劉備の生涯
「人は、あなたは戦うたびに敗れ、逃げ回るばかりだと言う。あの幾度かの分かれ道で、あなたならどう選ぶ?」
一章ごとに一場面、あなたが彼になります。下線の文は原典からの引用です(緑:三国志、金:演義)。押すと出典が開きます。下線のない文は、場面をつなぐ地の文や想像です。分かれ道ではまずあなたが選び、それから彼がどうしたかを見ます。

印綬
あなたは涿郡涿県の人で、漢の景帝の子、中山靖王劉勝の後裔。少年のころ父を亡くし、母とともに履を売り、むしろを織って生計を立てる。屋敷の東南の隅の垣根に、高さ五丈余りの桑の木が生え、遠くから見ると、枝葉は車の蓋のように広がっている。幼いころ、族中の子どもたちと木の下で遊び、「いつか必ず、あの羽葆の車に乗る」と言う。叔父はたしなめる。「みだりなことを言うな。一族を滅ぼすぞ!」
身長は七尺五寸、手を垂らせば膝を越え、振り返れば自分の耳が見える。口数は少なく、人にへりくだり、喜怒を顔に出さない。中山の大商人、張世平と蘇双が馬を売りに涿郡へ来て、あなたを見て並ならぬ人物と感じ、多くの金品を与える。これを機に、人馬を集める。関羽は逃亡して涿郡に来る。あなたが郷里で人々を集めると、関羽と張飛はあなたに代わって外からの襲撃を防ぐ。『三国志演義』では、三人は桃園で香を焚いて再拝し、誓う。「同年同月同日に生まれることは求めず、ただ同年同月同日に死ぬことを願う」
黄巾の乱が起こると、手勢を率いて校尉の鄒靖に従い、賊の討伐で功を立て、安喜県尉となる。
県に着いて、まだ四か月も経たない。州郡に詔書が届き、軍功によって長吏となった者は皆、選別して退けることになり、自分もその対象ではないかと疑う。
督郵が県に来る。退けられるのはほかならぬあなただと、とうに分かっている。
『三国志演義』では、あなたは城外へ出て迎える。督郵は馬上から鞭でわずかに指し示すだけで、それを返礼とする。宿駅に着くと、督郵は南向きに高座し、あなたは階下に控える。督郵が問う。「劉県尉は何の出身か」あなたは答える。「備は中山靖王の後裔。涿郡から黄巾賊を討ち、大小三十余戦、いささか功を立てたので、今の職に任じられました」督郵は大喝する。「お前は皇族だと偽り、功績をでっち上げた!」
県の役人が言う。「督郵が威張るのは、賄賂を求めているだけです」あなたは答える。「民には少しも害を与えていない。どうして渡す財物があろうか」
督郵は伝舎に泊まる。あなたが面会を求めると、病気だと言って会おうとしない。
伝舎の門は閉ざされ、中には灯りがともっている。門の外に立ち、桑の木の下で口にした言葉を思い出す。叔父の「一族を滅ぼすぞ」も。三十余りの戦いで手に入れたのは、一介の県尉の職。今、その職さえ、閉ざされた門の外で失おうとしている。
督郵を憎む。
県に戻り、役人と兵卒を連れて再び伝舎へ向かい、門を押し破って入る。「府君の密命で、督郵を捕らえに来た」
寝台の上で督郵を縛り、県境の外へ連れ出す。自分の印綬を解いて首に結びつけ、木に縛りつけて、百回余りも鞭打ち、殺そうとする。督郵が哀願したので、ようやく放す。
本伝の記述は簡潔だ。督郵が公務で県に来る。先主が面会を求めるが、取り次がれない。そこで、督郵のもとへ押し入り、縛り上げて杖で二百回打ち、印綬を解いて首に結び、馬をつなぐ杭につないで、官を捨てて逃亡する。
印綬を他人の首に掛け、馬に乗って去る。この県尉を務めたのは、ほんのわずかな間だ。

