史載(Historical Record)
現存する材料によれば、蔣幹(しょうかん)は史料に明確な記載がなく、その事績は主として『三国(さんごく)演義』などの文学作品に見られる。したがって、史伝の材料に基づいてその生涯を客観的に陳述することはできない。
演義(In the Novel)
蔣幹(しょうかん)は、字を子翼といい、『三国(さんごく)演義』においては、自らの弁舌に自負を抱きながらも、たびたび周瑜(しゅうゆ)に手玉に取られる謀士に造形されている。彼が初めて登場するのは、曹操(そうそう)と周瑜(しゅうゆ)が対峙する折のことである c:3190。曹操(そうそう)は戦事の失利によって鋭気を挫かれ、蔣幹(しょうかん)は自ら進んで名乗りを上げ、周瑜(しゅうゆ)とは同窓の誼があると称し、三寸不爛の舌を頼りに江東へ赴いて周瑜(しゅうゆ)を帰降させると申し出た。曹操(そうそう)はこれを大いに喜び、蔣幹(しょうかん)のために宴を設けて送り出した。蔣幹(しょうかん)は葛巾布袍を身にまとい、ただ一童二僕を連れ、小舟を駆って周瑜(しゅうゆ)の営寨へと赴いた c:3190。
周瑜(しゅうゆ)は蔣幹(しょうかん)の来訪を聞き、それが説客であると見抜いたが、わざと知らぬふりをして手厚くもてなした。彼はまず蔣幹(しょうかん)を江東の英傑に引き合わせ、太史慈(たいし じ)に剣を按じて席に坐らせ、軍威を示した c:13386。続いて周瑜(しゅうゆ)は大酔を装い、蔣幹(しょうかん)を伴って軍営を巡視し、その精鋭の士卒と山と積まれた糧草を見せつけ、言葉の端々に曹操(そうそう)への侮蔑と自らの実力への自信をにじませて、蔣幹(しょうかん)の顔を土気色にさせた c:13387。その晩、周瑜(しゅうゆ)は蔣幹(しょうかん)を同じ寝床に誘い、酔って嘔吐するふりをしながら、実は密かに蔣幹(しょうかん)を観察した。蔣幹(しょうかん)は果たして計にかかり、周瑜(しゅうゆ)が熟睡している隙に、帳内で文書を盗み読み、蔡瑁(さいぼう)・張允(ちょういん)が周瑜(しゅうゆ)に宛てた密書を発見した。その書には、二人が内応となり、機を伺って曹操(そうそう)の首級を献じたいと記されていた c:13389。蔣幹(しょうかん)はこれを真に受け、書を衣の内に隠して、夜を徹して曹営へと逃げ帰った。彼が曹操(そうそう)にこのことを報告した結果、曹操(そうそう)は怒って蔡瑁(さいぼう)・張允(ちょういん)を斬り、後になってようやく計にかかったことを悟った c:13393。
蔣幹(しょうかん)の二度目の江東への出使は、曹操(そうそう)が甘寧(かんねい)と黄蓋(こうがい)の偽りの降書を受け取った後、疑念が重なって、再び蔣幹(しょうかん)を遣わして虚実を探らせたことによる c:3192。今回、周瑜(しゅうゆ)の蔣幹(しょうかん)への態度はより強硬であり、彼が前回私信を盗み出して蔡瑁(さいぼう)・張允(ちょういん)が殺されることになったと責め、蔣幹(しょうかん)を一刀両断にしてやると言い放った c:13396。その後、周瑜(しゅうゆ)は蔣幹(しょうかん)を西山の庵に置き、人を遣わして見張らせた。蔣幹(しょうかん)は庵の中で悶々とし、夜、声をたどって龐統(ほうとう)が草屋で兵書を誦んでいるのを見つけた。蔣幹(しょうかん)は彼が「鳳雛」龐統(ほうとう)であると知ると、龐統(ほうとう)に曹に帰するよう勧め、龐統(ほうとう)も流れに乗じて偽りで承知し、蔣幹(しょうかん)とともに曹営へと赴いた c:13400。蔣幹(しょうかん)の二度の出使は、いずれも周瑜(しゅうゆ)を説得することができなかったばかりか、巡り合わせの妙によってかえって周瑜(しゅうゆ)の「苦肉計(くにくけい)」と「連環の計」の鍵となる段取りを完成させる手助けをし、最終的に赤壁の戦い(せきへきのたたかい)の勝利を促した。
主要な関係
* 周瑜(しゅうゆ)(friend_of):蔣幹(しょうかん)と周瑜(しゅうゆ)は同窓の旧友であるが、この関係は演義において周瑜(しゅうゆ)に巧みに利用され、その計略を施す道具となった。周瑜(しゅうゆ)は蔣幹(しょうかん)の性格を熟知しており、たびたびその自負と虚実を探ろうとする心理を利用して、偽りの情報を伝える「使者」とした c:13383。
