言語
丁

丁原(ていげん)

字 建陽

登場回
4
台詞の記録
4
人間関係
7
内面の独白
1

史載(Historical Record)

丁原(ていげん)は、字を建陽といい、もともと寒門の出身で、人となりは粗略ながら武勇があり、騎射に巧みであった。彼はかつて南県の吏を務め、任務を遂行する際には決して困難を辞さず、緊急の事態に遭って寇虜を追捕するときには、いつも最前線に駆けつけた。彼はわずかに文字を識る程度であったが、若くしてある程度の吏治の才を示していた。後に、丁原はその武力の人並み外れていることにより、并州刺史に従事に任じられ、兵を率いて京都・洛陽(らくよう)へ赴くよう遣わされた c:6。

霊帝の崩御後、丁原は并州刺史として騎都尉に任じられ、河内に駐屯した。彼は呂布(りょふ)を主簿に収め、これを非常に親近し信任した。丁原は大将軍・何進(かしん)の命を受け、軍を率いて洛陽へ赴き、宦官を誅殺する密謀に加わり、執金吾に任じられた c:855。しかし、何進が事に敗れると、董卓(とう たく)がその機に乗じて軍を率いて京都に入り、乱を起こそうとした。董卓は丁原の兵馬を覬覦し、丁原を除こうとした。董卓は呂布が丁原に深く信任されていることをよく知っており、呂布を誘って丁原を刺殺させた。最終的に、呂布は丁原の首を斬って董卓に献じた。董卓はこれにより呂布を騎都尉に任じ、これを寵愛し、さらには呂布と父子の契りを結んだ c:855。

丁原は并州刺史の任にあったとき、かつて張遼(ちょうりょう)を従事に徴召した。張遼は武力の人並み外れていることにより丁原に賞識され、京都へ遣わされた。何進はまた張遼を河北へ遣わして兵を募らせ、張遼は千余人を募ることに成功した。何進が敗死した後、張遼の部隊は董卓に帰属した。董卓が敗亡した後、張遼はさらに転じて呂布に帰属した c:6。

演中(In the Novel)

『三国(さんごく)演義』において、丁原の形象は、義を仗んで直言し、漢室に忠なる并州刺史として造形されている。彼が最初に登場するのは、董卓が少帝を廃し、陳留(ちんりゅう)王を立てようとしたときである。温明園の宴会において、董卓が公然と廃立の事を持ち出したとき、諸官はみな言葉を発する勇気がなかったが、ただ一人、丁原が案を推して直ちに進み出て、大声で「不可なり」と叫び、董卓は簒逆を行おうとしていると叱責した。彼は董卓とその場で対峙し、危うく董卓に殺されかけたが、幸いに李儒(りじゅ)の諫止と、その義子・呂布の威嚇によって、ひとまず難を逃れることができた c:869。

翌日、丁原はすぐに軍を率いて城外で挑戦し、董卓が尺寸の功もないのに敢えて廃立を妄言し、朝廷を乱そうとしていると指弾した。このとき、呂布は馬に乗り戟を持ち、丁原に従って陣を出たが、その英勇威猛は董卓に恐れを抱かせた。董卓の軍は呂布の突撃により大敗し、三十余里退いた c:7。

董卓は呂布の勇をよく知り、これを麾下に招き入れようとした。彼は同郷の李肅の計を採り入れ、赤兎馬・金珠・玉帯などの厚礼をもって呂布を誘惑した。李肅は夜に乗じて呂布の営帳に潜入し、呂布を説き伏せることに成功した。呂布は果たして「利を見て義を忘れ」、深夜に刀を提げて丁原の帳中に闖入した。当時、丁原はちょうど燭をともして書を読んでいたが、呂布は躊躇なくこれを斬殺し、丁原の首を携えて董卓に投じた。董卓は大いに喜び、呂布と義父子の契りを結び、金甲錦袍を賜り、これより威勢はいっそう甚だしくなった c:9。演義における丁原の死の描写は、呂布の反復無常と董卓の陰険狡猾を際立たせることに重点を置いており、丁原はその権力闘争の犠牲者となり、その「義子を溺愛する」という性格上の特徴もここで体現されている(演義独自)。

