、初めは不本意で、主公の命を奉じて劉備(りゅうび)を捕らえるのであり、兵を罷められないと言った。 c:13096 呂布(りょふ)はこのために大いに怒り、轅門射戟(えんもんしゃき)の方法で、強引に両家に兵を罷めさせた。紀霊(きれい)はひそかに呂布(りょふ)が百歩の外の戟の小枝を射当てられるはずがないと考え、ひと言で承諾した。 c:13097 結果、呂布(りょふ)が一矢で射当て、紀霊(きれい)は従わざるを得ず、呂布(りょふ)に別れを告げて営に帰った。 c:13098 淮南に戻ると、紀霊(きれい)は袁術(えんじゅつ)に呂布(りょふ)が轅門射戟(えんもんしゃき)で和解を取り持ったことを報告し、呂布(りょふ)の書信を呈した。袁術(えんじゅつ)はこれを聞いて大いに怒ったが、紀霊(きれい)は計を献じ、袁術(えんじゅつ)に呂布(りょふ)の娘に縁談を申し込み、呂布(りょふ)と劉備(りゅうび)の関係を離間させるよう建議した。 c:13099 この筋立ては紀霊(きれい)が武力だけでなく、一定の謀略をも備えていることを示している。

後に、袁術の帝位僭称(えんじゅつのていいせんしょう)の後、再び兵を発して徐州(じょしゅう)を攻めたとき、紀霊(きれい)は七路都救応使に任じられ、七路の大軍の糧草と支援を統括調整する任を負った。 c:6065 これは紀霊(きれい)が袁術集団(えんじゅつしゅうだん)において依然として重要な地位を占め、袁術(えんじゅつ)が頼りとする大将であることを示している。しかし、袁術(えんじゅつ)の衰退とともに、紀霊(きれい)の結末も思わしくなかった。袁術の敗亡(えんじゅつのはいぼう)の後、紀霊(きれい)は劉備(りゅうび)との交戦の中で、最終的に張飛(ちょうひ)に斬られ、袁術(えんじゅつ)麾下の大将としての一生を終えた。 [c:演义独有] 全体として、紀霊(きれい)は演義において勇もあり謀もあるが、最終的に袁術(えんじゅつ)の敗局を救えなかった悲劇的な人物である。

主要な関係

* 袁術(えんじゅつ)(serves):紀霊(きれい)は袁術(えんじゅつ)麾下の最も重要な将領の一人である。彼は忠心耿耿として袁術(えんじゅつ)のために尽くし、たびたび命を奉じて軍を率いて出征し、袁術(えんじゅつ)の軍事力の重要な支柱であった。袁術(えんじゅつ)も紀霊(きれい)をかなり信任し、肝心な時に重任を委ね、徐州(じょしゅう)を攻めることや七路の大軍を統括することなどがある。 c:3002 紀霊(きれい)は袁術(えんじゅつ)の軍事将領であるだけでなく、かつて袁術(えんじゅつ)のために計略をめぐらし、呂布(りょふ)と劉備(りゅうび)を離間する計を献じ、彼と袁術(えんじゅつ)との間が単なる上下関係ではなく、相互に頼り合う関係であることを体現している。 c:13099
* 袁術集団(えんじゅつしゅうだん)(serves):袁術集団(えんじゅつしゅうだん)の中核軍事力として、紀霊(きれい)は袁術集団(えんじゅつしゅうだん)の対外的な軍事の顔を代表している。その軍事行動と戦略配置は、いずれも直接袁術集団(えんじゅつしゅうだん)の興亡に関わる。彼は雷薄(らいはく)・陳蘭などの同僚とともに袁術集団(えんじゅつしゅうだん)の軍事の骨幹を構成した。 c:6064 紀霊(きれい)の存在は、袁術集団(えんじゅつしゅうだん)が小説において一定の軍事的実力を持ち、劉備(りゅうび)・呂布(りょふ)などの勢力と対抗できるようにした。
* 劉備(りゅうび)(adversary):紀霊(きれい)と劉備(りゅうび)との間は長期にわたる敵対関係である。彼はたびたび袁術(えんじゅつ)の命を奉じて劉備(りゅうび)を攻め、劉備(りゅうび)が初期の発展過程で直面した重要な軍事的脅威であった。 c:3002 呂布(りょふ)の調停の下で短い平和があったものの、この敵対関係は紀霊(きれい)の小説における大部分の登場を貫いている。
* 呂布(りょふ)(intervener):呂布(りょふ)は紀霊(きれい)と劉備(りゅうび)の衝突において重要な調停者の役割を演じた。呂布(りょふ)の「轅門射戟(えんもんしゃき)」の出来事は、直接紀霊(きれい)の劉備(りゅうび)への攻撃を阻止し、紀霊(きれい)に一時兵を罷めざるを得なくさせた。 c:13097 呂布(りょふ)の介入は、紀霊(きれい)がより強大な勢力に面したときの無奈を示すとともに、間接的に袁術集団(えんじゅつしゅうだん)の戦略配置に影響を与えた。
* 関羽(かんう)(rival):紀霊(きれい)はかつて関羽(かんう)と激しい一騎打ちをし、三十回合戦って勝負がつかず、両人が互角の武力であることを示した。 c:13089 この戦いは紀霊(きれい)の武力値の重要な体現であり、関羽(かんう)の勇猛さを引き立てるものでもある。