* 曹魏(そうぎ)(serves):蔣幹(しょうかん)は曹操(そうそう)の幕下の食客であり、曹魏(そうぎ)のために働いた。彼は二度命を受けて江東へ赴き、曹操(そうそう)のために軍情を探り、あるいは周瑜(しゅうゆ)を説得しようとしたが、いずれも失敗に終わり、かえって間接的に東呉を助けることになった c:3190。
* 曹操(そうそう)(advises_in):蔣幹(しょうかん)は曹操(そうそう)に進言し、自ら江東へ赴いて周瑜(しゅうゆ)を説得すると名乗りを上げ、また周瑜(しゅうゆ)のもとで「探り聞いた」偽りの情報を曹操(そうそう)に報告し、直接的に曹操(そうそう)が蔡瑁(さいぼう)・張允(ちょういん)を誤って殺すことをもたらした c:13393。
* 龐統(ほうとう)(friend_of)(演義独自):蔣幹(しょうかん)は二度目の江東への出使の際、図らずも隠棲していた龐統(ほうとう)を発見し、彼を曹操(そうそう)に引き合わせ、龐統(ほうとう)が「連環の計」を献じる鍵となる一歩を促した c:13400。
象徴的な場面
* 周瑜(しゅうゆ)と舌戦して、かえって弄ばれる(演義独自):蔣幹(しょうかん)は「三寸不爛の舌」を恃んで、江東へ周瑜(しゅうゆ)を説得しに赴いた。しかし周瑜(しゅうゆ)はとうにその意図を見抜き、「群英会」を設けて蔣幹(しょうかん)をもてなし、酔ったふりをして蔣幹(しょうかん)を伴って軍営を巡視し、言葉の端々に曹操(そうそう)への侮蔑をにじませて、蔣幹(しょうかん)に口を開く隙を与えず、顔を土気色にさせた c:13387。
* 枕に伏して盗み聞き、偽りの書を盗む(演義独自):周瑜(しゅうゆ)の周到な手配の下、蔣幹(しょうかん)は周瑜(しゅうゆ)が「酔って」熟睡している隙に、帳内で文書を盗み読み、偽造された蔡瑁(さいぼう)・張允(ちょういん)と周瑜(しゅうゆ)の密書を発見した。彼はこれを真に受け、書を衣の内に隠して夜を徹して曹営へ逃げ帰り、直接的に曹操(そうそう)が水軍都督の蔡瑁(さいぼう)・張允(ちょういん)を誤って殺すことをもたらし、赤壁の戦い(せきへきのたたかい)の勝利の礎を築いた c:13389。
* 西山に龐統(ほうとう)を訪ね、曹操(そうそう)に引き合わせる(演義独自):蔣幹(しょうかん)は二度目の江東への出使で、周瑜(しゅうゆ)に西山の庵に置かれた。彼は庵の中で偶然「鳳雛」龐統(ほうとう)を見つけて知り合い、彼を曹操(そうそう)に引き合わせた。この振る舞いは、間接的に龐統(ほうとう)が曹操(そうそう)に「連環の計」を献じることを促し、曹軍の失敗をいっそう深めた c:3193。
人間関係
5 件の関係
名言
全 22 件の台詞 · 厳選 3 件
「某自幼與周郎同窗交契,願憑三寸不爛之舌,往江東說此人來降。」
蔣幹の自負の強い性格を示すとともに、その「盗書」の故事を引き出している。
「原來蔡瑁、張允結連東吳!」
「蔣幹の盗書」の一件における要となる一句で、曹操が蔡瑁・張允を誤って処刑する直接の原因となった。
「周瑜雅量高致,非言詞所能動也。」
蔣幹が周瑜を説得しようとした最初の試みの失敗を総括する一句であり、周瑜の知謀を表している。
登場回2 回 ▸
- 演ch.45ch.47
関係の年表3 条 ▸
内面の独白 · AI 生成3 段 ▸
- 私は再び命を受けて長江を渡った。この行き先が成功するかどうかは分からないと、心中では承知していた。前回はむなしく東呉へ赴き、成果を得られず、今に至るまで恥じ入っている。今、丞相は甘寧(かんねい)と黄蓋(こうがい)が伝えた事を疑い、謀士たちを
- 私は蔣幹(しょうかん)、字は子翼。丞相の命を受けて長江を渡り、旧交を頼みに周瑜(しゅうゆ)を説得し、翻意させようと思っていた。ところが、席上では親しく談笑したものの、結局、彼の心を動かすことはできなかった。夜も更けて酒宴を辞そうとすると、彼
- 昔、若いころ、私は周公瑾と同じ学舎で学び、心を通わせていた。行き来を重ねた仲は、昨日今日に始まったものではない。当時はただ互いを知る間柄だったが、歳月が流れ、それぞれが主君に仕え、ついには川を隔てて向かい合うことになろうとは思いもしなかった