言語

解𢢼

解𢢼の肖像
他の人物と同じ場面に →

解𢢼(かいき)は曹操(そうそう)配下の将で、建安20年、漢中(かんちゅう)で張魯(ちょうろ)の守備軍に夜襲をかけて名を知られた。

正史 『三国志』巻1 · 『演義』に登場せず

出典

原典に解𢢼が登場する箇所

  • 正史 · 巻 1『三国志』

    …公乃密遣解𢢼、高祚等乘險夜襲,大破之,斬其將楊任,進攻衞,衞等夜遁,魯潰奔巴中。…
    段落全文を読む

    三月,公西征張魯,至陳倉,將自武都入氐;氐人塞道,先遣張郃、朱靈等攻破之。夏四月,公自陳倉以出散關,至河池。氐王竇茂衆萬餘人,恃險不服,五月,公攻屠之。西平、金城諸將麴演、蔣石等共斬送韓遂首。〈《典略》曰:遂字文約,始與同郡邊章俱著名西州。章爲督軍從事。遂奉計詣京師,何進宿聞其名,特與相見,遂說進使誅諸閹人,進不從,乃求歸。會涼州宋揚、北宮玉等反,舉章、遂爲主,章尋病卒,遂爲揚等所劫,不得已,遂阻兵爲亂,積三十二年,至是乃死,年七十餘矣。劉艾《靈帝紀》曰:章,一名元。〉秋七月,公至陽平。張魯使弟衞與將楊昂等據陽平關,橫山築城十餘里,攻之不能拔,乃引軍還。賊見大軍退,其守備解散。公乃密遣解𢢼、高祚等乘險夜襲,大破之,斬其將楊任,進攻衞,衞等夜遁,魯潰奔巴中。公軍入南鄭,盡得魯府庫珍寶。〈《魏書》曰:軍自武都山行千里,升降險阻,軍人勞苦;公於是大饗,莫不忘其勞。〉巴、漢皆降。復漢寧郡爲漢中;分漢中之安陽、西城爲西城郡,置太守;分錫、上庸郡,置都尉。

ランキング

各ランキングでの順位。

ほか 3 件

解𢢼は曹操(そうそう)配下の将領であり、建安二十年の漢中(かんちゅう)の戦いに記録が見える。『三国志演義』には登場しない。

事績

  • 曹操(そうそう)が陽平関(ようへいかん)を攻めて阻まれた後、解𢢼は高祚とともに、険しい地形を利用した夜襲を命じられ、張魯(ちょうろ)の守備軍を大破した。史書によれば、この戦いで守将の楊任(ようじん)を討ち取り、張魯(ちょうろ)の軍はその後、潰走した。(史書による記述)

関係

  • 曹操(そうそう)に仕え、その将領を務めた。

人間関係

3 件の関係

解𢢼 の人物関係図曹操張衛楊任解𢢼
  • 君臣
  • 敵対
扇形は関係の種類ごとの区分。内側の環は最も関わりの深い 3 人。ノードにホバーまたはフォーカスすると詳細を表示

全 3 人を表示

戦績

戦場の記録

原文に記された一騎討ち・討ち取り・処刑を、史書と演義に分けて数えます。

曹操

続けて読む

曹操

主君

曹操へ →
関係の年表3 件 ▸

正史 · 巻 1

  • 曹操§98

    主君

    曹操の部将

  • 楊任§98

    敵対

    夜襲して陽平で楊任を斬った

  • 張衛§98

    敵対

    張衛を攻め、張衛は夜に逃走した