言語
全

曹魏(そうぎ) · 偏将军

全禕(ぜんい)

登場回
2
台詞の記録
0
人間関係
2
内面の独白
1

史書の記載(Historical Record)

全禕(ぜんい)は、その一族が呉国で顕赫たる地位を享受していた。彼の大叔母、すなわち孫権(そん けん)の公主は、全禕の叔母にあたる全夫人(孫亮(そん りょう)の皇后)を寵愛した。全夫人は全尚(ぜんしょう)の娘で、公主の引き合わせによって、孫亮に嫁ぎ最終的に皇后となることができた。全尚はそのため城門校尉に任じられ、都亭侯に封じられ、後に滕胤(とういん)に代わって太常・衛将軍となり、永平侯に進封されて、録尚書事となった。当時、全氏一族のうち五人が侯爵に封じられ、兵権を掌握していた。このほか、多くの全氏子弟が侍郎、騎都尉を務め、宮禁の宿衛を担っていた。呉興郡出身の全氏一族は、その外戚としての顕赫ぶりに並ぶ者がいなかった。しかし、全氏一族の運命は、魏国の大将・諸葛誕(しょかつたん)が寿春(じゅしゅん)で兵を起こして反逆し呉国に帰附した後に転機を迎えた。この間、全禕は全懌(ぜんえき)、全端(ぜんたん)、全儀らとともに、この機に乗じて集団で魏国に降った。全熙は謀議が漏れたために殺され、全氏一族はここから衰え始めた。後に、孫綝が孫亮を廃して会稽(かいけい)王とし、全夫人もこれに伴って候官へ移された。全尚は家属を連れて零陵(れいりょう)へ移されたが、最終的に追捕されて処刑された。

演義の記述(In the Novel)

『三国(さんごく)演義』の叙述では、全禕の人物像により多くの劇的さが与えられている。彼は諸葛誕の叛乱に直接加わったのではなく、魏軍が寿春城を囲んだ際、呉軍の一員として兵を率いて寿春城に入った。しかし、彼は魏軍の声勢が大きく、進退きわまったのを目の当たりにすると、司馬昭(しばしょう)への降伏を選んだ。司馬昭はその帰順に感じ入り、全禕を偏将軍に加封した。全禕は司馬昭の恩に感じ入り、一通の書をしたためて、その父・全端と叔父・全懌に魏国への降伏を勧めた。彼は家書の中で孫綝の不仁を指摘し、魏国に降るに如かずと進言した。この家書は城中へ射込まれ、全懌は書を受け取ると、全端とともに数千人を率いて城を開いて降った。この挙によって、城中の諸葛誕は憂悶に陥った。その謀士・蔣班、焦彝(しょうい)はかつて城を出て決戦するよう進言したが、諸葛誕に怒って叱責され斬殺すると脅された。最終的に、蔣班、焦彝の二人は夜間に城を越えて魏に降り、寿春城内の抵抗力をさらに弱めた。演義における全禕のこの行動は、全氏一族の成員を魏国へ降伏させ、諸葛誕の敗北を加速させる鍵となる一環となっており、史実における全禕が全懌、全端らとともに魏に降ったという記載とは異なり、勧降の過程における彼個人の主導性と影響力をより強調している。

主要な関係

* 曹魏(defected_to):全禕は最終的に曹魏政権に降り、演義では勧降の功によって司馬昭の重用を受けた。
* 全懌(kin_of):全禕の叔父で、史実では全禕とともに魏に降った。演義では、全禕が家書をしたためて全懌に降伏を勧め、その曹魏への帰順を促した(演義独自)。
* 全端(kin_of):全禕の父で、史実では全禕とともに魏に降った。演義では、全禕が家書をしたためて全端に降伏を勧め、その曹魏への帰順を促した(演義独自)。
* 司馬昭:演義では、全禕は降伏後、司馬昭の恩遇を受け、偏将軍に加封された(演義独自)。
* 孫綝:演義では、全禕は家書の中で孫綝の不仁を責め、これを父・叔父への勧降の理由とした(演義独自)。

象徴的な場面

* 魏国への降伏:全禕は諸葛誕の寿春の乱の間、全懌、全端らとともに魏国に降った。これは史実に記載された全氏一族の衰退の重要な転機である。
* 家書をしたためて父・叔父に魏への降伏を勧める:『三国演義』では、全禕は司馬昭の恩に感じ入り、家書をしたためて寿春城中へ射込み、その父・全端と叔父・全懌に魏国への降伏を勧めた。この家書は直接、全端と全懌の帰順を促し、寿春の戦局に重要な影響を与えた(演義独自)。
* 司馬昭に偏将軍を加封される:全禕は魏国に降った後、その勧降の功によって、司馬昭に偏将軍を加封され、魏国陣営における彼の地位の上昇を体現した(演義独自)。

人間関係

2 件の関係

登場回2 回 ▸
  • 史ch.50
  • 演ch.112
関係の年表1 条 ▸

演 ch.112

内面の独白 · AI 生成1 段 ▸
  • 私の名は全禕(ぜんい)、全氏(ぜんし)の家に生まれた。昔、呉の地では、全氏は親族が貴顕の地位にあったため栄えた。家には列侯となった者もいれば、兵馬を統率する者もおり、宮中で宿衛に当たる者もいた。家門が栄えていた頃、目にするのは車馬や冠帯ばか
生涯の大事1 ▸