天与うるを取らざれば
霊帝末年、あなたは都にいた。その後、曹操とともに沛国へ戻って兵を募る。霊帝が崩御し、天下が乱れると、あなたも董卓討伐に立ち上がる。賊に敗れた後、あなたは公孫瓚を頼る。二人はかつてともに盧植の門下にいた。公孫瓚は年長で、あなたは兄として仕える。公孫瓚はあなたを別部司馬に推挙し、田楷に従って袁紹を防がせる。その後、あなたは平原相となる。その数年は飢饉が続く。外では賊の侵入を防ぎ、内では惜しみなく財を施す。身分の低い士人とも、席を同じくし、同じ器で食べる。
曹操の徐州征討に際し、徐州牧の陶謙が田楷に救援を求める。あなたは田楷に従って救援に向かう。陶謙は丹陽兵四千をあなたに与える。あなたは田楷のもとを離れ、陶謙に帰属する。陶謙はあなたを豫州刺史に推挙し、小沛に駐屯させる。
陶謙は病が重くなると、別駕の糜竺に言う。「劉備でなければ、この州を安んじられない」
『三国志演義』では、陶謙はあなたを寝室に招く。「明公には、漢家の城池を重んじ、徐州の牌印をお受けくださるよう、伏して願います。老夫は死しても、目を閉じられましょう!」あなたは問う。「君には二人の子がいる。なぜ跡を継がせないのか」陶謙は二人の息子には、州を任せる才がないと言う。あなたは結局辞退する。陶謙は手で胸を指して息を引き取る。
陶謙が亡くなると、糜竺は徐州の人々を率いてあなたを迎えに来る。あなたはあえて引き受けようとしない。
下邳の陳登が言う。「いま漢室は衰え、天下は覆ろうとしております。功を立て、事を成すのは今日です。あの州は豊かで、戸数は百万。使君に州の政務をお任せしたいのです」
あなたは言う。「袁公路は近く寿春にいる。あの方は四世にわたって五公を輩出し、天下の帰するところだ。君は州をあの方に譲るとよい」
陳登は言う。「公路は驕り高ぶり、乱を治める主ではありません。いま使君のために歩兵と騎兵十万を集め、上は主君を正し民を救い、五覇の業を成すことも、下は領地を割いて境を守り、功績を竹帛に記すこともできます。もし使君が承知なさらないなら、私もまた使君の言葉には従いません」
北海相の孔融もそこにいる。「袁公路は国を憂えて家を忘れるような者だろうか。墓の中の枯骨に、どうして心を留める必要がある。今日のことは、民が有能な者を推しているのです。天が与えるものを取らなければ、悔いても取り返しがつきません」
『三国志演義』では、翌日、徐州の民が府の前に押し寄せ、泣いて拝礼する。「劉使君がこの郡を治めてくださらなければ、私たちは誰一人、安心して暮らせません!」
州の印は机に置かれ、一枚の布がかけられている。府の外の泣き声は、ひときわ高くなったり、低くなったりする。あなたは三十三歳。涿県を出てから十年が経つ。務めた官職は、どれも他人の推挙によるものだ。まだ一州を自分のものにしたことはない。

州の印は机の上にある。受け取るか?
あなたは徐州を治める。
陳登らは使者を袁紹のもとへ遣わし、州の長が亡くなり、民に主がいないため、皆で旧平原相の劉備を宗主に推戴したと伝える。袁紹は返答する。「劉玄徳は度量が広く、信義を備えている。いま徐州の人々が喜んで戴いているのは、まことに望みどおりだ」
『三国志演義』では、鄄城にいた曹操はそれを聞いて激怒する。「わが恨みはいまだ晴れていないのに、汝は矢一本も費やさず、座したまま徐州を得た!」
州の印を箱にしまう。箱は小さい。それでも手にすると、重い。

布の弟
呂布は曹操に敗れ、東へ来てあなたを頼る。あなたに会うと、彼は深く敬意を示す。あなたを幕舎に招き、妻の寝台に座らせ、妻にあなたへ礼をさせ、酒を酌み交わし、あなたを弟と呼ぶ。言葉に定まりがないのを見て、口では応じながら、心中では不快に思う。
袁術が攻めてくる。盱眙、淮陰でこれを防ぐ。袁術と一か月対峙するあいだに、呂布が隙を突いて下邳を襲う。下邳の守将、曹豹が寝返り、城門を開いて迎え入れる。彼はあなたの妻子をさらう。
広陵にいる兵は飢え、疲れ果て、大小の役人や兵士が互いを食らう。やむなく役人を遣わし、呂布に降伏を願い出る。彼はあなたの妻子を返す。そして小沛に駐屯させる。
袁術は紀霊らに歩兵と騎兵三万を率いさせ、あなたを攻めさせる。『三国志演義』では、県内の兵は五千余り。城外の紀霊の陣は、昼は旌旗を連ねて山川を覆い、夜は火と太鼓で天地を揺るがす。
呂布に救援を求める。書状にはこう記す。「今、袁術が私怨を晴らそうと、紀霊に兵を率いさせて県まで来させました。滅亡は目前です。将軍でなければ救えません。」
書状を送り、城壁の上で待つ。彼は一度あなたを襲い、あなたは一度彼に降伏を願い出た。彼の陣の者たちがどう勧めるか、察しはつく。
彼が来る。歩兵千人、騎兵二百人を率い、沛城の西南一里に陣を敷く。紀霊は到着を聞くと兵を引き、もはや攻めようとしない。
『三国志演義』では、彼は使者を遣わし、あなたと紀霊を宴席に招く。関羽と張飛が言う。「兄上、行ってはなりません。呂布には必ず二心があります。」あなたは答える。「彼を粗略に扱ったことはない。きっと害はなさぬ。」
彼の陣に入り、席を勧められる。紀霊が着いたとの報告を受け、ひどく驚き、身を隠そうとする。彼は中央に座り、紀霊を左、あなたを右に座らせる。
彼は言う。「玄徳は布の弟だ。弟が諸君に苦しめられているゆえ、救いに来た。布は争いをけしかけるのは好まぬ。争いを収めるのが好きなだけだ。」
『三国志演義』では、紀霊は不満を募らせ、張飛は戦いを求める。彼は左右に命じ、画戟を持ってこさせ、陣門の外に遠く立てさせる。陣門は中軍から百五十歩離れている。『三国志』で彼が言うのはこうだ。「諸君、布が戟の小枝を射るのを見よ。一矢で当たれば、諸君は解兵して去るべし。当たらなければ、ここに留まり決着をつけよ。」
その戟を見つめる。遠く、細い線にしか見えない。心のうちで祈る。「ただ、あの男が当ててくれればいい!」
弓弦が鳴る。矢は画戟の小枝に命中する。諸将はみな驚き、「将軍の威は天のごとし!」と叫ぶ。
彼はからからと大笑いし、弓を地に投げ、紀霊とあなたの手を握る。紀霊が先に去ると、あなたに言う。「私がいなければ、公は危うかった。」あなたは礼を述べる。
彼の手は熱く、握る力は強い。あなたを弟と呼ぶ。この日を心に刻む。彼もまた、刻んでいる。
戟を射てあなたを救う人 → 呂布の親歴を読む →

