言語
劉

劉璋集団(りゅうしょうしゅうだん) · 益州牧

劉焉(りゅうえん)

字 君郎

登場回
7
台詞の記録
1
人間関係
10
内面の独白
1

史載(Historical Record)

劉焉(りゅうえん)、字は君郎。漢室宗親で、若年の頃に州郡で官を務めたが、後に司徒の祝恬の喪のために官を辞した。彼は陽城山に隠居し、学問に専心して生徒を教授し、かつて賢良方正に挙げられ、雒陽令・冀州(きしゅう)刺史・南陽(なんよう)太守・宗正・太常などの職を歴任した。

霊帝の末年、政治は腐敗し、王室は多事であった。劉焉は時局を洞察し、朝廷に建議した。「刺史・太守は多く賄賂によって官を得て、百姓を搾取し、人心の離反を招いている。清廉な重臣を選んで牧伯に任じ、天下を安定させるべきである」と。彼は内心、交阯牧となって乱世を避けることを望んでいた。しかし、侍中の董扶がひそかに劉焉に告げた。「京師にはまさに大乱があり、益州(えきしゅう)の分野には天子の気がある」と。劉焉はこの言葉を聞き、その目を益州へ転じた。

ちょうど益州刺史の郤倹が苛斂誅求を行い、民の怨みが沸き立ち、同時に並州と涼州(りょうしゅう)でも相次いで刺史が殺される事件が起こり、これにより劉焉の謀略が実行され得ることとなった。彼は監軍使者に任ぜられ、益州牧を兼領し、陽城侯に封ぜられ、益州へ赴いて郤倹を捕らえ罪に処するよう命ぜられた。董扶もまた蜀郡西部属国都尉となることを請い、太倉令の趙韙とともに劉焉に従って蜀に入った。

劉焉が益州に入主した後、その野心は日増しに膨らみ、ひそかに天子が乗るための車輿器物を千余乗も製造するに至った。荊州(けいしゅう)牧の劉表(りゅう ひょう)はこれによって朝廷に上奏し、劉焉に子夏が西河で聖人の言を疑ったような異心があると指弾した。当時、劉焉の長子劉範(りゅうはん)は左中郎将、次子劉誕は治書御史、末子の劉璋(りゅう しょう)は奉車都尉を務め、いずれも長安(ちょうあん)で献帝に侍していた。ただ末の子劉瑁(りゅうぼう)だけが劉焉に従って益州にいた。献帝はかつて劉璋を益州に遣わして劉焉を諭させたが、劉焉は劉璋を留めて帰さなかった。

後に、征西将軍の馬騰(ばとう)が郿県に屯兵して挙兵し反乱を起こすと、劉焉と劉範も馬騰とひそかに結託し、兵を引いて長安を襲撃しようと企てた。しかし、劉範の謀略が漏れ、彼は槐里へ逃れ、馬騰は敗れて涼州へ退いた。劉範はこのために殺され、劉誕もまもなく処刑された。議郎の龐羲(ほうぎ)は劉焉の一族と交わりが厚かったため、劉焉の孫たちを招いて蜀に入れた。

特筆すべきは、劉焉の旧友である呉壱(ごいつ)の妹、すなわち後の穆皇后が、その父が劉焉と旧交があったために、一家を挙げて劉焉に従って蜀に入ったことである。劉焉には異心があり、また善く相を見る者が穆皇后は将来大いに貴くなると言うのを聞いて、側に侍していた子の劉瑁のために彼女を娶らせた。劉瑁の死後、穆皇后は寡居した。劉備(りゅうび)が益州を平定した後、法正(ほうせい)の勧めによって穆皇后を夫人に納れた。

演中(In the Novel)

『三国(さんごく)演義』において、劉焉の形象は主にその益州入主前の謀略と入主後の割拠に集中している。小説は第一回で黄巾の乱の後、朝廷が詔を下し、各地の守臣に各々賢良方正を挙げて不時の用に備えさせたことに言及する。劉焉は宗室として、霊帝に刺史を牧に改め、重臣をもって地方を鎮守させ、世の乱を避けるよう建議した。これは史実において彼が提出した建議とほぼ一致するが、小説はその「世の難を避けつつなお益土に心を存す」性格をより強調している。小説において、劉焉の登場はより多く益州割拠の局面を引き出す背景人物としてのものであり、その益州内部における詳細な統治や朝廷との衝突の描写は比較的簡略で、史書の記載ほど詳しくはない。例えば、小説は彼が車輿器具を千余乗製造した細部を詳しく描いておらず、劉表が彼を弾劾する上奏をした具体的な筋立てにも言及していない。小説において、劉焉の子の劉璋が益州に留め置かれる筋立ては史実と一致するが、その子の劉範・劉誕が馬騰と通謀して殺された細部は小説では展開されておらず、より多く背景としての説明にとどまる。総じて、小説における劉焉の造形は、より多くその「ひそかに異計を図る」性格的特徴を中心として、彼を乱世における野心と先見の明を持つ宗室の代表とし、益州における具体的な施政を深く刻むものではない。

