孫呉
姚泰

姚泰(ようたい)は孫呉(そんご)の江陵(こうりょう)令で、魏軍と通じて内応を企てたため朱然(しゅぜん)に処刑された。
出典
原典に姚泰が登場する箇所
正史 · 巻 56『三国志』
…江陵令姚泰領兵備城北門,見外兵盛,城中人少,谷食慾盡。因與敵交通,謀為內應。…
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魏遣曹真、夏侯尚、張郃等攻江陵,魏文帝自住宛,為其勢援,連屯圍城。權遣將軍孫盛督萬人備州上,立圍塢,為然外救。郃渡兵攻盛,盛不能拒,即時欲退,郃據州上圍守,然中外斷絕。權遣潘璋、楊粲等解而圍不解。時然城中兵多腫病,堪戰者裁五千人。真等起土山,鑿地道,立樓櫓臨城,弓矢雨注,將士皆失色,然晏如而無恐意,方厲吏士,伺間隙攻破兩屯。魏攻圍然凡六月日,未退。江陵令姚泰領兵備城北門,見外兵盛,城中人少,谷食慾盡。因與敵交通,謀為內應。垂發,事覺,然治戮泰。尚等不能克,乃徹攻退還。由是然名震於敵國,改封當陽侯。
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戦績
戦場の記録
原文に記された一騎討ち・討ち取り・処刑を、史書と演義に分けて数えます。
- 史巻56処刑朱然(しゅぜん)敗「然治戮泰」
計略
その人物が立てた計略と見破った計略(原文に基づく)。
- 史
- 実行1 · 成功0 · 不採用0 · 看破0
- 史内応その他看破された対江陵巻56「因與敵交通,謀為內應。垂發,事覺,然治戮泰」

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孫呉
所属勢力
孫呉(そんご)は三国(さんごく)時代に江東を領有した政権である。孫策(そん さく)は軍を率いて浙江を渡り、会稽(かいけい)を攻略して現地の勢力を平定した。その後、自ら会稽太守を兼ね、官吏を任命して呉郡・丹楊・豫章郡(よしょうぐん)および分置された廬陵郡を治めさせ、江東における孫氏の支配を拡大した。孫権(そん けん)は江東を領有し、かつて劉備(りゅうび)と協力して曹操(そうそう)に抵抗した。黄龍元年(229)、孫権は南郊で皇帝に即位し、父の孫堅(そん けん)を武烈皇帝、兄の孫策を長沙(ちょうさ)桓王と追尊し、孫登(そん とう)を皇太子に立てた。孫権の死後、孫亮(そん りょう)が跡を継いだ。孫亮の廃位(そんりょうのはいい)後、孫休(そん きゅう)が迎えられて即位し、孫休の死後、孫皓(そん こう)が迎えられて帝位に就いた。孫皓の即位(そんこうのそくい)後、元興と改元し、父の孫和(そん か)を文皇帝と追尊した。