匕箸を落とす
呂布はあなたがまた兵を集めたのを嫌い、自ら兵を率いて攻めてくる。あなたは敗走し、曹操のもとに身を寄せる。曹操はあなたを厚遇し、豫州牧に任じる。兵糧を与え、沛に戻って散兵を集めさせる。建安三年九月、呂布の軍が沛城を破り、あなたは単身で逃げる。妻子はまた捕らえられる。曹操が自ら呂布を討つと、あなたも東征に従う。下邳で呂布を包囲し、生け捕りにする。
白門楼で、縛られた呂布があなたに向き直る。「玄徳、卿は座客、私は虜囚だ。一言、口添えしてくれぬか」曹操は少しためらう。あなたは言う。「明公は、呂布が丁建陽と董太師にどう仕えたか、ご覧にならなかったのですか!」呂布はあなたを指さす。「この小僧こそ、最も信用ならぬ者だ」『三国志演義』では、楼から引き立てられるとき、振り返って罵る。「大耳め!轅門射戟のときのことを忘れたか!」
妻子を取り戻し、曹操に従って許都へ戻る。曹操はあなたを左将軍に推挙し、ますます厚遇する。外出には同じ車に乗り、座るときは同じ席に着く。
国舅の董承は、天子が衣帯に隠した密詔を受け取り、曹操を誅殺せよと命じられたと話す。
『三国志演義』では、彼はある深夜、詔書を携えてやって来る。あなたは彼を小閣に招いて座らせ、関羽と張飛がそばに控える。彼は言う。「先日、狩り場で雲長は曹操を殺そうとしたのに、将軍は目配せし、首を振って退かせた。なぜですか」
曹操が彼を遣わし、あなたを探っているのではと恐れ、偽って言う。「曹丞相は国を治めています。なぜ天下が太平にならぬと心配なさるのです?」
彼は顔色を変えて立ち上がる。「公は漢朝の皇叔であられる。だからこそ肝胆を開いてお話ししたのに、なぜ偽るのですか」
彼は衣帯の詔を取り出して見せる。あなたは悲憤に堪えない。彼はさらに義状を広げる。そこにはすでに六人の名がある。
灯心がぱちりと鳴る。義状のそばに筆が置かれている。白門楼で聞いた「この小僧こそ、最も信用ならぬ者だ」という言葉がよみがえる。

義状にはすでに六人の名がある。筆は手元にある。署名するか、しないか。
「左将軍劉備」と書き、花押を記して董承に渡す。言う。「くれぐれも慎重に進め、軽々しく漏らしてはなりません」
住まいの裏庭で菜を育て、自ら水をやる。関羽と張飛が、なぜ小人のすることを学ぶのかと尋ねる。言う。「これは弟たちには分からぬことだ」
ある日、許褚と張遼が数十人を連れて園に入ってくる。「丞相の命です。使君、すぐお越しください」あなたはやむなく彼らに従い、丞相府へ入る。曹操は笑う。「家で大仕事をしておられるな!」恐ろしさに、あなたの顔は土気色になる。彼はあなたの手を取り、裏庭まで歩いていく。「玄徳、菜園仕事も楽ではないな」
盆には青梅、酒樽には煮酒が置かれている。酒が半ば進むころ、空には暗雲が広がり、にわか雨が迫る。曹操は当世の英雄を挙げるよう求める。あなたは袁術、袁紹、劉表、孫策、劉璋を挙げるが、曹操は一人も認めない。あなたは言う。「この者たちを除けば、備には分かりません」
曹操はあなたを見る。「今、天下の英雄は、使君と操だけだ。本初の類など、数えるに足りぬ」
食べている最中、匕と箸を地に落とす。ちょうどそのとき、雷鳴が轟く。言う。「聖人は『迅雷風烈には必ず変ず』とおっしゃった。まことに理由のあることです。ひとたびの雷の威が、これほどとは!」
『三国志演義』では、あなたは落ち着いて身をかがめ、箸を拾う。曹操は笑う。「丈夫も雷を恐れるのか」それ以来、曹操はあなたを疑わなくなる。
袁術は徐州を経て北上し、袁紹を頼ろうとする。曹操はあなたに朱霊、路招を率いて行く手を阻むよう命じる。『三国志演義』では、許都を出ると、関羽と張飛に言う。「私は籠の鳥、網の魚だ。このたびの出陣は、魚が大海に入り、鳥が青空へ舞い上がるようなもの。籠や網の束縛を受けずにすむ」
下邳に着くと、徐州刺史の車冑を殺す。その後、事が露見し、董承らはことごとく誅殺される。その時、あなたはすでに許都にいない。
あなたを英雄と呼ぶ人 → 曹操の親歴を読む →

