言語
張

曹魏(そうぎ) · 助顺侯水军副都督

張允(ちょういん)

登場回
3
台詞の記録
0
人間関係
4
内面の独白
1

史実(Historical Record)

張允(ちょういん)に関する史料の記載は極めて乏しく、『三国志(さんごくし)』などの正史には、独立した伝として立てられるほどの分量はほとんどない。その生涯の事績は、多くが蔡瑁(さいぼう)と並称されるか、他者の伝記の中で偶々言及される程度である。そのため、張允の歴史上の実像はぼんやりとして不明瞭であり、詳細な個人的経歴や功績の記述を欠いている。史書には、その具体的な官職、戦功、あるいは個人的な品性が明確には記されておらず、わずかに荊州(けいしゅう)の劉表(りゅう ひょう)の旧将であったという身分や、後に曹操(そうそう)に帰順した経緯を側面から推し量ることができるにすぎない。史伝資料の乏しさゆえに、われわれは張允の荊州時代の具体的な行動を知ることはできず、また曹操陣営における最終的な結末や影響を考証する術もない。これにより、張允は歴史の大河の中で、独立して顕著な影響力を持つ歴史的人物としてではなく、むしろ蔡瑁に従属する形象として現れることが多い。

演義(In the Novel)

『三国演義』において、張允の形象はより具体的な輪郭と役割の位置づけを与えられており、とりわけ荊州の帰属と赤壁の戦い(せきへきのたたかい)前夜においてそうである。彼は蔡瑁とともに劉表の外戚かつ腹心として、荊州の軍事の大権、とりわけ水軍を掌握していた。劉表が重病に陥った際、張允は蔡瑁とともに劉琦(りゅうき)が父を見舞うのを阻み、蔡夫人の地位を固め、劉琮(りゅうそう)の継承に道筋をつけようとした c:1627。劉備(りゅうび)が城下に迫った際、張允と蔡瑁はさらに直接城楼の上から弓を射るよう指揮し、劉備の入城を阻もうとした。この挙は魏延(ぎえん)を激怒させ、魏延は彼らを「売国の賊」とまで罵った c:1628。

劉琮の降伏(りゅうそうのこうふく)の後、張允と蔡瑁は速やかに曹操に身を寄せ、積極的に媚びへつらった。彼らは曹操に荊州の兵馬・銭糧の状況、とりわけ水軍の規模とそれを二人が掌管している事実を詳しく報告した c:1629。曹操は彼らの水戦に習熟した強みを利用するため、蔡瑁を鎮南侯・水軍大都督に、張允を助順侯・水軍副都督に封じた c:5271。しかし、曹操が彼らを重用したのは本心からではなく、便宜上の計略によるものであり、彼が密かに荀攸(じゅん ゆう)に語ったとおり、事が成った後には別の腹積もりがあった c:5271。

赤壁の戦い前夜、張允と蔡瑁は曹操水軍の実際の指揮者として、かつて東呉の水軍と矛を交えた。三江口の一戦において、張允と蔡瑁が率いる曹軍の水師は甘寧(かんねい)、蔣欽(しょうきん)、韓当(かんとう)ら東呉の将の猛攻に遭い、曹軍は水戦に習熟していなかったために大敗した c:5272。演義における張允の最終的な結末は、蔡瑁とともに周瑜(しゅうゆ)の計略にかかり、曹操の手を借りて斬殺されることであり、これによって曹操水軍の有力な将を取り除き、赤壁の戦いの勝利の基礎を築くものとなった。この筋立ては史書には記載がなく、『三国演義』が劇的な葛藤と人物の運命を強めるために行った芸術的加工である。

主要な関係

* 蔡瑁(friend_of):張允は演義においても史料においても蔡瑁と緊密に結びついており、二人はしばしば並称されて現れ、共に荊州の軍政、とりわけ水軍を掌管した。彼らは親密な盟友かつ同僚であり、進退を共にした。とりわけ劉表の死後、劉琦を阻み、曹操に帰順するといった一連の出来事にそれが表れている。(演義のみ)
* 劉備(enemy_of):『三国演義』において、張允は蔡瑁とともに劉備が荊州に入るのを阻み、これを攻撃した。荊州時代における劉備の主要な敵対勢力の一つである c:1628。(演義のみ)
* 曹操(serves):劉琮の降伏の後、張允は蔡瑁とともに曹操に帰順し、曹操によって水軍の将に任じられ、曹操の水師の訓練と指揮を担った c:5271。曹操は彼らが荊州水軍に通じている強みを利用したが、その忠誠と能力には疑念を抱いていた。(演義のみ)
* 曹魏(defected_to):張允は劉琮とともに曹操に帰降し、これにより曹魏(そうぎ)陣営に加わり、曹操の麾下の一員となった。この帰降の行為は、演義では比較的積極的かつ媚びへつらうものとして描かれている c:1629。(演義のみ)

象徴的な場面

* 劉琦の見舞いを阻む:劉表が重病の際、張允は蔡瑁とともに外門を守り、劉琦が入って父を見舞うのを阻んで、蔡夫人の利益と劉琮の継承権を守った c:1627。この場面は、張允の蔡夫人への忠誠と、荊州内部の政治闘争における立場を示している。(演義のみ)
* 曹操への投降と媚び:劉琮の降伏の後、張允は蔡瑁とともに曹操に拝謁し、荊州の軍力を詳しく報告し、極度の媚びへつらいを示した。曹操はこれにより彼らを水軍都督に任じ、その水戦の経験を利用しようとした c:1629, c:5271。この場面は、張允の投機的な本性と、曹操による利用と警戒とを明らかにしている。(演義のみ)
* 三江口の水戦での敗北:赤壁の戦い前夜の三江口の水戦において、張允と蔡瑁が率いる曹軍の水師は東呉の甘寧らの猛攻に遭い、曹軍が水戦に習熟していなかったために大敗した c:5272。この戦いは曹軍水師の弱点を露わにし、また周瑜のその後の火攻の計策の伏線ともなった。(演義のみ)

人間関係

4 件の関係

登場回3 回 ▸
  • 演ch.40ch.41ch.45
関係の年表3 条 ▸

演 ch.40

演 ch.41

内面の独白 · AI 生成1 段 ▸
  • 私は張允(ちょういん)、字は詳らかでない。先ほど曹公(そうこう)から水軍副都督に任じられ、蔡瑁(さいぼう)とともに拝謝して退出した。そのとき、心には喜びの色が浮かんでいた。劉景升(りゅうけいしょう)はすでに亡くなり、その子の劉琮(りゅうそう