言語
許褚(きょちょ)

曹魏(そうぎ) · 都尉

許褚(きょちょ)

字 仲康

登場回
25
台詞の記録
23
人間関係
23
内面の独白
3

史載(Historical Record)

許褚(きょちょ)は、字は仲康、譙国譙県の人である。曹操(そうそう)が淮・汝の地域を征討した際、許褚(きょちょ)は部衆を率いて帰附し、曹操(そうそう)はその体格の魁偉なるを見て「これわが樊噲なり」と称賛し、ただちに都尉に任じて、宿衛に引き入れた。許褚(きょちょ)の侠客の部属もこれにより曹操(そうそう)から「虎士」に任じられた。彼はかつて曹操(そうそう)に従って張繡(ちょうしゅう)を征討し、身をもって先んじ、斬首は無数で、これにより校尉に昇進した。官渡の戦い(かんとのたたかい)において、許褚(きょちょ)もまた従軍した。当時、常に随侍する侍衛の徐他らが乱を密謀したが、許褚(きょちょ)が常に曹操(そうそう)の左右にいることを忌憚して発することができなかった。許褚(きょちょ)が休暇をとると、徐他らは刀を懐にして内に入った。許褚(きょちょ)は寝所で心に警兆が生じ、ただちに引き返して侍衛した。徐他らは知らずに、帳に入って許褚(きょちょ)を見ると、大いに驚いた。許褚(きょちょ)はその顔色に異変があるのを察し、ただちに徐他らを撃殺した。曹操(そうそう)はこれにより許褚(きょちょ)をいっそう親しみ信任し、出入りはみな彼と同行し、片時も左右を離れなかった。

許褚(きょちょ)は鄴(ぎょう)城を包囲した際、勇んで奮戦し、戦功を立て、関内侯の爵位を賜った。潼関の戦い(とんかんのたたかい)において、彼は曹操(そうそう)に従って韓遂(かんすい)、馬超(ばちょう)を討伐した。曹操(そうそう)が渭水を北に渡ろうとした際、まず大部隊を渡河させ、自らは許褚(きょちょ)および百余名の虎士とともに南岸に残って殿軍を務めた。馬超(ばちょう)が歩騎一万余を率いて曹操(そうそう)軍に奔襲し、箭矢が雨のごとくであった。許褚(きょちょ)は曹操(そうそう)に進言し、賊兵は多く、わが軍はすでに渡河を終えたので、ただちに退くべきだと言い、そこで曹操(そうそう)を扶けて船に上らせた。敵の攻勢は猛烈で、士兵は争って船に上り、船は超載のために今にも転覆しそうになった。許褚(きょちょ)は船にすがりつく者を斬り、左手で馬鞍を挙げて曹操(そうそう)のために箭矢を遮った。船頭が箭に当たって死ぬと、許褚(きょちょ)は右手で力を尽くして水を漕ぎ、ようやく渡河することができた。その日もし許褚(きょちょ)がいなければ、曹操(そうそう)はほとんど命が保てなかったであろう。この後、曹操(そうそう)が韓遂(かんすい)、馬超(ばちょう)らと単独で会見して和議を議した際、左右の随従はみな近づくことを許されず、ただ許褚(きょちょ)だけが随行した。馬超(ばちょう)は自らの勇力を恃み、ひそかに進み出て曹操(そうそう)を突襲しようとしたが、平素から許褚(きょちょ)の勇猛を聞いており、随従が許褚(きょちょ)ではないかと疑って、曹操(そうそう)に問うた。「公に虎侯なる者ありと、いずこに在りや」。曹操(そうそう)が許褚(きょちょ)を指さすと、許褚(きょちょ)は目を瞋らせて馬超(ばちょう)を怒り睨み、馬超(ばちょう)はこれにより軽はずみに動くことができず、双方は事を止めた。数日後の会戦で、曹操(そうそう)は馬超(ばちょう)らを大破し、許褚(きょちょ)は自ら敵将の首級を斬り、武衛中郎将に昇進した。武衛の称号はここに始まる。軍中では許褚(きょちょ)が力は虎のごとく、いくらか痴憨であることから「虎痴」と称した。馬超(ばちょう)が「虎侯」を尋ねたことにより、今に至るまで天下はなおこれをもって許褚(きょちょ)を称しており、いずれもその姓名を指している。

