言語

衛茲

字 子許

衛茲の肖像
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衛茲(えいじ)は陳留の人で衛臻の父。曹操と盟約して董卓討伐に赴き、滎陽で戦死した。演義では描かれていない。

正史 『三国志』2巻に登場 · 『演義』に登場せず

出典

原典に衛茲が登場する箇所

  • 正史 · 巻 1『三国志』

    二月,卓聞兵起,乃徙天子都長安。卓留屯洛陽,遂焚宮室。是時紹屯河內,邈、岱、瑁、遺屯酸棗,術屯南陽,伷屯潁川,馥在鄴。…
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    二月,卓聞兵起,乃徙天子都長安。卓留屯洛陽,遂焚宮室。是時紹屯河內,邈、岱、瑁、遺屯酸棗,術屯南陽,伷屯潁川,馥在鄴。卓兵彊,紹等莫敢先進。太祖曰:「舉義兵以誅暴亂,大衆已合,諸君何疑?向使董卓聞山東兵起,倚王室之重,據二周之險,東向以臨天下;雖以無道行之,猶足爲患。今焚燒宮室,劫遷天子,海內震動,不知所歸,此天亡之時也。一戰而天下定矣,不可失也。」遂引兵西,將據成臯。邈遣將衞茲分兵隨太祖。到熒陽汴水,遇卓將徐榮,與戰不利,士卒死傷甚多。太祖爲流矢所中,所乘馬被創,從弟洪以馬與太祖,得夜遁去。榮見太祖所將兵少,力戰盡日,謂酸棗未易攻也,亦引兵還。

  • 正史 · 巻 22『三国志』

    …〈《先贤行状》曰:兹字子许。不为激诡之行,不徇流俗之名;明虑渊深,规略宏远。…
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    卫臻字公振,陳留襄邑人也。父兹,有大节,不應三公之辟。太祖之初至陳留,兹曰:「平天下者,必此人也。」太祖亦異之,數詣兹议大事。從討董卓,戰于荥阳而卒。太祖每涉郡境,辄遣使祠焉。〈《先贤行状》曰:兹字子许。不为激诡之行,不徇流俗之名;明虑渊深,规略宏远。为车骑将军何苗所辟,司徒杨彪再加旌命。董卓作乱,汉室倾荡,太祖到陈留,始与兹相见,遂同盟,计兴武事。兹答曰:“乱生久矣,非兵无以整之。”且言“兵之兴者,自今始矣”。深见废兴,首赞弘谋。合兵三千人,从太祖入荥阳,力战终日,失利,身殁。郭林宗传曰:“兹弱冠与同郡圈文生俱称盛德。林宗与二人共至市,子许买物,随价雠直,文生訾呵,减价乃取。林宗曰:“子许少欲,文生多情,此二人非徒兄弟,乃父子也。”后文生以秽货见损,兹以烈节垂名。〉

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ほか 4 件

衛茲は字を子許(しきょ)といい、陳留(ちんりゅう)の人で、衛臻(えいしん)の之父である。曹操(そうそう)と兵を合わせて董卓(とう たく)討伐に赴いたことがある。『演義』には登場しない。

事績

衛茲は三公からの招聘に応じなかった。曹操が初めて陳留に来た際、衛茲は曹操と会見して盟約を結び、兵を挙げて乱を討つことを協議した。
衛茲は三千人の兵をまとめて曹操に従い、董卓討伐に赴いたが、滎陽での戦いに敗れ、戦死した。

関係

台詞

  • 史 ch.22 §62→ 曹操

    「平天下者,必此人也。」

人間関係

2 件の関係

衛茲 の人物関係図衛臻曹操衛茲
  • 親族
  • 友人
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衛臻

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衛臻

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正史 · 巻 22

  • 曹操§62

    友

    太祖は郡境を通るたびに、使者を遣わして祭祀を行わせた