髀肉
建安五年、曹操が東へ遠征し、あなたは大敗する。曹操は袁紹と対峙していて東へは来ないと思っていた。斥候が曹操本人の到着を急報すると、ひどく驚き、なお信じられず、数十騎を連れて様子を見に出る。その旗印を見ると、部下を捨てて逃げる。妻子もさらわれ、関羽も捕らえられる。
青州へ逃れる。袁紹は鄴を出て、二百里先まで迎えに来る。関羽があなたのもとへ戻る。袁紹のもとを去る機会をひそかにうかがい、南で劉表と結ぶよう勧める。袁紹はあなたに直属の兵を率いさせ、再び汝南へ向かわせる。曹操は袁紹を破り、自ら南下してあなたを攻める。
糜竺、孫乾を劉表のもとへ遣わす。劉表は自ら郊外まで迎えに来て、上賓の礼をもって遇し、新野に駐屯させる。荊州の豪傑たちは日ごとに多くあなたのもとへ集まり、劉表は疑いを抱き、ひそかに警戒する。
『三国志演義』では、劉表が宴を開いてあなたを招いたことがある。酒が進むと、彼は突然涙を流し、二人の息子について語る。長男の琦は柔弱で、次男の琮は聡明だという。長子を廃して年少の子を立てたいが、礼法に背くのを恐れている。あなたは言う。「昔から、長子を廃して年少の子を立てるのは、乱を招く道です」屏風の向こうで蔡夫人が聞き、心中あなたを恨む。
席を立って厠へ向かうと、自分の腿に髀肉がまたついているのに気づき、思わず涙を流す。
腿の肉は柔らかい。涿県を出て二十余年、鞍に削り取られていたものが、新野で過ごすこの数年、少しずつ戻ってきた。広間から、管弦の音が聞こえる。
席に戻ると、劉表は不思議に思い、どうしたのかと尋ねる。答える。「私はいつも馬上を離れず、髀肉はすっかり消えていました。今は馬に乗らず、腿に肉がついてきました。月日は駆けるように過ぎ、老いが近づくのに、功業を立てられない。それが悲しいのです」
『三国志演義』では、劉表があなたを慰める。聞けば、あなたは許昌で曹操と青梅を肴に煮酒を酌み交わし、共に英雄を論じたという。曹操は「天下の英雄は、ただ使君と操のみ」と言った。
酒の勢いに乗り、うっかり口を滑らせる。「私に根拠地さえあれば、天下の凡庸な者たちは、まったく恐れるに足りません」
劉表は聞いて黙り込む。口を滑らせたと悟り、酔ったふりをして席を立つ。

三顧
『世語』には、もう一つの話がある。劉表があなたを宴に招き、蒯越と蔡瑁は機に乗じてあなたを捕らえようとする。あなたはそれに気づき、厠へ行くふりをして、そっと逃げ出す。的盧に乗って走り、襄陽城の西にある檀渓の水に落ち、抜け出せなくなる。切羽詰まって叫ぶ。「的盧よ、今日は危ういぞ。力を尽くせ!」的盧は三丈も跳び、渓を越える。
司馬徳操を訪ね、世の情勢を尋ねると、彼は言う。「儒生や俗士に、どうして時勢がわかろう。時勢を知るのは俊傑だ。この地には伏龍と鳳雛がいる」誰かと問うと、彼は答える。「諸葛孔明と龐士元だ」徐庶が訪ねてきて、あなたは彼を重んじる。彼は言う。「諸葛孔明は臥龍です。将軍は会いたいと思われますか」あなたは答える。「君が連れてきてくれ」彼は言う。「この人は訪ねて会うべきで、こちらから招き寄せることはできません。将軍が自ら足を運ばれるのがよいでしょう」
『三国志演義』では、二度目に訪ねたとき、ちょうど真冬で、寒さは厳しく、赤黒い雲が厚く垂れこめる。数里も行かぬうちに、北風が激しく吹き、瑞雪がしきりに舞う。張飛が言う。「天地も凍る寒さです。まだ兵を用いることもないのに、どうして遠くまで、益もない人に会いに行くのです。新野に戻って風雪を避けるほうがよいでしょう」あなたは言う。「孔明に、私の懇ろな思いを知らせたいのだ」
草庵には弟の諸葛均しかいない。凍えた筆に息を吹きかけ、便箋を広げて手紙を書く。「備は久しく高名を慕い、二度お目にかかろうと参りましたが、会えずに空しく帰りました。どれほど残念なことでしょう」帰り道は風雪がいっそう激しく、あなたは臥龍岡を振り返り、心晴れぬまま帰る。
新野に戻ると、またたく間に新春となる。あなたは占い師に蓍を数えて吉日を選ばせ、三日間斎戒し、身を清めて衣を改める。
関羽が諫める。「兄上は二度も自ら訪ねて拝礼されました。礼を尽くしすぎです。諸葛亮は名ばかりで実学がないので、避けて会おうとしないのでしょう。兄上は、どうしてこの者にそこまで惑わされるのですか」
張飛が言う。「この村の男が、どうして大賢者に値しましょう。今度は兄上が行く必要はありません。来なければ、麻縄一本で縛って連れてきます」
今年、四十六歳。腿の髀肉はまだそのままだ。新野は小さな城で、兵も少ない。北では曹操がすでに河北を平定している。

