言語
黄

蜀漢(しょくかん) · 宦人

黄皓(こうこう)

登場回
13
台詞の記録
5
人間関係
10
内面の独白
3

史載(Historical Record)

黄皓(こうこう)は蜀漢(しょくかん)後期の宦官であり、その生涯の事績は主に『三国志(さんごくし)』などの史籍の記載に見られる。景耀元年(263年)、姜維(きょうい)が沓中(とうちゅう)から成都(せいと)へ帰還した際、史官が景星の出現を上奏し、後主の劉禅(りゅう ぜん)はそこで天下に大赦を行い年号を改めた。まさにこの時期に、宦官の黄皓(こうこう)は朝政を専らにし始めた。

黄皓(こうこう)の専権は蜀漢(しょくかん)の政局に深遠な影響を及ぼした。当時、朝廷の董厥(とう けつ)、樊建らは要職にあったものの、黄皓(こうこう)の権力の弄び方に直面しても、有効にこれを匡すことができなかった。とりわけ樊建は独り立ちを貫き、黄皓(こうこう)と同流に染まることはなかった。しかし、黄皓(こうこう)の勢力は日増しに強大となり、ついには右大将軍の閻宇と結託し、姜維(きょうい)を廃して閻宇を擁立しようと企てた。このため姜維(きょうい)は深く不安を覚え、軽々しく成都(せいと)へ帰ることができなくなった。

姜維(きょうい)はかつて幾度も後主の劉禅(りゅう ぜん)に上表し、黄皓(こうこう)の奸佞を指摘して、これを誅殺するよう進言した。しかし劉禅(りゅう ぜん)は黄皓(こうこう)を何かと庇い、彼を「趨り走る小臣」に過ぎず、意に介するに値しないと考えた。劉禅(りゅう ぜん)はあろうことか黄皓(こうこう)を姜維(きょうい)の前に召し出し、謝罪させて姜維(きょうい)の怒りを鎮めようとした。姜維(きょうい)は劉禅(りゅう ぜん)の黄皓(こうこう)への信任を見て、その地位を揺るがすのは難しいと深く悟り、沓中(とうちゅう)へ赴いて屯田し麦を植えることを請う口実をもって、朝廷の紛争を避けた。

蜀漢(しょくかん)末年、魏国は大挙して蜀を伐った。姜維(きょうい)は戦端が開かれることを予見し、かつて後主に上表して、張翼(ちょうよく)、廖化(りょうか)らの将を派遣し兵を分けて陽安関口と陰平郡(いんぺいぐん)の橋を守らせ、魏軍に備えるよう進言した。しかし黄皓(こうこう)は鬼神の説を迷信し、敵が軽々しく来襲することはないと考え、後主を説いて姜維(きょうい)の進言を棚上げさせたため、蜀漢(しょくかん)は軍事配置において好機を逸した。鍾会(しょうかい)の大軍が駱谷に迫り、鄧艾(とうがい)が沓中(とうちゅう)に入るに至って、ようやく後主は慌てて廖化(りょうか)を沓中(とうちゅう)へ遣わして姜維(きょうい)を支援させ、張翼(ちょうよく)、董厥(とう けつ)らを陽安関口へ遣わして外援とした。しかし、この時すでに手遅れであり、蜀漢(しょくかん)は最終的に魏軍の攻勢の下で滅亡へと向かった。

演中(In the Novel)

『三国演義』において、黄皓(こうこう)の人物像はさらに典型的な奸佞の小人として造形され、その専権により国を誤らせる行いはいっそう際立って描かれている。小説の中で、黄皓(こうこう)は専権するのみならず、酒色に溺れ、後主の劉禅(りゅう ぜん)が朝政を顧みず国事が日々悪化する原因となった。

小説は黄皓(こうこう)と姜維(きょうい)の激しい衝突を描く。姜維(きょうい)は幾度も上表して魏を伐とうとしたが、黄皓(こうこう)はその中で妨害し、あろうことか閻宇を利用して姜維(きょうい)を排斥した。姜維(きょうい)が祁山(きざん)で鄧艾(とうがい)と対峙していた際、黄皓(こうこう)は後主を説いて姜維(きょうい)を召し戻させ、姜維(きょうい)の軍事行動を一簣に欠けさせた。姜維(きょうい)は成都(せいと)に帰った後、後主に黄皓(こうこう)の罪を暴き、これを誅殺するよう請うた。しかし劉禅(りゅう ぜん)は黄皓(こうこう)を何かと庇護し、あろうことか姜維(きょうい)に「なぜ一宦官すら容れられぬのか?」と言った。この一幕は、劉禅(りゅう ぜん)の心中における黄皓(こうこう)の地位、および劉禅(りゅう ぜん)の暗愚無能ぶりを大いに強化した。

