言語
吳

劉備集団(りゅうびしゅうだん) · 将軍

吳蘭

登場回
6
台詞の記録
1
人間関係
4
内面の独白
1

史載(Historical Record)

吳蘭は、正史の記録において蜀漢(しょくかん)の将である。『三国志(さんごくし)・先主伝』によれば、建安二十三年(西暦218年)、劉備(りゅうび)は自ら諸将を率いて漢中(かんちゅう)へ進軍し、曹操(そうそう)の軍と激しい争奪戦を繰り広げた。この戦役において、劉備は将軍の吳蘭、雷銅(らいどう)らを分遣して武都(ぶと)郡へ進入させた。しかし不幸にも、吳蘭と雷銅が率いた部隊は最終的にいずれも曹操の軍に撃破され、捕らえられた。吳蘭の武都における具体的な戦闘の詳細、兵力の配置、最終的に捕虜となった経緯について、史料にはそれ以上の詳しい記載はない。その生涯の事績は、この漢中の戦い(かんちゅうのたたかい)における短い登場を除けば、史書には他に記録がない。彼は劉備集団(りゅうびしゅうだん)の一員として漢中の戦いで重要な役割を果たしたが、その結末は曹操軍に滅ぼされる形で終わり、これは当時の漢中の戦況の複雑さと残酷さをある程度反映している。

演中(In the Novel)

『三国(さんごく)演義』において、吳蘭の人物像にはより多くの文学的色彩と物語の筋立てが与えられ、その登場回数と参加した戦役も史実の記載を大きく上回る。彼は当初、劉璋集団(りゅうしょうしゅうだん)の将として登場し、呉懿(ごい)、雷同らとともに雒城(らくじょう)を守備していた。劉備が雒城を攻めた際、吳蘭は抵抗に参加した。第六十二回において、呉懿は冷苞の計を採用し、涪江の水を決壊させて劉備軍を水攻めにしようと計画し、吳蘭と雷同は命を受けて兵を率い冷苞を後援した。しかしこの計は魏延(ぎえん)に見破られ、冷苞は生け捕りにされた。続いて、吳蘭と雷同は冷苞を後援する際、再び黄忠(こうちゅう)の軍に遭遇し、成功できなかった。第六十四回において、吳蘭と雷同は再び黄忠、魏延と交戦し、呉懿、劉璝とともに挟撃の態勢を形成した。しかし劉備と張飛(ちょうひ)の支援を受けて、吳蘭と雷同は最終的に敵わず、劉備に降伏することを選んだ。

劉備に降伏した後、吳蘭は劉備集団に仕えるようになった。第六十九回において、彼は馬超(ばちょう)に従って下辨に駐屯し、馬超によって先鋒に任命された。曹洪(そうこう)の軍と交戦した際、吳蘭の牙将である任夔が制止を聞かず軽率に出撃した結果、曹洪に斬殺された。吳蘭はこの戦いに敗れて帰還し、馬超に叱責され、馬超は彼に隘口を固守し敵を侮らぬよう命じた。演義における吳蘭は、劉璋の部将から劉備の部将へと、その経歴はより波乱に富み、戦場での働きや性格の特徴をも示しているが、これらの筋立ては多くが小説家の創作であり、史書には明確な記載がない。

重要な関係

* 劉璋集団(serves):『三国演義』の初期において、吳蘭は劉璋(りゅう しょう)配下の将であり、呉懿、雷同らとともに劉備の攻撃を防いだ。彼は雒城の防衛に参加し、呉懿の指揮に従い、水攻めの計によって劉備の大軍を阻もうとした。
* 劉備集団(serves):『三国演義』において、吳蘭と雷同は劉備、張飛と交戦した後、最終的に劉備に降伏することを選び、劉備集団の一員となった。一方、史実においては、吳蘭は直接劉備の将として漢中の戦いに参加した。
* 馬超(serves)(演義独自):『三国演義』において、吳蘭は劉備に降伏した後、馬超に従って下辨に駐屯し、先鋒を務め、馬超の指揮に従った。
* 雷同(同僚):史実であれ演義であれ、吳蘭は常に雷同(雷銅)とともに登場し、共同で軍事任務を遂行する、肩を並べて戦う戦友であった。

象徴的な場面

* 武都の敗北(史実):建安二十三年、劉備は吳蘭、雷銅らの将を分遣して武都へ進入させたが、最終的に曹操の軍に撃破され捕らえられた。これは吳蘭が正史において唯一明確に記載された軍事行動と結末である。
* 雒城の水攻めの計(演義独自):『三国演義』において、吳蘭は劉璋の部将として、命を受けて雷同とともに冷苞を後援し、涪江の水を決壊させて劉備の軍を水攻めにしようとした。この計は最終的に失敗したが、劉璋陣営における吳蘭の役割を示している。
* 劉備への降伏(演義独自):『三国演義』において、吳蘭と雷同は黄忠、魏延、劉備、張飛との交戦で敵わず、最終的に劉備に降伏することを選び、これによって忠誠の対象を変えた。
* 下辨の先鋒としての敗北(演義独自):吳蘭は劉備に降伏した後、馬超の配下で先鋒を務め、下辨で曹洪と交戦した際、牙将の任夔が敵を侮ったために敗北を招き、馬超に叱責された。この場面は戦場における吳蘭の働きと上官との関係を描いている。
* 一句の台詞(演義独自):『三国演義』第六十九回において、馬超が吳蘭を敵を侮って敗北したと叱責した際、吳蘭は「任夔が吾が言を聴かず、故にこの敗あり」という一句の台詞を残した。この言葉は敗北の原因を簡潔に説明するとともに、責任を他人に帰そうとする吳蘭の性格を側面から反映している。

人間関係

4 件の関係

台詞

  • 演 ch.69 §33→ 馬超(ばちょう)

    「任夔不聽吾言,故有此敗。」

登場回6 回 ▸
  • 史ch.32
  • 演ch.62ch.63ch.64ch.69ch.72
関係の年表1 条 ▸

演 ch.69

内面の独白 · AI 生成1 段 ▸
  • 漢中(かんちゅう)で兵が起こると、私は先主の命を受け、雷銅(らいどう)らとともに武都(ぶと)へ入った。軍勢が出発したとき、私はただ軍令を目の前の務めと考えていた。将兵は命を受けた以上、前へ進んで力を尽くすべきであり、行く先がどうなるかを案じ