二人の弟がこちらを見ている。三度目、行くか、行かないか?
三人で馬に乗り、隆中へ向かう。草庵まで半里のところで、あなたは馬を下りて歩く。
童子は、先生は草堂で眠っていて、まだ目覚めないと言う。あなたは言う。「そうであれば、知らせずにおきなさい」あなたは拱手して階下に立つ。先生は寝返りを打ち、起きるそぶりを見せるが、また壁のほうを向いて眠る。あなたはさらに一刻立ち続ける。
三度訪ねて、ようやく彼に会う。側近たちを退出させる。あなたは言う。「漢室は傾き、奸臣が帝命を盗み、主上は都を離れておられる。私は自らの徳も力も顧みず、天下に大義を広めようとしたが、知略は浅く、ついには敗れ、今日に至った。それでも志はいまだ尽きない。君は、これからどのような策を立てるべきだと思うか」
曹操はまことに争うことのできぬ相手、孫権は味方とすべきで、図ってはならないと言う。荊州はその主には守れない、益州は沃野千里、天府の地だと言う。最後にこう述べる。「もし荊州・益州を併せ持ち、その険阻な地勢を保ち、西では諸戎と和し、南では夷越を慰撫し、外では孫権と友好を結び、内では政治を整えます。天下に変事が起これば、一人の上将に荊州の軍を率いさせて宛・洛へ向かわせ、将軍自らは益州の軍勢を率いて秦川へ出るのです。民の中に、箪食壺漿して将軍を迎えぬ者がおりましょうか。まことにこのとおりになれば、覇業は成し遂げられ、漢室は再興できましょう。」
あなたは言う。「よし!」。『三国志演義』では、さらにこう尋ねる。「だが、荊州の劉表、益州の劉璋は、どちらも漢室の宗親だ。備がどうして奪うに忍びようか?」
それからあなたと彼の仲は、日に日に親密になる。関羽と張飛は不満に思う。二人にこう言う。「私に孔明がいるのは、魚に水があるようなものだ。諸君、もう何も言わないでほしい。」
草庵にいる人 → 諸葛亮の親歴を読む →

人を以て本と為す
建安十二年、曹操は烏桓征伐に向かう。あなたは劉表に機を見て許を襲うよう勧めるが、用いられない。曹操が柳城から戻る。劉表はあなたに言う。「君の言葉を用いず、この大きな機会を逃してしまった」あなたは言う。「今、天下は分裂し、日ごとに戦乱が続いている。機会が訪れるのに、終わりがあるだろうか。後に機会に応じられるなら、これで悔やむには及ばない」
裴松之の注が引く『魏書』によれば、劉表は病が重くなり、荊州をあなたに託す。「我が子は器でなく、諸将も次々と世を去った。私が死んだ後、卿が荊州を治めてくれ」あなたは言う。「ご子息たちはそれぞれ賢明です。どうかご自身の病だけをお案じください」ある者が彼の言葉に従うよう勧める。あなたは言う。「この人は私を厚く遇してくれた。今、その言葉に従えば、人々は私を薄情者と思う。それは忍びない」
劉表が死ぬ。息子の劉琮が跡を継ぎ、曹操に使者を送って降伏を申し出る。あなたは樊城に駐屯しており、曹操が突然到着したことを知らない。彼が宛城に着いて、ようやく知らせを聞く。『漢魏春秋』によれば、劉琮の使者、宋忠が到着する。あなたは刀を抜き、忠に向ける。「今、お前の首を斬っても怒りは晴れない。大丈夫たる者が別れ際にお前たちを殺すのも、恥ずべきことだ」
人々を連れて南へ向かう。襄陽を通る際、諸葛亮は劉琮を攻めれば荊州を得られると勧める。あなたは言う。「忍びない」城の下で馬を止め、劉琮に呼びかける。彼は恐れ、身を起こせない。劉琮の側近と荊州の人々の多くが、あなたに従う。
『三国志演義』では、劉表の墓の前を通ると、諸将を率いて墓前で拝礼する。泣いて言う。「不肖の弟、備は徳も才もなく、兄から託された重責に背きました。罪は備一人にあり、民には何の関わりもありません。どうか兄上の霊よ、荊襄の民をお救いください」
当陽に着くころ、従う者はすでに十余万人、荷車は数千台に及び、一日に進めるのは十数里だけ。別に関羽を遣わし、数百艘の船で水路を進ませ、江陵での合流を約す。
車輪が泥にはまり、一台また一台と動かなくなる。荷を担ぐ者、老人を背負う者、子を抱く者が、馬前から見えない先まで続く。北からの知らせは、日に日に近づく。
ある者が言う。「急いで江陵を確保すべきです。今は大軍を擁しているとはいえ、甲冑を着けた者は少ない。曹公の兵が来れば、何をもって防ぎましょう」。『三国志演義』では、諸将も言う。「いったん民を捨て、先に進むのが上策です」