魏軍が蜀を伐つ肝心な時に、黄皓(こうこう)の国を誤らせる行いは頂点に達した。姜維(きょうい)は上表して急を告げ、防備を強化するよう進言したが、黄皓(こうこう)は「これは姜維(きょうい)が功名を立てようとしているのだ」という理由をもって、後主に憂慮する必要はないと説いた。彼はあろうことか巫女を宮中に引き入れ、神鬼の説を借りて劉禅(りゅう ぜん)を欺き、「魏国の疆土もまた陛下に帰すでしょう」と称し、劉禅(りゅう ぜん)にこれを深く信じ込ませ、姜維(きょうい)の警告を聞き流させた。姜維(きょうい)の急を告げる表文も、多くが黄皓(こうこう)に隠匿され、最終的に蜀漢(しょくかん)は何の準備もないままに魏軍によって攻め破られることとなった。

小説の中で、鄧艾(とうがい)は成都(せいと)に攻め入った後、黄皓(こうこう)を斬ろうとした。しかし黄皓(こうこう)は鄧艾(とうがい)の側近を賄賂で買収し、死を免れることができた。この情節は史料には明確な記載がないものの、黄皓(こうこう)の狡猾さと生への執着をいっそう際立たせ、その悪行が然るべき懲罰を受けなかったことを暗示し、読者の彼への憎悪をさらに深めている。

重要な関係

* 蜀漢(しょくかん)(serves):黄皓(こうこう)は宦官として、蜀漢(しょくかん)後期の重要な政治人物であり、その行いは蜀漢(しょくかん)の興亡に直接的な影響を及ぼした。
* 姜維(きょうい)(enemy_of):黄皓(こうこう)と姜維(きょうい)の間には鋭い対立が存在した。黄皓(こうこう)は姜維(きょうい)の功績を妬み、幾度も姜維(きょうい)を排斥し陥れ、あろうことか彼を廃そうとした。姜維(きょうい)は幾度も黄皓(こうこう)を誅殺して朝綱を匡そうとした。
* 劉禅(りゅう ぜん)(serves):黄皓(こうこう)は劉禅(りゅう ぜん)の側近の寵臣であり、劉禅(りゅう ぜん)の信任と庇護を深く得ていた。劉禅(りゅう ぜん)の黄皓(こうこう)への放縦は、黄皓(こうこう)が専権し得た重要な原因であった。
* 閻宇(ally_of、演義独自):『三国演義』において、閻宇は高位を得るために黄皓(こうこう)に阿り、両者は結託して姜維(きょうい)を排斥した。
* 巫女(ally_of、演義独自):黄皓(こうこう)は巫女の神鬼の説を利用して劉禅(りゅう ぜん)を欺き、姜維(きょうい)の急を告げる表文を隠匿し軍事配置を妨げるという目的を達した。

象徴的な場面

* 朝政を専らにし、姜維を排斥する:景耀元年、黄皓(こうこう)は専権し始め、閻宇と結託して姜維(きょうい)を廃そうと企てた。姜維(きょうい)はこのため深く不安を覚え、軽々しく成都(せいと)へ帰ることができなくなった。
* 劉禅の庇護、姜維の無念:姜維(きょうい)はかつて後主の劉禅(りゅう ぜん)に黄皓(こうこう)の奸佞を暴き、誅殺を請うた。しかし劉禅(りゅう ぜん)は黄皓(こうこう)が「趨り走る小臣」に過ぎないと考えて取り合わず、かえって黄皓(こうこう)に姜維(きょうい)へ謝罪させ、姜維(きょうい)に深い無力感を覚えさせた。
* 巫女を宮中に引き入れ、後主を欺く(演義独自):魏軍が蜀を伐つ前夜、姜維(きょうい)は上表して急を告げた。しかし黄皓(こうこう)は後主に憂慮する必要はないと説き、巫女を宮中に引き入れ、神鬼の説を借りて劉禅(りゅう ぜん)を欺き、戦事を軽んじさせた。
* 急を告げる表文を隠匿し、国を誤り事を誤る(演義独自):姜維(きょうい)は幾度も緊急の軍情を報告したが、黄皓(こうこう)はこれらの表文を隠匿して報告せず、蜀漢(しょくかん)に防備の好機を逸させ、最終的に蜀漢の滅亡(しょくかんのめつぼう)を加速させた。
* 鄧艾の側近を賄賂で買収し、死を免れる(演義独自):蜀漢の滅亡(しょくかんのめつぼう)の後、鄧艾(とうがい)はかつて黄皓(こうこう)を斬ろうとしたが、黄皓(こうこう)は鄧艾(とうがい)の側近を賄賂で買収し、難を免れることができた。