主要な関係

* 劉璋集団(founded):劉焉は朝廷に刺史を牧に改めるよう建議し、益州牧の職を勝ち取ることに成功し、こうして劉璋集団(りゅうしょうしゅうだん)の益州における統治の基業を切り開いた。
* 劉璋(parent_of):劉焉の末子で、かつて奉車都尉を務め、後に劉焉によって益州に留められ、劉焉の基業を継承した。
* 劉範(parent_of):劉焉の長子で、かつて左中郎将を務め、後に馬騰と通謀して長安を襲撃しようとし、事が敗れて殺された。
* 劉誕(parent_of):劉焉の次子で、かつて治書御史を務め、劉範の謀反が発覚したために処刑された。
* 董扶(謀士/共謀者):侍中の董扶は劉焉に益州に天子の気があると漏らし、劉焉の目標を益州へ転じさせ、劉焉とともに蜀に入った。
* 馬騰(盟友):劉焉とその子劉範はかつて馬騰と通謀し、長安を襲撃しようと企てた。
* 穆皇后(姻戚):劉焉は子の劉瑁のために呉壱の妹、すなわち後の穆皇后を娶らせた。

象徴的な場面

* 刺史を牧に改めるよう建議し、避世と割拠を意図す:劉焉は霊帝に刺史を牧に改める建議を提出した。表向きは天下を安定させるためであったが、実は内心、中原の乱世を避け、益州の天子の気運を狙っていた。この建議は最終的に彼の益州入主を促し、彼が一方に割拠する基礎を築いた。
* 益州に入主し、車輿器具を製造す:劉焉は益州への入主に成功した後、その野心が次第に露わとなり、ひそかに天子が乗るための車輿器物を千余乗も製造するに至った。この挙は劉表に上奏されて弾劾され、劉焉の異志を十分に体現している。
* 子嗣、政治闘争に巻き込まれ長安に身を死す:劉焉の二人の子、劉範と劉誕は馬騰と通謀し、長安を襲撃しようと試み、最終的に事が敗れて殺された。この出来事は劉焉一族の悲劇であるだけでなく、当時の複雑な政治闘争と劉焉と朝廷との間の緊張した関係を反映している。
* 子のために穆皇后を娶らせ、未来を予示す:劉焉は子の劉瑁のために呉壱の妹、すなわち後の穆皇后を娶らせた。劉瑁は早逝したが、穆皇后は最終的に劉備の皇后となり、この姻縁は図らずも劉焉一族を後の蜀漢(しょくかん)政権と結びつけ、側面から劉焉の「ひそかに異計を図る」深遠な考慮をも裏付けている。

肖像アーカイブ

人物像

性格
劉焉(りゅうえん)は陰謀と奇計をめぐらし、世の難を避けようとしながらも、心には益州(えきしゅう)の地を望んでいた。彼はかつて益州牧であり、また漢室の宗親でもあった。
生涯
劉焉(りゅうえん)は漢の魯恭王の後裔であり、江夏(こうか)竟陵の人である。若い頃は州郡に仕えていたが、後に師の喪により官を辞し、陽城山に居して学を積み教授した。雒陽令・冀州(きしゅう)刺史・南陽(なんよう)太守・宗正・太常を歴任し、後に牧伯を置くことを建議して、自ら監軍使者として出て益州牧を領し、陽城侯に封じられ、最期は興平元年に癰疽が背に発して卒した。
逸話
劉焉(りゅうえん)は呉壱(ごいつ)之父と旧交があり、呉氏が大いに貴くなるであろうと聞いて、子の瑁にこれを娶らせて妻とした。秦宓(しんふく)はかつて儒士の任定祖を彼に推薦した。彼はかつて張魯(ちょうろ)を督義司馬とした。

人間関係

10 件の関係

台詞

  • 史 ch.31 §4

    「刺史、太守,貨賂為官,割剝百姓,以致離叛。可選清名重臣以為牧伯,鎮安方夏。」

登場回7 回 ▸
  • 史ch.8ch.31ch.34ch.38ch.42
  • 演ch.59ch.77
関係の年表6 条 ▸

史 ch.31

史 ch.34

演 ch.59

内面の独白 · AI 生成1 段 ▸
  • 私は若くして州郡に仕え、宗室の出であることから中郎に任じられた。その後、師である祝公(しゅくこう)の喪に服すため官を辞し、陽城山(ようじょうざん)に住んで学問を深め、弟子たちに教えた。賢良方正に推挙されると、司徒府に入り、雒陽令、冀州(きし
生涯の大事3 ▸