象徴的な場面

* 十万の大軍を率いて徐州(じょしゅう)を攻める(演義独自):紀霊(きれい)は初登場から勢いが盛んで、袁術(えんじゅつ)の命を奉じ、十万の大軍を率いて徐州(じょしゅう)へ攻め寄せ、劉備(りゅうび)の地盤を併呑しようとした。この場面は紀霊(きれい)の袁術(えんじゅつ)麾下の大将としての地位を定着させ、袁術集団(えんじゅつしゅうだん)の強大な軍事的実力をも示した。 c:3002
* 関羽(かんう)と三十回合戦う(演義独自):徐州(じょしゅう)を攻めるとき、紀霊(きれい)は関羽(かんう)と陣前で一騎打ちをし、三十回合戦って勝負がつかなかった。この場面は紀霊(きれい)の武力値の重要な体現であり、読者に深い印象を残した。 c:13089
* 轅門射戟(えんもんしゃき)による解囲(演義独自):紀霊(きれい)は袁術(えんじゅつ)の命を奉じて劉備(りゅうび)を攻め、呂布(りょふ)が宴を設けて調停し、轅門射戟(えんもんしゃき)の方法で強引に紀霊(きれい)と劉備(りゅうび)に兵を罷めさせた。紀霊(きれい)は呂布(りょふ)の威に屈し、調停を受け入れざるを得ず、この出来事は『三国演義』の中の古典的な場面の一つとなり、呂布(りょふ)の豪邁さと紀霊(きれい)の無奈をも際立たせた。 c:13097 紀霊(きれい)のこの場面での振る舞いは、袁術(えんじゅつ)の大将としての職責もあれば、呂布(りょふ)に面したときに時勢を見極める一面もある。
* 呂布(りょふ)と劉備(りゅうび)を離間する計を献じる(演義独自):轅門射戟(えんもんしゃき)の後、紀霊(きれい)は淮南に戻り、袁術(えんじゅつ)に計を献じ、袁術(えんじゅつ)に呂布(りょふ)の娘に縁談を申し込み、呂布(りょふ)と劉備(りゅうび)の関係を離間させるよう建議した。この場面は紀霊(きれい)が武力だけでなく、一定の謀略をも備え、政治的な婚姻を通じて軍事目的を達成しようとしたことを示している。 c:13099
* 七路都救応使に任じられる(演義独自):袁術の帝位僭称(えんじゅつのていいせんしょう)の後、再び兵を発して徐州(じょしゅう)を攻めたとき、紀霊(きれい)は七路都救応使に任じられ、七路の大軍の糧草と支援を調整する任を負った。この任命は紀霊(きれい)が袁術集団(えんじゅつしゅうだん)において依然として重要な地位を占め、袁術(えんじゅつ)が頼りとする大将であることを示し、袁術(えんじゅつ)の彼への信任をも反映している。 c:6065

肖像アーカイブ

人物像

性格
紀霊は袁術の大将であり、かつて歩騎三万を率いて劉備を攻め、兵十万を統べて徐州を侵し、関公と三十合戦って勝負がつかなかった。彼は袁術の部将として、最後に張飛に馬下に刺し殺された。
武器
紀霊の兵器は重さ五十斤の三尖刀である。
逸話
紀霊は山東の人で、かつて袁術の七路都救応使として、山の後方で敗軍を接応した。

人間関係

4 件の関係

名言

全 11 件の台詞 · 厳選 3 件

「劉備村夫,安敢侵吾境界!」

演 第14回→ 劉備(りゅうび)

この台詞は紀霊(きれい)の劉備(りゅうび)への軽蔑を表しており、その人物像を象徴する描写である。

「吾奉主公之命,提十萬之兵,專捉劉備,如何罷得?」

演 第16回→ 呂布(りょふ)

この台詞は紀霊が命を受けて劉備を捕らえる決意を強調しており、その職責を表している。

「主公不可造次。呂布勇力過人,兼有徐州之地;若布與備首尾相連,不易圖也。靈聞布妻嚴氏有一女,年已及笄。主公有一子,可令人求親於布。布若嫁女於主公,必殺劉備。此乃『疏不間親之計』也。」

演 第16回→ 袁術(えんじゅつ)

この計略は紀霊の謀略を表しており、呂布(りょふ)の轅門射戟(えんもんしゃき)の一件における重要な見せ場である。

登場回6 回 ▸
  • 史ch.7
  • 演ch.14ch.15ch.16ch.17ch.21
関係の年表1 条 ▸

演 ch.14

内面の独白 · AI 生成3 段 ▸
  • 私は紀霊(きれい)、字(あざな)は詳らかでない。あの日、小沛(しょうはい)で淮南(わいなん)と争ったことを思い返す。張飛(ちょうひ)はただ斬り合いを待ち構えており、私も心中に不満を抱いていた。呂布(りょふ)が突然怒り、画戟を持ってくるよう命
  • 私は主君の命を奉じ、数万の兵を率いて小沛(しょうはい)に迫った。出陣した当初は、ただ命令に従って事を成すことだけを考えていた。劉備(りゅうび)が小沛(しょうはい)を守っている以上、捕らえることができれば、軍令を果たしたことになる。徐州(じょ
  • 私は紀霊(きれい)、字は詳らかでない。かつて袁公の麾下にいた頃を思い返す。劉備(りゅうび)が上表したと聞き、袁公は彼が州県を併呑しようとしていると思い、激怒した。そして私に兵十万を率いて徐州(じょしゅう)へ進軍するよう命じた。軍令が下ると、
生涯の大事4 ▸