
史書の記載(Historical Record)
王累は、その生涯や事績が正史の記載では極めて簡略であり、主に劉備(りゅうび)の入蜀というこの歴史的事件の背景の中に登場する。彼は当時、益州(えきしゅう)牧劉璋(りゅう しょう)の従事、具体的には広漢従事の職にあった。建安十六年(211年)、劉璋(りゅう しょう)が張松(ちょうしょう)の進言を聞き入れ、劉備(りゅうび)を蜀に招いて張魯(ちょうろ)に備えようとしたとき、王累はこの挙に強い反対を表した。彼は極端な方法――「自ら州門に倒れ懸かって諫める」 c:5942――をもって劉璋(りゅう しょう)を諫止しようとした。この行為は、王累が劉璋(りゅう しょう)の決定に対する極度の憂慮と益州(えきしゅう)の前途への深い関心を表していた。しかし、劉璋(りゅう しょう)は王累の諫言を採らず、主簿黄権(こうけん)が陳べた利害関係も聞き入れず、かえって「一切受け入れず、所在に先主を供奉せよと敕した」 c:5942 と、あくまで劉備(りゅうび)を迎えた。この後、史料には王累に関する記載はもはやなく、その結末も明示されていない。王累は正史において、その剛烈な死諫の形象をもって、劉璋(りゅう しょう)集団の中で劉備(りゅうび)の入蜀の潜在的リスクをはっきり認識した数少ない人物の一人となったが、その努力は最終的に歴史の流れを変えることはできなかった。
演義の記載(In the Novel)
『三国演義』において、王累の形象はさらに造形・強化され、忠心耿耿で敢えて直諫する悲劇的な人物となっている。彼は第六十回に初登場し c:2812、当時劉璋(りゅう しょう)はまさに張松(ちょうしょう)の言を信じ、劉備(りゅうび)を川に招こうとしていた。王累は帳前従事官として、他の阻止する者とともに進諫した。彼は明確に指摘した、「張魯(ちょうろ)の界を犯すは、乃ち癬疥の疾なり。劉備(りゅうび)の入川は、乃ち心腹の大患なり」と c:2812。そして劉備(りゅうび)がかつて曹操(そうそう)を謀害し、荊州(けいしゅう)を奪取したことを例に挙げ、劉璋(りゅう しょう)に劉備(りゅうび)の「心術かくの如し、安んぞ同処すべけんや」と警告し c:2812、「今もし召し来らば、西川休せん」と予言した c:2812。劉璋(りゅう しょう)はこれを意に介さず、劉備(りゅうび)は同宗であり基業を奪うことはないと考え、王累を「再び乱道するなかれ」と叱責し c:2812、人に命じて彼を扶け出させた。演義では、王累の諫言は史書の記載よりも詳細で予見性に富み、彼は劉備(りゅうび)の潜在的脅威を指摘しただけでなく、劉備(りゅうび)の性格的特徴をも分析した。演義では彼が「自ら州門に倒れ懸かる」場面は直接描かれていないものの、その「頓首して言いて曰く」という姿勢と激烈な言辞は、同様に彼の剛烈な死諫の性格を示している。演義は王累の悲劇的な諫言を通じて、劉璋(りゅう しょう)の昏聵と劉備(りゅうび)の入川の必然性をさらに際立たせ、この場面をより劇的な張力に富むものとしている。
主要な関係
* 劉璋集団(りゅうしょうしゅうだん)(serves):王累は益州(えきしゅう)牧劉璋(りゅう しょう)の属下であり、従事の職を務めた c:5942。彼は劉璋集団(りゅうしょうしゅうだん)の一員として、益州(えきしゅう)の安危に責任を負い、進諫によって劉璋(りゅう しょう)の統治を維持しようとした。演義では、さらに直接「帳前従事官」 c:2812 として登場し、その身分はより親近で重要なものとなっている。
* 劉璋(りゅう しょう)(advises_in):王累の主な行動は、劉璋(りゅう しょう)に進諫し、劉備(りゅうび)を蜀に招く決定に反対することである。史実の「自ら州門に倒れ懸かって諫める」 c:5942 という極端な行為であれ、演義の「頓首して言いて曰く」 c:2812 という激烈な言辞であれ、いずれも彼が自らの忠誠と智慧をもって劉璋(りゅう しょう)の決定に影響を与えようとしたことを表している。しかし、その諫言は最終的に劉璋(りゅう しょう)に採られず、劉璋(りゅう しょう)の固執と情勢への誤判を体現している。
