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季雍

季雍の肖像
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季雍(きよう)は清河の人で、袁紹に背いて公孫瓚に降り、後に朱霊に城を攻め落とされ捕らえられた。

正史 『三国志』巻17 · 『演義』に登場せず

出典

原典に季雍が登場する箇所

  • 正史 · 巻 17『三国志』

    …〈九州春秋曰:「初,清河季雍以鄃叛袁紹而降公孫瓚,瓚遣兵衞之。…
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    初,清河朱靈爲袁紹將。太祖之征陶謙,紹使靈督三營助太祖,戰有功。紹所遣諸將各罷歸,靈曰:「靈觀人多矣,無若曹公者,此乃眞明主也。今已遇,復何之?」遂留不去。所將士卒慕之,皆隨靈留。靈後遂爲好將,名亞晃等,至後將軍,封高唐(亭)侯。〈九州春秋曰:「初,清河季雍以鄃叛袁紹而降公孫瓚,瓚遣兵衞之。紹遣靈攻之。靈家在城中,瓚將靈母弟置城上,誘呼靈。靈望城涕泣曰:『丈夫一出身與人,豈復顧家耶!』遂力戰拔之,生擒雍而靈家皆死。」魏書曰:「靈字文博。太祖旣平冀州,遣靈將新兵五千人騎千匹守許南。太祖戒之曰:『冀州新兵,數承寛緩,暫見齊整,意尙怏怏。卿名先有威嚴,善以道寛之,不然即有變。』靈至陽翟,中郎將程昂等果反,即斬昂,以狀聞。太祖手書曰:『兵中所以爲危險者,外對敵國,內有姦謀不測之變。昔鄧禹中分光武軍西行,而有宗歆、馮愔之難,後將二十四騎還洛陽,禹豈以是減損哉?來書懇惻,多引咎過,未必如所云也。』文帝即位,封靈鄃侯,增其戸邑。詔曰:『將軍佐命先帝,典兵歷年,威過方邵,功逾絳灌。圖籍所美,何以加焉?朕受天命,帝有海內,元功之將,社稷之臣,皆朕所與同福共慶,傳之無窮者也。今封隃侯。富貴不歸故鄕,如夜行衣繡。若平常所志,原勿難言。』靈謝曰:『高唐,宿所原。』於是更封高唐侯,薨,諡曰威侯。」〉

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ほか 3 件

季雍(きよう)は清河の人で、かつて鄃で袁紹(えんしょう)に背き、公孫瓚(こうそんさん)に降った。『演義』にはこの人物は登場しない。

事績

  • 季雍は鄃で袁紹に背き、公孫瓚に降った。公孫瓚は兵を派遣して鄃城を守らせた。袁紹は朱霊(しゅれい)に城を攻めさせ、朱霊は最終的に城を陥落させ、季雍を生け捕りにした。(史書の記載)

関係

  • かつて公孫瓚に降り、公孫瓚は季雍が拠点としていた鄃城を守るため兵を派遣した。
  • 袁紹は朱霊に鄃城を攻め取らせ、朱霊は季雍を生け捕りにした。

人間関係

3 件の関係

季雍 の人物関係図公孫瓚朱霊袁紹季雍
  • 君臣
  • 敵対
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公孫瓚

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公孫瓚

主君

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正史 · 巻 17

  • 袁紹§37

    敵対

    袁紹に背く

  • 主君

    公孫瓚に降った

  • 朱霊§37

    敵対

    朱霊に攻められ、生け捕りにされた