背後には十余万人。どうする?
曹操は輜重を捨て、少数の軍で襄陽へ急ぐ。あなたがすでに通り過ぎたと聞くと、自ら精鋭の騎兵五千を率いて急追する。一昼夜に三百余里を進み、当陽長坂であなたに追いつく。
『三国志演義』では、それは秋の終わりから冬の初め。涼風が骨身にしみ、暮れ方には泣き声が野に満ちる。四更、北西から地を揺るがす喊声が迫る。
妻子を置き去りにし、諸葛亮、張飛、趙雲ら数十騎と逃げる。曹操はあなたの民衆と輜重を大いに得る。
『三国志演義』では、夜明けにあなたは大声で泣く。「十数万の民は、皆、私を慕ったためにこの大難に遭った。諸将も老人も子供も、生きているのかさえ分からない。土や木でできた者でさえ、悲しまぬはずがあろうか」
趙雲は北へ去ったと聞き、手戟を投げつける。「子龍は私を見捨てて去る者ではない」しばらくして、趙雲が到着する。彼は懐にあなたの息子を抱き、子の母である甘夫人を守り、二人とも難を免れる。
『三国志演義』では、阿斗を受け取り、地面に投げ落とす。「お前のような小僧のために、危うく大将を一人失うところだった」。
斜めに漢津へ向かうと、折よく関羽の船に出会う。沔水を渡り、さらに劉表の長男、劉琦と合流して、共に夏口へ着く。
阿斗を抱いて戻る人 → 趙雲の親歴を読む →

三つの計
孫権と力を合わせ、赤壁で曹操軍を大破し、その船を焼く。さらに南へ四郡を征し、武陵・長沙・桂陽・零陵の太守は皆降る。孫権は次第にあなたを恐れ、縁を結ぶため妹を嫁がせる。京口で彼に会う。帰ると、側近に言う。「孫車騎は上が長く下が短い。下に立つのは難しい。もう会うわけにはいかぬ」こうして昼夜兼行で帰る。
益州別駕の張松が劉璋に言う。「劉豫州は、使君の同族であり、曹操の深い仇敵です。兵を巧みに用います。彼に張魯を討たせれば、張魯は必ず破れましょう」劉璋は法正に四千人を率いさせ、あなたを迎えに行かせる。龐統――司馬徳操が鳳雛と呼んだ男は、今やあなたの幕下にいる――は蜀を取るよう勧める。あなたは言う。「今、私を水火の敵とする者は曹操だ。曹操は苛酷、私は寛容。曹操は暴虐、私は仁愛。曹操は狡猾、私は誠実。常に曹操と逆を行ってこそ、事は成る。今、わずかなことのために天下への信義を失うのは、私の望むところではない」。彼は言う。「逆に取って順に守り、義をもって報いる。事が定まった後、大国に封じれば、どうして信義に背くことになりましょう。今取らなければ、最後には他人の利となります」こうしてあなたは出立する。
涪城に着くと、劉璋は自ら出迎え、会って大いに歓ぶ。張松は法正に進言させ、龐統もまた会見の席で劉璋を襲うよう勧める。あなたは言う。「これは大事だ。軽々しく決めるべきではない」。『龐統伝』では、あなたの返答は別の言葉だ。「他国に入ったばかりで、恩信はまだ広まっていない。これはできぬ」
劉璋は兵を増やして張魯を討たせ、さらに白水軍の指揮をあなたに任せる。北の葭萌へ進むが、すぐには張魯を攻めず、厚く恩徳を施して人心を集める。
翌年、曹操が孫権を征討すると、孫権はあなたに救援を求める。東へ向かうため、劉璋に兵一万と物資を求める。劉璋が与えるのは兵四千のみ、ほかの物資も半分だけだ。
『魏書』は、これを機に人々を激昂させたと記す。「私は益州のために強敵を討ち、兵も将も苦労を重ね、安らかに居る暇もない。いま財物を蓄えながら、功ある者への賞を惜しみ、士大夫に命を懸けて戦えと望んでも、それがかなうだろうか!」
龐統が訪ねてくる。こう言う。「精兵をひそかに選び、昼夜を問わず道を急ぎ、まっすぐ成都を襲う。劉璋は武勇に乏しく、もとより備えもない。大軍が突然到着すれば、一挙に定まる。これが上策です」
「楊懐と高沛は、劉璋の名将です。それぞれ強兵を率い、関所を守っています。たびたび書簡を送り、劉璋に将軍を荊州へ帰すよう進言したと聞きます。将軍がまだ到着しないうちに使者を送り、荊州に急事があり、帰って救援したいと伝え、出立の支度をさせて、表向きは帰還する様子を装います。この二人は将軍の英名に心服し、将軍が去るのを喜んでいるので、きっと軽騎で会いに来るでしょう。その機に捕らえ、兵を取り上げて成都へ進む。これが中策です」
「退いて白帝に戻り、荊州と連絡を保ち、ゆっくり機を見て再び図る。これが下策です。ためらって去らなければ、大きな困難を招くことになり、長くは持ちません」
葭萌の夜は静かだ。関の外には山が連なる。かつて口にした四文字を思い起こす。「毎与操反」――常に曹操と逆を行く。

