言語
呉

劉備集団(りゅうびしゅうだん) · 将軍

呉班(ごはん)

登場回
4
台詞の記録
2
人間関係
1
内面の独白
1

史書の記載(Historical Record)

呉班(ごはん)、字は元雄。大将軍何進(かしん)の官属であった吳匡の子であり、同時に呉壱(ごいつ)の族弟でもある。彼は豪侠をもって知られ、その官位はしばしば呉壱と相近かった。先主劉備(りゅうび)の時代、呉班はかつて領軍の職を務めた。章武元年(西暦221年)七月、劉備は関羽(かんう)が孫権(そん けん)に襲殺されたことに激怒し、諸軍を率いて東のかた孫呉(そんご)を伐った。孫権は書を遣わして和を請うたが、劉備は激怒のあまり応じなかった。このとき、呉将の陸議・李異・劉阿らの部隊は巫県と秭帰に屯していた。呉班は馮習(ふうしゅう)とともに二将として命を受け、巫県より出発し、李異らの防衛線を見事に突破し、続いて秭帰へと進軍した。この軍事行動において、武陵(ぶりょう)五溪の蛮夷もまた使者を遣わして出兵の助けを請い、呉班が劉備の呉伐初期に得た軍事的進展と影響力を示した。

劉備の崩御後、後主劉禅(りゅう ぜん)の執政期において、呉班の官職は次第に昇進し、最終的には驃騎将軍という顕赫たる地位に達し、仮節の権を授けられ、綿竹(めんちく)侯に封ぜられた。史料における呉班の記載は多くないものの、劉備の呉伐初期における軍事的働き、および蜀漢(しょくかん)後期における官職の昇進は、いずれも彼が蜀漢政権に重んじられた重要な将であったことを示している。

演義の記述(In the Novel)

『三国(さんごく)演義』においては、呉班の人物像はより多くの細部と知略を付与されている。彼が初めて登場するのは、張飛(ちょうひ)が部将の范彊(はん きょう)・張達に害された後である。当時、呉班は荊州(けいしゅう)より先主劉備に拝謁に訪れ、劉備に牙門将に任じられ、張飛を補佐して閬中(ろうちゅう)を鎮守するよう派遣された。張飛の暗殺(ちょうひのあんさつ)後、まさに呉班が率先して天子に表章を奉り、続いて張飛の長子張苞(ちょうほう)に棺槨を先主のもとへ運ばせ、張飛の弟張紹(ちょうしょう)に引き続き閬中を鎮守させた。このとき、先主劉備はすでに呉を伐つべく出師することを決しており、孔明ら諸臣は十里を送って戻り、孔明は法孝直がなお在れば必ずや主上の東行を止めえたであろうと嘆じた。これは間接的に劉備の呉伐の決意と、将としての呉班の職責を引き立てている。

劉備の呉伐の戦役において、呉班はその慎重で思慮深い性格と卓越した軍事的謀略を発揮した。蜀将の張南(ちょうなん)・馮習が呉兵の敗勢に乗じて寨を劫すよう進言したとき、呉班は異なる見解を提出した。彼は、孫桓(そん かん)の陸軍は重い打撃を受けたものの、朱然(しゅぜん)の水軍はなお無傷で江上に駐屯していると指摘した。彼は、軽率に寨を劫せば朱然の水軍が上陸して蜀軍の帰路を断つかもしれないことを憂慮した。張南は続いて、関興(かんこう)・張苞にそれぞれ五千の兵を率いて山谷に伏兵させ、朱然が救援に来たときに挟撃すればよいと提案した。しかし呉班はさらに精妙な計を出した。まず小卒を遣わして偽りの降を装わせ、寨を劫す計画を朱然に告げる。朱然は火が起こるのを見れば必ず救援に来るので、そのとき伏兵を出撃させれば大勝できる、というのである。馮習らはこれを聞いて大いに喜び、計に従って行動した。この場面は呉班の知略と戦局に対する的確な判断を十分に示しており、史料における「豪侠」という描写を一定程度補完・延伸し、その人物像をより豊かなものにしている。

主要な関係

* 劉備集団(りゅうびしゅうだん)/蜀漢:呉班は劉備集団と蜀漢政権の重要な将である。劉備の時代には領軍を務め、呉伐の戦役においても鍵となる役割を果たした。後主劉禅の時代には、さらに驃騎将軍にまで昇り、綿竹侯に封ぜられた。
* 劉備:呉班は直接劉備に仕え、その夷陵の戦い(いりょうのたたかい)における重要な軍事指揮官の一人であった。演義においては、張飛の暗殺後に劉備に報告し、善後策を処理した鍵となる人物でもある。
* 呉壱:呉班は呉壱の族弟であり、史料はその官位がしばしば呉壱と相近かったと記す。
* 張飛:演義においては、呉班はかつて劉備に張飛を補佐して閬中を鎮守するよう派遣され、張飛の部将であった(演義独自)。
* 朱然:演義においては、呉班は朱然の水軍に対して偽りの降によって敵を誘う計を立て、朱然軍に対する戦略的な配慮を示した(演義独自)。

象徴的な場面

* 李異らの部隊を破り、秭帰へ進軍:章武元年、劉備が東のかた呉を伐った際、呉班は馮習とともに巫県より出発し、呉将李異らの防衛線を見事に突破し、軍を秭帰まで推し進め、劉備の東征に局面を開いた。これは呉班が史料において明確に記載された軍事的功績であり、将としての指揮能力を示すものである。
* 偽りの降によって朱然を営から誘い出し伏兵を設ける:『三国演義』において、孫桓が敗退し朱然の水軍がなお健在という局面に直面し、呉班はその慎重で思慮深い性格を発揮した。彼は朱然の水軍が蜀軍の帰路を断ちうる危険を予見しただけでなく、「偽りの降兵を装い、寨を劫す事をかえって朱然に告げる。朱然は火が起こるのを見れば必ず救援に来るので、そこで伏兵にこれを撃たせる」という精妙な計を提出し、ついに敵を誘い出して伏兵を設け勝利を収めた。この場面は呉班の知略と軍事戦略を十分に体現し、演義における彼の象徴的な見せ場となっている(演義独自)。
* 張飛暗殺後の善後策の処理:『三国演義』において、張飛が部将に害された後、呉班はその部将として率先して天子に表章を奉り、張苞に棺槨を運ばせ、緊急時における冷静な対応と職責への忠誠を示した(演義独自)。

人間関係

1 件の関係

台詞

  • 演 ch.82 §11→ 張南(ちょうなん)

    「孫桓雖然折了許多將士,朱然水軍,見今結營江上,未曾損折。今日若去劫寨,倘水軍上岸,斷我歸路,如之奈何?」

  • 演 ch.82 §11→ 張南(ちょうなん)

    「不如先使小卒,詐作降兵,卻將劫寨事告知朱然;然見火起,必來救應,卻令伏兵擊之,則大事濟矣。」

登場回4 回 ▸
  • 史ch.32ch.45
  • 演ch.81ch.82
関係の年表1 条 ▸

演 ch.81

内面の独白 · AI 生成1 段 ▸
  • 私、呉班(ごはん)、字は元雄(げんゆう)という。先主が兵を起こして東へ向かった際、私は領軍として従軍し、大軍に随って巫の地から進軍した。戦いが目前に迫ると、考えるのは名声ではなく、各陣営の進退が互いに呼応できるか、将兵が無用な損害を少しでも