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袁煕(えんき)

袁煕(えんき)

登場回
6
台詞の記録
0
人間関係
10
内面の独白
1

史載(Historical Record)

袁煕(えんき)は、後漢末年の割拠勢力である袁紹(えんしょう)の次子として、その生涯の事績は主に袁紹集団(えんしょうしゅうだん)の興亡をめぐって展開する。袁紹は公孫瓚(こうそんさん)を破ってその衆を併呑した後、勢力は絶頂に達し、ついに諸子を分封する意図を抱いた。彼は長子の袁譚(えんたん)を青州(せいしゅう)へ派遣し、次子の袁煕は幽州(ゆうしゅう)刺史に任じられた c:6234。袁紹のこの挙は諸子にそれぞれ一州を拠らせてその能力を観ようとするものであったが、この決策は謀士の沮授(そじゅ)の諫言を招き、この挙はきっと禍乱の端緒となると考えられたが、袁紹は聴き従わなかった c:6234。

袁紹は官渡の戦い(かんとのたたかい)で曹操(そうそう)に敗れた後、その勢力は衰え始めた。袁紹の死後、その子の袁譚と袁尚(えんしょう)が継承権を争って内訌し、袁氏集団の瓦解を加速させた。袁煕は幽州刺史として、袁氏兄弟の権力闘争におけるその具体的な役割や行動は史料に記載が多くないが、その運命が袁氏集団全体と緊密に結びついていたことは疑いない。最終的に、袁氏兄弟は曹操との対抗において節々で敗退し、袁尚・袁煕は進退きわまって遼東太守の公孫康(こうそんこう)に身を寄せた。しかし公孫康は彼らを受け入れず、かえって二人を斬殺し、その首級を曹操に献じて帰順の意を示した c:3308。袁煕の妻である甄氏は、鄴(ぎょう)が曹操に攻め落とされた後、曹丕(そうひ)に納れられ、曹丕の夫人となった c:91。

演中(In the Novel)

『三国(さんごく)演義』では、袁煕の形象は史実とほぼ合致するが、より文学的な細部や筋立てが加えられており、とりわけ袁紹の死後の袁氏兄弟の内紛において、次子としての彼の地位が際立たされている。演義では明確に、袁紹に三子があり、長子は袁譚、次子は袁煕、三子は袁尚であると指摘している。袁煕は幽州へ派遣されたが、袁尚は袁紹の後妻劉氏の生んだ子であり、容貌が俊偉であったため、袁紹に深く愛され、そばに留め置かれた c:3307。これは袁紹の死後の袁譚と袁尚の継承権争いの伏線となり、間接的に袁煕の運命にも影響を与えた。

袁紹が官渡で敗れた後、劉氏は袁尚を後嗣に立てるよう勧め、袁紹は審配(しんぱい)・逢紀(ほうき)・辛評(しんぴょう)・郭図(かくと)の四人と協議した。そのうち、審配・逢紀は袁尚を輔佐し、辛評・郭図は袁譚を輔佐するという、この派閥闘争は袁紹の生前にすでに現れており、最終的に袁氏兄弟の同士討ちを招いた c:3307。

袁煕と袁尚は曹操の追撃のもと、最終的に数千騎を率いて遼東へ奔り、公孫康に身を寄せた。公孫康は属官と協議した後、二人を受け入れず、誘い出して殺し、その首級を曹操に献じることを決めた。公孫康の弟である公孫恭(こうそんきょう)が提出した策は、もし曹兵が攻めてくれば二袁を残して助力とし、もし曹操が動かなければ二袁を殺して曹操に献じるというものであった c:3308。この筋立ては演義で詳しく描かれ、公孫康の狡猾さと袁氏兄弟の窮途末路を示している。

さらに演義では袁煕の妻である甄氏についても言及している。曹操が鄴を攻め落とした後、甄氏は曹丕に納れられ、子の曹叡(そうえい)を生んだ。文昭皇后甄氏(ぶんしょうこうごうしんし)は後に郭貴妃の讒言によって寵を失い、最終的に曹丕に死を賜った。曹叡は郭貴妃に養われ、最終的に魏国の継承者となった c:91。この一段は主として甄氏と曹丕をめぐって展開するが、間接的に袁煕が甄氏の前夫であった身分にも言及している。

