言語
張

張超(ちょうちょう)

字 孟高

登場回
3
台詞の記録
3
人間関係
4
内面の独白
1

史書の記載(Historical Record)

張超(ちょうちょう)は、字を孟高といい、その一族は漢末の時期にかなりの影響力を持っていた。彼の兄・張邈(ちょうばく)もまた当時の一方の郡守であった。霊帝の末年、張超は広陵(こうりょう)太守を務め、広陵射陽の人・臧洪(ぞう こう)を功曹に招いた。臧洪の父・臧旻(ぞう びん)はかつて匈奴中郎将、中山・太原の太守を務め、当時かなりの名望があり、臧洪自身も「体貌魁梧、人に異なるあり」と称され、孝廉に挙げられて郎となったことがあった。

董卓(とう たく)が政を乱し、皇帝を殺害して社稷を危うくしようとした際、臧洪は張超に進言し、今こそ天下の義士が恩に報い命を捧げる時であると指摘した。彼は、張超の治める郡境はなお完全で、吏民は富裕であり、もし兵力を発動すれば二万人を得られ、これをもって国賊を討伐し、天下に率先することは大義であると考えた。張超は臧洪の進言を容れ、臧洪とともに陳留(ちんりゅう)へ赴き、兄・張邈とこのことを協議した。張邈もかねてよりその意があり、酸棗(さんそう)で会盟した。張邈はかつて張超に臧洪の人となりを尋ね、張超は臧洪を「才略智数優超、超甚だこれを愛す、海内の奇士なり」と称賛した。張邈は次いで臧洪を引見し、その才幹を大いに賞賛し、彼を兗州(えんしゅう)刺史・劉岱(りゅうたい)と豫州(よしゅう)刺史・孔伷(こうちゅう)に引き合わせ、二人はいずれも臧洪と親しく交わった。こうして人々は壇場に盟を設け、ともに臧洪を推して盟主とした。臧洪は慷慨激昂して盟誓を読み上げ、漢室の不幸、皇綱の失統、董卓の乱政、禍が至尊に及び、百姓が苦しんでいることを指摘した。彼は兗州刺史・劉岱、豫州刺史・孔伷、陳留太守・張邈、東郡太守・橋瑁(きょうぼう)、広陵太守・張超らに義兵を糾合してともに国難に赴くよう号召し、心を同じくし力を戮せて臣節を尽くし、たとえ首を殞らせ元を喪うとも二心なきことを誓った。臧洪の言辞は激昂し、涕泣が横ざまに流れ落ち、その場の士卒で励まされぬ者はいなかった。

しかし、盟軍はほどなく糧尽きて散じた。後に、曹操(そうそう)が張超を雍丘に囲んだ。張超は窮地にあってもなお臧洪が救援に来ると固く信じ、「ただ臧洪を恃む、まさに来たりて吾を救うべし」と言った。人々は袁紹(えんしょう)と曹操が当時和睦しており、臧洪はまた袁紹に任用されている以上、張超のために袁紹との関係を壊すはずがないと考えたが、張超は「子源は天下の義士、ついに本に背かざる者なり。ただ禁制せられ、相及ぶあたわざるを恐るるのみ」と言った。事実もまた張超の予想どおりで、臧洪は張超が囲まれたことを知ると、果たして徒跣して号泣し、所部の兵馬を召集し、さらに袁紹に援兵を請うて張超を救おうとした。しかし、袁紹は最終的にこれを許さなかった。張超は最終的に曹操に族滅された。臧洪はこれによって袁紹に怨みを抱き、決して彼と往来しなかった。袁紹はそこで兵を興して臧洪を囲んだが、一年を経ても攻め落とせなかった。

演義における姿(In the Novel)

『三国演義』において、張超の姿は比較的簡略で、主に兄・張邈の付属物として、また曹操の対手として登場する。その結末は史実とおおむね一致するが、具体的な筋立ては異なっている。演義では、張超の死因は、曹操が定陶(ていとう)城を攻め破った際、抗しきれずに「自焚」したものとして描かれている。これは史伝の「超ついに族滅さる」という記載とやや食い違っており、史伝は張超が自焚して死んだとは明記しておらず、むしろ曹操に殺されたか、敗戦後に身を喪ったことを示唆するにとどまる。演義では、張超の出番は主に曹操と呂布(りょふ)の兗州争奪の過程に集中している。呂布が曹操に敗れ、定陶を捨てて逃げると、曹操は勝ちに乗じて追撃し、城内に攻め入り、張超はこの背景の中で自焚して身を喪った。演義は張超と臧洪の深い友誼や、臧洪が張超を救うために奔走した筋立てを詳しく描いておらず、この部分の内容は史伝においては重要な紙幅を占めるが、演義では大幅に簡略化あるいは省略されている。

