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張妃

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張妃の肖像
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張妃(ちょうひ)は東呉の孫和(そん か)の妃で、孫和が賜死すると自殺して殉じた。

正史 『三国志』巻59 · 『演義』に登場せず

出典

原典に張妃が登場する箇所

  • 正史 · 巻 59『三国志』

    太元二年正月,封和爲南陽王,遣之長沙。〈《吳書》曰:和之長沙,行過蕪湖,有鵲巢于帆檣,故官寮聞之皆憂慘,以爲檣末傾危,非乆安之象。…
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    太元二年正月,封和爲南陽王,遣之長沙。〈《吳書》曰:和之長沙,行過蕪湖,有鵲巢于帆檣,故官寮聞之皆憂慘,以爲檣末傾危,非乆安之象。或言鵲巢之詩有「積行累功以致爵位」之言,今王至德茂行,復受國土,儻神靈以此告寤人意乎?〉四月,權薨,諸葛恪秉政。恪即和妃張之舅也。妃使黃門陳遷之建業上疏中宮,并致問於恪。臨去,恪謂遷曰:「爲我達妃,期當使勝他人。」此言頗泄。又恪有徙都意,使治武昌宮,民間或言欲迎和。及恪被誅,孫峻因此奪和璽綬,徙新都,又遣使者賜死。和與妃張辭別,張曰:「吉凶當相隨,終不獨生活也。」亦自殺,舉邦傷焉。

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ほか 4 件

張妃は呉の孫和(そん か)の妃で、諸葛恪(しょかつかく)の姪にあたる。『三国志(さんごくし)』巻五十九に記載があり、『演義』には登場しない。

事績

孫和が孫峻(そん しゅん)に璽綬を奪われ、新都(しんと)へ移されて賜死を命じられる前、張妃と別れを告げた。張妃は「吉凶は共にすべきです。最後まで一人で生きることはありません」と言い、その後、自殺して殉じた。(史書の記載)

関係

台詞

  • 史 ch.59 §19→ 孫和

    「吉凶當相隨,終不獨生活也。」

人間関係

3 件の関係

張妃 の人物関係図孫和諸葛恪陳遷張妃
  • 親族
  • 君臣
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孫和

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孫和

配偶者

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正史 · 巻 59

  • 孫和§19

    配偶者

    妃は夫に殉じて自殺した

  • 親族

    妃;恪、すなわち和の母方の叔父の甥である