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高祚

高祚の肖像
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高祚(こうそ)は曹操(そうそう)配下の将として、夜襲で張魯(ちょうろ)軍を破った。

正史 『三国志』2巻に登場 · 『演義』に登場せず

出典

原典に高祚が登場する箇所

  • 正史 · 巻 1『三国志』

    …公乃密遣解𢢼、高祚等乘險夜襲,大破之,斬其將楊任,進攻衞,衞等夜遁,魯潰奔巴中。…
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    三月,公西征張魯,至陳倉,將自武都入氐;氐人塞道,先遣張郃、朱靈等攻破之。夏四月,公自陳倉以出散關,至河池。氐王竇茂衆萬餘人,恃險不服,五月,公攻屠之。西平、金城諸將麴演、蔣石等共斬送韓遂首。〈《典略》曰:遂字文約,始與同郡邊章俱著名西州。章爲督軍從事。遂奉計詣京師,何進宿聞其名,特與相見,遂說進使誅諸閹人,進不從,乃求歸。會涼州宋揚、北宮玉等反,舉章、遂爲主,章尋病卒,遂爲揚等所劫,不得已,遂阻兵爲亂,積三十二年,至是乃死,年七十餘矣。劉艾《靈帝紀》曰:章,一名元。〉秋七月,公至陽平。張魯使弟衞與將楊昂等據陽平關,橫山築城十餘里,攻之不能拔,乃引軍還。賊見大軍退,其守備解散。公乃密遣解𢢼、高祚等乘險夜襲,大破之,斬其將楊任,進攻衞,衞等夜遁,魯潰奔巴中。公軍入南鄭,盡得魯府庫珍寶。〈《魏書》曰:軍自武都山行千里,升降險阻,軍人勞苦;公於是大饗,莫不忘其勞。〉巴、漢皆降。復漢寧郡爲漢中;分漢中之安陽、西城爲西城郡,置太守;分錫、上庸郡,置都尉。

  • 正史 · 巻 8『三国志』

    …夜,高祚等誤與衛眾遇,祚等多鳴鼓角會眾。衛懼,以為大軍見掩,遂降。…
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    武皇帝始征張魯,以十萬之眾,身親臨履,指授方略,因就民麥以為軍糧。張衛之守,蓋不足言。地險守易,雖有精兵虎將,勢不能施。對兵三日,欲抽軍還,言『作軍三十年,一朝持與人,如何』。此計已定,天祚大魏,魯守自壞,因以定之。《世語》曰:魯遣五官掾降,弟衛橫山築陽平城以拒,王師不得進。魯走巴中。軍糧盡,太祖將還。西曹掾東郡郭諶曰:「不可。魯已降,留使既未反,衛雖不同,偏攜可攻。縣軍深入,以進必克,退必不免。」太祖疑之。夜有野麋數千突壞衛營,軍大驚。夜,高祚等誤與衛眾遇,祚等多鳴鼓角會眾。衛懼,以為大軍見掩,遂降。〉

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ほか 3 件

高祚は曹操(そうそう)配下の将領で、『三国志(さんごくし)』巻一に見える人物である。『演義』には登場しない。

事績

建安二十年、曹操(そうそう)が張魯(ちょうろ)を攻めた際、張魯(ちょうろ)の軍は陽平関(ようへいかん)に拠っていた。曹軍が退いた後、曹操(そうそう)は密かに高祚と解𢢼を遣わし、険しい地勢を利用して夜襲をかけさせた。守備軍を大いに破り、その将の楊任(ようじん)を斬り、張魯(ちょうろ)の軍は敗走して巴中へ退いた。(史書の記載)

関係

  • 曹操(そうそう)配下の将領
  • 解𢢼とともに夜襲をかけ、陽平関の守備軍を攻撃した

人間関係

2 件の関係

高祚 の人物関係図曹操張衛高祚
  • 君臣
  • 敵対
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戦績

戦場の記録

原文に記された一騎討ち・討ち取り・処刑を、史書と演義に分けて数えます。

曹操

続けて読む

曹操

主君

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正史 · 巻 1

  • 曹操§98

    主君

    曹操が陽平への夜襲に派遣した

  • 張衛§98

    敵対

    夜襲して陽平で張衛の軍を破った