三つの道が目の前にある。どれを選ぶ?
中策を選ぶ。
張松はあなたと法正に手紙を書く。「今、大事はほとんど成ろうとしているのに、どうしてここを捨てて去るのか!」張松の兄、張粛は自分に累が及ぶのを恐れ、彼を告発する。劉璋は張松を捕らえて斬り、ここから溝が生じる。
激怒し、劉璋の白水軍督・楊懐を呼び、無礼を責めて斬る。『三国志演義』では、楊懐と高沛はそれぞれ懐に短刀を隠して見送りに来るが、刀を見つけられ、あなたはなお決断をためらう。龐統が刀斧手に一喝し、二人を斬らせる。
兵を返して成都へ向かい、通るところをすべて攻略する。涪城で大宴会を開き、酒を飲んで楽しむ。龐統に「今日の宴は、まことに楽しい」と言う彼は言う。「人の国を討って、それを喜びとするのは、仁者の兵ではありません」
酔って怒る。「武王は紂を討ったとき、前では歌い、後ろでは舞った。それでも仁者ではないのか。卿の言葉は不当だ。すぐに立ち去れ!」
彼は退いていく。すぐに後悔し、呼び戻す。彼は席に戻るが、詫びることもなく、いつもどおり飲み食いする。問う。「先ほどの議論では、どちらに非があったのか」彼は言う。「君臣ともに非がありました」大笑いし、宴は元どおりに続く。

孝直、矢を避ける
龐統は兵を率いて雒城を攻め、流れ矢に当たって死ぬ。享年三十六。その死を惜しみ、名を口にするたび涙を流す。成都を数十日包囲し、劉璋の降伏を受ける。諸葛亮を股肱とし、法正を謀主とし、関羽・張飛・馬超を爪牙とする。
曹操は張魯を降し、漢中を定め、夏侯淵と張郃を残して守らせる。法正が言う。「これは天が与えてくださったもの。時機を逃してはなりません」。あなたは諸将を率いて漢中へ進軍する。
建安二十四年春、陽平から南へ沔水を渡り、山沿いに少し進んで、定軍山に陣を置く。夏侯淵は兵を率いてこの地を争いに来る。法正が言う。「今こそ撃てます」あなたは黄忠に高所から太鼓を鳴らして攻めさせ、淵の軍を大破し、夏侯淵を斬る。
曹操は長安から大軍を率いて南下する。遠くから曹操の出方を量る。「曹公が来ても、なすすべはない。漢川は必ず我がものとなる」道中で法正の策を聞いた曹操が言う。「玄徳にはこんなことを成し遂げる力はないと知っていた。必ず誰かに教えられたのだ」
曹操の大軍が陣前に迫る。曹操と争って形勢は不利。本来なら退くべきところで、あなたは激怒して退こうとせず、誰も諫められない。
矢が雨のように降る。矢柄が足元の土に突き刺さる。一本、また一本。立ったまま動かない。
法正が進み出て、あなたの前に立ちはだかる。
言う。「孝直、矢を避けよ」
彼は振り返らない。「明公みずから矢石に当たっておられる。まして、私ごときがどうして避けましょう」
その背中を見る。さらに矢の一斉射が降ってくる。
「孝直、おまえとともに退こう」と言い、退く。
その後、兵馬をまとめ、要害を拠り所として守り、最後まで曹操と交戦しない。
月が過ぎても攻め落とせず、逃亡者は日ごとに増える。夏、曹操は果たして兵を退き、漢中を得る。
秋、群臣はあなたを漢中王に推戴する。『三国志演義』では、まず承知しない。「そなたたちは私を王に尊びたいと言うが、天子の詔がなければ僭越である」
沔陽に壇を設け、兵を整列させ、群臣が陪席する。奏表を読み終え、王冠をあなたの頭に戴かせる。漢帝に奉った上表にはこう記す。「臣はかつて車騎将軍董承と曹操討伐を謀りましたが、計画が漏れ、董承は陥れられました。臣は流浪して拠り所を失い、忠義を成し遂げられませんでした」
二十年前、許都のあの夜。あの筆、あの義状。名簿に載った者はみな死に、残るのはこの冠を戴くあなた一人。

盛怒して許さず
関羽は曹仁を攻め、樊城で于禁を捕らえる。突如、孫権が関羽を襲って殺し、荊州を奪う。
曹丕が皇帝を称し、黄初と改元する。漢帝が殺害されたとの知らせが届き、喪を発して喪服を着る。諸葛亮は皇帝の尊号を称するよう勧め、耿純の言葉を引く。「天下の英雄は首を長くして、望みがかなうことを待ち望んでいます。もしこの議に従わなければ、士大夫はそれぞれ主を求めて去り、公に従う者はいなくなるでしょう」成都の武担山の南で皇帝に即位する。
涿県の垣根のそばに立つ桑の木の下で、いつか羽葆の車に乗る、と語った。今や天子だ。叔父が、そんなことを言えば一族を滅ぼすと戒めたのは、もう何十年も前のこと。
孫権が関羽を襲って殺したことを恨み、東征を望む。『三国志演義』では、朝廷で詔を下す。「朕は桃園で関羽、張飛と義を結び、生死を共にすると誓った。不幸にも、二弟の雲長は東呉の孫権に殺された。仇を討たなければ、盟約に背くことになる」
趙雲が諫める。「国賊は曹操であり、孫権ではありません。まず魏を滅ぼせば、呉はおのずから服します」「魏を措いて先に呉と戦うべきではありません。兵勢がぶつかれば、たちまち戦を終えることはできません」
黄権が諫める。「呉の者たちは勇猛で、しかも水軍は流れに乗るため、進むのは容易でも退くのは困難です。先鋒となって敵に当たりたいと存じます。陛下は後方をお守りください」
『三国志演義』では、学士の秦宓も諫める。「陛下は万乗の身を捨て、小さな義に従おうとしておられます。これは古人の選ばなかったことです」
六月、車騎将軍の張飛が側近に殺される。張飛の陣営の都督が上奏文を送ってくる。都督の上奏だと聞くと、「ああ、飛が死んだ」と言う
寝るときは床を同じくした二人が、二年のうちにともにいなくなる。
秋七月、諸軍を自ら率いて呉を討つ。大軍は成都を発ち、長江を下って東へ向かう。孫権が使者を遣わし、書簡を届けて和睦を求める。