主要な関係

* 張遼(mentor_of):史載では、丁原はかつて張遼を従事に徴召し、その武力の人並み外れていることにより京都へ遣わした c:6。これは、丁原が張遼の早期の仕途における重要な引き手であり、張遼の軍事生涯に引き立ての役割を果たしたことを示している。
* 董卓(enemy_of):史実と演義のいずれにおいても、丁原と董卓は対立関係にある。史載では、董卓は丁原を殺し、その兵衆を併呑しようとした c:855。演義では、丁原はさらに直言を憚らず董卓の廃立の挙を叱責し、双方は温明園と城外で激しい衝突を繰り広げた c:869。
* 呂布(parent_of):丁原は呂布の義父である。史載では、丁原は呂布を「大いに親待した」 c:855。演義ではさらに、丁原の呂布への溺愛と、呂布が最終的に利に誘われて父を弑する悲劇的な筋立てが描かれている c:9。

象徴的な場面

* 温明園で董卓を叱責する:『三国演義』において、董卓が温明園で皇帝の廃立を持ち出したとき、諸官は寒蝉のごとく口をつぐんだが、ただ一人、丁原が身を挺して進み出て、董卓が簒逆を行おうとしていると怒鳴り、その「義を仗んで直言する」性格を示した。この挙は董卓を激怒させただけでなく、漢室に忠なる丁原の立場をも際立たせた c:869(演義独自)。
* 城外で董卓に挑戦する:丁原は温明園で挫折した後、翌日すぐに軍を率いて城外で董卓に挑戦し、董卓の乱政を指弾した。この戦いで、呂布の勇猛な働きによって董卓の軍は大敗し、一方の諸侯としての丁原の軍事力と董卓に対抗する決意がいっそう示された c:7(演義独自)。
* 燭をともして夜読中に害される:『三国演義』において、呂布は董卓に買収された後、深夜に刀を提げて丁原の帳中に闖入した。丁原は当時ちょうど燭をともして書を読んでおり、まったく備えのないまま呂布に殺害された。この場面は丁原の悲劇的結末の象徴であるばかりでなく、呂布の「利を見て義を忘れる」性格と、丁原が「義子を溺愛して」ついに大禍を醸した皮肉をも深く明らかにしている c:9(演義独自)。
* 呂布が首を斬って董卓に献じる:史実の記載では、呂布は丁原の首を斬って董卓に献じ、董卓はこれにより呂布を騎都尉に任じ、これと父子の契りを結んだ c:855。この事件は丁原の政治生命の終焉を画するとともに、董卓と呂布の同盟の始まりを予示し、その後の後漢末年の情勢に深遠な影響を及ぼした。

人間関係

7 件の関係

名言

全 4 件の台詞 · 厳選 2 件

「不可!不可!汝是何人,敢發大語?天子乃先帝嫡子,初無過失,何得妄議廢立?汝欲為篡逆耶?」

演 第3回→ 董卓(とう たく)

この言葉は丁原(ていげん)が漢室に忠を尽くし、強権を畏れない姿を示しており、その人物像の核心となる特質である。

「國家不幸,閹官弄權,以致萬民塗炭。爾無尺寸之功,焉敢妄言廢立,欲亂朝廷?」

演 第3回→ 董卓(とう たく)📍 洛陽(らくよう)

この一句は、後漢末期の宦官専横と民が困窮する社会的背景を明らかにしている。

登場回4 回 ▸
  • 史ch.6ch.7ch.17
  • 演ch.3
関係の年表6 条 ▸

史 ch.7

史 ch.17

演 ch.3

内面の独白 · AI 生成1 段 ▸
  • 私は丁原(ていげん)、字は建陽である。この時、洛陽(らくよう)は大いに乱れ、先帝が崩御して朝廷の情勢も定まらぬうちに、董卓(とう たく)は兵を率いて都に入り、あろうことか己の意のままに天子を廃立しようとしていた。昔を思えば、私はもとより貧し