肖像アーカイブ

人物像

性格
黄皓(こうこう)は讒言と構陥に巧みで、かつて劉永(りゅうえい)を陥れた。権力を弄んで国を誤らせ、姜維(きょうい)の急を告げる上表文を隠匿し、巫女(師婆)を宮中に引き入れて後主を惑わせた。彼は董允(とう いん)を畏れ、董允が没した後に権柄を弄んだ。
話し方
彼はかつて泣きながら拝して叩頭し涙を流し、「私めは朝な夕なに聖上のおそばに侍るのみでございます」と自称して憐れみを乞うた。
逸話
黄皓(こうこう)は蜀漢(しょくかん)の宦官で、後主の深い信任を得て、景耀元年より政を専らにし、ついには国を覆すに至った。かつて姜維(きょうい)を廃して閻宇を立てようとし、また賄賂を受けて反間の計にかかった。最終的に、司馬昭(しばしょう)は命じて彼を凌遅の刑に処した。

人間関係

10 件の関係

名言

全 5 件の台詞 · 厳選 3 件

「姜維屢戰無功,可命閻宇代之。」

演 第115回→ 劉禅(りゅう ぜん)📍 成都(せいと)

この言葉は黄皓(こうこう)が忠良を排斥し、朝政に干渉するという核心的な特質を体現している。

「此乃姜維欲立功名,故上此表。陛下寬心,勿生疑慮。臣聞城中有一師婆,供奉一神,能知吉凶,可召來問之。」

演 第116回→ 劉禅(りゅう ぜん)📍 成都(せいと)

この一句は黄皓が君主を惑わし、迷信を利用して権力を固める手段を示している。

「某早晚趨侍聖上而已,並不干與國政。將軍休聽外人之言,欲殺某也。某命繫於將軍,惟將軍憐之。」

演 第115回→ 姜維(きょうい)📍 成都(せいと)

この言葉は姜維(きょうい)に対峙した際の黄皓の狡猾な命乞いであり、その奸佞な本性を際立たせている。

登場回13 回 ▸
  • 史ch.33ch.34ch.35ch.39ch.42ch.44
  • 演ch.112ch.113ch.115ch.116ch.117ch.118ch.119
関係の年表4 条 ▸

史 ch.44

演 ch.112

演 ch.113

演 ch.115

内面の独白 · AI 生成3 段 ▸
  • 成都(せいと)がすでに降伏し、魏の人々が城を占拠した。かつての宮殿は、瞬く間に旗印を変えた。私は黄皓(こうこう)、内廷に仕える近侍にすぎなかった。かつては陛下の寵愛を頼みに、御簾の内にも出入りできたが、今では金宝がかつて側近に通じる手立てと
  • 私は黄皓(こうこう)。字は、参照した史料には見えない。今や権勢は次第に私の手に帰し、朝廷じゅうには私が「機権を盗み弄ぶ」と言う者もいれば、ただ走り使いをする小臣にすぎないと言う者もいる。褒めるにせよ貶すにせよ、いずれも人の口から出た言葉だ。
  • 私は黄皓(こうこう)。字は記録に見えない。今、若き日を振り返っても、史書のわずかな記述だけで家柄や入宮の経緯を詳しく語るのは難しい。記録に残らなかったことについて、みだりに語るつもりはない。ただ覚えているのは、景耀元年、姜維(きょうい)が成
生涯の大事3 ▸