史実(Historical Record)
厳顔(げんがん)は、巴郡(はぐん)太守であり、劉璋集団(りゅうしょうしゅうだん)の重要な将領である。劉備(りゅうび)の入蜀、劉璋(りゅう しょう)への進攻の過程において、厳顔(げんがん)は江州(こうしゅう)の鎮守を担っていた。西暦214年、劉備(りゅうび)は張飛(ちょうひ)・諸葛亮(しょかつりょう)らを遣わして流れを遡らせ、郡県を分け定めさせた。張飛(ちょうひ)の軍が江州(こうしゅう)に至ったとき、厳顔(げんがん)は部隊を率いて抵抗したが、最後には張飛(ちょうひ)に生け捕りにされた。
張飛(ちょうひ)は厳顔(げんがん)を捕らえると、彼を叱りつけた。「大軍がすでに至ったというのに、なぜ降伏せず、あえて抵抗するのか」。厳顔(げんがん)は張飛(ちょうひ)の詰問に対し、まったく恐れる色もなく、慷慨と言い放った。「お前たち無礼な者どもが、わしの州郡を侵し掠めるのだ。わが州には死すとも屈せぬ『断頭将軍』があるのみで、降伏する将軍などおらぬ」。張飛(ちょうひ)はこれを聞いて大いに怒り、左右に命じて厳顔(げんがん)を引き出して斬首させようとした。しかし、厳顔(げんがん)は依然として顔色も変えず、従容と言った。「首を斬るなら斬ればよい、何を怒ることがあろうか」。張飛(ちょうひ)は厳顔(げんがん)がこのように壮烈であるのを見て、かえってその気概に感服し、彼を釈放して座上の賓客として奉じた。
『華陽国志』の記載によれば、劉備(りゅうび)が初めて蜀の地に入ったとき、厳顔(げんがん)はかつて胸をなでて嘆いた。「これこそまさに、独り窮山に坐して、虎を放って自衛するというものよ」 この言葉は、劉璋(りゅう しょう)が劉備(りゅうび)を蜀に引き入れた決断に対する厳顔(げんがん)の深い憂慮と不満を示している。厳顔(げんがん)が張飛(ちょうひ)に釈放された後、その後の事績は史書にあまり記載がないが、彼が最終的に劉備集団(りゅうびしゅうだん)に帰順したと推測できる。
演義(In the Novel)
『三国演義』において、厳顔(げんがん)の形象は一層豊かに、英雄的に描かれている。彼は巴郡(はぐん)太守として、年は高いものの精力はなお衰えず、硬弓大刀を巧みに操り、万夫不当の勇を持つ蜀中の名将として描かれている。劉璋(りゅう しょう)が劉備(りゅうび)を蜀に招いたとき、厳顔(げんがん)は危機を予見し、「これこそいわゆる、独り窮山に坐して、虎を引いて自衛するというものよ」と慨嘆し、史実と符合する。
張飛(ちょうひ)が軍を率いて巴郡(はぐん)を攻めたとき、厳顔(げんがん)は固守して出ない戦略をとり、引き延ばしの戦術によって張飛(ちょうひ)の兵糧を消耗させ、張飛(ちょうひ)の気性の荒さにつけ込んで、その軍心が不安定になったところで出撃しようとした。張飛(ちょうひ)が人を城内に遣わして降伏を勧めると、厳顔(げんがん)は降らないばかりか、かえって使者の耳と鼻を削いで決別の意を示した。
張飛(ちょうひ)を誘い出すため、厳顔(げんがん)は伏兵の計を設けた。彼は密偵に張飛(ちょうひ)へ自分が小道をひそかに通ると報告させるふりをして、実は小道に伏せ、張飛(ちょうひ)の兵糧輜重を截撃しようとした。しかし、張飛(ちょうひ)は厳顔(げんがん)の計略を見破り、その計を逆手にとって、偽の張飛(ちょうひ)を前に立てて誘い、本物の張飛(ちょうひ)は後方に伏せた。厳顔(げんがん)が軍を率いて出撃し輜重を奪おうとしたとき、張飛(ちょうひ)に急襲され、一合交えただけで生け捕りにされた。
捕らえられた後、厳顔(げんがん)は張飛(ちょうひ)の怒りの叱責に対しても、依然として死すとも屈せぬ英雄の気概を示し、「ただ断頭将軍があるのみ。降将軍などおらぬ」と豪語した。張飛(ちょうひ)は厳顔(げんがん)の忠義と気節に感動し、怒りを転じて喜びとなし、自ら厳顔(げんがん)の縄を解き、彼に向かって拝して入蜀の計を教えてほしいと請うた。厳顔(げんがん)はその恩義に感じてついに降り、自ら進んで前部となることを願い出て、蜀中における自らの人脈と威望を利用して沿道の関隘を説き降し、張飛(ちょうひ)の軍が一路滞りなく、刃に血を塗らずして雒城(らくじょう)に到達できるようにした。
後に、漢中の戦い(かんちゅうのたたかい)において、厳顔(げんがん)は老将黄忠(こうちゅう)と組み、ともに曹魏(そうぎ)の将領張郃(ちょうこう)を防いだ。諸葛亮(しょかつりょう)は初め二人の老将の能力に疑念を抱いたが、厳顔(げんがん)と黄忠(こうちゅう)は奇功を立てた。彼らは巧妙な連携により、まず張郃(ちょうこう)を破り、後に天蕩山の戦いにおいて、厳顔(げんがん)と黄忠(こうちゅう)は手分けして行動し、厳顔(げんがん)は曹軍の兵糧を焼き払い、夏侯德を斬殺し、劉備(りゅうび)が漢中(かんちゅう)を奪取するために大いに功を立てた。劉備(りゅうび)が益州(えきしゅう)を平定した後、厳顔(げんがん)は前将軍に封じられた。
