言語

戴烈

戴烈の肖像
他の人物と同じ場面に →

戴烈(たいれつ)は孫呉の将軍で、赤烏十三年、孫権の命により陸凱と魏軍の迎撃に向かった。

正史 『三国志』巻47 · 『演義』に登場せず

出典

原典に戴烈が登場する箇所

  • 正史 · 巻 47『三国志』

    …十二月,魏大將軍王昶圍南郡,荊州刺史王基攻西陵,遣將軍戴烈、陸凱往拒之,皆引還。…
    段落全文を読む

    十三年夏五月,日至,熒惑入南斗。秋七月,犯魁第二星而東。八月,丹陽、句容及故鄣、寧國諸山崩,鴻水溢。詔原通責,給貸種食。廢太子和,處故鄣。魯王霸賜死。冬十月,魏將文欽偽叛以誘朱異,權遣呂據就異以迎欽。異等待重,欽不敢進。十一月,立子亮爲太子。遣軍十萬,作堂邑塗塘以淹北道。十二月,魏大將軍王昶圍南郡,荊州刺史王基攻西陵,遣將軍戴烈、陸凱往拒之,皆引還。〈庾闡《揚都賦》注曰:烽火以炬置孤山頭,皆緣江相望,或百里,或五十、三十里,寇至則舉以相告,一夕可行萬里。孫權時合暮舉火於西陵,鼓三竟,達吳郡南沙。〉是歳,神人授書,告以改年、立后。

ランキング

各ランキングでの順位。

ほか 3 件

戴烈は孫呉(そんご)の将軍で、『三国志(さんごくし)』巻四十七に記載がある。『演義』には登場しない。

事績

赤烏十三年十二月、魏の大将軍・王昶(おうちょう)が南郡(なんぐん)を包囲し、荊州(けいしゅう)刺史の王基(おうき)が西陵(せいりょう)を攻めた。戴烈と陸凱(りくがい)は孫権(そん けん)の派遣を受けて防衛に向かい、魏軍はその後、軍を引き揚げた。(史書による)

関係

  • 孫権(そん けん)の派遣を受け、魏軍を防いだ
  • 陸凱(りくがい)とともに敵を防ぐよう命じられた

人間関係

1 件の関係

戴烈 の人物関係図孫権戴烈
  • 君臣
扇形は関係の種類ごとの区分。内側の環は最も関わりの深い 1 人。ノードにホバーまたはフォーカスすると詳細を表示

全 1 人を表示

孫権

続けて読む

孫権

主君

孫権へ →
関係の年表1 件 ▸

正史 · 巻 47

  • 孫権§68

    主君

    孫権(そん けん)が派遣した将軍