関鍵関係

* 袁紹集団(senior_official):袁煕は袁紹の次子であり、袁紹集団において幽州刺史を務め、袁氏一族の重要な一員であった c:6234。彼の政治生涯は袁紹集団の興亡と緊密に結びついていた。
* 袁紹(kin_of):袁煕は袁紹の次子であり、袁紹は彼に厚い期待を寄せ、幽州に分封して一方を担わせようとした。しかし袁紹のこの分封策略は、後日の袁氏兄弟の内訌の禍根をも埋め込んだ c:6234。
* 公孫康(enemy_of):袁氏集団の覆滅後、袁煕は袁尚とともに遼東太守の公孫康に身を寄せた。しかし公孫康は信義に背き、二人を斬殺して曹操に彼らの首級を献じたため、公孫康は袁煕の直接の仇敵である c:3308。
* 文昭皇后甄氏(spouse_of):甄氏は袁煕の妻である。鄴が曹操に攻め落とされた後、甄氏は曹丕に納れられて曹丕の夫人となり、曹叡を生んだ。甄氏の運命、とりわけ曹丕の後宮における経歴は、演義で詳しく描かれている c:91。

象徴的な場面

* 幽州刺史に封ぜられる:袁紹は公孫瓚を破った後、次子の袁煕を幽州刺史に分封し、彼に一方を担わせようとしたが、この挙は沮授によって禍乱の始まりと予言された c:6234。この場面は袁煕の政治生涯の始まりを示すとともに、袁氏集団内部の矛盾を予示している。
* 袁尚とともに公孫康に身を寄せる:袁氏集団が完全に敗北し、袁譚・袁尚兄弟が内訌した後、袁煕は袁尚とともに進退きわまり、ともに遼東太守の公孫康に身を寄せた。この場面は袁氏兄弟の窮途末路を示している c:3308。
* 公孫康に斬殺される:公孫康は利害を秤にかけた後、袁煕と袁尚を受け入れず、かえって誘い出して殺し、その首級を曹操に献じた。この場面は袁煕の生命の終わりであり、袁氏残余勢力の完全な覆滅をも示している c:3308。
* 甄氏が曹丕に納れられる(演義独自):袁煕本人はこの場面に直接関わっていないが、演義では袁煕の妻である甄氏が鄴の陥落後に曹丕に納れられ、曹叡を生んだことに言及している。この筋立ては『三国演義』で詳しく描かれ、間接的に袁煕が前夫であった身分を反映し、また曹丕の後宮の物語の伏線をも埋め込んでいる c:91。

肖像アーカイブ

人物像

性格
袁煕(えんき)は柔弱で大事を成しがたく、戦の中で矢傷を負ってもなお幽州(ゆうしゅう)に戻って人馬を立て直した。
生涯
建安年間、袁紹(えんしょう)は袁煕(えんき)のために甄氏を娶らせた。袁煕が幽州(ゆうしゅう)に赴任すると、甄氏は鄴(ぎょう)に留まって姑に仕えた。袁煕はかつて幽州に出て刺史を務めたが、のちに建安十年、部将の焦触(しょうしょく)・張南(ちょうなん)に攻められ、袁尚(えんしょう)とともに遼東へ奔り、最後には公孫康(こうそんこう)に誘い出されて殺された。
逸話
袁煕(えんき)は袁紹(えんしょう)の次子で、字を顕弈といい、かつて幽州(ゆうしゅう)を守り、幽州牧を務めた。彼は甄氏の初めの夫であり、のちに袁尚(えんしょう)とともに蹋頓(とうとん)のもとへ逃れた。

人間関係

10 件の関係

登場回6 回 ▸
  • 史ch.1ch.5ch.6
  • 演ch.31ch.33ch.91
関係の年表5 条 ▸

史 ch.1

史 ch.6

演 ch.31

演 ch.33

演 ch.91

内面の独白 · AI 生成1 段 ▸
  • 父が私に幽州(ゆうしゅう)の守備を命じたとき、兄たちはそれぞれ任務を与えられた。父は、子らを各地に配置し、その力量を見極めようとしたのだ。袁氏(えんし)の子として、私はその期待を託された。私が考えるべきだったのは、領土を守り民を安んじ、父の
生涯の大事8 ▸