許褚(きょちょ)は性格が慎み深く法を奉じ、沈着で寡黙であった。曹仁(そうじん)が荊州(けいしゅう)から来朝して謁見した際、曹操(そうそう)がまだ出迎えないうちに、曹仁(そうじん)は殿外で許褚(きょちょ)と出くわした。曹仁(そうじん)は許褚(きょちょ)を招いて座について語ろうとしたが、許褚(きょちょ)は「王まさに出でんとす」と言って、殿内へと引き返した。曹仁(そうじん)はこれにより不快に感じた。ある者が許褚(きょちょ)を責めて言った。「征南将軍は宗室の重臣であり、身を屈してそなたに座を請うたのに、なぜ拒んだのか」。許褚(きょちょ)は答えた。「彼は親近の重臣とはいえ、外藩である。われは内臣の身、衆人で語らえば足りる。室に入りて何ぞ私語せんや」。曹操(そうそう)はこれを聞いて、いっそう許褚(きょちょ)を愛し重んじ、中堅将軍に昇進させた。曹操(そうそう)が死去した際、許褚(きょちょ)は号泣し、血を吐くほどであった。曹丕(そうひ)が即位すると、許褚(きょちょ)を万歳亭侯に晋封し、武衛将軍に遷し、中軍の宿衛禁兵を統領させ、深く親近された。

演中(In the Novel)

『三国演義』において、許褚(きょちょ)の人物像はさらに神格化・強化され、その勇猛と忠誠にはより多くの伝奇的な色彩が与えられている。彼が初めて登場するのは、曹操(そうそう)が黄巾の残党・何儀、黄劭を征討した時である。許褚(きょちょ)は葛陂塢において数百の黄巾賊を擒え、典韋(てんい)と二日にわたって大いに戦って勝負がつかず、最終的に曹操(そうそう)が計を設けて落とし穴を用いて擒えた。曹操(そうそう)は自ら彼の縄を解き、姓名を問いただすと、許褚(きょちょ)はかつて飛石をもって寇賊を撃退したこと、また両手で二頭の牛の尾を掣え、後ずさりして百余歩したことを自ら述べ、超凡の怪力を示した。曹操(そうそう)はその大名を聞き、そこで許褚(きょちょ)とその宗族数百人を招き降した。

許褚(きょちょ)は演義において幾度も先鋒を務め、将を斬り旗を奪った。たとえば、曹操(そうそう)が兗州(えんしゅう)を攻めた際、彼は自ら進んで願い出て、一合で李封を斬殺し、曹操(そうそう)が兗州(えんしゅう)を奪い返すのを助けた。濮陽(ぼくよう)の戦いにおいて、彼は呂布(りょふ)と二十合戦って勝負がつかず、後に典韋(てんい)、夏侯惇(かこう とん)、夏侯淵(かこう えん)、李典(りてん)、楽進(がくしん)の六将が力を合わせてようやく呂布(りょふ)を撃退した。曹操(そうそう)が漢の献帝を迎えた際、許褚(きょちょ)は典韋(てんい)、曹仁(そうじん)ら三百の鉄騎とともに李傕(りかく)の軍陣に三度突き入り、また李傕(りかく)の甥・李暹、李別を斬殺し、曹操(そうそう)から「わが樊噲」と称えられた。

