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孫呉 · 廷尉

郝普

字 子太 · –230

郝普の肖像
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郝普(かくふ)は蜀漢(しょくかん)の零陵(れいりょう)太守で、呂蒙(りょもう)の誘降を受け、隱蕃との親交を責められて自殺した。

正史 『三国志』4巻に登場 · 『演義』に登場せず

生涯

正史 4 巻

生涯230240生涯230登場演史正史 第45巻 · 台詞 0 段正史 第47巻 · 台詞 0 段正史 第54巻 · 台詞 0 段正史 第62巻 · 台詞 0 段120406080100120

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史書の記載

郝普は字を子太といい、義陽(ぎよう)の人である。劉備(りゅうび)が荊州(けいしゅう)から蜀に入った後、郝普を零陵(れいりょう)太守に任命した。孫権(そん けん)と劉備は荊州の諸郡をめぐって争い、孫権は呂蒙(りょもう)に軍を率いて長沙(ちょうさ)・零陵・桂陽郡(けいようぐん)を奪取させた。零陵太守の郝普は城に拠って固く守り、他の二郡のように敵軍の勢いを見て降伏することはなかった。劉備は自ら公安(こうあん)に赴き、関羽(かんう)に三郡を争奪させた。一方、孫権は魯粛(ろしゅく)に命じて益陽(えきよう)に兵を駐屯させ、関羽を防がせるとともに、急いで呂蒙を呼び寄せて援助させた。

呂蒙は当初、引き続き零陵を攻め取るつもりで、酃県(れいけん)を通った際、郝普の旧知である鄧玄之を連れていき、彼を通じて降伏を勧めようとした。孫権から撤兵を急ぐよう命令が届くと、呂蒙はその軍令を公にせず、かえって夜間に諸将を集めて攻城の配置を指示した。また、鄧玄之に郝普へ伝えさせた。「劉備は漢中(かんちゅう)で包囲され、関羽は孫権と交戦している。零陵はもはや援軍を得られない。郝普がなお孤城を守り続ければ、城が破られて命を落とすばかりか、家にいる老母まで巻き添えにすることになる」。これを聞いた郝普は恐れ、城を出ることを承諾した。呂蒙はあらかじめ兵士に城門を押さえさせておき、郝普を迎え入れてから、孫権が撤兵を命じた書簡を取り出した。劉備が公安に、関羽が益陽にいると知った郝普は、恥じ入り悔やんだ。呂蒙はただちに軍を率いて益陽へ向かった。劉備が同盟を求めると、孫権は郝普らを返還し、湘水(しょうすい)を境界として零陵を劉備に返した。

その後、郝普は呉(ご)に仕え、官位は廷尉に至った。孫権の時代、青州(せいしゅう)の人である隱蕃が呉に帰順すると、郝普は彼と親しく交わり、君主を補佐する才があると称賛した。後に隱蕃の謀反が発覚して処刑されると、郝普は孫権から責められ、ついに自殺した。

小説における描写

提示された演義の資料には郝普に関する記述がなく、演義にはこの人物は登場しない。したがって、この記事で小説における言動や性格、戦場での経験を補って描くことはできず、史書に記された零陵での籠城や、誘いを受けて降伏した出来事を演義の筋書きとして扱うこともできない。郝普については、『三国志(さんごくし)』および裴注(はいちゅう)の記載を根拠とすべきであり、現存する資料には小説における彼の描写と比較できるものはない。

重要な関係

郝普の官歴は、劉備と孫権による荊州の三郡をめぐる争いに直接関係している。劉備に任命されて零陵太守となった後、孫権が呂蒙を派遣して西進し、三郡を奪取したため、郝普は城を守る側となった。関羽は劉備の命を受けて三郡を争奪し、呂蒙は孫権の命を受けて攻め取ろうとした。この対峙により、零陵の帰属は郝普個人の籠城の選択にとどまらず、両者の軍事・外交上の駆け引きの中に置かれた。

鄧玄之は呂蒙が郝普に降伏を勧めるために用いた重要な仲介者であり、郝普の旧知でもあった。呂蒙は彼を通じて援軍が望めず、孤城が陥落するという話を伝え、命令を受けて自分が撤兵することを伏せた。そのため郝普は状況を見誤り、城を出た後になって初めて孫権の書簡を目にした。後に郝普は呉の朝廷で官職に就き、隱蕃と親しく交わった。隱蕃を高く評価したことで孫権の叱責を招き、最後は自殺に至った。

象徴的な場面

郝普の置かれた状況を最もよく表すのは、零陵城下での偽りの降伏である。呂蒙は単に兵力で圧迫したのではなく、まず鄧玄之に説得させ、次いで援軍が望めないこと、孤城を守りきれないこと、家にいる老母が害を受けかねないことを突きつけた。郝普は恐怖の中で城を出ることを決め、呂蒙はただちに城門を押さえ、郝普の手を取って同行した後で、ようやく撤兵の書簡を示した。そこで郝普は、自らの判断の根拠となった戦況が誤って伝えられていたと悟り、恥じて悔やんだ。この計略によって零陵は一時的に呉軍の手に落ちた。この出来事は、郝普が孤城を守り抜こうとした一方で、最後には彼を狙った離間と威圧によって説得されたことも示している。

もう一つの転機は呉の朝廷で起きた。郝普はかつて隱蕃と親しく交わり、彼に王佐の才があると称賛していた。隱蕃の謀反が露見すると、孫権は郝普をその一件と結びつけて責め、郝普はついに自殺した。前者の場面で郝普は零陵太守として劉備と孫権の争いに加わり、後者の場面では呉の廷尉としてその生涯を終える。戦況の急変による失城と、政治的な疑念による死という二つの出来事が、史書に見える彼の生涯の重要な節目をなしている。

人間関係

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正史 · 巻 62

  • 隱蕃§23

    友

    廷尉の郝普はとりわけ隱蕃と親しく、常にその不遇を嘆いていた;事が発覚して責められ、自殺した