* 張松(ちょうしょう)(opposes):王累の進諫は、張松(ちょうしょう)が劉璋(りゅう しょう)に劉備(りゅうび)を川に引き入れるよう勧めた建議に対するものである。演義では、王累は劉璋(りゅう しょう)が「今、張松(ちょうしょう)の言を聴くは、自ら其の禍を取るなり」と明確に指摘し c:2812、矛先を直接張松(ちょうしょう)の策略に向けた。これは王累と張松(ちょうしょう)が益州(えきしゅう)の未来の動向についての判断に根本的な分岐があったことを示している。
* 劉備(りゅうび)(warns_against):王累の進諫の核心的内容は、劉璋(りゅう しょう)に劉備(りゅうび)の潜在的脅威を警告することである。彼は劉備(りゅうび)を「心腹の大患」になぞらえ c:2812(演義独自)、劉備(りゅうび)が「世の梟雄」であり c:2812(演義独自)、かつて曹操(そうそう)を謀害し荊州(けいしゅう)を奪取した挙があると指摘し(演義独自)、これをもって劉璋(りゅう しょう)に狼を室内に引き入れないよう力説した。
象徴的な場面
* 州門に倒れ懸かって死諫(史実と演義の融合):王累が最もよく知られる象徴的な場面は、劉璋(りゅう しょう)が劉備(りゅうび)を蜀に引き入れるのを諫止するため、「自ら州門に倒れ懸かって諫めた」ことである c:5942。この行為は正史に明確に記載されており、王累の剛烈・忠誠・死をもって志を明らかにするのを惜しまぬ性格を示している。『三国演義』ではこの具体的な動作は直接描かれていないが、その「頓首して言いて曰く」「再び乱道するなかれ」 c:2812 という対話の場面は、同様に王累の激烈な反対と劉璋(りゅう しょう)の聞く耳を持たぬさまを表しており、史実の死諫の精神と一脈相通じ、ともに悲劇的な忠臣としての王累の形象を造形している。この場面は劉璋(りゅう しょう)の昏聵と王累の無奈を深く明らかにし、劉備(りゅうび)入蜀前夜の益州(えきしゅう)内部の矛盾の縮図となった。
* 劉備(りゅうび)を「心腹の患」と直言(演義独自):『三国演義』において、王累は劉璋(りゅう しょう)に対し、率直に「張魯(ちょうろ)の界を犯すは、乃ち癬疥の疾なり。劉備(りゅうび)の入川は、乃ち心腹の大患なり」と指摘した c:2812。この精辟な論断は、王累の時局への深い洞察力を示すだけでなく、劉備(りゅうび)入蜀後に益州(えきしゅう)が最終的に主を易える運命をも予示した。この言葉は王累の演義における名台詞となり、彼の人物像を大いに豊かにし、忠言は耳に逆らうとはいえ最終的に採られなかったものの、彼を先見の明ある忠臣とした。
肖像アーカイブ
人物像
- 性格
- 王累の性格は剛烈で、死を賭してあえて諫めた。
- 逸話
- 王累はかつて従事の官を務め、広漢の人であった。彼はかつて城門に逆さ吊りとなり、諫めの文書を手に捧げて諫言し、最終的に頭を打ちつけて死んだ。
人間関係
1 件の関係
その他1
名言
全 3 件の台詞 · 厳選 2 件
「不可!不可!」
王累が劉璋(りゅう しょう)を諫める際の印象的な冒頭の言葉で、極めて識別性が高い。
「張魯犯界,乃癬疥之疾;劉備入川,乃心腹之大患。況劉備世之梟雄,先事曹操,便思謀害;後從孫權,便奪荊州。心術如此,安可同處乎?今若召來,西川休矣!」
劉備の入蜀(りゅうびのにゅうしょく)がもたらす害を的確に予言し、その遠見卓識を示している。
登場回2 回 ▸
- 史ch.31
- 演ch.60
関係の年表1 条 ▸
演 ch.60
- 劉璋(りゅう しょう)§25
advises_in
顿首谏阻;后倒挂城门捧谏章,自割断索撞死
内面の独白 · AI 生成1 段 ▸
- 私は王累。ただ益州(えきしゅう)の従事にすぎない。私が憂えたのは一身の栄辱ではなく、州牧の劉璋(りゅう しょう)が州の門戸を誰に委ねようとしているかだった。張松(ちょうしょう)は主君に劉備(りゅうび)と通じるよう勧め、主君はこれに従って法正
生涯の大事3 ▸
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