演義はまた許褚(きょちょ)の「痴」と「忠」を重点的に描いている。官渡の戦い(かんとのたたかい)の後、許褚(きょちょ)は許攸(きょゆう)が曹操(そうそう)に無礼であったために彼を斬殺し、曹操(そうそう)は彼を責めたものの、なお許攸(きょゆう)を厚く葬った(史に明らかな記載なし)。長坂の戦い(ちょうはんのたたかい)において、曹操(そうそう)は張飛(ちょうひ)の一声の怒号に脅かされて退き、許褚(きょちょ)は張遼(ちょうりょう)とともに追いついて慰め、命を奉じて張飛(ちょうひ)の虚実を探った。渭水の戦いにおいて、許褚(きょちょ)は曹操(そうそう)の危急の折、曹操(そうそう)を引いて船に下ろし、また曹操(そうそう)を背負って別の船に跳び乗り、船上で馬鞍をもって曹操(そうそう)のために箭矢を遮り、力を尽くして水を漕いで、曹操(そうそう)を脱出させた。これらの筋立てはいずれも許褚(きょちょ)の「虎痴」の人物像を大いに豊かにしている。

曹操(そうそう)が酔った際、許褚(きょちょ)は剣を持って堂門に立ち、内に入ろうとする曹仁(そうじん)を阻み、曹仁(そうじん)は宗室とはいえ外藩であり、自分は内臣であって、主公を煩わせるわけにはいかないと言った。曹操(そうそう)はこれを聞いて彼を「忠臣」と嘆じた(史に明らかな記載なし)。これらの細部はいずれも許褚(きょちょ)の性格における「質実重厚で寡黙」かつ「忠の至れる」一面を際立たせている。

重要な関係

* 曹操(そうそう)(serves):許褚(きょちょ)は曹操(そうそう)の忠実な衛士であり腹心の大将である。史載では曹操(そうそう)は彼を「これわが樊噲なり」と称し、彼を厚く信任して、出入りに同行した。演義では、許褚(きょちょ)はさらに幾度も危急の折に曹操(そうそう)を水火から救っており、渭水の戦いで曹操(そうそう)を背負って脱出させたこと、ならびに曹操(そうそう)が酔った際に職を尽くして守護したことなどがある(演義独自)。
* 曹魏(そうぎ)(serves):許褚(きょちょ)は曹操(そうそう)の死後、引き続き曹丕(そうひ)と曹叡(そうえい)に尽くし、官は武衛将軍に至り、中軍の宿衛禁兵を都督した。曹魏(そうぎ)政権の重要な軍事的支柱であった。
* 徐他(enemy_of):史載では徐他らが謀反したが、許褚(きょちょ)が常に左右に侍することを忌憚して発することができず、後に許褚(きょちょ)に察知されて撃殺された。
* 馬超(ばちょう)(fights_in):潼関の戦い(とんかんのたたかい)において、許褚(きょちょ)は馬超(ばちょう)と幾度も交戦した。史載では馬超(ばちょう)がかつて曹操(そうそう)に「公に虎侯なる者ありと、いずこに在りや」と問い、許褚(きょちょ)が目を瞋らせて睨み、馬超(ばちょう)を軽はずみに動けなくさせた。演義では、許褚(きょちょ)は渭水の戦いにおいてさらに直接に馬超(ばちょう)の追兵と搏闘し、曹操(そうそう)を護った。
* 典韋(てんい)(comrade):演義では、許褚(きょちょ)は典韋(てんい)としばしば並び称され、いずれも曹操(そうそう)の側近の護衛で、勇猛人並み外れていた。二人は葛陂塢でかつて二日にわたって大いに戦って勝負がつかず(演義独自)、濮陽(ぼくよう)の戦いにおいてもともに呂布(りょふ)に対抗した(演義独自)。
* 黄巾軍(こうきんぐん)(enemy_of):演義では、許褚(きょちょ)は初登場の際、葛陂塢において黄巾賊の何儀、黄劭らを擒えた(演義独自)。
* 張繡(ちょうしゅう)(fights_in):史載では許褚(きょちょ)は張繡(ちょうしゅう)の征討に従い、先登して斬首は万を計えた。演義では、許褚(きょちょ)は南陽(なんよう)城下で三合で張先を斬殺し、張繡(ちょうしゅう)軍を大敗させた(演義独自)。
* 呂布(りょふ)(fights_in):演義では、許褚(きょちょ)はかつて呂布(りょふ)と二十合戦って勝負がつかず、後に典韋(てんい)ら六将とともに呂布(りょふ)を攻めた(演義独自)。
* 劉備(りゅうび)(fights_in):演義では、許褚(きょちょ)はかつて曹操(そうそう)の命を受けて劉備(りゅうび)を連れ戻そうとしたが、劉備(りゅうび)の言辞が当を得ていたため、許褚(きょちょ)は強いて連れ帰ることができなかった(演義独自)。
* 張飛(ちょうひ)(fights_in):演義では、長坂の戦い(ちょうはんのたたかい)の際、曹操(そうそう)が張飛(ちょうひ)の一声の怒号に脅かされて退き、許褚(きょちょ)は張遼(ちょうりょう)とともに追いついて慰めた(演義独自)。
* 許攸(きょゆう)(enemy_of):演義では、許褚(きょちょ)は許攸(きょゆう)が曹操(そうそう)に無礼であったために彼を斬殺した(演義独自)。