孫権の和睦の書簡が軍中まで追いかけてくる。どう返す?
呉班、馮習が巫から攻めて李異らを破り、大軍は秭帰に駐屯する。
翌年二月、秭帰から諸将を率いて進軍し、山沿いに峰を押さえ、夷道の猇亭に陣を敷く。『三国志演義』では、陣営は猇亭から川口まで連なり、七百里にわたり、前後四十の陣営が続く。
呉将の陸遜は守りを固め、出てこない。そのまま幾月も過ぎる。兵士一人ひとりに茅を一束ずつ持たせ、火攻めをかける。張南と馮習を斬り、四十余りの陣営を破る。あなたは馬鞍山に登り、兵を周りに並べて身を守る。呉軍が四方から包囲し、軍は土崩瓦解し、死者は万を超える。夜陰に乗じて逃れる。駅夫が自ら銅鑼と鎧を担いで燃やし、追っ手を断ったので、ようやく白帝城に入る。
ひどく恥じ、憤って言う。「私が陸遜ごときに辱められるとは、天命でなくて何であろう!」
黄権は江北にいて帰路を断たれ、部隊を率いて魏に降るほかない。有司が黄権の妻子を捕らえるよう求める。あなたは言う。「私が黄権に背いたのであって、黄権が私に背いたのではない」
その後、魚復県を永安と改める。
東征を諫める人 → 趙雲の親歴を読む →

君、自ら取るべし
『三国志演義』では、関羽と張飛の二人の弟を思って泣き、病はますます重くなり、目もかすむ。ある夜、にわかに陰風が起こり、灯火が吹かれて揺れ、消えてはまたともる。灯影の下に二人が立っている。上座には雲長、下座には翼徳がいる。雲長が言う。「兄上と弟たちが再会する日は遠くありません」二人をつかんで泣き叫ぶと、はっと目が覚める。弟二人の姿はない。
章武三年春、永安で病が重くなり、成都から諸葛亮を召す。二月、諸葛亮が永安に着く。三月、黄元は敗れ、捕らえられて成都へ送られ、斬られる。
太子に遺詔を書く。「朕は初め、病はただ下痢だけであったが、その後ほかの病も加わり、もはや自ら立ち直れぬと思う。人は五十歳で夭折とは言わぬ。朕はすでに六十余歳、何をさらに恨もう。自らを傷むことはない。ただ、お前たち兄弟のことを案じている」さらに書く。「小さな悪だからといって行ってはならず、小さな善だからといって行わないのもいけない。賢と徳だけが人を心服させる。お前の父は徳が薄かった。手本にしてはならぬ」
諸葛亮に言う。「馬謖は言葉が実際を上回る。大任を任せてはならぬ。よく見極めてほしい」
劉表を思い出す。十五年前、襄陽で病床にあった彼は言った。「我が子は器でなく、諸将も次々と世を去った。私が死んだ後、卿が荊州を治めてくれ」あのとき、あなたは応じなかった。
丞相に後事を託し、尚書令の李厳を副とする。その手を握る。「君の才は曹丕の十倍だ。必ず国を安んじ、大事を成し遂げられる。後継ぎが補佐するに足るなら補佐せよ。才がないなら、君が自ら取るがよい」
彼は涙を流す。「臣はあえて股肱の力を尽くし、忠貞の節を捧げ、死をもってお応えいたします」
さらに太子に詔を下す。「お前は丞相と事にあたり、父に仕えるように仕えよ」臨終には魯王の劉永を呼ぶ。「私が死んだ後、お前たち兄弟は丞相を父として仕えよ。お前は丞相と共に事にあたるだけでよい」
『三国志演義』では、さらに趙雲にも言い残す。「朕と卿は患難の中から、今日まで共に歩んできた。まさかこの地で別れるとは思わなかった」
城下で江水が響く。目を閉じる。涿県の桑の木、安喜の督郵、徐州のあの箱、隆中の階下で立ち尽くしたあの一刻、長坂の十数万人。道中、城も、妻子も、兵馬も、幾度となく置き去りにしてきた。このたびは、最後に残ったものをすべて託す。
夏四月癸巳、永安宮で崩御する。享年六十三。五月、柩は永安から成都へ戻り、昭烈皇帝と諡される。
後事を託された人 → 諸葛亮の親歴を読む →
劉備の最期
先主は弘毅にして寛厚、人を見抜き、士を待遇すること、まさに高祖の風格を備え、英雄の器量があった。
武侯祠の屋は長く隣り合い、<br>君臣一体となって共に祭られる。
