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丁儀(ていぎ)

丁儀(ていぎ)

字 正禮

登場回
4
台詞の記録
0
人間関係
5
内面の独白
1

史載(Historical Record)

丁儀(ていぎ)は、字を正礼といい、沛郡の人である。その父・丁沖は曹操(そうそう)と平素より交友があり、かつて曹操のために策を献じた。曹操が天下を平定し始めたばかりの頃、丁沖は曹操に天子を迎えて東へ許都(きょと)へ帰すよう勧め、曹操はこれにより丁沖を司隷(しれい)校尉に任じた。丁沖は後に飲酒過度のため亡くなり、曹操はその旧恩を思い、常に心にその徳を懐いていた。丁儀自身も才華にあふれ、若くして令士の才をもって知られた。曹操はかつて愛娘を丁儀に嫁がせようとしたが、五官将の曹丕(そうひ)が丁儀の目疾を理由に諫め、公主が不満を抱くかもしれないと述べたため、曹操は娘を伏波将軍の子に嫁がせた。しかし、曹操は丁儀を掾属に辟召した後、彼と議論を交わし、その才思の敏捷さに深く感じ入り、かつてこう嘆いた。「丁掾は好士である。たとえ両眼が盲であっても、なお娘を嫁がせるべきだ。まして片目を病んでいるだけならなおさらだ。これは我が子が私を誤らせたのだ」と。曹操が丁儀の才華を極めて高く評価し、娘を嫁がせられなかったことを惜しんでいたことがうかがえる。

丁儀は臨淄侯の曹植(そうしょく)と親密な関係にあり、たびたび曹操の前で曹植の非凡な才華を称賛した。曹操が後継ぎの選定に迷っていた時期、丁儀は丁廙(ていい)・楊修(ようしゅう)らとともに積極的に曹植のために儲君の位を争い、曹操が一時、曹植を太子に立てる問題で迷うほどであった。 丁儀は朝廷で大いに寵信を受けたが、その人となりのために一部の正直な士の恨みを買った。たとえば、徐奕(じょえき)が丞相長史や雍州刺史などの職にあったとき、丁儀らはその正直さを快く思わず、たびたび讒言して徐奕を陥れようとしたが、徐奕は終始動じなかった。 毛玠(もうかい)もその剛直さゆえに丁儀と隙を生じ、丁儀はたびたびその短所を言い立てたが、幸い鍾繇(しょうよう)らの庇護によって身を保つことができた。

曹丕が最終的に太子に立てられると、かつて曹植を支持した丁儀を心に恨んだ。曹丕が魏王の位に即くと、ただちに丁儀とその弟・丁廙の清算に乗り出した。彼はまず丁儀を右刺奸掾に任じ、自裁に追い込もうとしたが、丁儀は思い通りにならなかった。丁儀はかつて中領軍の夏侯尚(かこう しょう)に叩頭して助命を乞い、夏侯尚はそのために涙を流したが、救うことはできなかった。最終的に、丁儀は丁廙およびその男子一族とともに捕えられて獄に下され、処刑された。

演中(In the Novel)

『三国(さんごく)演義』において、丁儀の人物像は主に曹植への揺るぎない支持と、それによって招いた曹丕の報復を中心に描かれ、史実とおおむね一致するが、細部や表現において誇張と劇化が施されている。演義では、丁儀と丁廙の兄弟二人は曹植の腹心であり謀士として描かれ、曹操が後継ぎの選定に迷っていた際には、曹植集団の重要な構成員であった。

演義はとりわけ、曹丕の即位後に丁儀兄弟へ加えた残酷な報復を重点的に描いている。曹操の死後、曹丕が魏王の位に即くと、華歆(かきん)が曹丕に進言し、臨淄侯の曹植と蕭懐侯の曹熊(そうゆう)が弔問に来なかったのは罪に問うべきだと述べた。使者が臨淄侯府へ赴いたとき、丁儀と丁廙の兄弟二人は曹植と痛飲しており、曹丕の使者に対して甚だしい無礼を示した。丁儀は使者を面と向かって怒鳴りつけ、曹丕が兄弟の情をかえりみないことを責め、先王がもともと曹植を世子に立てようとしていたのに讒臣に阻まれたのだと改めて言い立てた。丁廙もこれに和して、曹植は聡明で世に冠たる人物であり、当然大位を継ぐべきなのに、朝廷の大臣は人材を見抜けないのだと述べた。最終的に、曹植は丁儀兄弟の煽動を受け、怒って武士に命じ、使者を棒で乱打して追い出させた。 この一節は史書には明記されておらず、丁儀兄弟の忠誠と曹丕の残虐さを際立たせるために演義が施した芸術的脚色である。演義における丁儀兄弟の結末の扱いは史実と一致しており、すなわち曹丕は即位後、丁儀・丁廙およびその男子一族をともに誅殺するが、演義はその死の前の激烈な言辞と曹丕への侮蔑をより強調している。