象徴的な場面

* 曹操(そうそう)に帰附し、「樊噲」と称えられる:許褚(きょちょ)は部を率いて曹操(そうそう)に帰附し、その勇武によって曹操(そうそう)から「わが樊噲なり」と称えられ、都尉に任じられて、曹操(そうそう)に従う戎馬の生涯を始めた。
* 徐他を撃殺し、曹操(そうそう)を護衛する:官渡の戦い(かんとのたたかい)の間、許褚(きょちょ)は徐他らの謀反の意図を察知し、果断に撃殺して、曹操(そうそう)を危難から免れさせ、曹操(そうそう)はこれによりいっそう彼を親信し、出入りに同行した。
* 潼関(どうかん)で主を救い、危局を挽回する:潼関の戦い(とんかんのたたかい)において、曹操(そうそう)が渭水を北に渡る際に馬超(ばちょう)の追撃に遭うと、許褚(きょちょ)は危急の折に曹操(そうそう)を扶けて船に上らせ、船にすがる者を斬り、左手で馬鞍を挙げて箭矢を遮り、右手で水を漕いで、曹操(そうそう)を脱出させた。
* 馬超(ばちょう)を怒り睨み、敵胆を震え上がらせる:曹操(そうそう)が馬超(ばちょう)と単騎で会見した際、馬超(ばちょう)が曹操(そうそう)を突襲しようとしたが、平素から許褚(きょちょ)の勇猛を聞いていたため「虎侯はいずこに在りや」と問い、許褚(きょちょ)が目を瞋らせて怒り睨み、馬超(ばちょう)を軽はずみに動けなくさせた。
* 曹仁(そうじん)の入室を拒み、忠を尽くし職を守る:曹仁(そうじん)が曹操(そうそう)に来朝して謁見した際、曹操(そうそう)がまだ出てこないことから、殿に入って許褚(きょちょ)と私語しようとしたが、許褚(きょちょ)に「王まさに出でんとす」を理由に拒まれ、「彼は親重とはいえ、外藩なり。褚は内臣を備う、衆談足れり、室に入りて何ぞ私せんや」と言われ、その慎み深く法を奉じ、職に忠なる性格を示した。
* 葛陂塢で賊を擒え、典韋(てんい)と大戦する:許褚(きょちょ)は初登場の際、葛陂塢において黄巾賊の何儀、黄劭を擒え、典韋(てんい)と二日にわたって大いに戦って勝負がつかず、その超凡の武力を示した(演義独自)。
* 李封を斬殺し、戦場に威を轟かす:曹操(そうそう)が兗州(えんしゅう)を攻めた際、許褚(きょちょ)は自ら進んで願い出て、一合で李封を斬殺し、曹操(そうそう)が兗州(えんしゅう)を奪い返す首功を立てた(演義独自)。
* 濮陽(ぼくよう)で呂布(りょふ)と戦い、六将で囲攻する:許褚(きょちょ)は呂布(りょふ)と二十合戦って勝負がつかず、後に典韋(てんい)、夏侯惇(かこう とん)ら六将が力を合わせてようやく呂布(りょふ)を撃退し、その勇猛を際立たせた(演義独自)。
* 許攸(きょゆう)を斬殺し、忠心もって主を護る:官渡の戦い(かんとのたたかい)の後、許褚(きょちょ)は許攸(きょゆう)が曹操(そうそう)に無礼であったために彼を斬殺し、責められたとはいえ、曹操(そうそう)への絶対的な忠誠を体現した(演義独自)。
* 酔った主を護り、曹操(そうそう)が忠臣と称える:曹操(そうそう)が堂上に酔い臥した際、許褚(きょちょ)は剣を持って門内に立ち、内に入ろうとする曹仁(そうじん)を阻み、曹操(そうそう)はこれを聞いて彼を「許褚(きょちょ)はまことに忠臣なり」と称えた(演義独自)。

