曹魏
謝奇

謝奇(しゃ き)は魏の蕲春の典農で、屯を退き、孫権(そん けん)と濡須(じゅしゅ)で曹軍を防ぎ、水口塢の築造を勧めた。
出典
原典に謝奇が登場する箇所
正史 · 巻 54『三国志』
魏使廬江謝奇為蘄春典農,屯皖田鄉,數為邊寇。蒙使人誘之,不從,則伺隙襲擊,奇遂縮退,其部伍孫子才、宋豪等,皆攜負老弱,詣蒙降。…
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魏使廬江謝奇為蘄春典農,屯皖田鄉,數為邊寇。蒙使人誘之,不從,則伺隙襲擊,奇遂縮退,其部伍孫子才、宋豪等,皆攜負老弱,詣蒙降。後從權拒曹公於濡須,數近奇計,又勸權夾水口立塢,所以備禦甚精,〈《吳錄》曰:權欲作塢,諸將皆曰:「上岸擊賊,洗足入船,何用塢為?」呂蒙曰:「兵有利鈍,戰無百勝,如有邂逅,敵步騎蹙人,不暇及水,其得入船乎?」權曰:「善。」遂作之。〉曹公不能下而退。
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謝奇は魏側の蘄春典農で、皖田郷に駐屯していた。『三国演義』には登場しない。
事績
謝奇は皖田郷に駐屯していた際、たびたび辺境を荒らした。呂蒙(りょもう)は人を遣わして投降を勧めたが、謝奇は応じず、のちに機をうかがった襲撃を受けて退いた。(史書による)
孫子才(Sun Zicai)や宋豪(Song Hao)ら、謝奇の部下は老人や弱者を連れて呂蒙に投降した。(史書による)
その後、謝奇は孫権(そん けん)に従って濡須(じゅしゅ)で曹操(そうそう)を防ぎ、幾度も成功に迫った。また、孫権に夹水口に砦を築いて備えるよう進言した。曹操は攻め落とせず、兵を引いた。(史書による)
関係
- 魏側に属し、蘄春典農を務めた。
- 部下には孫子才、宋豪らがいた。
- のちに孫権に従い、濡須で曹操を防いだ。

続けて読む
呂蒙
敵対
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正史 · 巻 54
- 呂蒙§38
敵対
呂蒙の襲撃に退いた