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李盛

李盛の肖像
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李盛は蜀漢の将軍で、建興6年に馬謖と街亭に出陣し、敗れて諸葛亮に処刑された。

正史 『三国志』巻43 · 『演義』に登場せず

出典

原典に李盛が登場する箇所

  • 正史 · 巻 43『三国志』

    …丞相亮既誅馬謖及將軍張休、李盛,奪將軍黃襲等兵。平特見崇顯,加拜參軍,統五部兼當營事,進位討寇將軍,封亭侯。…
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    王平字子均,巴西宕渠人也。本養外家何氏。後復姓王。隨杜濩、樸胡詣洛陽,假校尉,從曹公征漢中,因降先主,拜牙門將、裨將軍。建興六年,屬參軍馬謖先鋒。謖捨水上山,舉措煩擾,平連規諫謖,謖不能用,大敗於街亭。眾盡星散,惟平所領千人鳴鼓自持,魏將張郃疑其伏兵,不往逼也。於是平徐徐收合諸營遺迸,率將士而還。丞相亮既誅馬謖及將軍張休、李盛,奪將軍黃襲等兵。平特見崇顯,加拜參軍,統五部兼當營事,進位討寇將軍,封亭侯。九年,亮圍祁山,平別守南圍。魏大將軍司馬宣王攻亮,張郃攻平,平堅守不動,郃不能克。

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ほか 3 件

李盛(り・せい)は蜀漢(しょくかん)の将軍で、街亭の戦い(がいていのたたかい)に参加した。『三国志演義』には登場しない。

事績

建興6年、李盛(り・せい)は馬謖(ばしょく)に従って先鋒を務めた。馬謖(ばしょく)は水辺を離れて山上に陣を置き、指揮に混乱を招いた。王平(おうへい)は何度も諫めたが聞き入れられず、蜀軍は街亭(がいてい)で大敗した。(史書の記載)
街亭(がいてい)で敗れた後、丞相の諸葛亮(しょかつりょう)は馬謖(ばしょく)と将軍の張休(ちょうきゅう)、李盛(り・せい)を処刑し、黃襲のほかの者たちから兵権を取り上げた。(史書の記載)

関係

  • 馬謖(ばしょく)の先鋒部隊に所属
  • 張休(ちょうきゅう)とともに諸葛亮(しょかつりょう)に処刑された

人間関係

1 件の関係

李盛 の人物関係図諸葛亮李盛
  • 君臣
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戦績

戦場の記録

原文に記された一騎討ち・討ち取り・処刑を、史書と演義に分けて数えます。

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正史 · 巻 43

  • 主君

    諸葛亮配下の将軍。街亭で敗れた後、諸葛亮に誅殺された