主要な関係
* 劉璋集団(りゅうしょうしゅうだん):厳顔(げんがん)はかつて劉璋(りゅう しょう)配下の重要な将領であり、忠心耿耿として、死を誓って巴郡(はぐん)を守った。
* 劉璋(りゅう しょう):厳顔(げんがん)は劉璋(りゅう しょう)が狼を室内に引き入れた決断を深く憂慮し、それを「独り窮山に坐して、虎を放って自衛する」ものと考えた。
* 張飛(ちょうひ):厳顔(げんがん)の運命の転換点。二人は戦場の対手から、張飛(ちょうひ)が厳顔(げんがん)の気節に感服し、最終的に互いに敬重し合う盟友となった。厳顔(げんがん)は張飛(ちょうひ)に釈放された後、積極的に張飛(ちょうひ)の入蜀を助け、劉備集団(りゅうびしゅうだん)の重要な一員となった。
* 劉備集団(りゅうびしゅうだん):厳顔(げんがん)は帰順した後、劉備集団(りゅうびしゅうだん)の将領となり、漢中の戦い(かんちゅうのたたかい)に参加して、劉備(りゅうび)政権の樹立と強化に貢献した。
* 黄忠(こうちゅう):『三国演義』において、厳顔(げんがん)は黄忠(こうちゅう)という二人の老将と組み、ともに漢中の戦い(かんちゅうのたたかい)で奇功を立て、老いてますます盛んな英勇の姿を示した。
象徴的な場面
* 江州(こうしゅう)で降伏を拒み、死すとも屈せず:厳顔(げんがん)は張飛(ちょうひ)に生け捕りにされた後、張飛(ちょうひ)の叱責に対して、慷慨と「わが州にはただ断頭将軍があるのみで、降将軍などおらぬ」と言い放ち、その忠貞不屈の英雄の気概を示した。この場面は厳顔(げんがん)個人の形象のハイライトであるだけでなく、張飛(ちょうひ)の彼に対する敬重と釈放をも促した。
* 「独り窮山に坐して、虎を放って自衛する」の嘆き:劉備(りゅうび)が入蜀したとき、厳顔(げんがん)は劉璋(りゅう しょう)が狼を引き入れた結末を予見し、この慨嘆を発し、その遠見卓識と情勢に対する冷静な認識を体現した。
* 張飛(ちょうひ)が縄を解き、厳顔(げんがん)が帰順する:張飛(ちょうひ)は厳顔(げんがん)の忠義に感動し、自ら縄を解き、拝して教えを請うた。厳顔(げんがん)もそれゆえその恩義に感じて帰順し、この場面は英雄が英雄を惜しむ惺惺相惜の情を示すとともに、後に厳顔(げんがん)が張飛(ちょうひ)の入蜀を助ける礎を築いた(演義独自)。
* 沿道の関隘を説き降す:厳顔(げんがん)は帰順した後、自ら進んで前部となることを願い出て、その影響力を利用して沿道の守軍を説き降し、張飛(ちょうひ)が刃に血を塗らずして進軍できるようにし、劉備(りゅうび)が益州(えきしゅう)を奪取する過程を大いに加速させた(演義独自)。
* 天蕩山で夏侯德を斬る:漢中の戦い(かんちゅうのたたかい)において、厳顔(げんがん)は黄忠(こうちゅう)と連携し、厳顔(げんがん)は天蕩山で曹軍の兵糧を焼き払い、夏侯德を斬殺して、劉備(りゅうび)が漢中(かんちゅう)を奪取するために戦功を立てた(演義独自)。
人間関係
6 件の関係
名言
全 13 件の台詞 · 厳選 3 件
「汝等無義,侵我州郡!但有斷頭將軍!無降將軍!」
この一句は厳顔の死を恐れぬ不屈の気概を示し、その最も典型的な人物像を形づくっている。
「賊匹夫!要砍便砍,何怒也?」
この一句は死に直面した厳顔の落ち着きと意に介さぬ様を体現し、その硬骨漢の姿を代表するものである。
「敗軍之將,荷蒙厚恩,無以為報,願施犬馬之勞。不須張弓隻箭,逕取成都。」
この一句は降伏後の厳顔の忠誠を示し、劉備集団のために大きな功績を立てた、その転換の鍵である。
登場回5 回 ▸
- 史ch.36
- 演ch.63ch.64ch.65ch.70
関係の年表4 条 ▸
内面の独白 · AI 生成3 段 ▸
- 私は厳顔(げんがん)、巴郡(はぐん)の者である。昔、先主が蜀に入ったとき、軍が巴郡に至り、私は胸に手を当てて嘆いた。これこそ、山深くにただ一人座しながら、虎を放って自らを守るようなものだ、と。その後、張飛(ちょうひ)が流れをさかのぼって進軍
- 私は厳顔(げんがん)。巴郡(はぐん)を守っていたが、兵に敗れて捕らえられ、張飛(ちょうひ)の堂上に引き出されても、なお膝を屈しようとはしなかった。あの時、彼は怒って、なぜ降らぬのかと私に問いただした。私は、州郡を侵したのはそちらだ、首を斬ら
- 私は厳顔(げんがん)、字は不詳である。昔を振り返れば、当時の世にあっては礼法と名分を軽々しく捨てるべきではなかった。巴郡(はぐん)に身を置き、土地を守る責務を負う以上、城内の民を守るべきであり、その時々の風向きに応じてたちまち節を曲げるわけ
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