重要な関係

* 臧洪(ぞう こう)(friend_of):張超と臧洪の友誼は史伝において濃墨重彩の一筆である。張超は広陵太守を務めた際、臧洪を功曹に招いた。董卓が政を乱した際、臧洪は張超に進言し、張超の討董連盟への参加を促した。張超が曹操に雍丘で囲まれた際、彼は臧洪が救援に来ると固く信じ、臧洪を「天下の義士、ついに本に背かざる者」と称した。臧洪も確かに張超を救うために奔走し、そのために袁紹と決裂した。この関係は張超の友への信頼と臧洪の忠義を示している。
* 呂布(りょふ)(dies_in):『三国演義』において、張超の死は呂布の敗戦と直接の関わりがある。曹操が呂布を破り、定陶(ていとう)を攻め取った際、張超は城内で自焚して身を喪った(演義独自)。これは、張超の運命が演義において呂布の軍事行動と緊密に結びついており、その死が曹操の呂布撃破・兗州奪回の一構成部分であったことを示している。
* 張邈(ちょうばく)(brother_of):張超と兄・張邈は討董連盟の重要な構成員である。張超は臧洪の進言により、兄・張邈と合流し、ともに討董の大計を協議した。兄弟二人は漢末の乱世においてともに兵を挙げ、董卓に対抗し、一族の政治上の連合を示した。

象徴的な場面

* 酸棗の会盟に参加し、ともに董卓を討つ:これは張超の史伝における最も重要な政治的行動の一つである。臧洪の進言により、張超は兄・張邈および他の州郡の刺史・太守とともに酸棗(さんそう)で会盟し、ともに臧洪を推して盟主とし、董卓討伐を誓った。この場面は、張超が一方の諸侯として、義挙に積極的に呼応し、国賊に対抗する決意を示している。
* 雍丘で囲まれ、臧洪の来援を固く信じる:張超が曹操に雍丘で囲まれた際、彼は絶境に直面してもなお臧洪に大きな信頼と希望を寄せた。彼はこの「天下の義士」臧洪が救援に来ると固く信じ、人々が同調せずとも、いささかも動じなかった。この場面は、張超と臧洪の深い友誼と、張超の臧洪の人品への肯定を深く描き出している。
* 定陶での自焚(演義独自):『三国演義』において、曹操が定陶(ていとう)城を攻め破った際、張超は抗する力なく自焚して身を喪う道を選んだ。この場面は史実とやや食い違うものの、演義における張超の象徴的な結末となり、絶境における彼の悲壮な選択を体現するとともに、曹操の兗州支配権の最終的な確立を示している。

人間関係

4 件の関係

名言

全 3 件の台詞 · 厳選 3 件

「洪才略智數優超,超甚愛之,海內奇士也。」

史 第7回→ 張邈(ちょうばく)

この一句は正史に由来し、張超(ちょうちょう)の臧洪(ぞう こう)に対する極めて高い評価であり、その人を見る眼を体現している。

「唯恃臧洪,當來救吾。」

史 第7回

この一句は張超(ちょうちょう)が絶体絶命の中で臧洪(ぞう こう)に寄せた信頼を示し、その忠義の情を際立たせている。

「子源,天下義士,終不背本者,但恐見禁制,不相及逮耳。」

史 第7回

この一句は臧洪(ぞう こう)の忠義の人柄への深い洞察であり、その悲劇的な結末を暗示している。

登場回3 回 ▸
  • 史ch.7ch.17
  • 演ch.12
関係の年表2 条 ▸

史 ch.7

演 ch.12

内面の独白 · AI 生成1 段 ▸
  • 私は張超(ちょうちょう)、字は孟高(もうこう)。広陵(こうりょう)の郡を治め、漢王室が代々賜った恩を常に思っていた。董卓(とう たく)が帝を弑し、国家を危うくしようと企てたとの知らせが届くと、私は兄の張邈(ちょうばく)と相談した。臧子源(ぞ
生涯の大事3 ▸