肖像アーカイブ

人物像

容貌
許褚(きょちょ)は身の丈八尺あまり、腰まわりは十囲もあり、容貌は雄々しく毅然として、その勇力は人並みはずれていた。あるときは重い鎧を身にまとい、射られた矢がことごとく甲に突き刺さったまま、丸く見開いた奇怪な眼から神々しい光を放った。
性格
許褚(きょちょ)の性格は慎み深く法を奉じ、重厚で口数少なく、忠誠は極みに達していた。勇力は人に勝れ「虎痴」と呼ばれ、勇猛剛烈である一方、酒を頼んで敵を侮ったために過ちを犯すこともあった。
話し方
許褚(きょちょ)の言葉は短く鋭く義を重んじ、かつて「彼は親しく重んじられているとはいえ、外藩の者。褚は内臣を務める身、皆で語らえば十分ではないか、部屋に入ってまで何を私することがあろう」と言い、内外の分をわきまえる義を示した。
生涯
許褚(きょちょ)は身の丈八尺あまり、腰まわり十囲。後漢末に少年や宗族数千家を集めて塁を固く守り寇を防ぎ、飛石を投げ、牛の尾を逆に引きずる力をもって、汝南葛陂の賊一万余を恐れさせた。太祖に帰属するとその日のうちに都尉に任ぜられて宿衛に引き入れられ、張繡(ちょうしゅう)征伐に従っては先登して一万を数える首を斬り、官渡(かんと)で袁紹(えんしょう)を討つに従っては謀反の士徐他らを殺し、鄴を囲んでは力戦して関内侯の爵を賜った。潼関の戦い(とんかんのたたかい)では太祖を扶けて船に乗せ、船に取りつく者を斬り、右手で船を漕ぎ、左手で馬の鞍を掲げて太祖をかばい、馬超(ばちょう)を睨みつけて動けなくさせた。のちに馬超(ばちょう)らを大いに破って武衛中郎将に昇り、曹仁(そうじん)が来朝したときは便座に着くようにとの求めを拒み、太祖が崩じたときは号泣して血を吐き、文帝は万歳亭侯に進封し、明帝は牟郷侯に進め、薨じて壮侯と諡された。
武器
許褚(きょちょ)はかつて大斧・大刀・双戟・鋒に当たる武器・剣・鋼刀を用いた。
逸話
許褚(きょちょ)は字を仲康といい、かつて飛石を投げて寇を撃ち、両手で二頭の牛の尾を引いて後ろへ歩かせた。曹操(そうそう)は彼を「樊噲」と称え、「許褚(きょちょ)はまことの忠臣なり」と讃嘆した。彼は許儀(きょぎ)の父で、子の儀が後を嗣ぎ、兄の定は振威将軍となって徼道の虎賁を都督し、太和年間には改めて子孫二人に関内侯の爵を賜った。

