言語
涼

曹魏(そうぎ) · 尚书仆射

涼茂(りょうぼう)

登場回
2
台詞の記録
1
人間関係
4
内面の独白
1

史載(Historical Record)

涼茂(りょうぼう)は、字を伯方といい、山陽昌邑の人である。彼は幼い頃から学問を好み、論議の際にはしばしば経典を引いて根拠とし、これによって是非曲直を判断した。曹操(そうそう)は彼を召して司空掾とし、後に高第に挙げられ、侍御史に補された c:4623。

当時、泰山地方では盗賊が猖獗をきわめていたため、曹操は涼茂を泰山太守に任じた。涼茂が着任すると、わずか十数日のうちに、千戸あまりの百姓が老人や子供を連れ、家財を背負って帰附してきた c:4623。そののち、涼茂は楽浪太守に転じられた。しかし、彼が楽浪へ赴任しようとした際、公孫度(こうそんたく)が遼東で彼を引き留め、楽浪へ行かせなかったが、涼茂は終始公孫度に屈服しなかった c:4623。

あるとき、公孫度は涼茂および諸将に向かって言った。「聞くところでは曹公は遠征に出て外におり、鄴(ぎょう)には守りがないという。わしは今、歩兵三万、騎兵一万を率いて、まっすぐ鄴を取ろうと思うが、誰がこれを阻めようか。」諸将は皆これに賛同した。公孫度はまた涼茂を見て尋ねた。「そなたの見るところはどうか。」涼茂は答えた。「近ごろ海内は大いに乱れ、国家の社稷は危急存亡のときにあります。将軍はあなたは兵十万を擁しながら、坐して成り行きを観ておられる。人臣として、はたしてこのようであってよいものでしょうか。曹公は国家の危亡を憂い、百姓の苦しみを憐れみ、義兵を率いて天下のために残賊を討ち、功は高く徳は広く、まさに世に並ぶものなしと言えます。海内がようやく平定され、百姓がようやく安んじ始めたばかりであるからこそ、彼はまだ将軍の罪を問うていないのです。しかるに将軍はあなたは兵を発して西へ進もうとなさる。さすれば存亡の結末は、半日もかからずに決するでしょう。将軍はあなたはどうか三思なさいませ。」諸将は涼茂の言葉を聞いて、皆これに動かされた。しばらくして、公孫度はようやく言った。「涼君の言うとおりだ。」 c:4623

後に、涼茂は召されて朝廷に戻り、相次いで魏郡太守、甘陵相を務め、各地での任において顕著な政績を挙げた。曹丕(そうひ)が五官中郎将に立てられたとき、涼茂は長史に選ばれ、後にまた左軍師に昇進した。魏国が初めて建てられたとき、彼は尚書僕射に任じられた c:4623。曹操はかつてその善を称えた c:371。その後、涼茂はまた中尉奉常を務めた。曹丕が東宮にあって太子であったとき、涼茂は再び太子太傅に任じられ、曹丕に深く敬重され礼遇された。最後に、涼茂は任にあって世を去った c:4623。

演中(In the Novel)

『三国演義』では涼茂についての文学的造形はなく、その事績は小説において言及されていない。したがって、涼茂の「演中」の内容は、史書の記載と乖離はなく、演義独自の筋立てや描写もない。

重要な関係

* 曹魏(serves):涼茂は曹魏(そうぎ)政権の重要な官員であり、司空掾、侍御史、泰山太守、楽浪太守(着任せず)、魏郡太守、甘陵相、長史、左軍師、尚書僕射、中尉奉常、太子太傅などの職を歴任した c:4623。彼は曹魏の建立と発展に大いに貢献し、曹操と曹丕に深く信任され重んじられた。
* 公孫度集団(serves):涼茂は楽浪太守に任じられた後、公孫度に遼東で引き留められたが、涼茂は公孫度に屈服せず、かえって彼に直言して諫めた c:4623。
* 公孫度(advises_in):涼茂は鄴を攻めようと意図する公孫度に諫言し、その行為の危険性を指摘し、曹操の功徳を称え、最後には公孫度に進攻の意を放棄させた c:4623。
* 曹丕(mentor_of):涼茂は曹丕が五官中郎将であったときその長史を務め、後にまた曹丕が太子であったとき太子太傅を務め、曹丕に深く敬重され礼遇された c:4623。彼は太子を補佐し教導する役を担い、曹丕の成長と治国の理念の形成に重要な役割を果たした。

象徴的な場面

* 泰山で民を安んじる:涼茂が泰山太守を務めたとき、当地では盗賊が横行していた。彼は着任すると、わずか十数日で千戸あまりの百姓を帰附させ、その卓越した治理の能力と百姓を安撫する才を示した c:4623。この場面は涼茂の政績と地方への貢献を体現している。
* 遼東で公孫度に直諫する:公孫度が曹操の遠征に乗じて鄴を攻めようと意図したとき、涼茂は諸将が皆これに同調する中で、身を挺して公孫度に直言して諫め、その行為の害を指摘し、曹操の功徳を称えた。最後に公孫度は涼茂の進言に従い、進攻の計画を放棄した c:4623。この場面は涼茂の忠誠、勇気、過人の見識を十分に示し、また彼の「終に公孫度に屈せず」という堅靭な品格を体現している。
* 太子曹丕を補佐する:涼茂は曹丕が太子であったとき太子太傅を務め、曹丕に深く敬重され礼遇された c:4623。この場面は涼茂の曹魏政権における重要な地位、および未来の君主への教導と影響を際立たせ、徳高く望み重き師長としての彼の姿を体現している。

人間関係

4 件の関係

台詞

  • 史 ch.11 §18→ 公孫度(こうそんたく)

    「比者海內大亂,社稷將傾,將軍擁十萬之衆,安坐而觀成敗,夫為人臣者,固若是邪!曹公憂國家之危敗,愍百姓之苦毒,率義兵為天下誅殘賊,功高而德廣,可謂無二矣。以海內初定,民始安集,故未責將軍之罪耳!而將軍乃欲稱兵西向,則存亡之效,不崇朝而決。將軍其勉之!」

登場回2 回 ▸
  • 史ch.11ch.12
関係の年表2 条 ▸

史 ch.11

史 ch.12

内面の独白 · AI 生成1 段 ▸
  • 私は若い頃から学問を好み、議論ではいつも経典に基づいて是非を判断していた。読書の目的は、弁舌で人に勝つことではなく、事に臨んで義と利、正と邪を見分けられるようになることだった。その後、太祖(Cao Cao)に召されて司空掾となり、優れた成績