言語
全

曹魏(そうぎ) · 平东将军

全懌(ぜんえき)

登場回
5
台詞の記録
0
人間関係
4
内面の独白
1

史書の記載(Historical Record)

全懌(ぜんえき)は、字は伝わらず、三国(さんごく)時代の東呉の将・全琮(ぜんそう)の子である c:160。全琮が存命の時、その親重な地位ゆえに、全氏一族の子弟は多く恩寵を蒙り、全懌もその子として、自然に一定の地位を享受した。全琮の死後、全懌はその爵位と兵権を継いだ c:160。

甘露元年(256年)の冬、曹魏(そうぎ)の大将・諸葛誕(しょかつたん)は司馬氏(しばし)の権勢を畏れ、寿春(じゅしゅん)で兵を起こして反逆した c:159。諸葛誕は自身の力が足りないことをよく知っていたため、長史の吳綱にその子・諸葛靚(しょかつせい)を伴わせて東呉へ援を求めに遣わした c:159。東呉はこれを大いに喜び、ただちに将の全懌、全端(ぜんたん)、唐咨(とうし)、王祚らを遣わし、三万の兵を率いて、ひそかに文欽(ぶんきん)とともに寿春へ赴いて諸葛誕を支援させた c:159。全懌らは城の東北方向から、山勢の険要な地を利用して、首尾よく寿春城内に突入した c:159。

しかし、寿春の囲みは順風満帆ではなかった。その後の戦いの中で、全懌およびその甥・全禕(ぜんい)、全儀、全静らは、最終的に曹魏への降伏を選んだ c:160。全懌は降伏後、曹魏によって平東将軍に任じられ、臨湘侯に封じられた。その甥・全禕、全儀、全静らもこれに従って魏に降り、曹魏で郡守などの官職に就き、列侯に封じられた c:160。全氏一族はかつて東呉で隆盛を極め、孫亮(そん りょう)の全皇后は全懌の従姉妹であり、全氏一族は呉興郡においてその地位に並ぶ者がなく、侯爵が五人おり、兵馬を掌握し、その他の一族も多く朝廷で官職に就いていた c:4538。しかし、諸葛誕の叛乱および全懌らの魏への降伏に伴って、全氏一族の東呉における勢力は衰え始めた c:4538。

演義の記述(In the Novel)

『三国演義』では、全懌の人物像は史実とおおむね一致するが、筋立てに補足と脚色がある。全懌は小説では第百八回に初めて登場するが、主な出番は第百十一回と第百十二回に集中している c:4540。

小説では、諸葛誕が寿春で反逆した後、吳綱を遣わして東呉へ援を求めた。この時、東呉の丞相・孫峻(そん しゅん)はすでに病没しており、その従弟・孫綝が政を輔けていた。吳綱は孫綝に諸葛誕が魏に反する理由を陳べ、諸葛靚を人質として、東呉が兵を発して助けるよう請うた c:4540。孫綝はこれを応諾し、大将の全懌、全端を主将、于詮を合後、朱異(しゅい)、唐咨を先鋒、文欽を郷導として、七万の大軍を率い、三隊に分けて寿春へ赴かせた c:4540。これは史実における全懌が命を受けて諸葛誕を支援した筋立てと一致するが、具体的な兵力と将の配置は異なっており、小説では全懌と全端を主将に引き上げ、于詮、朱異などの役柄を加えている。

寿春が囲まれている間、小説は全懌が魏に降る具体的な過程を描いている。鍾会(しょうかい)は司馬昭(しばしょう)に、孫綝はすでに退兵し、寿春城外に援はないので、全力で城を攻めるよう進言した。この時、全懌の甥・全禕は城中で魏兵の勢いが大きく、進退きわまったのを見て、司馬昭への降伏を選んだ。司馬昭は全禕を重用し、彼に父・全端と叔父・全懌へ書を送って降伏を勧めさせ、その書では孫綝の不仁を責めた c:4541。全懌と全端は全禕の書を受け取ると、数千人を率いて城を開いて降った c:4541。この筋立ては史書ではただ「城を出て先に降った」と一筆で済まされているが、小説は全禕の勧降を通じて、全懌の降伏に劇的さを加えている。

主要な関係

* 諸葛誕:全懌は孫呉(そんご)の命を受け、軍を率いて寿春へ赴き諸葛誕の叛乱を支援したが、戦局が不利になると、最終的に諸葛誕を裏切って曹魏に降った c:159。
* 曹魏:全懌は寿春の囲みの中で、孫呉陣営から曹魏へ降り、それによって平東将軍の官職と臨湘侯の爵位を得た c:160。
* 全琮:全懌は東呉の名将・全琮の子で、全琮の爵位と兵権を継いだ c:160。
* 孫呉:全懌は最初、孫呉に仕え、東呉の重要な将であり、命を受けて諸葛誕を支援したが、寿春の戦いで孫呉を裏切った c:159。
* 全禕、全儀、全静:全懌の甥で、彼らは全懌とともに曹魏に降り、曹魏で官職に就いた c:160。演義では、全禕はさらに全懌を勧降する鍵となる人物として登場する c:4541(演義独自)。
* 孫綝:演義では、孫綝は全懌らを遣わして諸葛誕を支援させた東呉の執政者であり、全禕が全懌を勧降する際にも、孫綝の「不仁」が言及されている c:4541(演義独自)。

象徴的な場面

* 寿春の援軍:全懌は孫呉の派遣を受け、三万の大軍(演義では七万)を率いて文欽らとともに寿春城に突入し、諸葛誕の叛乱を支援した c:159。これは全懌が史料にも演義にも明確に記載された重要な軍事行動である。
* 城中で魏に降る:寿春が囲まれている間、全懌は全端、全禕ら一族とともに、最終的に城門を開いて曹魏に降ることを選んだ。全懌はこれによって平東将軍・臨湘侯に封じられた c:160。
* 全禕の勧降:『三国演義』では、全懌の甥・全禕が城中で率先して司馬昭に降り、命を受けて家書を書いて全懌と全端に降伏を勧め、最終的に全懌らの降伏を促した c:4541(演義独自)。この場面は、小説が全懌の降伏過程を具体化した描写であり、人物の行動により豊かな動機を与えている。

人間関係

4 件の関係

登場回5 回 ▸
  • 史ch.28ch.50ch.60
  • 演ch.111ch.112
関係の年表1 条 ▸

史 ch.60

内面の独白 · AI 生成1 段 ▸
  • 私は全懌(ぜんえき)。江東の全氏の出である。父祖は家業を受け継ぎ、宗族の子弟の多くは恩遇を受けた。先人の全琮(ぜんそう)は朝廷から深く信任され、宗族もまたそのおかげで顕達した。それでも史書には、全琮は「謙虚に士を迎え、顔に驕りの色を見せなか
生涯の大事4 ▸