主要な関係

* 徐奕(enemy_of):史書の記載によれば、丁儀らは徐奕の正直な人となりを快く思わず、たびたび讒言して徐奕を陥れようとしたが、徐奕は終始動じなかった。
* 曹植(friend_of):丁儀は曹植と親密な関係にあり、曹植集団の中核的な構成員であった。曹操が後継ぎの選定に迷っていた時期、丁儀は丁廙・楊修らとともに積極的に曹植のために儲君の位を争った。 演義では、丁儀はさらに曹植の揺るぎない擁護者であり、曹丕の即位後もなお曹植とともに酒を飲み、曹丕の使者に無礼な言葉を浴びせ、曹植への忠誠を示した。
* 曹丕(enemy_of):曹丕は丁儀の宿敵である。丁儀は曹植を支持したことで曹丕と恨みを結んだ。曹丕は即位後、丁儀を心に恨み、最終的に丁儀・丁廙およびその男子一族をともに誅殺した。 演義では、丁儀は曹丕の即位後もなお曹丕に対して甚だしい無礼を示し、両者の敵対関係をいっそう深めた。
* 毛玠(rival_of):毛玠も徐奕と同様、その剛直さゆえに丁儀と隙を生じ、丁儀はたびたびその短所を言い立てて陥れようとしたが、幸い鍾繇らの庇護によって身を保つことができた。

象徴的な場面

* 曹操が娘を丁儀に嫁がせようとする:曹操は丁儀の才華の卓越ゆえに、かつて愛娘を彼に嫁がせようとした。最終的に成らなかったものの、曹操は丁儀と議論を交わした後、なお「丁掾は好士である。たとえ両眼が盲であっても、なお娘を嫁がせるべきだ。まして片目を病んでいるだけならなおさらだ。これは我が子が私を誤らせたのだ」と嘆いた。この場面は、曹操が丁儀の才華を極めて高く評価し、才を惜しむ心を十分に示している。
* 曹植のために儲位を争う:丁儀は丁廙・楊修らとともに積極的に曹植のために儲君の位を争い、曹操を後継ぎの問題で迷わせた。これは丁儀の政治生涯における重要な一筆であり、彼と曹丕との対立を直接招いたものでもある。
* 徐奕・毛玠との衝突:丁儀はその権勢と曹植への支持ゆえに、正直な徐奕・毛玠らと衝突し、たびたび彼らを陥れようとした。これは当時の朝廷における複雑な政治闘争と派閥の対立を反映している。,
* 曹丕の即位後に誅殺される:曹丕が魏王の位に即くと、丁儀とその弟・丁廙の清算に乗り出し、最終的に彼らおよびその男子一族をともに誅殺した。丁儀はかつて夏侯尚に助命を乞うたが、救われることはなかった。
* 曹丕の使者を怒鳴りつける(演義独自):『三国演義』において、曹操の死後、曹丕は使者を臨淄侯府へ遣わして罪を問うた。丁儀と丁廙の兄弟二人は曹植と痛飲しており、丁儀は面と向かって使者を怒鳴りつけ、曹丕が兄弟の情をかえりみないことを責め、先王がもともと曹植を世子に立てようとしていたのだと改めて言い立てた。この場面は劇的性に富み、丁儀の曹植への忠誠と曹丕への侮蔑を際立たせている。

肖像アーカイブ

人物像

性格
丁儀(ていぎ)は曹植(そうしょく)の一党であり、かつて崔琰(さいえん)・徐奕(じょえき)・毛玠(もうかい)・何夔(かき)らを讒言して陥れた。
逸話
丁儀(ていぎ)は沛国(はいこく)の人であり、文帝が王位に即いた後に誅殺され、その男子もまた誅された。彼はかつて西曹掾を務め、丁廙(ていい)・楊脩(ようしゅう)とともに曹植(そうしょく)の羽翼となった。

人間関係

5 件の関係

登場回4 回 ▸
  • 史ch.12ch.19ch.22
  • 演ch.79
関係の年表5 条 ▸

史 ch.12

史 ch.19

史 ch.22

演 ch.79

内面の独白 · AI 生成1 段 ▸
  • かつて私は、礼を正すことを自らの務めとしていた。若い頃、父が太祖と親しくしていたと聞き、天下がまだ定まらぬうちに、世を正し補佐する事業に乗り出すよう、書簡で勧めたことがある。父は後に酔って亡くなったが、太祖は旧恩を思い、私に才があると聞いて
生涯の大事3 ▸