言語

共都

共都の肖像
他の人物と同じ場面に →

共都は汝南の賊で、劉備に呼応して蔡揚を破り、のち軍勢とともに散り散りになった。

正史 『三国志』巻1 · 『演義』に登場せず

出典

原典に共都が登場する箇所

  • 正史 · 巻 1『三国志』

    …紹之未破也,使劉備略汝南,汝南賊共都等應之。遣蔡揚擊都,不利,爲都所破。…
    段落全文を読む

    六年夏四月,揚兵河上,擊紹倉亭軍,破之。紹歸,復收散卒,攻定諸叛郡縣。九月,公還許。紹之未破也,使劉備略汝南,汝南賊共都等應之。遣蔡揚擊都,不利,爲都所破。公南征備。備聞公自行,走奔劉表,都等皆散。

ランキング

各ランキングでの順位。

ほか 3 件

共都(きょうと)は汝南の賊で、史料には劉備(りゅうび)に呼応したと記されているが、『演義』ではこの人物について描かれていない。

事績

建安六年、劉備(りゅうび)が軍を率いて汝南を攻略すると、共都(きょうと)らが呼応した。曹操(そうそう)は蔡揚(さいよう)を派遣して共都(きょうと)を攻めさせたが、蔡揚(さいよう)は戦いで不利となり、共都(きょうと)に敗れた(史書に記載)。
曹操(そうそう)が南征して劉備(りゅうび)を攻めた後、劉備(りゅうび)は劉表(りゅう ひょう)のもとへ逃れ、共都(きょうと)らはすぐに散り散りになった(史書に記載)。

関係

  • 劉備(りゅうび)に呼応した。

人間関係

3 件の関係

共都 の人物関係図劉備曹操蔡陽共都
  • 君臣
  • 敵対
扇形は関係の種類ごとの区分。内側の環は最も関わりの深い 3 人。ノードにホバーまたはフォーカスすると詳細を表示

全 3 人を表示

劉備

続けて読む

劉備

主君

劉備へ →
関係の年表3 件 ▸

正史 · 巻 1

  • 劉備§53

    主君

    劉備に呼応して汝南を攻略した

  • 蔡陽§53

    敵対

    曹操が派遣した蔡揚を撃破した

  • 曹操§53

    敵対

    曹操が南征すると、共都らは潰走した