人間関係

23 件の関係

名言

全 23 件の台詞 · 厳選 3 件

「我乃譙國譙縣人也:姓許,名褚,字仲康。向遭寇亂,聚宗族數百人,築堅於塢中以禦之。一日寇至,吾令眾人多取石子準備,吾親自飛石擊之,無不中者,寇乃退去。又一日寇至,塢中無糧,遂與賊和,約以耕牛換米。米已送到,賊驅牛至塢外,牛皆奔走回還,被我雙手掣二牛尾,倒行百餘步。賊大驚,不敢取牛而走:因此保守此處無事。」

演 第12回→ 曹操(そうそう)

この自述は許褚(きょちょ)の若き日の武勇を示し、「虎痴」の形象を確立するものである。

「吾等千生萬死,身冒血戰,奪得城池,汝安敢誇口!」

演 第33回→ 許攸(きょゆう)📍 冀州(きしゅう)

許攸(きょゆう)を怒鳴りつける場面であり、許褚(きょちょ)の忠勇にして剛直、権勢を恐れぬ性格を体現している。

「將軍雖親,乃外藩鎮守之官;許褚雖疏,現充內侍。主公醉臥堂上,不敢放入。」

演 第66回→ 曹仁(そうじん)

この言葉は曹操(そうそう)の側近としての許褚(きょちょ)の忠誠と職責を際立たせている。

登場回25 回 ▸
  • 史ch.18
  • 演ch.12ch.14ch.17ch.19ch.21ch.25ch.27ch.30ch.32ch.33ch.40ch.41ch.42ch.48ch.56ch.57ch.58ch.59ch.61ch.66ch.67ch.72ch.79ch.116
関係の年表20 条 ▸

史 ch.18

演 ch.12

  • 何儀§15

    fights_in

    山背后挺刀截路,活挾何仪过马

  • 李封§19

    fights_in

    交马两合,斩李封于马下

  • fights_in

    与吕布鬥二十合不分胜负;后六将共攻吕布

演 ch.14

  • commands_in

    曹操骁将;阵前斩李暹、李别;曹操称之为「樊噲」

  • 李暹§16

    enemy_of

    阵前飞马一刀斩之

  • 李別§16

    enemy_of

    阵前斩之,雙挽人头回阵

演 ch.21

演 ch.30

  • fights_in

    阵前挺槍接住,捉对兒厮杀

演 ch.33

演 ch.42

演 ch.58

演 ch.59

演 ch.61

演 ch.66

演 ch.67

演 ch.79

演 ch.116

内面の独白 · AI 生成3 段 ▸
  • 私は生涯、口数少なく慎み深く、守ってきたのはただ、己の分をわきまえた名節であった。曹仁(そうじん)将軍は宗室の重臣で、召しを受けて入朝した折、私を呼んで室内に招き、座して語り合おうとした。私はただ「王が出られます」と答え、殿中へ戻った。彼を
  • 私は許褚(きょちょ)、字は仲康。かつて淮水・汝水の地から太祖に従って帰還した折、太祖は私を見るなり「これはわが樊噲だ」と称賛し、その日のうちに都尉に任じ、宿衛に入らせた。私が連れてきた侠客たちも、皆、虎士に列せられた。当時の私は、自分の体と
  • 私は譙国譙県(Shōkoku Shōken)に生まれ、字は仲康という。昔を思えば、盗賊の乱が各地で起こり、郷里は安らかでなかった。そこで私は宗族数百人を集め、塢を築いて自衛した。世の中が乱れたあの頃、一方を守るのは勇を誇るためではなく、宗族
生涯の大事10 ▸